戊辰戦争(会津戦争) 古戦場
戊辰戦争(会津戦争) 古戦場
「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)とは、旧幕府軍と新政府軍で争われた「鳥羽・伏見の戦い」からはじまる「江戸城無血開城」、「上野戦争」、「長岡城の戦い」、「会津戦争」、そして「箱館戦争」(五稜郭の戦い)までの一連の戦いのこと。戊辰戦争の終結により国内は新政府によって統一され、新しい政治の建設がはじまることになるのです。
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戊辰戦争の概要

徳川慶喜

徳川慶喜

1867年(慶応3年)11月、「大政奉還」が行なわれ、江戸幕府15代将軍「徳川慶喜」が朝廷に政権を返上しましたが、依然として徳川が強大な権力を保持していました。

そこで、そもそも倒幕派だった薩長(薩摩藩・長州藩)と「岩倉具視」(いわくらともみ)らは、慶喜を政権から排除することに。12月、「王政復古の大号令」を発して江戸幕府を廃絶し、天皇を中心とする新政府を樹立。慶喜に対して、辞官・納地を要求します。

しかし、慶喜はこれを不満として拒否。旧幕府軍を結成して、1868年(明治元年)1月より、「戊辰戦争」が始まります。

戊辰戦争とは、初戦「鳥羽・伏見の戦い」から最後の「箱館戦争」までの、約1年半にも及ぶ戦いの総称。初戦が1868年(明治元年)で、干支でいう戊辰の年だったことから、こう呼ばれました。

鳥羽・伏見の戦いは、旧幕府軍対薩摩軍。旧幕府軍には、薩摩軍に対して3倍もの兵が集まります。しかし、外国と手を結んでいた薩摩軍の軍事力は旧幕府軍の想像のはるか上。薩摩軍の新兵器を前に旧幕府軍は敗れ、慶喜は江戸に逃れます。

さらに、新政府軍の勢いは止まりません。4月には「江戸城無血開城」を果たし、慶喜は水戸で謹慎。これを皮切りに、「上野戦争」では慶喜の警護隊である彰義隊(しょうぎたい)を打ち破り、「長岡城の戦い」では奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい:東北・北陸の諸藩軍)にも勝ち続け、各地で旧幕府軍の芽を摘み取ります。

そして9月、北へ北へと進軍した新政府軍は、旧幕府軍のナンバー2と言われた会津藩主「松平容保」(まつだいらかたもり)を討つために、「会津戦争」を勃発。

会津若松城(鶴ヶ城)では、少年であった「白虎隊」(びゃっこたい:会津藩によって組織された、16~17歳の武家男子だけで構成された部隊)が応戦し、1ヵ月にも及ぶ攻防が続きます。

しかし、新政府側の猛攻はさらに激しさを増し、白虎隊の少年兵は次々に自決へ追い込まれ、ついに松平容保は降伏。会津藩は敗れ、容保の代わりに家老(かろう:家臣の長)が切腹することで、戦いは終わりを告げました。

五稜郭

五稜郭

そして、戊辰戦争で最後の戦いとなったのが、1869年(明治2年)5月の箱館戦争です。舞台は「五稜郭」(ごりょうかく:現在の北海道函館市)で、「五稜郭の戦い」とも呼ばれます。

旧幕臣で海軍副総裁の「榎本武揚」(えのもとたけあき)、新選組の「土方歳三」(ひじかたとしぞう)らの旧幕府軍が、新政府軍に最後の戦いを臨みました。その結果、土方が狙撃されて戦死し、榎本が降伏。旧幕府軍が完全に敗北します。

これにより、藩体勢の解体化が進み、新政府による統一国家の基礎が固められます。この戊辰戦争が絡んだ、大政奉還から新政府(明治政府)の設立までを「明治維新」と呼ぶのです。

戊辰戦争の古戦場

鶴ヶ城(若松城)

鶴ヶ城(若松城)

戊辰戦争の中でも、会津戦争は城下を巻き込む、特に悲惨な戦いでした。舞台となったのは、会津若松城(鶴ヶ城)。

旧幕府軍、慶喜の次の朝敵と見なされた会津藩主・松平容保が籠城しましたが、結局は降伏して開城。1874年(明治7年)に廃城となりますが、1965年(昭和40年)に再建されます。

現在ではさらにリニューアルされ、幕末当時と同じ、日本で唯一の「赤瓦」をまとった美しい天守閣を見ることができるのです。

飯盛山・白虎隊十九士の墓

飯盛山・白虎隊十九士の墓

戊辰戦争での悲劇と言えば、会津藩の白虎隊。40名で構成されたうち20名は戦死、あとの20名は会津城下町が火に包まれている姿を城が陥落したと誤解して、飯岡山で自害してしまうのです(1名のみ生存)。

この飯岡山では、「飯盛山・白虎隊十九士の墓」にお参りすることができます。

また、戊辰戦争の最後の舞台となったのが、函館にある五稜郭。星形の城が特徴的で、現在は国の特別史跡「五稜郭公園」になっています。中央にそびえていたのが「箱館奉行所」。旧幕府軍の拠点として終戦後に取り壊されましたが、現在は復元されています。

歴史の舞台を体感しに、ぜひ入館してみてはいかがでしょう。市電「五稜郭公園前駅」より、徒歩約13分です。

城をめぐる戦いの変遷についてご紹介!

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  • 鶴ヶ城(若松城)の天守閣です。
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  • 鶴ヶ城(若松城)の外観です。
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  • 鶴ヶ城(若松城)の入口です。
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  • 天守閣からの眺めです。
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  • 表門(鉄門)です。
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  • 「武者走り」と呼ばれる石垣です。
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  • 鶴ヶ城(若松城)の案内図です。
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「鶴ヶ城[若松城]」施設情報

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所在地 〒965-0873
福島県会津若松市追手町1-1
電話番号 0242-27-4005
交通アクセス まちなか周遊バス「鶴ヶ城入口」下車徒歩5分

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営業時間 8時30分~17時(入城締め切り16時30分)
休館日 無休
駐車場 有り
入場料 【天守閣】
大人 410円(360円/320円)
小人 150円(135円/120円)
【茶室麟閣共通券】
大人 510円(450円/400円)
※()内は30名以上99名以下/100名以上の団体料金です。
公式サイト http://www.tsurugajo.com/index.html

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鶴ヶ城[若松城]
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