『天地明察』で知られる冲方丁(うぶかたとう)。その時代小説では帰国子女だった冲方丁の視点による日本が描かれます。国と国やジャンルの違いのなかに共通点を見出し、日本の根源を見つめ、幕府と朝廷との融合に注目します。
神話の力
冲方丁は大学在学中の19歳の年、応募作が第1回角川スニーカー大賞・金賞を受賞します(1996年:審査委員は天野喜孝・藤本ひとみ・水野良ら)。
受賞作は暴力団員の主人公と陰陽道・異能者を結び付けたハードボイルド・ファンタジー『黒い季節』でした。
シンガポール、ネパールで生活していた子供の頃、日本人旅行客らが置いて行った小説から栗本薫、夢枕獏、菊池秀行、半村良などにふれます。また現地の人のために日本の漫画やアニメーションを英語に翻訳し、日本語の辞書を愛読していたと言います。
映画では押井守のオリジナル・ビデオ・アニメーション(OVA)『天使のたまご』(キャラクターデザインと美術設定:天野喜孝)、日本の小説では夢枕獏『上弦の月を食べる獅子』と、栗本薫『魔界水滸伝』に大きな影響を受けたと公言しています。
作家デビュー後は、ライトノベル、SFとされる小説を発表します(『ばいばい、アース』、『微睡みのセフィロト』、『カオス レギオン』、『カルドセプト創伝 ストーム・ブリング・ワールド』、『マルドゥック・スクランブル』シリーズ、『蒼穹のファフナー』、『シュヴァリエ 〜Le Chevalier D’Eon〜』、『シュピーゲル』シリーズ)。なかでも『マルドゥック・スクランブル』は第24回日本SF大賞を受賞しました(2003年)。
冲方丁の小説の多くは漫画・アニメーションとのメディアミックスがなされます。活字離れが叫ばれるなかで活字こそが最も優れていることを考えるために大学在学中からあえてゲーム会社で働き、小説以外にゲームのシナリオ、アニメーションと漫画の原作を意識して手がけたと明かしています。
英語と日本語を使っていたアジアでの生活体験、ゲーム・漫画・アニメーションとジャンルにこだわらず同時に取り組む冲方丁は、神話学者ジョーゼフ・キャンベルの『神話の力』を愛読書として挙げています。同著は世界中の神話のなかにある共通性を指摘した古典です。
天地明察
冲方丁は『天地明察』(2009年『小説 野性時代』連載)を発表します。中編『日本改暦事情』(2004年『SF JAPAN VOL.9 2004年春季号』掲載)をもとに長編化されました。
江戸時代前期の囲碁棋士で天文暦学者、日本独自の暦・貞享暦(じょうきょうれき)を初めて作った渋川春海(しぶかわはるみ-しゅんかい)の生涯を描きます。
冲方丁は海外生活のなかで日本の宗教に関してよく質問を受けた経験から、帰国後、日本のカレンダー(暦)に関心を持ち、高等学校の授業のなかで渋川春海を知ったと言います。自身のペンネームの「丁」も、生まれた年の干支・巳丁(ひのとみ)から採られています。
同作は単行本化された翌年、第31回吉川英治文学新人賞、同賞初の時代小説の受賞となった第7回本屋大賞、第4回舟橋聖一文学賞、福島県在住であることから対象となった第7回北東文芸賞を受賞します(すべて2010年)。
さらにその翌年、第4回大学読書人大賞(2011年)も受賞しました。漫画化(2011年)、映画化(2012年)、オーディオドラマ化(2015年)もなされました。
囲碁、神道、和算への関心を掘り下げた結果、自身初の時代小説になったと言う同作で、冲方丁は改めて作家を明言するに至ったと言います。
渋川春海は、江戸幕府第3~5代将軍・徳川家光・徳川家綱・徳川綱吉の時代を生きました。
碁所(*徳川家康の命で始まったプロの碁打ち衆)四家のひとつ安井算哲(やすいさんてつ)の家に生まれ、囲碁だけでなく、数学・神道・天文暦学にも早くからその才能を発揮しました。
中国暦の宣明暦(せんみょうれき)の日本でのずれを解消しようと奮闘する渋川春海のことは、保科正之(江戸幕府第2第将軍・徳川秀忠の隠し子。会津藩初代藩主。第4代将軍・徳川家綱の後見職)や徳川光国(水戸藩第2代藩主。南朝を正統とした歴史書『大日本史』提唱者)が支援します。
『天地明察』では関孝和(和算家)とのライバル関係の他、暦事業には幕府と朝廷の融和が必要という観点で描かれました。こうした幕府と朝廷との融和への注目は隆慶一郎やその影響下にある北方謙三・安部龍太郎らが先行しています。
冲方丁は寺社奉行から刀を下賜された渋川春海の北極出地(*暦の基準となる北極星の観測)のあと、保科正之との会話を通して次のように書きました。
「そうだ。今、その機が熟した。そなたという希有な人材の吟味も滞りなく済んだ。算哲よ。この国の老いた暦を……衰えし天の理を、天下の御政道の名のもと、斬ってくれぬか」
そのための二刀、そのための北極出地であったのだ。
なぜ春海が刀を帯びていなければならないか。それが武士像の変革になるからだ。他ならぬ武家にかかわる者が、暴力ではなく文化をもって、新たな時代に、新たなときの刻みをもたらす。『天地明察』より
そして、渋川春海と徳川光国とのやりとりも次のように書きました。
「水戸は、帝こそ第一義ぞ」
光国は言った。改暦が朝廷の権威失墜になってはならないという警告だった。
それが水戸藩の特色であり、会津藩と対照をなす思想の相違だった。
会津藩及び保科正之にとっては、将軍家こそ“尽忠”の対象である。だが水戸光国にとっては、将軍よりも天皇がその対象だった。そしてその両藩の思想の違いは、春海の生きる今から、数百年にわたり、変わらず受け継がれてゆくことになる。「江戸幕府と朝廷、いずれにとっても慶賀の、また潤利たる事業にございます」『天地明察』
光圀伝
実話をもとに創作したショートストーリー集『もらい泣き』(2009~2011年『小説すばる』連載)を経て、時代小説2作目は徳川光圀の生涯を描いた『光圀伝』(2011~2012年『小説 野性時代』連載)です。
『天地明察』担当編集者からの徳川光圀の物語を読みたいという依頼に応えました。
徳川光圀が家臣・藤井紋太夫徳昭(ふじいもんだゆうのりあき)を刺殺した史実を小説の導入と結末とし、悪所に出入した傾奇者だった若き頃から、中国の歴史書『史記』を読んだことで歴史書『大日本史』の編纂を提唱するに至る生涯を描きます。
その際、自分の存在によって家督を継げなかった兄・松平頼重(高松藩初代藩主)への義、家臣刺殺の理由を大政奉還の企てによるとしました。
同作は単行本化の年、第3回山田風太郎賞を受賞しました(2012年)。同年、「2012年 歴史・時代小説ベスト10」(『週刊朝日』)第1位も受賞し、漫画化もなされました。
黄門廻国記
徳川光圀のイメージは江戸時代後期に記された『水戸黄門仁徳録』をもとに、講談『水戸黄門漫遊記』を通じて幕末に広がったとされます。
『大日本史』編纂の中心人物の佐々介三郎宗淳(さっさすけさぶろうむねきよ)と安積覚兵衛澹泊(あさかかくべえたんぱく)が、黄門様が率いる助さんと覚さんのモデルとされます。
明治時代に入ると歌舞伎・狂言作者の河竹黙阿弥が『黄門記童幼講釈』を上演しています。市川團十郞(9代目)・尾上菊五郎(5代目)・市川左團次(初代)が共演した歌舞伎座のこけら落としでは、狂言『俗説美談黄門記』(河竹黙阿弥作・福地桜痴補綴)が上演されています。
昭和時代に入り、岡本綺堂が2年前に起こった火事から復興した歌舞伎座で狂言『黄門記』を上演します。小説では、満州事変の時期に徳川光圀が『大日本史』で正統とした南朝への関心(後醍醐天皇・楠木正成ら)が高まるなかで、直木三十五が『黄門廻国記』を発表します。同作は月形龍之介主演で映画化されました。
他に、満州事変後に大佛次郎『水戸黄門』、日中戦争が始まった時期には吉川英治『梅里先生行状記』、土師清二『青年光圀』(のち『無頼三十万石 若き日の水戸黄門』改題)なども書かれています。
戦後には、月形龍之介主演による『水戸黄門漫遊記』シリーズが人気を博し、14作作られます(1954~1961年)。その間、山岡荘八『水戸黄門』(のち『水戸光圀』改題)も書かれています。
地上波のテレビドラマでは『水戸黄門』として月形龍之介主演版(1964年)を経て、その後、東野英治郎を筆頭に42年に及ぶことになる人気シリーズが制作されました(1969~2011年。現在BSにて『水戸黄門』放送中2017年~)。
はなとゆめ
短編集『OUT OF CONTROL』(2012年)を経て、3作目の時代小説で自身初の新聞連載となる『はなとゆめ』(2012~2013年『岐阜新聞』他7紙連載)を発表します。日本最古の随筆『枕草子』の作者・清少納言の生涯を描きました。
『枕草子』は中宮定子(一条天皇の皇后)と女房(*貴族の侍女)・清少納言の会話が誕生のきっかけとされます。
内大臣が中宮定子と清少納言に高級な和紙を提供した際、帝が中国の歴史書『史記』を書き写しているなかで何を書くべきかと中宮定子が清少納言に問うた際、清少納言は「枕」と返答したとされます。
『史記』=「敷き」=「敷き布団」を受けて「枕」と答えたダジャレというのが通説です。冲方丁はこのエピソードを『光圀伝』の執筆時に知り、徳川光圀が京都文化へ憧れていたことから、『枕草子』を取り上げることで日本文化の根源に辿りつけるのではと考えたと明かしています。
また江戸と京都を、男性と女性の対立としても考えていたとも言います。
同作では、清少納言が女房として仕えた中宮定子(一条天皇の皇后)との主従関係のなかで物語を描きました。
戦の国
2014年から複数の小説家が参加する「決戦!」を掲げたアンソロジーがシリーズで刊行されます(2014年~:関ヶ原、大坂城、本能寺、三国志、川中島、桶狭間、忠臣蔵、新選組、関ヶ原2、賤ヶ岳、設楽原)。
冲方丁も数刊に参加し、その短編は『戦の国』(2017年)としてまとめられました。小早川秀秋、豊臣秀頼、明智光秀、上杉謙信、織田信長、大谷吉継を取り上げました。
麒麟児
集団自殺を題材にした長編ミステリー『十二人の死にたい子どもたち』(2015~2016年『別冊文藝春秋』連載)を経て、時代小説4作目として幕末という時代をテーマとします。
『天地明察』、『光圀伝』、『はなとゆめ』とは違い、人物の生涯を描かないことに主眼を置いたと言います。
それは幕臣・勝麟太郎(号:海舟)と薩摩藩・西郷吉之助(隆盛)の友情を描いた『麒麟児』(2017~2018年『小説 野性時代』連載)となりました。「予告編」(2013年『小説 野性時代』掲載)から4年後に連載されました。
同作では冲方丁が日本の歴史において類を見ない出来事と考える、江戸城無血開城が描かれます。
旧幕府・奥羽越列藩同盟と明治新政府(薩摩藩・長州藩・土佐藩ら)との戊辰戦争のなか、徳川慶喜(江戸幕府第15代将軍)の幕臣・勝海舟は、幕臣・山岡鉄舟と薩摩藩の密偵・益満休之助(幕府にとらえられていたところを勝海舟が庇護)を通じて、江戸城総攻撃を考えていた西郷隆盛へ江戸城無血開城の交渉を行ないました。
『天地明察』以来からの冲方丁の関心、幕府と朝廷の融和は『麒麟児』でも刀を通して描かれます。
道楽者だった父の下に生まれた勝海舟を、剣術と同時に禅を重んじたことを強調しました。
――腕っ節、無鉄砲、凝り性だ。
勝の血筋には、その三つが色濃く受け継がれている。勝自身がしばしばそう思うのである。
父の甥の男谷信友は高名な剣術家で、勝も学んだが、江戸の主要な道場も歯が立たぬほどの剣士であった。信友の高弟であった島田虎之助が、勝に禅を勧めたのだが、
「お主の家系には必要だ。男谷先生もそう仰って自ら禅に励んでおられる」
と真顔で言われたのを覚えている。父・小吉の荒くれぶりが念頭にあったのだ。『麒麟児』
1868年(慶応4年)4月4日、江戸城の受け渡しと徳川慶喜の処遇を提示する日、勝海舟は江戸城外の警視を担うなかで、朝廷側の勅使の随員として西郷隆盛が入城します。緊迫するなかで西郷隆盛が独自に刀を持ち入城した史実を紹介しました。
さらに、勅使の随員として入城した西郷が、いっとき、作法にならうべきか逡巡をみせたと言う。
腰に差した刀をどうするか。腰に差した刀を外して預けるのが作法である。殿中で刀を所持できるのは大名だけだった。
西郷は腰から刀を外したが、それを人に預けて丸腰になるのも不穏当である。迷った末に、刀を手で引っ提げるのではなく、胸に抱いて入っていったと言う。
勝者の驕りをいささかも見せない。むしろ滑稽に思われることを厭わず、敵地の中心に、礼を尽くして歩み入ったのである。『麒麟児』
剣樹抄
冲方丁の時代小説5作目は、徳川光圀の時代に特別な力を持つ架空の少年・少女が江戸で活躍する連作短編『剣樹抄』(2017年~『オール讀物』連載中)となりました。
江戸を舞台にと言う編集者からの依頼に、海外ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』の江戸時代版の着想で応えました。
明暦の大火の動乱のなかで起こった幕府転覆の動きに対して、徳川光圀は捨て子を集めた江戸幕府の隠密組織・拾人衆(じゅうにんしゅう)を率いることになります。
拾人衆の面々はみな異能を持ち、自作の過去のSF作品の時代劇版との声もあります。物語の悪役・錦氷ノ介の名前は中里介山『大菩薩峠』の主人公・机龍之介も彷彿させます。
明暦の大火で焼けた史実を有する日本刀・骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)も題材にしています。
海外で暮らした幼少期の体験から独自の視点で日本の根源を時代小説に照らしてきた冲方丁。そこでは常に幕府と朝廷との融合が注目されています。