刀剣・日本刀の専門サイト
「刀剣ワールド」

「刀剣」は、かつて武器として活躍し、現在では日本のみならず世界中に愛好家が存在する美術品です。日本の戦国時代を舞台にしたアクションゲーム「戦国BASARA」から端を発した刀剣ブームは、名刀である「三日月宗近」や「鶴丸」、「加州清光」「五月雨江」等を擬人化したブラウザゲーム「刀剣乱舞」でさらに火が点き、刀剣が好きな女性を指した「刀剣女子」は「新語・流行語大賞」にもノミネートされました。そして、大正時代を舞台にした和風剣戟奇譚「鬼滅の刃」によって、刀剣に興味を持つ子どもが激増。ゲームや漫画をきっかけとして、新たな刀剣ファンが名刀を観るため博物館に列をなすなど、かつてないほどの賑わいを見せているところです。

知れば知るほど興味が湧いてくる刀剣の世界ですが、情報を探すのが大変という方も多いのではないでしょうか。そんな方に向けて、「刀剣」、「日本刀」、「刀」、「剣」に関する様々な情報を教科書のように網羅し、画像(刀剣イラスト・刀剣写真)や動画を多用して解説しているのが、刀剣の専門サイトである「刀剣ワールド」です。

刀剣ゲームから刀や剣に興味を持ったという初心者の方にも、この専門サイトで刀剣について楽しく学んで頂けます。

「刀剣ワールド」の特徴は、豊富な刀剣写真!日本刀の美しさのひとつである「反り」や「刃文」等もしっかりと鑑賞ができるよう工夫しました。国宝・重要文化財の刀を多数掲載し、実際の博物館のように刀剣に触れ合えます。

また、日本刀の鑑賞以外にも、刀を学べる情報が満載。「最強の日本刀とは」、「日本刀の切れ味」、「日本刀の作り方」、「白鞘と拵の違い」等、刀ファンや剣ファンなら知っておきたい情報にも言及。他にも「刀剣ワールド」では、刀剣ゲームアプリ・刀剣川柳・刀剣キャラクターといったお楽しみや、刀剣展示・刀剣イベントといった刀や剣に出会える情報まで盛りだくさん。

刀剣ファンや歴女の方までご満足頂けるよう刀剣の専門サイト「刀剣ワールド」では、「刀剣」、「日本刀」、「刀」、「剣」に関する様々な情報を発信し続けて参ります。

刀剣

[刀剣ワールド]
刀剣とは

「刀剣」、「日本刀」、「刀」、「剣」と言えば、皆さんはどのようなことをイメージするのでしょうか?歴史や造形的な美しさ、武器としての機能性の素晴らしさなど、人によってイメージは、様々だと思います。

刀剣の専門サイト 刀剣ワールドの「刀剣の基礎知識」では、刀剣、日本刀、刀、剣を観たことも触れたこともない初めての方にも分かりやすい内容でご紹介。
「刀剣とは何か、日本刀とは何か」といった定義をはじめ、日本刀の種類解説や日本刀の鑑賞方法、日本刀を知る上で外すことのできない「五箇伝」と呼ばれる伝法の歴史や特徴など、刀剣に関する基礎知識をカテゴリ別に分けて解説しているので、初心者の方でも一から学べる日本刀の教科書のようになっています。刀剣の専門サイト 刀剣ワールドの「刀剣の基礎知識」で正しい刀剣の基礎知識を身につけましょう!

刀剣・日本刀とは何なのか?

「刀剣・日本刀」とは、日本古来の「武器」だと思ってはいませんか?
その答えでは、半分正解で、半分不正解です。

確かに日本刀は、一番はじめは武器として誕生し使用されていました。しかし、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の敗戦後、GHQの方針により武器としての所有は認められませんでした。のちに、「日本刀は武器ではなく美術品」だとする主張が認められて、やっと所有が許されたという経緯があります。日本刀は姿、鍛え、刃文、彫物等の美しさを楽しむ美術品なのです。

そのため現代において、「日本刀とは何か」ということを正式に定義するならば、単なる武器ではなく美術品(宝物)であり、日本古来の製法に則って生み出された「玉鋼」(たまはがね:良質な鉄)を原料とする刀剣ということができます。

この「刀剣類」という大きな区分の中に、「日本刀」があり、また「刀」、「剣」が含まれているのです。これらの区分について、それぞれどのような特徴があるのか、刀剣の専門サイト 刀剣ワールドで詳しく見ていきましょう。

刀剣とは

「刀剣」とは、刀身、または剣身を備えた武器の総称で、日本では、一般的に片刃の物を「刀」、両刃の物を「剣」として区別しています。つまり「刀剣」は、「太刀」(たち)、「打刀」(うちがたな)、「脇差」(わきざし)、「短刀」、「」、「」(つるぎ・けん)、「薙刀」(なぎなた)、「」(ほこ)など全体を指す名称です。

現代では美術品と考えられている刀剣は、元来武器として使用されていたため、慎重に扱わないと他者に危害を加えてしまうことがあります。そのため、刀剣を所持したりや使用したりする際には「銃砲刀剣類所持等取締法」(以下、銃刀法)により規制がかけられています。この銃刀法により、原則として銃砲や刀剣類の所持は禁止されていますが、例外があります。

銃砲刀剣類登録証

銃砲刀剣類登録証

それは、日本刀などの刀剣については、美術品として許可を得た場合に限り所持することが許可されるということ。これは、銃刀法第14条に「美術品若しくは骨とう品として価値のある火縄式銃砲等の古式銃砲又は美術品として価値のある刀剣類の登録をするものとする。」という文言で規定されています。この法文内の「刀剣類の登録」というのは、「銃砲刀剣類登録証」の交付を受けることを指しています。この「銃砲刀剣類登録証」がついていない刀剣は所持することができず、もちろん購入もすることもできません。

では、調理に使用する包丁やDIYなどに使用するナイフなどは、「銃砲刀剣類登録証」の交付を受けなくてもよいのでしょうか。この答えは「受けなくても良い」です。

これは、刀剣と包丁・ナイフの用途の違いに理由があります。
刀剣は、もともと殺傷能力を持った武器でした。その一方、包丁・ナイフのような「刃物」はあくまでも日常的に使う道具であるため、他者に危害を加えるものではないと考えられているのです。つまり現代の日本では「刀剣=武器」「刃物=道具」と考えられています。

また、刀剣も刃物は携帯する際、「正当な理由」が必要とされています。ここで言う「正当な理由」とは、客観的に判断されるものであり、一概には言えません。正当な理由として考えられている事例としては、買った後自宅へ持ち帰る場合や、調理人が自分の刃物を仕事場へもっていく場合などがあげられます。しかし、自分の身を守るためとして護身用に携帯することは「正当な理由」ではないとされているので注意が必要です。

このように、日本刀や刀剣は美術品である一方武器でもあるため、取り扱いには気をつける必要があるのです。

日本刀とは

「日本刀」とは、主として「鎬造り」(しのぎづくり)で「反り」(そり)があり、刀身の片側に刃を持つ刀剣類を指し、平安時代の中期に登場して以降、日本における刀剣の主流となりました。例外的に「平造り」(ひらづくり)や、「無反り」の日本刀もあり、広い意味では「槍」、「薙刀」、「剣」も日本刀に含まれます。

刀身の寸法により、約60cm以上の「太刀」と「打刀」、約30~60cmの「脇差」、約30cm以下の「短刀」に分けられます。

折り返し鍛錬

折り返し鍛錬

刀身の断面図

刀身の断面図

日本刀の何より大きな特徴は、日本独自の「折り返し鍛錬」(おりかえしたんれん)によって鍛えられた良質な「玉鋼」を素材とすることです。良質な玉鋼から作られる刀身であっても、硬いばかりでは折れやすく、逆にやわらかければ曲がってしまいます。そこで、柔軟性のある玉鋼を「心鉄」(しんがね)として、その外側を覆うように硬い玉鋼である「皮鉄」(かわがね)を組み合わせることで、「折れず、曲がらず、よく切れる」という、日本刀ならではの優れた特性を実現させました。

玉鋼は、鍛錬するほど硬くなるため、心鉄では7~10回、皮鉄は15回ほど折り返し鍛錬を行ないます。ただし、回数が多すぎると硬度は失われてしまうので、玉鋼の最適な状態を見極めるのも刀工の重要な仕事となっているのです。

また、日本刀は形状にも特徴があります。日本刀の多くは「鎬造り」ですが、これは刀身の表裏両面を縦に通る稜線の「鎬」が、やや峰/棟(みね/むね)側に寄った形状のこと。さらに、片側に刃を持つ刀身と、手で握るための「柄」(つか)に納められる「茎」(なかご)が、ひと続きの構造となっているのも特徴的です。

そして、「反り」を付けることで、素早く「鞘」(さや)から抜き放つことができ、相手に斬り付ける瞬間には、振り下ろす動作それ自体で、自然に引き切ることができるようになりました。日本刀の反りは、無理なく最大限の効果が得られるという点で、力学的にも理に適っていると言えます。日本刀は、海外の刀剣類とは一線を画す存在であり、「拵」(こしらえ:外装)とは別に、刀身自体に美術品としての価値があることも日本刀のみが持つ特徴のひとつです。

刀とは

「刀」とは、武器である刀剣の一種で、刀身の片側のみに刃を備えているタイプを指します。引き切ることに適した「反り」を持つ構造の「湾刀」(わんとう)が多く、一方、刀身が真っすぐで反りのない刀もありました。それは「直刀」(ちょくとう)と呼ばれています。

「刀」は、日本固有の刀剣を指すのではなく、世界各地で用いられ、独自に発展を遂げてきました。世界のどの国で誕生した刀剣であっても、刀身の片側だけに刃があるタイプは刀なのです。

日本においては、しばしば刀と日本刀は同一視されますが、刀には刃長に規定があり、まったく同じではありません。戦国時代以降、武士が腰に差すようになった大小2振のうち、長い方が刀で、刃長は2尺(約60.6cm)以上と決められていました。この、刃を上に向けて腰に差す様式の刀は「打刀」(うちがたな)と呼ばれ、日本の刀と言えば、おおむね打刀のことを指しているのです。打刀、つまり刀は、日本刀という大きなカテゴリに含まれる1種類と言えます。

江戸時代、打刀の寸法は持ち主の身分によって規定されていました。3代将軍「徳川家光」の時代までは、武士や剣術の修行者なら、2尺3寸(約69.7cm)以下、4代将軍「徳川家綱」以降は、2尺2寸8分(約69.0cm)以下と規定。それ以外に帯刀を許された神職や武家奉公人などの身分の者は、2尺2寸3分(約67.5cm)までとされました。

そして、5代将軍「徳川綱吉」は、日本刀の大小帯刀を武士に限ると決めたのです。この決定により、どの長さの打刀であっても一般庶民が持つことは許されなくなり、日本刀の大小帯刀は武士の象徴となりました。

ただし、大小2振の短い方である「脇差」は、町人などの身分でも、旅をする場合などには護身用として携行が許されています。脇差の刃長は1~2尺(約30.3~60.6cm)。1尺(30.3cm)より短いタイプは「短刀」です。なお、短刀には子どもや女性が持つ「懐剣」(かいけん)も含まれ、これらは武士でなくとも「守り刀」として所持することが認められていました。

剣とは

「剣」とは、直線状の剣身の両側に刃を持つ「両刃」(もろは)の刀剣です。基本的には剣身が60cm以上あり、両手で持つタイプを指します。それよりも短く、片手で扱えるタイプは「短剣」です。

日本においても、剣は古い時代から歴史に登場しています。なかでも、「三種の神器」(さんしゅのじんぎ)のひとつである「天叢雲剣」(あまのむらくものつるぎ:「草薙剣」[くさなぎのつるぎ]とも)や、日本神話に登場する「天十握剣」(あめのとつかのつるぎ)、「石上神宮」(奈良県天理市)の御神体となっている「布都御魂」(ふつのみたま)の3振は、「神代三剣」(かみよさんけん)または「日本三霊剣」と称され、最も重要な日本の剣として信仰の対象にもなっているのです。

このうち「布都御魂」は片刃の直刀であり、正確には「上古刀」(じょうことう)と呼ばれる「大刀」(たち:古刀が登場する前に作られた反りのない刀剣)ですが、「剣」と名付けられました。

天叢雲剣(草薙剣)

天叢雲剣(草薙剣)

しかし、平安時代中期に片刃で反りのある「日本刀」が登場すると、剣が実戦で使用されることは、ほとんどなくなります。それでも剣の制作は続けられ、剣の文化が潰えてしまうことはありませんでした。剣は武器としてではなく、祭祀的な意味に重きを置いた寺社への奉納品として制作されることとなり、名だたる刀工が手掛けています。剣を作ることができたのは、腕のある名工だけだったのです。

西洋の剣

西洋の剣

一方西洋では、銃などの火器が武器の主流を占めるまで、剣は実戦で用いられてきました。その戦い方は、重量のある厚い刃を振り下ろして叩き切ることと、剣先で突くことが中心です。剣は鋭利な刃で断ち切ることは、あまり考えられていないため、刃こぼれなどに留意する必要がなく、耐久性という点ではたいへんに優れていたとされています。

また、西洋の剣を制作する過程では、日本刀のように折り返し鍛錬を行なうことは、ほぼありません。制作方法は、高温で溶かした鉄を型に流し込んで成形する「鋳造」(ちゅうぞう)や、熱した鋼(はがね)を叩き延ばして剣の形に整える「鍛造」(たんぞう)、もしくは、その両方を組み合わせた方法が用いられました。主流となったのは鍛造で、現代まで受け継がれた剣のほとんどは鍛造によって作られたと言われています。

刀剣の歴史区分

刀剣には長い歴史がありますが、日本刀は、一体いつ頃誕生したのでしょうか。日本刀の特徴は、「反り」が付いた「湾刀」であること。美しい反りのある太刀が完成したのは、武士が誕生した11~12世紀以降、平安時代中期と考えられています。

日本刀の歴史は、大きく3つの時代に分けられます。慶長年間以前に作られた日本刀を「古刀」(ことう)、慶長元年からを「新刀」(しんとう)、天明元年頃から明治維新頃までを「新々刀」(しんしんとう)。

また、「現代刀」(げんだいとう)とは、新々刀期以降から今日までに制作された日本刀のことです。ちょうどこの期を境に、日本刀の材料や作り方、戦法が変革。歴史的にも社会的に重大な出来事が起きているのです。

古刀期 平安時代~文禄4年(~1595年)
新刀期 慶長元年~宝暦13年(1596~1763年)
新々刀期 明和元年~明治9年(1764~1876年)
古刀とは
  • 手持ちが軽く、味わい深い。
  • 伝法を守った作りをしている。
  • (なかご)に化粧やすりなどが施されておらず、錆も多く付いている。
  • 刃中(はちゅう)には豊富な働きがある。(刃文に多彩な模様が生じる。)
新刀とは
  • 反りが浅く、重量感がある。
  • 直刃で、「帽子」(鋒/切先の刃文)が乱れ込まない。
  • 茎(なかご)に化粧やすりなどが施されている。
  • 二字銘が少なく、長銘(ながめい、ちょうめい)が刻まれる。受領名(ずりょうめい:武家や神職などの非公式な官僚名)が付くことが多い。
新々刀とは
  • 刃文が沈み気味である(刃文と地の境界線が暗く、反射しづらい)が、際立って堅い刃となっている物も多い。
  • 古刀期の上位作の写しを行なっている物が多い。
  • 新刀期にはあまり見られなかった短刀が多く作られている。

刀剣・日本刀の姿、刃文、地鉄

刀剣を鑑賞する際に、特に注目して頂きたいポイントが、刀剣全体の形状である「姿」、刀身に見られる白い模様の「刃文」(はもん)、そして折り返し鍛錬によって現れる肌模様の「地鉄」(じがね)です。ここでは、刀剣の個性や美しさが際立つ、この3つの見どころについて解説していきます。

刀剣の姿

はじめに刀剣の姿を見てみましょう。刀剣の姿は「体配」(たいはい)とも呼ばれ、刀身の「茎」(なかご)を除く、「鋒/切先」(きっさき)から「棟区」(むねまち:刃のある上身と茎を分ける境界部分)までを指します。

刀剣は、時代によって戦い方が変化すると、その需要に合わせて姿を変えてきました。とりわけ刀剣の大きな特徴である刀身の「反り」に違いが現れています。
平安時代末期から室町時代前期にかけては、騎馬で戦うときに抜刀しやすいよう、「柄」(つか)に近い腰のあたりが強く反っている「腰反り」が主流でした。
しかし、戦国時代になると徒歩(かち)による集団戦が多くなり、地上で抜刀して戦うのに適するよう、反りの中心は鋒/切先に近付き、反りも浅めになります。

また、刀身の厚さを表す「重ね」や、鋒/切先の形状、さらに刀身の長さそのものにも時代の変化は顕著に反映されました。このような刀剣の姿の違いに目を向けて、時代背景や戦闘方法に思いを巡らせてみるのも、興味深いのではないでしょうか。

反り

反り

刀剣の刃文

数え切れない刀剣の魅力の中でも、最大の特徴と言えばやはり「刃文」です。「刃文」とは、地鉄に浮かび上がった雲のような模様で、「焼き入れ」によって生み出されます。
焼き入れでは、砥石の粉や炭の粉などを水で練り合わせて作った「焼刃土」(やきばつち)を刀身に塗りますが、硬くしたい刃の部分には薄く、それ以外には厚く塗るのが基本。この厚みの異なる焼刃土の境目が刃文となるのです。

刃文は、大きな区別として、まっすぐな「直刃」(すぐは)と、波のように見える「乱刃」(みだれば)があります。乱刃はさらに多くの種類があり、一定間隔で山が繰り返される「互の目」(ぐのめ)や、丁子(ちょうじ)の実を並べたような「丁子」、波がゆったりとうねる「湾れ」(のたれ)などが一般的です。

日本刀の刃文は自然に生じるわけではありません。刀工それぞれが意識して表現する模様であり、そこには個性や流派の特徴がはっきりと表れています。刃文を鑑賞するときには、刀工や流派の個性に着目してみると良いでしょう。

湾れ刃

直刃

互の目

互の目

丁子

丁子

湾れ刃

湾れ

刀剣の地鉄

次に、刀身の地肌である「地鉄」を見ていきます。
刃文に比べると地味に思える地鉄ですが、よく目を凝らすと繊細な文様が現れているのが分かるのではないでしょうか。これが「鍛肌」(きたえはだ)で、刀剣制作の特徴である折り返し鍛錬によって形作られます。

地鉄を叩いて鍛えるとき、縦横交互に折って延ばす「十文字鍛え」にすると、木目に似た「板目肌」(いためはだ)や、木の年輪のように見える「杢目肌」(もくめはだ)になるのです。
一方、地鉄を縦横交互ではなく同じ方向へ折り畳みながら延ばすと、まっすぐな「柾目肌」(まさめはだ)になります。
これらの鍛え肌は単純に現れるわけではなく、2つ以上の種類が交じって現れたり、大きくうねる波状の「綾杉肌」(あやすぎはだ)のように、独特な文様が現れたりすることも珍しくありません。
鍛肌を見分けられるようになれば、かなりの刀剣通と言えます。

鍛え肌の種類

鍛え肌の種類

刀剣の鑑定区分

刀剣を鑑賞する際に重要となる「鑑定区分」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか。「鑑定区分」とは、刀剣の評価分類のことを指し、「日本国」による「国宝」、「重要文化財」、「重要美術品」と、「公益財団法人 日本美術刀剣保存協会」による「特別重要刀剣」、「重要刀剣」、「特別保存刀剣」、「保存刀剣」という評価があります。

国宝・重要文化財

国が定める「有形文化財」のうち、文部科学大臣が特に重要と判断した文化財を重要文化財と言い、そのなかでもさらに文化史的価値の高い物が国宝です。
現在の国宝は、1950年(昭和25年)に制定された「文化財保護法」に基づき、国民的財産を保護・活用することを目的として設けられました。文化財保護法が施行される以前に国宝と指定された文化財は、新たに選定された国宝と区別するために「旧国宝」と表記されることがあります。

短刀 銘 来国光(名物 有楽来国光)
短刀 銘 来国光(名物 有楽来国光)
来国光
(名物 有楽来国光)
時代
鎌倉時代末期
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
豊臣秀頼→
織田有楽斎伝来→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
重要美術品

「重要美術品」とは、1933年(昭和8年)に制定された「重要美術品等の保存に関する法律」によって認定された、国宝に準ずる美術的価値を備えた美術品のこと。1950年(昭和25年)に文化財保護法が制定されたことにより廃止されましたが、現在も重要文化財に次ぐ価値があるとして、重要美術品の名を残しているのです。

日本美術刀剣保存協会による鑑定

文部科学大臣の許可のもと、公益財団法人・日本美術刀剣保存協会でも、1948年(昭和23年)より、優れた刀剣を評価し、鑑定書を発行しています。

特別重要刀剣

最も上位ランクの「特別重要刀剣」とは、国が指定する重要美術品の上位にあたる刀剣と同等の価値があり、保存状態も申し分のない傑作刀です。

重要刀剣

次の「重要刀剣」とは、平安時代から江戸時代までの作品で、特に保存状態が良く、由緒ある素性が明らかとなっている刀剣のこと。

特別保存刀剣

「特別保存刀剣」は、保存刀剣の中でも出来栄えが優れ、保存状態の良い刀剣です。明治時代、または大正時代に作刀された作品でも傑作と認められれば選ばれることもあります。

保存刀剣

「保存刀剣」は、江戸時代までに作刀された在銘の作品であれば、美しさを損なわない程度の傷や補修の跡があっても選定。明治時代、大正時代に作刀された作品でも、在銘で優れた価値を認められれば選定されます。

なお、以前には「特別貴重刀剣」、「貴重刀剣」といった評価項目もありましたが、1982年(昭和57年)5月に廃止され、同年9月から現在の鑑定制度に変更されています。特別貴重刀剣、貴重刀剣は廃止された認定制度であるため、これらの認定書をお持ちの方は、公益財団法人・日本美術刀剣保存協会による鑑定を受け直すことをおすすめします。

天下五剣

「天下五剣」(てんがごけん)は、数多くある刀剣の中で、室町時代頃より特に名物と言われた5振の総称です。その5振とは、「童子切安綱」(どうじぎりやすつな)、「三日月宗近」(みかづきむねちか)、「鬼丸国綱」(おにまるくにつな)、「大典太光世」(おおでんたみつよ)、「数珠丸恒次」(じゅずまるつねつぐ)のこと。

天下五剣は、名物の中でも刀剣の世界において最高傑作とされており、その美しさと優美な姿は、今でも人々を魅了し続けています。

国宝「太刀 銘 安綱」[名物:童子切安綱]
源頼光(みなもとのよりみつ)が酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治したという伝説に由来します。
御物「太刀 銘 国綱」[名物:鬼丸]
北条時政(ほうじょうときまさ)を苦しめる鬼を斬り殺して救ったとされる太刀です。
重文「太刀 銘 恒次」[名物:数珠丸]
日蓮上人(にちれんしょうにん)が数珠を巻いて杖として使用しました。
国宝「太刀 銘 光世作」[名物:大典太]
同時代の太刀と比べ身幅が広く、刃長が短い太刀です。
国宝「太刀 銘 三条」[名物:三日月宗近]
天下五剣の中で最も美しいと言われ、刃縁に三日月のように浮かぶ打除け(うちのけ)の美しさからこの名があります。

天下三名槍

特に名槍(めいそう)と誉れの高い3本を「天下三名槍」(てんがさんめいそう)、もしくは「天下三槍」(てんがさんそう)と言います。

江戸時代にはすでに西の「日本号」(にほんごう/ひのもとごう)、東の「御手杵」(おてぎね)と並び称されていましたが、そこに「蜻蛉切」(とんぼぎり)が入って、明治時代から天下三名槍と呼ばれるようになりました。

槍 無銘(名物:日本号)
槍 無銘(名物:日本号)

槍 無銘(名物:日本号)

制作年代 刀鍛冶
室町時代後期 不明(大和国金房派と伝えられる)
所蔵 刃長
福岡市博物館 2尺6寸1分半(約79cm)
主な所有者・伝来
足利義昭 → 織田信長 → 豊臣秀吉 → 福島正則 → 母里友信
槍 無銘(名物:日本号[にほんごう/ひのもとごう])は、数々の逸話に彩られた名槍中の名槍です。もともとは朝廷の御物(ぎょぶつ)で、正三位(しょうさんみ)の位を賜ったと言う伝承があります。正親町天皇(おおぎまちてんのう)から室町幕府15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)が拝領し、織田信長、豊臣秀吉の手を経て福島正則(ふくしままさのり)へ。
のちに、福岡藩主黒田家の家臣・母里友信(もりとものぶ)が手にします。この経緯として、母里友信が福島正則の屋敷で酒を勧められたものの、勤務中であるためこれを固辞。ところが、福島正則は「何でも好きな褒美(ほうび)を取らす」としつこく絡んで勧めた上、それでも断ると「黒田武士は腰抜けだ」と侮辱。本来、酒豪であった母里友信は大盃に並々と注がれた酒を3杯一気に飲み干すと、福島家秘蔵の「日本号」を所望し、見事手に入れました。
このことから日本号は、「呑み取りの槍」とも呼ばれます。この逸話は「黒田節」に歌われ、黒田武士の心意気を伝える酒宴の定番歌となっています。
槍 銘 義助作(号:御手杵)
槍 銘 義助作(号:御手杵)

槍 銘 義助作(号:御手杵)

制作年代 刀鍛冶
室町時代末期 駿河国 島田義助
所蔵 刃長
焼失 4尺6寸(約139cm)
主な所有者・伝来
結城晴朝 → 結城秀康 → 上州前橋藩主松平家
槍 銘 義助作(号:御手杵[おてぎね])は、鞘におさめた形が、手杵(てぎね:餅つきで臼の餅米をつく杵)に似ていることが、その名の由来です。刃長2尺(約60cm)前後の長い穂を持つ槍を大身槍と呼びますが、この御手杵は、刃長4尺6寸(約139cm)という非常に大きな大身槍です。柄を加えると1丈1尺(約333cm)もの長大な槍だったと伝えられています。惜しまれることに、1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲で焼失してしまいました。
槍 銘 藤原正真作(号:蜻蛉切)
槍 銘 藤原正真作(号:蜻蛉切)

槍 銘 藤原正真作(号:蜻蛉切)

制作年代 刀鍛冶
室町時代後期 三河文殊派 藤原正真
所蔵 刃長
個人蔵
佐野美術館へ寄託)
1尺4寸4分5厘(43.8cm)
主な所有者・伝来
本多忠勝 → 三河国岡崎藩主・本多家伝来
槍 銘 藤原正真作(号:蜻蛉切[とんぼぎり])は、徳川家康の家臣で徳川四天王のひとり「本多忠勝」(ほんだただかつ)愛用の槍です。穂の先に蜻蛉が止まった途端、真っ二つに切れてしまった逸話にちなんで、こう呼ばれました。
この蜻蛉切の特徴は、何と言ってもその長大さです。約4~5mの槍が主流の時代に、柄を含めると、2丈(約6m)もの長さを誇っていたと言われています。青貝螺鈿細工(あおがいらでんざいく)の見事な装飾を施した柄は、残念ながら現在では失われてしまいました。

天下三名槍「蜻蛉切」(写し)紹介YouTube動画

神代三剣

剣を神聖な物とする信仰は、古代から世界中にありました。日本にも、神話時代から伝わるとされる神剣も存在しています。その中で最も重要な3つの剣である「天十握剣」(あめのとつかのつるぎ)・「布都御魂」(ふつのみたま)・「天叢雲剣」(あまのむらくものつるぎ)が神代三剣(かみよさんけん)です。また「日本三霊剣」(にほんさんれいけん)とも呼ばれています。

日本では、神話に登場する剣は、形状が片刃の刀でも「剣」と名付けられた物が多く、神代三剣のうち、唯一現存して公開されている布都御魂も、実際には片刃の直刀(大刀:たち=日本刀が出現する前に日本で発見された長尺の剣)で、「上古刀」(じょうことう)と呼ばれる物です。他の2つは、現存していないか、御神体として神社の奥深くに祀られており、その形が大刀なのか剣なのか、正確には分かっていません。

天十握剣(あめのとつかのつるぎ)
天十握剣

天十握剣

天十握剣(あめのとつかのつるぎ)は、「古事記」(こじき:奈良時代に成立した日本最古の歴史書)に登場する剣で、すべての刀の祖と言われている日本刀。「天之尾羽張」(あめのおはばり)、「十握剣」(とつかのつるぎ)など、数多くの別名を持ちます。

この国の創世神で、たくさんの神々を生み出した「イザナギ」(伊邪那岐・伊弉諾)と「イザナミ」(伊耶那美・伊弉冉)です。2人の間に火の神「カグツチ」(軻遇突智)が生まれたときに、イザナミはやけどを負って死んでしまいます。怒ったイザナギは、罪もないカグツチを天十握剣で斬り殺しました。そのとき天十握剣についた血から生まれたのが、「ミカハヤヒ」(甕速日神)、「ヒハヤヒ」(樋速日神)、そして「タケノミカヅチ」(建御雷之男神)だと言われます。

天十握剣の名前の由来は、柄が10人で握れるほど長いことからです。そこからも非常に長大な剣だったことが推測されます。

布都御魂(ふつのみたま)
鹿島神宮

鹿島神宮

布都御魂(ふつのみたま)は、イザナギが天十握剣でカグツチを斬った血から生まれたタケノミカヅチが、葦原中津国(あしはらのなかつくに)を平定した際に使用した剣です。「布都御魂剣」、「ふつ霊剣」(ふつみたまのつるぎ)とも呼ばれています。

布都御魂は、タケノミカヅチより「神武天皇」(じんむてんのう)に下賜され、「石上神宮」(いそのかみじんぐう:奈良県天理市)に御神体として祀られました。全長約85cmの内反り(通常の日本刀とは逆に、刃を内側に湾曲)の片刃の剣です。

タケノミカヅチを祀る「鹿島神宮」(かしまじんぐう:茨城県)には、布都御魂剣(ふつ霊剣)という名の大刀が伝わります。奈良時代から平安時代の作とされる、刃長約2mを超える長大な直刀で、1度の機会で打てなかったためか、4ヵ所でつなぎ合わせて作刀されていることが判明。別名を「平国剣」(くにむけのつるぎ)と言い、国宝に指定されています。

布都御魂と伝わる剣は数本あり、諸説ありますが、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮にある物は、タケノミカヅチのもとへ石上神宮から戻った物とする説、石上神宮から戻らなかったので、新たに作られた2代目とする説などがあり、真偽は分かっていません。

天叢雲剣/草薙剣(あまのむらくものつるぎ)
天叢雲剣

天叢雲剣

天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は、「日本書紀」(にほんしょき:奈良時代成立の日本最古の正史)に登場する剣です。熱田神宮愛知県名古屋市)の御神体・「草薙剣」(くさなぎのつるぎ:草那芸之大刀[くさなぎのたち]とも)と同一であるとするのが、現在の定説ですが、別の剣だとする説もあります。「三種の神器」(みくさのかむだから・さんしゅのしんき[じんぎ、しんぎ]:日本の歴代天皇に受け継がれてきた3つの宝物)のひとつです。

イザナギ・イザナミの子である「スサノオノミコト」(素戔男尊・須佐之男命)が、出雲国(いずものくに:現在の島根県東部)で「ヤマタノオロチ」(八岐大蛇)を退治した際に、大蛇の尾から出てきたとされる神剣で、スサノオはこの剣を姉の「アマテラスオオミカミ」(天照大神)に献上しました。

その後、地上に降りた天叢雲剣は、伊勢神宮に安置されます。そして、「ヤマトタケルノミコト」(日本武尊・倭建命)が東国征討を行なう際に、伊勢神宮の「ヤマトヒメノミコト」(倭姫命)より天叢雲剣を託されます。東国征伐の途中、ヤマトタケルノミコトは、敵の罠にはまってしまい、草原に放火されて四方を炎に囲まれる窮地に立たされました。このときに剣で草を薙ぎ払い、叔母にもらった火打石で火を付けて向火をすることで難を逃れることに成功。このことから、剣の名前が「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)に改められたのです。

ヤマトタケルの死後、妻の「ミヤズヒメ」(宮簀媛)がこの剣を尾張国(おわりのくに:現在の愛知県西部)で祀ったのが熱田神宮の起源。現在は熱田神宮の奥深くに安置されて、宮司でさえ観ることはできません。観た者やその縁者まで神罰で亡くなるとされていたからでした。

現在生きている人は誰も観たことがないため、草薙剣がどんな形をしているのかは謎のまま。江戸時代から大正時代にかけての刀工・羽山円真(はやまえんしん)が、草薙剣の模造品を制作したと言われています。その際に円真が観た草薙剣は、刃長約51~54cmの両刃の剣だったという記録も残されていますが、真偽は不明です。

日本の剣~神剣・鉄剣~の紹介動画

日本刀のススメ

はじめて日本刀を間近で観た人は誰もが、その静寂で神秘的な美しさに心を奪われてしまうことでしょう。鉄でできた日本刀に、なぜこれほど魅力を感じるのでしょうか。

日本刀は、日本の伝統工芸品。切れ味や強度という実用面はもちろん、焼き入れや彫り物など、美しさにおいても高度な技術を誇っています。また、長い歴史の中で、様々な武将や有力者に所有され、多くの物に物語(エピソード)が備わっているのも魅力。

日本刀に興味がある、日本刀が好きという人は、概して「日本の歴史が好き」、「武将が好き」という人が多いように思います。刀剣・日本刀を作った刀工や、所持していた武将の一生を追ってみるなど、日本刀の来歴を辿れば、日本史を深く味わい楽しむことが可能。歴史に思いを馳せ、知識を身に付けるほどますます魅力が感じられる、こんなに素晴らしい物はありません。

時代ごとに姿を変え、勇ましい武士に寄り添い、腰に携帯されてきた日本刀。武士の魂と言われるほど長きに亘り信仰の対象として、さらに持つ人の権威の象徴として、現代まで大切にされてきました。

日本刀は、人間を守ってくれる物でもあり、人間を傷付ける物でもあります。本来は錆びていってしまうはずなのに、受け継がれることによって、何百年も美しさが保たれている神秘的な物です。神社や寺に奉納されるような尊い物なのに、博物館等に行けば、気軽に観ることができます。

この刀剣ワールドが、「刀剣・日本刀についてもっと知りたい」、「本物を観に行きたい」という、あなたの探究心を満足させる物になれば幸いです。

[刀剣ワールド]
日本刀の種類

「日本刀」とは、広義の意味としては日本国内で作られた刀剣類の総称です。狭義の意味は「鎬[しのぎ]があり、反りを持った湾刀」であり、これが作られるようになったのは、平安時代中頃と言われています。

刀の形を比較してみよう!

日本刀は寸法により「太刀」、「打刀」、「脇差」、「短刀」に分類されます。それぞれの刀剣の形や、刃長の違いを図で確認してみましょう。

日本刀の種類ごとの形

日本刀の種類ごとの形

日本刀の種類ごとの刃長

日本刀の種類ごとの刃長

直刀(大刀)

直刀」(ちょくとう)とは、「湾刀」が作られるようになる平安時代中頃以前に、日本国内で鍛造された反りのない、まっすぐな日本刀のこと。刃長がおよそ60cm超の直刀を「大刀」(たち)と表記するのに対し、大刀よりも寸法が短い直刀を、「横刀」(おうとう・たち)と表記することもあります。

直刀(大刀)

直刀(大刀)

上古刀

日本刀は、作られた年代によって呼び方が変化します。奈良時代以前に、朝鮮半島より伝来した刀剣の製造技術によって作られた刀剣が「上古刀」(じょうことう)。当時中国で盛んに作られていた、反りがなく、刺突に適した「平造」(ひらづくり)の直刀でした。

七星剣(しちせいけん)

現存する中では最も古い刀剣である飛鳥時代の上古刀として、聖徳太子が所持していたとされる「七星剣」(しちせいけん)があります。七星剣とは、刀身に金象嵌(きんぞうがん)で「北斗七星」(ほくとしちせい)が施された直刀です。実戦向けでなく、国家守護や魔除けの目的で作られました。
四天王寺(大阪府)所蔵の国宝である鉄製の七星剣や法隆寺(奈良県)所蔵の「銅七星剣」など、聖徳太子ゆかりの寺院に伝わります。

七星剣

七星剣

金銅荘環頭大刀(こんどうそうかんとうたち)
金銅荘環頭大刀

金銅荘環頭大刀

古墳時代末期作とされる「金銅荘環頭大刀」(こんどうそうかんとうたち)は、土佐国(とさのくに:現在の高知県)の小村神社の御神体として、1,000年以上もの間、秘蔵されてきました。
同時代の大刀のほとんどが、古墳等からの出土品である中、「伝世品」(でんせいひん:古くから大切にされ、人の手を経て世に伝わってきた物。特に考古学で、出土品に対しての呼び名)であることから、日本刀剣史上貴重な作とされています。

切刃造」(きりはづくり)の直刀で、儀仗(ぎじょう)用の宝剣として制作されました。様式化された柄頭の透かし彫りが特徴的です。国宝指定され、毎年11月15日の秋季大祭時にのみ一般公開されます。

水龍剣(すいりゅうけん)
水龍剣

水龍剣

水龍剣(すいりゅうけん)は、奈良時代の作で聖武天皇の佩刀とされる大刀です。「正倉院宝物」として、北倉に刀身だけが所蔵されていた物を明治天皇が気に入り、当代髄一であった金工師で、のちに帝室技芸員となった加納夏雄に「」(こしらえ:日本刀の外装)を作らせました。名前の由来となった、(つか)部分に施された水龍文も加納作です。

直刀から湾刀へ

奈良時代以前では直刀が作られ、武士の登場する平安時代中期からは湾刀が作られるようになりますが、その間の平安時代前期には、どんな刀剣が作られていたのでしょうか。

直刀は、平安時代前期の「蝦夷」(えみし・えぞ:東北地方の先住民族)との戦いを契機として、変化していきます。蝦夷の武器の影響を受け、日本独自の進化を遂げて、反りのある湾刀が完成していく過渡期が、平安時代前期なのです。

日本刀のルーツ1:坂上田村麻呂佩用・黒漆剣

「黒漆剣」(くろうるしのつるぎ)は、平安時代前期に蝦夷を平定した征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)佩用と伝わる直刀で、鞍馬寺所蔵。嵯峨天皇(さがてんのう)からの坂上田村麻呂への信頼は厚く、田村麻呂の死後も、天皇はその佩刀を身近に置いたほどでした。
これは後世まで「坂上宝剣」(さかのうえのたからのつるぎ)として伝わる朝廷の守り刀でしたが、2018年(平成30年)現在は所在不明で、黒漆剣と同一かどうかは、諸説あり、真偽は分かっていません。

黒漆剣

黒漆剣

日本刀のルーツ2:毛抜形太刀

平安時代中期に作られた太刀で、「日本刀のルーツ」とされているのが「毛抜形太刀」(けぬきがたたち)です。突くことが得意だった直刀から、斬るための湾刀へ移行する途中の形状で、刀身の反りは少なめです。蝦夷が使用していた、柄の湾曲した「蕨手刀」(わらびてとう)が徐々に変化してできた物と言われています。
また、毛抜形太刀とは変わった名前ですが、柄の優美な透かしが、古代の毛抜きに似ていたため、この名が付けられました。

国宝に指定されている「金地螺鈿毛抜形太刀」(きんじらでんけぬきがたたち)は、彫金工芸の傑作。純度の高い金を使用しているため、時代を経ても美しく輝いています。

毛抜形太刀(金象嵌銘)鉄雄(花押)
毛抜形太刀(金象嵌銘)鉄雄(花押)
(金象嵌)鉄雄
鑑定区分
未鑑定
刃長
69.9
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
日本刀のルーツ3:舞草刀

岩手県一関地方では、平安時代から室町時代にかけて「舞草刀」(もくさとう)が作られていました。舞草刀の最大の特徴が刀身の反り。日本刀の刀身に反りがあるのは当たり前ですが、舞草刀が作られ始めた当時においては、刀身が真っ直ぐな直刀が一般的でした。そのため、刀身に反りのある舞草刀の登場は衝撃的だったと言えます。

舞草刀を作り出したのは「舞草鍛冶」(もくさかじ)と呼ばれた刀工集団。彼らは、奥州藤原氏の庇護の下で作刀に励んだ刀工です。奥州藤原氏の下で栄えた「平泉文化」では、常に最高水準の物を追求していました。このような気風の中、舞草鍛冶達は、のちの日本刀につながる刀を作り出したのです。舞草刀は、その品質の高さが認められ、都において「衛府」の刀とされていたと言われています。

舞草刀については、古墳時代に東北を拠点としていた蝦夷が用いていた蕨手刀にも若干の反りが見られることから、これを参考にしたという説もあるのです。

日本刀のルーツ4:小烏丸

小烏丸」(こがらすまる)は平安時代中期、日本刀の祖と呼ばれる大和鍛冶「天国」(あまくに)作と伝わる太刀です。「鋒/切先両刃造」(きっさきもろはづくり)と呼ばれる、鋒/切先(きっさき:刀身の先端部分)のみが両刃(もろは)となった独特の造込みが特徴です。

主に刺突(しとつ)を目的とした直刀と、斬撃を目的とした湾刀の過渡期に、双方を目的として考案されたと言われています。この造込みの代表作が小烏丸であることから、別名「小烏造」(こがらすづくり)とも呼ばれています。

平氏の重宝として伝わり、「壇ノ浦の戦い」(だんのうらのたたかい)で、海の底に沈んで行方不明になったとされていた物が、江戸時代に発見されました。現在は「御物」(ぎょぶつ:日本の皇室の私有品となっている宝物)となっていますが、現存する小烏丸が、天国作の物かどうかは諸説あり、詳細は不明です。

小烏丸
小烏丸
-
鑑定区分
御物
刃長
63
所蔵・伝来
平貞盛 →
明治天皇
東京国立博物館

太刀

太刀は、長さ2尺(約60cm)以上で、刃を下に向けて紐で吊して腰に装着していました。これを「佩く」(はく)、「佩用する」(はいようする)と言います。

太刀は騎馬での戦いに向くとされ、武士同士の騎馬戦が多かった時代に多く作られました。のちに登場する「打刀」(うちがたな)に対して、反りが深いのが特徴です。大きさによって以下のように分類されています。

太刀

太刀

大太刀(おおたち)

大太刀(おおたち)は、その寸法に一般的な規定はありませんが、長大な太刀が総じて大太刀と分類されました。実戦で使用する武器としてではなく、神社への奉納を目的として作られた日本刀です。現存する大太刀としては、新潟県彌彦神社」(やひこじんじゃ)所蔵の「志田大太刀」(しだのおおたち、刃長約224cm)や、栃木県日光二荒山神社」(にっこうふたらさんじんじゃ)所蔵の「祢々切丸」(ねねきりまる、刃長約216cm)などがあり、この2振は、いずれも国の重要文化財に指定されています。

野太刀(のだち)

野太刀(のだち)は、大太刀の中でも実戦に使われた刀剣です。一般的には刃長が3尺(約90cm)を超え、厚みがあってがっしりとした作りが特徴。拵は、華美でなく実用向きに作られた、軽量で丈夫な物がほとんどです。現存する野太刀としては、岡山県「吉備津神社」所蔵の「吉備津丸」(きびつまる)を挙げることができます。

「備前長船派」の「法光」(のりみつ)によって室町時代に作られた吉備津丸は、刃長約226.7cmという長大な作ですが、最大の特徴は刀身には焼きが入れられ、茎(なかご)が刀身に合わせて長く作られていること。すなわち、実戦で使えるように作られた大太刀であると考えられます。また、重さはほぼ同じサイズである祢々切丸が約24kgであるのに対して半分程度の約13kg。軽量化によって扱いやすさも上がっていると言えるのです。

小太刀(こだち)

小太刀(こだち)にも、特に寸法に規定はありません。一般的に、太刀と短刀の中間の長さで刃長2尺(約60cm)前後が、小太刀です。

単独で実戦に使われることはなく、儀式用の太刀や太刀の差し添えとして使われることがほとんどだったと言われています。

「刀剣・日本刀の基礎知識~太刀~」YouTube動画

太刀持ち

太刀は、国技である相撲にも登場します。横綱の土俵入りで太刀を持って横綱に付き添う力士が「太刀持ち」です。この太刀持ちの由来には、神聖な日本刀で土俵を清めるためと言う説や、かつて力士が名字帯刀を許されていたことに関係している、と言う説などがあります。

使用する太刀は、「陣太刀拵」(じんだちこしらえ)と言う名の装飾用の1振で、江戸時代に武家が公式の場で儀礼用に佩用した物です。収められる刀身は、かつては真剣(しんけん:焼きを入れた本物の日本刀)でしたが、戦後は竹光(たけみつ:竹を削って刀身のように見せている物)がほとんどとなっています。

打刀

鎬があり、反りを持った湾刀である日本刀が登場したのは、平安時代中頃。そこから室町時代中期頃までは、日本刀と言えば、騎馬で使用する太刀がほとんどでした。
しかし、戦国の世になり、合戦の中心が足軽による集団戦になると、徒戦(かちいくさ:歩兵による戦い)に向いた「打刀」(うちがたな)がメインとなっていくのです。室町時代以降は、日本刀と言うと、ほとんどの場合はこの打刀のことを指していました。

打刀

打刀

「刀剣・日本刀の基礎知識~打刀~」YouTube動画

打刀の特徴

室町時代以降に作刀された、長さ2尺(約60cm)以上の日本刀です。刃を上に向けて腰に差して身に付け、これを「差す」(さす)、「帯刀する」(たいとうする)と言いました。

太刀より軽く抜きやすい打刀は徒歩での戦いに向くとされています。戦国時代以降、戦いの多くが集団戦となり、足軽同士の徒歩での戦いが増えると、太刀に代わって多く作られるようになっていきました。

刃を上にして差すため、抜いたそのままの動きで敵を斬ることができ、とても便利だったので、あっと言う間に大流行します。テレビの時代劇などで、武士が腰に差しているのが打刀です。

展示された刀剣の見分け方

日本刀の展示

日本刀の展示

展示された刀剣を観ると、太刀か打刀かどちらかで迷うこともあるのではないでしょうか。しかし実は簡単な方法で見分けることもできるのです。
太刀と打刀では、展示されている向きが違っています。基本的に、柄を向かって左に配した状態で、「刃が下」になっていたら太刀、逆に「刃が上」になっていたら打刀。まれに柄が右になっていることもありますが、その場合は逆になります。

柄が左に来ている状態は、実際に刀剣を身に付けているのと同じなので、身に付けるときも展示をするのも「打刀は刃が上」と覚えると分かりやすいです。

打刀の特徴

室町時代以降に作刀された、長さ2尺(約60cm)以上の日本刀です。刃を上に向けて腰に差して身に付け、これを「差す」(さす)、「帯刀する」(たいとうする)と言いました。

太刀より軽く抜きやすい打刀は徒歩での戦いに向くとされています。戦国時代以降、戦いの多くが集団戦となり、足軽同士の徒歩での戦いが増えると、太刀に代わって多く作られるようになっていきました。

刃を上にして差すため、抜いたそのままの動きで敵を斬ることができ、とても便利だったので、あっと言う間に大流行します。テレビの時代劇などで、武士が腰に差しているのが打刀です。

意外にも日本刀は戦いの主役ではなかった!?

今でこそ、「日本刀は武士の魂」とされ、「武士=日本刀」というイメージがありますが、古くは武道のことを「弓馬の道」と呼び、武芸の花形は弓だったのです。日本刀はあくまでも、それらの主力武器を失ったり、接近戦になったりした場合の補助的な武器でした。日本の歴史を通じて、日本刀が合戦の主役になったことはほとんどないのです。

唯一、日本刀が戦いの主役になったのは、幕末の動乱期でした。当時は新撰組のような治安警察が反幕府勢力の活動を取り締まったため、街中での接近戦が多く、またそのほとんどが少数同士での戦いだったのです。そうした条件下に最も適していたのが打刀です。

脇差

狭義の日本刀には、太刀や打刀以外に、打刀よりも短寸で、鎬があり、反りを持った湾刀である「脇差」(わきざし)も含まれます。

脇差

脇差

脇差の特徴

脇差は、室町時代以降に登場し、太刀や打刀の差し添えとして用いられた日本刀です。江戸時代に、大小二本差していた内の「小刀」(しょうとう)のことで、小型の打刀とも言えます。短刀より長く、日本刀(太刀・打刀)より短く、日本刀より反りは少なめです。

短刀(30cm未満) < 脇差(30~60cm) < 打刀(60cm以上)

打刀と同じように、刃を上にして帯に差します。打刀より短いため、接近戦や狭い場所での戦闘に用いられました。

武士以外も差していた脇差

大小二本差

大小二本差

大小の刀剣が武士だけの物になるのは、江戸時代に「武家諸法度」(ぶけしょはっと)で、大小二本差が武士の正装として定められてからです。それを機に、「大小は武士の魂」と言われるようになりました。
武士以外の帯刀が禁止されてからも、庶民にも護身用に脇差の帯刀はある程度認められていたと言われています。

「刀剣・日本刀の基礎知識~脇差~」YouTube動画

脇差の名刀

重要美術品「大脇差 銘 羽柴五郎左衛門尉長」
名物:にっかり青江)
大脇差 銘 羽柴五郎左衛門尉長

大脇差 銘 羽柴五郎左衛門尉長

制作年代 刀鍛冶 所蔵
南北朝時代 備中国青江派 丸亀市立資料館
刃長 反り 先幅
1尺9寸9分
(約60cm)
1.2cm 2.6cm
主な所有者
丹羽長秀 → 丹羽長重 → 京極高次
「にっかり」という奇妙な名前は、近江国(おうみのくに:現在の滋賀県)の武士が、ある晩子供を抱いて「にっかり」笑う女の物の怪をこの日本刀で斬り捨てたところ、翌朝同じ場所に、石灯籠(いしどうろう)が真っ二つになって転がっていたとされる伝説に基づきます。もとは2尺5寸の太刀でしたが、のちに3度磨上げられて、今の形となりました。脇差としては少し長めで、「大脇差」に分類されます。
新撰組副長・土方歳三愛用の脇差「堀川国広」
堀川国広

堀川国広

制作年代 刀鍛冶 所蔵
安土桃山時代 山城国堀川国広 不明
刃長 反り 先幅
1尺9寸5分
(約59cm)
- -
主な所有者
土方歳三
「堀川国広」(ほりかわくにひろ)は、安土桃山時代の刀工です。慶長年間(1596年[慶長元年])からはじまる新刀初期に勢力を誇った堀川派の祖と言われています。「山姥切国広」(やまんばぎりくにひろ:打刀)をはじめとして多くの作刀が重要文化財に指定。新撰組局長の「近藤勇」(こんどういさみ)が、副長の「土方歳三」(ひじかたとしぞう)の日本刀について「刀は和泉守兼定二尺八寸、脇差一尺九寸五分堀川国広」と書き残していることから、土方歳三の愛刀であったと伝えられますが、残念ながら行方不明となっています。

短刀

日本刀とは、狭義には鎬があり、反りを持った湾刀と定義される物です。基本的には太刀や打刀などが該当します。しかし、広義には日本国内で作られた刀剣類の総称で、反りや鎬のない「短刀」も含まれているのです。

短刀は鎌倉時代から室町時代にかけて、組み打ちの際や敵の首を取るのに使われるようになりました。桃山時代になると戦いの際には使用されなくなりましたが、江戸時代以降には護身用の刀剣として用いられるようになります。

短刀

短刀

短刀の特徴

長さ1尺未満となる短寸の日本刀。反りが少ない、もしくはまったくない平造の短刀がほとんどです。剣のように両刃の短刀もあり、脇差より短寸の物を短刀と呼びます。短刀は、柄と刀身の間に「鍔」(つば)がありません。このことから、短刀は別名「合口」(あいくち)と呼びます。

短刀の種類

刺刀(さすが)
鎌倉時代において戦闘での主力武器は長柄武器の薙刀でしたが、戦闘中に失った場合や、接近戦で人が密集した中では使い辛いため、補助的に短刀を用いていたのが始まりです。この短刀は、「刺刀」(さすが)と呼ばれ、のちの打刀の原型となりました。また、「大小二本差し」のルーツとも言われています。
鎧通し(よろいどおし)
鎧通し

鎧通し

鎧通し(よろいどおし)は、刃長は9寸5分(約28.8cm)前後で短く、刃幅が狭く、重ねの厚い頑丈な作りの短刀です。

その名の通り、組み打ちの際に鎧の隙間から刺突するために用いられました。

懐剣・懐刀(かいけん・ふところがたな)

懐剣・懐刀(かいけん・ふところがたな)は、腰に差す「腰刀」(こしがたな)に対して、護身用に、常に懐の中に入れておく、短刀の中でも特に小型の日本刀です。「護り刀」(まもりがたな)として、誕生した子供や花嫁に贈ったり、武家に生まれた女性が嫁ぐ際に「いざと言うときには、自分の身は自分で守るように」と身に付けたりしたのが始まりでした。

武家の花嫁衣裳である白無垢(しろむく)や打ち掛けでの挙式の際に、花嫁が胸に懐剣を差し込むのは、この風習の名残です。現代では、剣には神が宿るとされることから、魔よけや厄除けの意味合いが強くなってきています。

男性にとっては、打刀や太刀の使用が難しい場所での護身用武器であり、女性も外出時に護身用に携帯することがありました。懐剣の中には先祖代々伝わる名刀も数多く遺されています。

寸延短刀(すんのびたんとう)
寸延短刀(すんのびたんとう)は、短刀の様式を持つ刀剣の中で、刀身の長さが1尺を超える刀剣のことです。室町時代末期から江戸時代初期にかけて多く見られました。

自害の道具としての短刀

身を守るための武器であると同時に、自害に使われる道具としてのイメージも強いのが短刀です。日本の国技である相撲で勝敗を判定する「行司」(ぎょうじ)は、腰に短刀を差しています。この短刀は誤った判定をした場合に自害をするための物と伝えられ、相撲の判定にはそれだけの覚悟が求められていたのです。

明治天皇崩御の際に殉死した「乃木希典」(のぎまれすけ)とその妻・静子夫人。夫人が自害に用いたのは懐剣でした。薩摩藩上士の娘であった静子夫人の愛用の日本刀は、明治時代の名工・月山貞一(がっさんさだかず)の物だとされています。月山家は天皇家の佩用太刀や守り刀などにも携わりました。

日本史上最後に割腹自殺をした著名人は、作家の三島由紀夫と言われていますが、その際にも短刀を使用しています。

プッチーニの著名なオペラ「蝶々夫人」(ちょうちょうふじん)の主人公は、没落した氏族の娘であり米兵の日本人妻となっています。彼女は夫には故国に正式な妻があることを知り、自らの名誉のために懐剣で喉を突いて自害してしまうのです。

薙刀

薙刀

薙刀

長柄武器の中でも、平安時代に登場、南北朝時代に大流行し、合戦の主役となったのが「薙刀」でした。

もとは「長刀」と書きましたが、のちに短刀に対して打刀を長刀と呼ぶようになり、区別するために薙刀の字が当てられるようになりました。

薙刀の特徴

先の方の反りが大きく、鋒/切先が鋭く尖った刃を長柄の先に装着して用いた武具です。同じ長柄武器の「」(やり)が突くことを主な攻撃方法としているのに対し、薙刀は振り回して薙ぎ切って使います。
刃長1尺3、4寸(約40cm)から2尺(約60.6cm)を超える物も。柄の長さは、通常3尺から6尺(約90~180cm)程度です。柄の断面は、正円形でなく楕円形とされています。刃の反対側に装着された金具である「石突」(いしづき)が半月形状になっており、こちら側でも斬ることができる物が多いのも特徴です。

薙刀には、小さな鍔が付いている物が主流で、鍔のない物や刀剣に付いているような大きな鍔が付いている物もまれにあります。

大薙刀(おおなぎなた)
刃長が特に長く3尺から4尺(約90~120cm)を超えるような物は「大薙刀」(おおなぎなた)と呼び、6尺(約180cm)を超える物も。また、大太刀など、長大な武器が大流行した南北朝時代には多く作られました。
小薙刀(こなぎなた・しょうなぎなた)

大薙刀に対して、刃長が3尺(約90cm)程度までの物を小薙刀(こなぎなた・しょうなぎなた)と呼びます。室町時代になると刃長が短縮。江戸時代には婦人が薙刀を使用するようになったため、小薙刀が一般的になりました。

薙刀 銘 大和国藤原包宗
薙刀 銘 大和国藤原包宗
大和国藤原包宗
鑑定区分
保存刀剣
刃長
41.1
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

薙刀の誕生と衰退

薙刀の誕生の経緯については、はっきりとしたことが分かっておらず、以下のような説があります。

  • 上古(じょうこ:大化の改新頃まで)の時代に主武器だった「鉾」(ほこ)を前身とする説。鉾は、「刺突」と「斬る」の両方を目的とした刃を持ちますが、これが斬るに特化した薙刀に進化したとする説です。刺突に特化した物は、のちに槍になったと言われています。
  • 薙刀は、「柄の長い日本刀」と定義することもできるので、単純に大太刀をさらに遠くから攻撃できるようにした結果、自然に柄が長くなったとする説。また、南北朝時代には一世を風靡した薙刀ですが、戦国時代になり集団戦で部隊が密集すると、振り回して使用する薙刀は、その長さから味方を攻撃する結果となってしまい、危険だとされて急速に衰退。使われなくなった薙刀を打刀や脇差などに作り直して再利用する「薙刀直し」(なぎなたなおし)が流行しました。

なお、最初から薙刀ではなく、薙刀直しのような形式を持つ日本刀として制作された物が「薙刀直し造り」です。薙刀直しの代表例としては、小薙刀を「磨上げ」(すりあげ)て脇差にした「鯰尾藤四郎」(なまずおとうしろう)が挙げられます。
「ふくら」(鋒/切先がカーブしている部分)が、ふっくらとしている様子が鯰を連想させることから、このように呼ばれる1振。豊臣秀吉や「徳川家康」などの天下人の手を経て、徳川家康の遺品として「尾張徳川家」に伝来した薙刀です。元々の小薙刀の作者は、鎌倉時代中期に活動していた「粟田口吉光」(あわたぐちよしみつ)で、相州伝の「正宗」(まさむね)、越中の「郷義弘」(ごうのよしひろ)と共に「天下三作」(てんがさんさく)の名工と称されました。薙刀には反りの深さや形状などから、いくつかの種類があります。

薙刀直し(なぎなたなおし)
脇差 銘 備前国住藤原二王清則
脇差 銘 備前国住藤原二王清則
備前国住藤原二王清則
鑑定区分
保存刀剣
刃長
38.4
所蔵・伝来
五島盛清 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

薙刀の種類

薙刀の種類

薙刀の種類

静形薙刀(しずかがたなぎなた)

静形薙刀(しずかがたなぎなた)は、長さや形状などに特にはっきりとした定義はありませんが、身幅が狭く、反りの少ない伸びやかな姿をした薙刀です。別名を男薙刀と呼び、源義経(みなもとのよしつね)の愛妾・静御前(しずかごぜん)の由来にちなんでいます。

薙刀 無銘 長船秀光
薙刀 無銘 長船秀光
無銘
鑑定区分
特別保存刀剣
刃長
58.2
所蔵・伝来
谷家 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
巴形薙刀(ともえがたなぎなた)

巴形薙刀(ともえがたなぎなた)は、長さや形状などに特にはっきりとした定義はありませんが、身幅が広く、反りの大きな張りのある姿をした薙刀です。木曾義仲(きそよしなか)の愛妾・巴御前(ともえごぜん)にちなんでいます。別名で、女薙刀とも呼ばれている薙刀です。

薙刀 銘 和泉守金道
薙刀 銘 和泉守金道
和泉守金道
鑑定区分
未鑑定
刃長
33.3
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
長巻(ながまき)

「長巻」(ながまき)を薙刀に含めるかどうかは、研究者により見解の分かれるところですが、その形状から薙刀と区別の付けづらい長巻も存在します。

大太刀から発展し、振るいやすくするために柄を長くした日本刀であるという見方と、薙刀の中でも反りが少なく、刃長が長い物を、補強のために柄を紐で巻き締め、長刀に対して長巻としたとするなどの諸説あり、定まっていません。

長巻 銘 備前長船住重真
長巻 銘 備前長船住重真
備前長船住重真
鑑定区分
重要刀剣
刃長
63.7
所蔵・伝来
徳川慶喜 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

武蔵坊弁慶愛用の薙刀・岩融

武蔵坊弁慶

武蔵坊弁慶

薙刀と言えば、「武蔵坊弁慶」(むさしぼうべんけい)が振り回して戦うイメージが鮮明に浮かびます。その弁慶が愛用したと言われるのが、「三条小鍛冶宗近」(さんじょうこかじむねちか)の作と伝わる「岩融」(いわとおし)です。
刃の部分だけで3尺5寸(約106cm)ある大薙刀だったと言われています。もっとも、弁慶が振るうのは大薙刀ではなく太刀である「岩透」(いわとおし)だったとする説も存在。4尺2寸(約127.2cm)の長さがあったと言いますから、大太刀に分類されます。

弁慶の存在自体は確実ではなく、伝説上の人物と見るのが有力で、岩融も岩透も、現在はその所在が不明であるため、伝説の日本刀であるという位置付けです。もっとも、愛媛県にある「大山祇神社」(おおやまづみじんじゃ)では、弁慶が奉納したという大薙刀を所蔵。この大薙刀は、国の重要文化財に指定されています。

槍

日本刀とは、広義では「日本国内で作られた刀剣類の総称」ですので、武士が腰に差す日本刀だけでなく、長い柄の先端に刃物(穂)を装着し、突き刺して攻撃する槍についても、広い意味では日本刀です。

日本における槍

槍は、刺突を主な目的とした武器で、人類の歴史上最も古い武器のひとつとされています。銃剣に取って代わられるまで、長く使われましたが、日本の歴史において槍が登場するのは、鎌倉時代中期以降です。日本では古来より鉾が使用され、平安時代から南北朝時代までは薙刀が主力武器となっていました。

戦国時代の徒歩での集団戦には、それまでの薙刀のように振り回して薙ぎ切る武器は不向きでした。そこで、突き刺して攻撃する槍の方が実戦向きとされ、槍が合戦の主役に躍り出たのです。

江戸時代の大名行列の先頭は槍で、武士の象徴でもありましたが、明治維新後は日本軍が武器として採用せず、その後は実戦で使われていません。

槍の特徴

刃長1尺(約30.3cm)から2尺(約60.6cm)が通常の槍です。まれに2尺を超える物があり、「大身槍」(おおみやり)と呼ばれました。

槍の穂(槍の刃の部分)の断面の形状は、「正三角形」・「平三角形」・「刀身形」・「両鎬」(りょうしのぎ)の4種類があり、両鎬の槍は突く以外に斬る機能もかね備えています。実戦に応じて多彩な発展を遂げたため、様々な形態の物があるのが特徴です。

刀剣を鑑賞する場合、反りの大きさ等で、ある程度制作年代が推測できますが、槍の場合もある場所を観れば、制作年代が分かります。それが槍の穂と柄が接する部分で、「けら首」と言います。研ぎに手間がかかる場所で、ここが見事に研がれた槍には、なかなかお目にかかれません。このけら首の長さは、制作年代によって変わります。槍が合戦に登場してまもなくの鎌倉から室町期頃の「けら首」は長く、逆に江戸慶長期以降の新刀期では短い物が主流となっていくのです。

槍の種類

刃や柄の長さ、穂先の形状などから、様々な種類があります。

槍の種類

槍の種類

大身槍(おおみやり)

大身槍(おおみやり)は、刃長が2尺(約60.6cm)前後の大型の穂を持つ槍。なかには4尺(約120cm)を超える物もあります。両刃で殺傷能力が高く、刺すだけでなく斬る攻撃が可能ですが、長さと重量があるため扱いが難しく、技術が必要でした。

大身槍 銘 尾州住兼武
大身槍 銘 尾州住兼武
尾州住兼武
鑑定区分
特別保存刀剣
刃長
68.5
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
直槍・素槍(すぐやり・すやり)/長柄槍(ながえやり)
直槍・素槍

直槍・素槍(すぐやり・すやり)は、長い柄に枝刃のない直線的な両刃の穂先を付けた槍の総称となります。

素槍 銘 伯州住広賀
素槍 銘 伯州住広賀
伯州住広賀
鑑定区分
未鑑定
刃長
28.2
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
長柄槍
長柄槍(ながえやり)は、足軽が用いた柄の長い槍です。柄は約450~640cmもあったと言われます。突く・たたく両方の攻撃が可能で、槍を立てて、敵の進撃を食い止める用途にも用いられました。
菊池槍(きくちやり)

菊池槍(きくちやり)は、肥後国(ひごのくに:現在の熊本県)の豪族・菊池氏が使用した物で、槍の起源とされています。穂先は片刃で短刀の形をしており、現場で得た竹や堅木に装着して即席の槍を作り出すことができる便利な物でした。

槍 銘 波平昌行
槍 銘 波平昌行
波平昌行
鑑定区分
未鑑定
刃長
17.1
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
鎌槍(かまやり)

鎌槍(かまやり)は、直槍のような両刃の穂の途中に鎌と呼ばれる枝刃が張り出している物で、敵の脚を斬るため、深く貫きすぎないためなどの用途で付けられたと言われています。

片鎌槍
片鎌槍(かたかまやり)は、鎌槍の一種です。枝刃が片側のみに張り出している物。
両鎌槍・十文字槍・十字槍

両鎌槍(りょうかまやり)・十文字槍(じゅうもんじやり)・十字槍(じゅうじやり)は、鎌槍の中で、枝刃が両側に十字架状に張り出している物です。

左右の枝刃の長さが違う「片鎌十文字槍」、鳥が飛び立つ様子に似た「千鳥十文字槍」、枝刃を取り外して直槍のようにも使用できる「掛け外し十文字槍」、左右の鎌が上下向きになっている「上下鎌槍」(卍鎌槍:まんじかまやり)などがあります。制作にコストがかかるので、主に大将が使用しました。

十文字槍の使い手として、思い浮かぶのが「真田幸村」(真田信繁:さなだのぶしげ)です。「大坂夏の陣」では、朱色の十文字槍を手に馬に乗って徳川家康の本陣に突撃し、「馬標」を倒すほどの活躍を見せ「日本一の兵」(ひのもといちのつわもの)と呼ばれたことは良く知られています。
十文字槍は、三方向に刃が向いているため、扱いが難しく、熟達した腕を持つ武将のみが手にすることができる武器。真田信繁が手にしていた朱槍は、武功を挙げた者が手にできる物であったため、その腕前は確かな物であったと言えるのです。

十文字槍 銘 加賀守貞則
十文字槍 銘 加賀守貞則
加賀守貞則
鑑定区分
未鑑定
刃長
18.6
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
袋槍(ふくろやり)

通常の槍は、穂に付いた茎を柄に差し込みますが、「袋槍」(ふくろやり)は、逆に鉾のように「袋穂」(ふくろほ)と呼ばれる空洞部分を柄の先端にかぶせて使います。菊池槍と同じく、長い柄を用意しなくても、現場で得た竹や堅木を利用できるという利点があります。

袋槍 銘 文殊重国
袋槍 銘 文殊重国
文殊重国
鑑定区分
保存刀剣
刃長
26.2
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
笹穂槍(ささほやり)

笹穂槍(ささほやり)は、穂が笹の葉のような形をした槍です。

笹穂槍 銘 因州住藤原兼先 享保六年丑八月日
笹穂槍 銘 因州住藤原兼先 享保六年丑八月日
因州住藤原兼先
享保六年
丑八月日
鑑定区分
保存刀剣
刃長
22.8
所蔵・伝来
荒尾但馬家→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

剣

日本刀と剣の一番大きな違いは、「片刃」の日本刀に対して、剣は「両刃」(もろは:両側に刃が付いていること)だということです。日本刀は、広義では「日本国内で作られた刀剣類の総称」ですので、両刃の剣も日本刀に含まれるのです。

また、中国古来の漢字の意味するところでは、反りを持った片刃の刀剣は刀、両刃の刀剣は剣と明確に区別されています。日本においては、「剣」という言葉は広く刀剣を意味し、その中には日本刀も含まれるのですが、ここでは主に両刃の剣について述べます。

剣と刀剣の違い

剣は、上古期においては武器として使用されていました。そののちの日本では主に仏教の儀式の道具として使われることが多く、実際の戦闘では使用されることは稀となっています。

また、太刀や打刀などの湾刀は、「断ち切る」・「切り裂く」ための物です。「切る」ことが目的なので、刃の部分が薄く、カミソリのようにとがって、 よく切れることが大切。切りたい物に刃を当ててから引いて使っていたため、ほとんどの日本刀は片刃で、片側だけ切れるようになっています。

それに対して、剣は、「たたき切る」ことと「突く」ことを目的としています。刃の部分を分厚く重くした物を、振り下ろしてたたき切ったり、突き刺したりして使いました。たたいて衝撃を与えたり、力で突き刺したりするので、よく切れることよりは、重さが大切です。また、両刃の物がほとんどですが、片刃の物もたくさん作られています。

刀と剣の大きな違いは「突く」という点です。西洋の剣術をもとにしたと言われるスポーツ競技の「フェンシング」には3つの種目がありますが、そのうちの2つの種目で、攻撃が突きのみであることは、西洋の剣の特徴をよく表しています。

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