戦国武将と共に、日本刀(刀剣)を手に取って戦った女剣士は実在しました。ここでは「女性と日本刀(刀剣)」に焦点をあて、今日の日本において、有名な女武将「巴御前」をはじめとする実在した女剣士達についてご紹介します。その興味深い逸話は、歴女必見です。

女剣士ヒストリー

女性と刀剣

女性と刀剣
刀剣と言うと男性にかかわりが深い物であるように考えがちですが、実は女性とも深いかかわりがあるのです。ここでは「花嫁道具としての刀剣」、「女性の武芸指南役」、「女性に人気の刀剣・武術」についてお話ししましょう。
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巴御前①

巴御前①
今日の日本において、最も有名な女武将と言えば「巴御前」(ともえごぜん)でしょう。巴御前は源平合戦のとき、木曽義仲(きそよしなか)軍の一大将として活躍し、その勇猛さは日本各地に伝説が残るほど、語り継がれています。ここでは巴御前と木曽義仲との数々のエピソードをお話しましょう。
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巴御前②

巴御前②
「木曽義仲」(きそよしなか)と別れ、戦場を離れた「巴御前」(ともえごぜん)はその後どうなったのでしょう?ここではその後の巴御前についてご紹介します。 また、薙刀の形状名「巴形薙刀」や、もうひとりの女武将「葵御前」の伝説についてもご紹介。さらに日本全国にある巴御前ゆかりの地をご紹介します。
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板額御前

板額御前
平安時代末期(12世紀後半)に活躍した女武将として名高い「巴御前」(ともえごぜん)とほぼ同時期に、もうひとり、その勇猛ぶりを称えられた女武将がいます。越後(新潟県)の有力な豪族で、越後平氏とも言われた城氏(じょうし)の姫・「板額御前」(はんがくごぜん)です。
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甲斐姫

甲斐姫
「織田信長」に続き、「豊臣秀吉」が天下統一を成し遂げた安土桃山時代に、一国の城主の娘として生まれ、19歳にして秀吉による小田原征伐の際には、豊臣方との1ヵ月にも及ぶ籠城戦の陣頭指揮を執った東国無双の姫として知られる「甲斐姫」(かいひめ)。彼女の運命を変えた1590年(天正18年)6月4日から7月15日(旧暦)の1ヵ月余りの日々を追いましょう。そして、その後の甲斐姫と、甲斐姫ゆかりの地を巡ります。
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大祝鶴姫

大祝鶴姫
日本で唯一現存する女性用の鎧という意見もある「紺糸裾素懸威胴丸」、それを実際に着用して戦ったといわれている女武将がいます。 戦国時代(16世紀半)の伊予国(愛媛県)、18歳という若さで水軍を率いて周防国(山口県)の大内氏と何度も戦い、瀬戸内海に浮かぶ故郷・大三島を守り抜いた「大祝鶴姫」です。
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佐々木累

佐々木累
「佐々木累」(ささきるい)は、江戸時代前期の女性の剣術家で、江戸時代、女性のひとつの職業として確立されていた武芸指南役にも就いていた人物です。風変わりな出で立ちで、凄腕の女剣士、佐々木累の人生はどのようなものだったのでしょうか。その生涯と彼女ゆかりの地をご紹介します。
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中沢琴

中沢琴
「中沢琴」(なかざわこと)は、幕末に男装姿で「浪士隊」(ろうしたい)に参加し、江戸市中の見廻りを担い、治安の維持にあたった女剣士です。江戸、明治、大正、昭和の4つの時代を駆け抜けた中沢琴の生涯はどのようなものだったのでしょう。様々なエピソードと共に、彼女の人生をひも解きます。
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千葉佐那

千葉佐那
「千葉佐那」(ちばさな)は、幕末の江戸で道場主の家に生まれ、14歳にして北辰一刀流免許皆伝(ほくしんいっとうりゅうめんきょかいでん)した女性の剣豪です。千葉道場へ剣術修行に来た「坂本龍馬」(さかもとりょうま)と恋に落ち、彼女の人生は幕末の荒波の中を大きく漂うことになります。そんな彼女の生涯と坂本龍馬とのエピソードが窺えるゆかりの地をご紹介します。
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井伊直虎①

井伊直虎①
江戸幕府創設の功臣「徳川四天王」(とくがわしてんのう)のひとり、井伊直政(いいなおまさ)。その直政を養育し、家康の家臣としての道を開いたとされるのが、戦国時代、井伊家の「女城主」となった「井伊直虎」(いいなおとら=1582年没)です。
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井伊直虎②

井伊直虎②
江戸時代を通して、幕府の譜代大名筆頭として君臨した彦根藩井伊家。その道を開いたと言っても過言ではない井伊直虎(いいなおとら:1582年没)が、女城主となったのちの活躍をご紹介しましょう。
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井伊直虎③

井伊直虎③
戦国の女城主・井伊直虎(いいなおとら)にゆかりのある場所を紹介しましょう。
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義姫①

義姫①
戦国時代を代表する名将であり、「もう少し早く生まれていれば天下人になれた」と語り継がれる仙台藩初代藩主・伊達政宗(だてまさむね)。その母で、「奥羽(おうう)の鬼姫」との異名も持つのが保春院 義姫(ほしゅんいん よしひめ=1547~1623年)です。
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義姫②

義姫②
「伊達政宗の母」というだけでなく、強烈な個性を物語るエピソードも数多く残る「保春院 義姫」(ほしゅんいん よしひめ:1547~1623年)。東北地方に点在するそのゆかりの地をご紹介しましょう。
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神功皇后①

神功皇后①
古代、朝鮮半島を服属下に置いたとされる「三韓征伐」(さんかんせいばつ)伝説を持つ「神功皇后」(じんぐうこうごう)。卑弥呼(ひみこ)と並び、古代日本の象徴的なヒロインのひとりであり、古代日本における女将軍の象徴とも言える人物です。
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神功皇后②

神功皇后②
1800年もの時を経て、今も数々の逸話が語り継がれる、古代の日本を彩るヒロインのひとり「神功皇后」(じんぐうこうごう)。中でも、女将軍として海を渡り、朝鮮半島を服属させた「三韓征伐」(さんかんせいばつ)伝説は、古代に思いを馳せるエピソードとして魅力たっぷりです。
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神功皇后③

神功皇后③
古代、女将軍として海を渡り、「三韓征伐」(さんかんせいばつ)を成し遂げた神功皇后(じんぐうこうごう)。その武勇伝は神がかった逸話で彩られていますが、三韓征伐のきっかけとなった新羅征討には、実在した、ある女性の事績がモデルとなったのではないかとの説もあります。
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神功皇后④

神功皇后④
神功皇后(じんぐうこうごう)の伝承は、主に西日本各地の神社を中心に数多く残されています。「戦いを勝利に導く女神」として、また「出産する女性を守護する女神」として祀られ、語り継がれています。
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立花誾千代①

立花誾千代①
戦国時代、名将達が認めた希代の女武将であり女城主として、歴史家の間でよく知られる「立花誾千代」(たちばなぎんちよ=1569~1602年)。女城主の逸話は日本各地に残されていますが、文書ではっきりと残るのは、この誾千代だけだと言われています。
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立花誾千代②

立花誾千代②
九州において、戦国の女武将として名を馳せた立花誾千代(たちばなぎんちよ=1569~1602年)にゆかりのある場所を紹介しましょう。
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小松姫①

小松姫①
天下分け目の「関ヶ原の戦い」で親子・兄弟が敵味方に分かれた真田家(さなだけ)を合戦時も、さらに合戦後も武勇と思いやりで支えたとされるのが、真田信之(さなだのぶゆき)の正室「小松姫」(こまつひめ=1573~1620年)です。
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小松姫②

小松姫②
徳川譜代の家臣で、徳川幕府を支えた徳川四天王(とくがわしてんのう)のひとり、本田忠勝(ほんだただかつ)の長女として1573年(天正元年)に生まれた小松姫(こまつひめ)。父親が猛将と言われた武人であったため、幼いころから剣術、馬術など武芸の教育を受けていました。1590年(天正18年)に徳川家康の養女となり、真田昌幸の長男で真田幸村(さなだゆきむら)の兄である真田信之(さなだのぶゆき)のもとへ嫁ぎます。小松姫が18歳、信之が25歳のときでした。駿府城下(すんぷじょうか)から、伊那を経由して信州・上田城に居城を構える真田家のもとへ嫁いでいったのです。今回は、この政略結婚から48歳でその生涯を終えるまでの小松姫らしいエピソードを紹介してみましょう。
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中野竹子①

中野竹子①
1868年(明治元年)8月、会津戊辰戦争(あいずぼしんせんそう)の際、新政府軍参謀であった板垣退助(いたがきたいすけ)が会津若松城(鶴ヶ城)下に侵攻。城下全域が戦闘状態となり銃撃戦が始まる中で、決死隊となる娘子隊(じょうし隊・婦女隊とも言う)の先頭に立ち、薙刀を振るって戦った女性がいました。薙刀の名手と称された中野竹子(なかのたけこ)です。不幸にもその戦いで銃弾に倒れ、22歳の若さで壮烈な死を遂げた彼女の一生を辿ってみましょう。
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中野竹子②

中野竹子②
会津藩江戸詰勘定役・中野平内(なかのひょうない)の長女として江戸で生まれた中野竹子は、幼少の頃から聡明で、のちに薙刀の名手として道場の師範台を務めていたほどの実力者でしたが、娘子隊(じょうし隊)として会津戦争に参戦し、22歳の若さでこの世を去りました。最期の地・会津若松における彼女のゆかりを紹介しましょう。
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吉岡妙林尼

吉岡妙林尼
豊後国(ぶんごのくに・現在の大分県)の戦国大名・大友宗麟(おおともそうりん)に仕えていた吉岡鎮興(よしおかしずおき)の妻・吉岡妙林尼(よしおかみょうりんに)は、耳川の戦いで命を落とした夫の死後、息子が城主を務める鶴崎城が島津軍に攻められたとき、女性や農民を率いて籠城戦を展開。敵を欺く見事な采配で島津軍を撃退し、城を奪還することに成功しました。その後、妙林尼は九州の女丈夫と評され、ヒロインの武勇伝として現代まで伝えられています。
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鶴姫①

鶴姫①
常山城(つねやまじょう)の城主・三村上野介高徳(みむらこうずけのすけたかのり)の妻、鶴姫(つるひめ)は、1974年(天正2年)から翌1975年(天正3年)にかけて起こった「備中兵乱(びっちゅうひょうらん)」の戦いで、三村家が劣勢に追い込まれ、常山城が敵に完全に包囲されると見るや、たったひとりで敵陣へと乗り込んでいきました。その鶴姫の姿を見ていた常山城の従女34人も団結し、「女軍」(じょぐん)として長刀(なぎなた)を手に敵陣の中に飛び込み、全員が討ち取られました。戦いに敗れ、自決した鶴姫と勇敢な従女達の戦いはやがて「常山女軍の戦い(つねやまじょぐんのたたかい)」と言われ、後世に語り継がれることになりました。
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鶴姫②

鶴姫②
備中国内で勃発した、備中の戦国大名、三村元親と毛利氏・宇喜多氏との戦いである備中兵乱(びっちゅうひょうらん)。三村勢の最後の砦となった常山城での戦いが「常山城合戦」でした。城主・三村上野介高徳(みむらこうずけのすけたかのり)をはじめとする城兵、そして妻・鶴姫が率いる34人の侍女達は、毛利軍と激しく戦い、討ち死にしました。そこで三村家は滅亡しますが、それまでの備中兵乱の舞台となった三村勢のゆかりの城やお寺を紹介しましょう。
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富田信高の妻①

富田信高の妻①
伊勢国(三重県)安濃津(あのつ)城主・富田信高(とみたのぶたか)の妻。肥前平戸(ひぜんひらど)藩主・松浦鎮信(まつうらしげのぶ)が著した戦話【武功雑記】(ぶこうざっき)にも記される、夫の命を自らの槍合わせで救った富田信高の妻の武勇を紹介しましょう。
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富田信高の妻②

富田信高の妻②
戦話【武功雑記】(ぶこうざっき)にもその武勇が記される、富田信高の妻。「安野津城の戦い」(あのつじょうのたたかい)で夫の信高を助けるため、鎧兜を身にまとい槍をふるって、強者を次々と破った女武士です。戦国の世を夫とともに駆け抜けた彼女のゆかりの地を紹介しましょう。
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  • 武将と歴史人の日本刀

    武将・歴史人のエピソードや、関連のある日本刀(刀剣)をご紹介します。

  • 戦国武将

    日本の歴史に登場する戦国武将をイラスト付きでご紹介します。

日本刀(刀剣)に秘められた幾多の魅力を皆様にお届けするサイト、バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド(刀剣広場)」。こちらのページは「歴女必見!戦国武将を支えた女剣士~女性と刀剣~」のトップページです。
一口に日本刀(刀剣)と言っても、実は歴史が長い日本刀(刀剣)。あなたが知らない新事実もまだまだたくさんあるかもしれません。日本刀(刀剣)・甲冑(鎧兜)に関する様々な記事があるので、ぜひご覧下さい。
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