明治20年代生まれの刀剣・歴史小説家
吉川英治
明治20年代生まれの刀剣・歴史小説家
吉川英治

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長編『宮本武蔵』でその名が知られる吉川英治(よしかわえいじ)。当初伝奇小説で人気を博していた吉川の想像力は『宮本武蔵』にも流れ込んでいます。伝奇小説が歴史小説とみなされていくその広がりには当時の時代背景が大きく影響しています。

『剣難女難』から『鳴門秘帖』へ

鳴門秘帖

鳴門秘帖

吉川英治の名が広く知られるようになったのは、伝奇小説『鳴門秘帖』(1926~1927年『大阪毎日新聞』連載)です。関東大震災によって勤務していた新聞社が解散したのを機に作家の道を選んだ吉川は、それまで大日本雄辯會講談社(現・講談社)の雑誌を拠点に、『剣難女難』(1925~1926年『キング』連載)、『神州天馬侠』(1925~1928年『少年倶楽部』連載)などを発表していました。『新撰組』が話題となっていた白井喬二の代案だったものの、初の大手新聞社からの連載依頼に恐れて、最初は断ったと言います。

無住心剣夕雲流の剣客・法月弦之丞

『鳴門秘帖』は、司馬江漢の随筆『春波楼筆記』から着想を得て、江戸時代中期、江戸幕府第9 代将軍・徳川家重の時代に実際に起こった蜂須賀重喜(阿波徳島藩第10 代藩主)の蟄居(ちっきょ)を素材にしました。

主人公は、公儀隠密で美男・法月弦之丞です。幕府転覆を企む阿波勢との戦いに、師匠・無住心剣夕雲流・戸ヶ崎夕雲から受け継いだ剣を振るいます。作品は連載中から、市川右太衛門・嵐長三郎(嵐寛寿郎)の主演などで多くの映画会社が映画化し、人気となりました。

「およそ一人が数人に取り囲まれる場合、敵は三人よりないものじゃ。どんな場所にも必ず背を守る楯はある。右敵、左敵、前敵、これ以上に敵はない。対手の数はあってもただ一人へこれ以上の剣が一度にかかれる理由がない。さすれば三十人も三人の敵と同じ、四十人も同じこと。要は身と心の据え方一つ。どうだ、分ったか」
この時、口伝をうけたのが獅子刀、虎乱の剣。二つながら衆を対手とする時の刀法である。弦之丞はそれを味得していた。

『鳴門秘帖』より

また『鳴門秘帖』では、謎の悪役・お十夜孫兵衛の愛刀・そぼろ助広や、弦之丞に好意を寄せる女スリ・見返りのお綱が武士の血を引いていた証となる新藤五国光の脇指など、在銘の日本刀(刀剣)が登場しています。

伝奇小説から歴史小説の作風へ

宮本武蔵

宮本武蔵

吉川作品の発表の場はその後、大手新聞がメインとなります。『貝殻一平』(1929~1930年『大阪朝日新聞』連載)と『檜山兄弟』(1931年『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』連載)では幕末の勤王派を描き、これまでの伝奇小説から歴史小説へと作風を移行していきます。

そして、代表作となる長編小説『宮本武蔵』の執筆に至ります(1935~1939年『大阪朝日新聞』『東京朝日新聞』連載)。

宮本武蔵論争

きっかけは、菊池寛と直木三十五の宮本武蔵論争でした。

直木はNHKラジオで、「強者を避け、弱い者ばかりとやった」と武蔵非名人説を語り、それを聞いた菊池は自身の雑誌『文藝春秋』で反論します。

『宮本武蔵』の連載は、武蔵名人説を採る吉川から直木への回答でした。

剣に青春と命を懸ける「宮本武蔵」

吉川は、江戸時代初期、徳川家康から家光が治める時代を実際に生きた武蔵の刀剣世界をこう描きました。

孤剣!
たのむはただこの一腰。
武蔵は、手をやった。
「これに生きよう!これを魂と見て、常に磨き、どこまで自分を人間として高めうるかやってみよう!沢庵は、禅で行っている。自分は、剣を道とし、彼の上にまで超えねばならぬ」
と、そう思った。
青春、二十一、遅くはない。

『宮本武蔵』より

『宮本武蔵』は、嵐寛寿郎や片岡千恵蔵などの主演で多くの会社でトーキー映画化されます。トーキー映画の登場で活弁士を廃業し、漫談家へ転身していた徳川夢声らがNHKラジオでも朗読しました。それまでの講談の荒唐無稽な武蔵ではない、吉川の生みだした「故郷を出て剣に青春と命を懸ける」武蔵像は、日中戦争と重なったこともあって、国民的な存在になっていきます。終戦の前年には武蔵没後三百年祭も実施されています。

吉川は、「剣禅一致」を唱えた禅僧・沢庵宗彭(たくあんそうほう)を武蔵の師匠として結び付け、備前長船長光を用いたとされる武蔵のライバル・佐々木小次郎の扮装も発案、刀剣鑑定士の家系で文人・本阿弥光悦と武蔵の交流を創作するなど、創意工夫を凝らしました。

そこには、伝奇小説をルーツとする吉川の創造力がたくましく生きています。

著者名:三宅顕人

吉川英治

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