戦国時代に活躍したのは、男性の戦国武将ばかりではありません。陰ながら戦国武将を支えた妻や娘は、姫として現代でも語り継がれている存在です。しかし身内に戦国武将がいるために、想像を絶する過酷な運命を背負う姫も多くいました。
また、武力で領土を奪い合う時代に、男性と肩を並べる実力を持つ女武将もいます。気丈な意思と知恵を駆使した戦略で、戦国時代を見事生き抜きました。
戦国時代の姫・女武将たちでは、今なお語り継がれる姫や女武将のエピソードや、姫や女武将として活躍するまでの経緯、彼女達が成し遂げた偉業などをご紹介。戦国武将とは一味違う、様々な逸話が満載です。

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朝日姫

朝日姫
天下人「豊臣秀吉」の妹であった「朝日姫/旭姫」(あさひひめ)。すでに尾張国(おわりのくに:現在の愛知県西部)の農民に嫁いでいた朝日姫でしたが、天下を取りたい兄の夢のために、長年連れ添った夫と無理矢理離縁させられ「徳川家康」の正室となりました。ここでは、朝日姫が徳川家康に嫁ぐことになった背景を、天下統一を果たすまでの兄・豊臣秀吉が歩んだ道のりと共に紐解いていきます。

阿茶局(雲光院)

阿茶局(雲光院)
「徳川家康」の21人にも及んだ正室・側室のなかで、ひときわ異彩を放つ女性がいます。甲冑に身を包み、徳川家康と共に戦場を駆け抜け、大坂冬の陣では豊臣方との交渉にあたった「阿茶局」(あちゃのつぼね)です。今回は、徳川家康から厚い信頼を受け、表舞台でも裏方としても活躍した阿茶局について、人柄やその生涯を見ていきます。

綾御前
(仙桃[洞]院)

綾御前(仙桃[洞]院)
「上杉謙信」の異母姉であった「綾御前」(あやごぜん)は、上杉家の将来を大きく変えていくこととなった重要人物です。政略結婚や上杉謙信亡きあとの後継者争いなど、上杉家の発展や存続のために、その力を注いでいたと伝えられています。上杉家のために生きたとも言える綾御前は、果たしてどのような人物だったのでしょうか。そこで今回は、綾御前に焦点を当てて、彼女の歴史や生涯について解説します。

明智煕子

明智煕子
かつて「明智の妻こそ天下一の美女」という噂がありました。明智とは、戦国武将「明智光秀」のこと。妻は「明智熙子」(あけちひろこ)です。少ない史料をたどっていくと、明智熙子の美貌は東美濃随一で、たいへん心が美しい女性であったことが分かります。明智熙子とはどんな出自で、どのような女性であったのかを詳しくご紹介します。

荒木だし

荒木だし
「有岡城」(ありおかじょう:現在の兵庫県伊丹市)の城主「荒木村重」(あらきむらしげ)の妻であった「荒木だし」(あらきだし)は、「今楊貴妃」(いまようきひ)と称されるほど、絶世の美女でした。ここでは、荒木だしが壮絶な最期を遂げるまでに、夫・荒木村重をどのように支えていたのか、その生涯を通して見ていきます。

生駒吉乃

生駒吉乃
「織田信長」の側室にして、その最愛の女性であったと伝わる「生駒吉乃」(いこまきつの/いこまよしの)。織田信長との間に授かった3人の子ども達は、織田家にとって重要な役割を果たし、生駒吉乃は織田信長から正室と同格の扱いを受けていたとも言われています。生駒吉乃に関する記載がある資料は「武功夜話」(ぶこうやわ)しかなく、大変謎が多い女性です。ここでは、そんな生駒吉乃が織田信長に嫁ぐ前から死去する前の行動など、その生涯についてご紹介します。

犬姫

犬姫
「織田信長」の妹と言えば「お市の方」が有名ですが、もうひとりの妹「犬姫」(いぬひめ)をご存知でしょうか?お市の方は「絶世の美女」だったとよく言われますが、その妹の犬姫も美しい女性だったのです。織田信長の戦略によって、2度も政略結婚をさせられるなど、波乱万丈な人生を歩んだ犬姫の生涯をご紹介します。

栄姫

栄姫
「栄姫」(えいひめ)は、福岡藩初代藩主「黒田長政」(くろだながまさ)の継室(けいしつ:後妻のこと)となった女性です。1600年(慶長5年)、「関ヶ原の戦い」が始まる直前に黒田長政と結婚し、大坂で戦乱に巻き込まれます。はたして栄姫とは、どのような人物だったのでしょうか。ここでは栄姫の生涯と、栄姫にかかわりの深い人物達についてご紹介します。

お市の方

お市の方
戦国時代の覇者「織田信長」の妹であった「お市の方」(おいちのかた)。戦国一と言われるほどの美貌の持ち主であったと伝えられています。お市の方は、最初の夫であった「浅井長政」(あざいながまさ)と兄の織田信長が戦うことになり、夫が兄によって自刃に追い込まれるなど、波乱万丈の生涯を送った女性です。ここでは、戦国の世に翻弄されたお市の方が歩んだ道のりと、その3人の娘達についてもご紹介します。

お江(崇源院)

お江(崇源院)
ドラマなどでも取り上げられることが多い有名な「お江」(おごう)こと「崇源院」(すうげんいん)。権力がひしめき合う時代で、女性のなかでも特に強い権力を持っていました。しかし、彼女は生まれながらにして順風満帆な人生を送っていた訳ではありません。むしろ、波乱万丈の苦労人と言っても過言ではないほどです。お江とはどんな姫だったのか、その生い立ちから見ていきましょう。

お船の方

お船の方
直江家に生まれた女性「お船の方」(おせんのかた)は、家を残すために「直江兼続」(なおえかねつぐ)を婿養子に取りました。戦乱の世の中で夫と力を合わせ、直江家の主家であった上杉家を守るため、懸命な努力を続けたのです。そして最後には上杉家を残すために、直江家を絶えさせる決意をしました。今回は、主家のためにここまでの行動を取ったお船の方がどのような女性だったのか、その生涯を通して紐解いていきます。

おたあジュリア

おたあジュリア
「おたあジュリア」は、謎の多い女性とされています。朝鮮で生まれたものの、幼少時に戦乱に巻き込まれ日本へと連れて来られました。成長後は、キリスト教の洗礼を受け、この教えのもとキリシタンとして人々を導いていくことを選びます。「徳川家康」に仕える侍女となるものの、3度の流罪に見舞われるなど波乱万丈な人生。ここでは、おたあジュリアとは、どのような人物であったのかをご紹介していきます。

小野お通

小野お通
「小野お通」(おののおつう)は、和歌や琴、書画、舞踊といった諸芸に卓越した才能を発揮した、戦国時代きっての才女と名高い女性です。出生や来歴など、その人生の多くが謎に包まれていますが、信州上田の戦国大名「真田信之」(さなだのぶゆき)と深い関係があった女性としても有名。ここでは、多くの歌や書画などが残された、謎多き戦国の才女・小野お通についてご紹介します。

お初(常高院)

お初(常高院)
「浅井長政」(あざいながまさ)と「お市の方」の間に生まれた「お初」(おはつ)のちの「常高院」(じょうこういん)は、14歳までに2度の落城を経験。悲劇を生き延びながらも姉妹愛を重んじ、嫁いだ京極家の繁栄も支え続けた浅井3姉妹の次女・お初の生涯をご紹介します。

於万の方(長勝院)

於万の方(長勝院)
現代の価値観では、戦国武将達が多くの側室を持っていたことに、ひどく嫌悪感を抱く人も多くいることでしょう。しかし、明日をも知れぬ戦乱の世で、御家を存続させるため、多くの子を儲ける必要があり、ひとりの女性だけでは限界があるので、仕方のないことだったのです。 そのような時代のなかで、戦乱の世を治め、のちに天下人となった「徳川家康」も、実は多くの側室がいました。そのひとりで男子を残しながらも、不遇な人生を歩むことになった「於万の方」(おまんのかた)院号「長勝院」(ちょうしょういん)の生涯をご紹介します。

春日局(斎藤福)

春日局(斎藤福)
歴史を紐解いていくと、逆境から出世の階段を駆け上がった女性がいることが分かります。それは「春日局/斎藤福」(かすがのつぼね/さいとうふく)です。春日局はどん底にあった人生から、最終的には将軍の乳母という立場まで上り詰めました。ここでは、どのようにしてどん底から這い上がり、徳川幕府における事実上の権力者となったのか、その過程を見ていきます。

亀姫

亀姫
「長篠城」(ながしのじょう:現在の愛知県新城市)の城主「奥平定能」(おくだいらさだよし)の嫡男「奥平信昌」(おくだいらのぶまさ)の正室は、「徳川家康」の長女「亀姫」(かめひめ)でした。天下人への道をまっしぐらに駆け上がった戦国武将・徳川家康の娘・亀姫は、政略結婚の「道具」として奥平信昌に嫁いだのです。 江戸幕府初代将軍・徳川家康の娘という、最高級ブランドを携え誇り高く生きた亀姫が、嫁ぎ先の奥平家の運命にどのようにかかわっていったのか、その人間像を含めてご紹介します。

菊姫

菊姫
「菊姫」(きくひめ)は「武田信玄」の五女として誕生し、「上杉景勝」(うえすぎかげかつ)の正室となった女性です。寡黙であったと伝わる上杉景勝の妻として、菊姫はどんな人生を歩んでいったのでしょうか。今回は、「晴右記・晴豊記」(はるみぎき・はるとよき)や「甲陽軍艦」(こうようぐんかん)などの資料をもとに、菊姫の出生から上杉家へ嫁いだ理由、夫・上杉景勝との関係が分かる逸話などについて解説します。

京極マリア

京極マリア
「浅井長政」(あざいながまさ)の姉であった「京極マリア」(きょうごくまりあ)は、キリスト教の熱心な信徒でした。キリスト教と出会う以前の京極マリアは、夫「京極高吉」(きょうごくたかよし)と弟の浅井長政が戦をしたり、夫と各地を転々としたりするなど波乱な人生を送っていましたが、キリスト教に出会ってからは、一変することになります。「豊臣秀吉」による「バテレン追放令」や、江戸幕府2代将軍「徳川秀忠」(とくがわひでただ)の時代に「禁教令」が発布されても、変わらずキリスト教を信仰し続けていたのです。 ここでは、戦国時代を生きた女性として、キリスト教の布教活動にその生涯を捧げた京極マリアについてご紹介します。

豪姫

豪姫
「豊臣秀吉」の養女として、安土桃山時代から江戸時代初期までを生き抜いてきた「豪姫」(ごうひめ)。その人生をたどると、まるでドラマのような軌跡で、現在でも語り継がれている逸話は多いのです。結婚相手の「宇喜多秀家」(うきたひでいえ)とは生涯仲睦まじい関係だったという点でも、戦国時代の女性としては他と一線を画していると言えます。 しかし、宇喜多氏の改易などを経て状況は悪化。豪姫と宇喜多秀家は離れ離れになってしまい、苦しい思いもしました。晩年にはキリスト教の洗礼を受けて移住したという経緯もあります。そんな豪姫は、一体どのような人生を歩んだのでしょうか。豪姫の生涯と、そのなかで起きたドラマに焦点を当てて解説します。

小少将

小少将
「朝倉義景」(あさくらよしかげ)の側室となり、越前国(えちぜんのくに:現在の福井県)の名門大名・朝倉氏の一族となるも、時代の寵児「織田信長」の襲来により不運の生涯を送った女性がいました。「小少将」(こしょうしょう)です。彼女について分かっている事柄は少なく、その姿は謎に満ちています。現代には、朝倉義景の寵愛を一身に受けた美貌が、朝倉氏の拠点だった一乗谷(いちじょうだに)から聞かれるのみです。

小松姫(稲姫)

小松姫(稲姫)
「徳川家康」に仕えた最強の武将であり「徳川四天王」のひとりでもある「本多忠勝」(ほんだただかつ)には、自慢の娘がいました。それが才色兼備の「小松姫」(こまつひめ)別名「稲姫」(いなひめ)、あるいは「於子亥」(おねい)です。 小松姫の名前が、広く戦国の世に知れ渡ったのは「真田信之」(さなだのぶゆき:同音で真田信幸)に嫁いでからになります。義理の父親は「豊臣秀吉」から「表裏比興の者」(ひょうりひきょうのもの:油断ならないくわせ者の意味)と呼ばれた「真田昌幸」(さなだまさゆき)、義理の弟には「真田十勇士」(さなだじゅうゆうし)でお馴染みの「真田幸村(真田信繁)」(さなだゆきむら/さなだのぶしげ)がいました。身内同士でも敵味方に分かれて戦う戦国乱世のなかで、小松姫はいったいどのような活躍をしたのでしょうか。ここでは、小松姫の信念を貫いた生涯についてお伝えしていきます。

駒姫

駒姫
「駒姫」(こまひめ)は「東国一美しい姫」と言われた少女ですが、たった14歳で処刑された「悲劇の姫」でもあります。父親は、出羽国(でわのくに:現在の山形県・秋田県の一部)の戦国大名「最上義光」(もがみよしあき)で、末娘であった駒姫を大切にしていました。しかし駒姫は、天下人「豊臣秀吉」の甥「豊臣秀次」(とよとみひでつぐ)の側室になることを望まれます。幸せな将来を約束されたかのような結婚に見えますが、なぜ駒姫は処刑されてしまったのでしょうか。ここでは駒姫の出生と死、豊臣秀次の側室となる経緯、そして駒姫にかかわりのある人物達についてご紹介します。

島津亀寿

島津亀寿
「島津亀寿」(しまづかめじゅ)は、戦国時代屈指の「戦闘一族」として知られる島津家に生まれ、薩摩藩初代藩主「島津忠恒」(しまづただつね)のちの「島津家久」(しまづいえひさ)の正室となった女性です。島津亀寿は、夫と不仲であったことで知られ、家庭運に恵まれなかった女性ですが、地元・鹿児島県では現代でも女性を守る神様として親しまれています。

寿桂尼

寿桂尼
戦国時代の英雄は、男性だけではありません。下剋上が繰り返され武力で領土を奪い合う時代に、実力で男性と肩を並べて国を盛り上げた女性がいました。「女戦国大名」の異名を取った「寿桂尼」(じゅけいに)です。 駿河(するが:現在の静岡県中部)・遠江(とおとうみ:現在の静岡県西部)・三河(みかわ:現在の愛知県東部)の3国を領有し、どの大名よりもいち早く上洛を目指した「今川義元」(いまがわよしもと)の母。夫の「今川氏親」(いまがわうじちか)が病床に伏せている期間も亡くなったあとも、領国運営を先陣に立って指揮し、気丈な意志と機知に富んだ策略で、主家の存亡の機を乗り越えました。

諏訪御料人

諏訪御料人
「諏訪御料人」(すわごりょうにん)は、甲斐国(かいのくに:現在の山梨県)の戦国大名「武田晴信」(たけだはるのぶ)のちの「武田信玄」の側室にして、その最愛の女性だったと伝えられている人物。絶世の美女であったとも言われていますが、諏訪御料人に関する記述のある文献は少なく、分からない部分が多いミステリアスな女性です。 また、諏訪御料人は武田信玄の跡を継ぐ「武田勝頼」(たけだかつより)の生母であり、武田家の行く末に大きな影響を及ぼしました。ここでは、諏訪御料人が生まれた「諏訪氏」と「武田氏」の関係、さらには諏訪御料人が父の仇である武田信玄に嫁いだ理由などについてご紹介します。

竹林院

竹林院
「竹林院」(ちくりんいん)は、戦国時代において「日本一の兵」(ひのもといちのつわもの)と称された名将「真田幸村/真田信繁」(さなだゆきむら/さなだのぶしげ)の正室です。戦国武将のなかでも特に人気が高い真田幸村を、妻としてどのように支えたのか、史実と共にご紹介します。

千代(見性院)

千代(見性院)
「土佐藩」(現在の高知県高知市)初代藩主「山内一豊」(やまうちかつとよ/やまうちかずとよ)の妻「千代」(ちよ)のちの「見性院」(けんしょういん)は、「夫を出世させた妻の鑑[かがみ]」として、戦前に国語の教科書に載っていたほどの女性です。激動の戦国時代を精一杯生き抜き、武将の妻でありながら日本の歴史に名を残した千代とは、いったいどのような人物だったのでしょうか。ここでは、千代がどのようにして山内一豊を支え、どのような生涯を送ったのかについて解説します。

築山殿

築山殿
「徳川家康」の正室でありながら「織田信長」の命令により、嫡男「徳川信康」(とくがわのぶやす)と共に非業の死を遂げた「築山殿」(つきやまどの)。名門・今川家の出自の彼女に、一体何があったのでしょうか。徳川家康との不仲、側室への嫉妬、息子である徳川信康の嫁「徳姫」(とくひめ)との確執など、女の業に満ちた波乱万丈の一生をご紹介します。

光姫(櫛端光)

光姫(櫛端光)
「黒田官兵衛」(別名:黒田如水・黒田孝高)と言えば、「織田信長」や「豊臣秀吉」、そして「徳川家康」という戦国時代の覇者である「三英傑」(さんえいけつ)に仕えて重用され、「軍師」としても高く評価された戦国武将のひとり。そんな黒田官兵衛は愛妻家としても知られており、その妻の名は「光姫」(てるひめ/みつひめ)と言いました。今回は、黒田官兵衛の活躍を陰ながらに支え続けた妻、光姫の生涯をご紹介します。

督姫

督姫
「督姫」(とくひめ)は「徳川家康」の娘として生まれ、北条氏に嫁ぎます。しかし、北条氏滅亡により徳川家に戻り、今度は池田家へ嫁ぐことになりました。波乱万丈の人生を歩んだ督姫でしたが、最終的には9人もの子どもを生んだ「肝っ玉母さん」です。ここでは、徳川家康の娘として生まれた督姫の生涯について「言経卿記」(ときつねきょうき)や「徳川実紀」(とくがわじっき)、「池田氏家譜集成」(いけだしかふしゅうせい)などの歴史資料をもとに紐解きます。

土田御前

土田御前
「土田御前」(どたごぜん/つちだごぜん)とは、「織田信長」の実母。「織田信秀」と結ばれて、織田信長、「織田信勝/織田信行」(おだのぶかつ/おだのぶゆき)、「織田信包」(おだのぶかね)、「お市の方」など、複数の子宝に恵まれましたが、なぜか織田信長のことは可愛がらず、織田信勝のことを溺愛したと伝えられる人物です。その偏った愛情が、織田信長の人間形成に暗い影を落としたとも言われます。土田御前はなぜそのような毒母と化したのでしょうか。土田御前についてご紹介します。

なか(大政所)

なか(大政所)
戦国時代において、天下統一を果たしたことで有名な武将「豊臣秀吉」。彼は、通称「なか」漢字表記で「仲」と呼ばれる「大政所」(おおまんどころ)により、この世に生を受けました。大政所は、1度目の夫を亡くしましたが、そののち「織田信秀」(おだのぶひで)に仕えていたと伝わる「竹阿弥」(ちくあみ)と婚約し、「豊臣秀長」(とよとみひでなが)と「朝日姫」(あさひひめ)を生んでいます。 豊臣秀吉が天下の覇者となったそのときまで、側に居続けた大政所。今回は、豊臣秀吉を支えた彼女の歴史や、成してきたことについて解説します。

ねね(高台院)

ねね(高台院)
農民出身でありながら天下人となった「豊臣秀吉」。その背景には、豊臣秀吉の正室「高台院」(こうだいいん)通称「ねね」の内助の功が大きかったと言われています。2人の間に子どもはいませんでしたが、親族などを養子として迎え入れ、豊臣政権を支える立派な武将に育て上げました。ここでは、ねねの生涯と豊臣政権での役割、夫・豊臣秀吉没後の行動などについてご紹介します。

濃姫(帰蝶)

濃姫(帰蝶)
「斎藤道三」(さいとうどうさん)の娘にして、「織田信長」の正室となった「濃姫」(のうひめ/のひめ)別名「帰蝶」(きちょう)及び「胡蝶」(こちょう)。織田信長との結婚は、父・斎藤道三が美濃国(みののくに:現在の岐阜県南部)を平定するための、言わば政略結婚でした。これほどの身分でありながら、濃姫関連の記載がある資料は、驚くほど少ないのが現状です。 織田信長と結婚して以降の濃姫に関する情報は突然なくなっており、織田信長との間に子どもができなかったことぐらいしか分かっていません。濃姫が織田信長に嫁ぐことになった背景や、数少ない濃姫の逸話などについてご紹介します。

早川殿

早川殿
「早川殿」(はやかわどの)は「海道一の弓取り」と称され、駿河国(するがのくに:現在の静岡県中部、北東部)を中心に勢力を拡大した「今川義元」(いまがわよしもと)の嫡男「今川氏真」(いまがわうじざね)の正室です。今川家と北条家における政略結婚でありながら、両家が決裂しても離縁することなく、最期まで添い遂げた2人は、戦国時代のおしどり夫婦として知られています。愛を貫き、戦国の世を生き抜いた早川殿の生涯を史実と共にご紹介します。

冬姫

冬姫
「織田信長」を父に持ち、会津若松の礎を築いた「蒲生氏郷」(がもううじさと)に嫁いだ「冬姫」(ふゆひめ)。織田家の血を引き、明晰な判断力を持った冬姫は、乱世の波に揉まれながらも蒲生家に大きく貢献しました。ここでは、冬姫の生涯をご紹介します。

振姫(正清院)

振姫(正清院)
江戸幕府を開いた「徳川家康」は、男子11人、女子5人の子沢山でした。そんな徳川家康の子と言えば、長男の「松平信康」(まつだいらのぶやす)や次男の「結城秀康」(ゆうきひでやす)、三男で2代将軍となった「徳川秀忠」(とくがわひでただ)など、男子についてはよく知られているものの、女子についてはほとんど知られていません。 徳川家康には5人の姫君がいましたが、四女の「松姫」(まつひめ)と五女の「市姫」(いちひめ)の2人は幼くして逝去。長女の「亀姫」(かめひめ)、次女の「督姫」(とくひめ)、三女の「振姫」(ふりひめ)の3人は無事成人し、それぞれに波乱の生涯を送りました。ここでは、振姫の母と徳川家康の馴れ初めなどについても触れながら、三女である振姫のちの「正清院」(しょうせいいん)の生涯を紐解いていきます。

細川ガラシャ

細川ガラシャ
「細川ガラシャ」は、「織田信長」に謀反を起こした「明智光秀」の娘です。細川ガラシャは、3人の子供に恵まれ幸せな日々を過ごしていましたが、一転して壮絶な最期を遂げます。熱心なキリシタンとしても知られる細川ガラシャに、一体何が起きたのでしょうか。そこには2度の転機がありました。ここでは、細川ガラシャの波乱の生涯を振り返ります。

まつ(芳春院)

まつ(芳春院)
「前田利家」の正室である「芳春院」(ほうしゅんいん)通称「まつ」は、前田利家を支えることで、前田家を豊臣政権の重要な地位に導いた女性。前田利家の没後は「徳川家康」から謀反の疑いをかけられ、これを晴らすために、天下にかかわる重大な決断をし、加賀120万石の礎を築きました。ここでは、豊臣政権内でのまつの待遇や逸話、前田利家が亡くなったあとに下した、まつの決断などについてご紹介します。

松姫

松姫
「武田信玄」の娘として生まれ、幼くして織田家の継嗣「織田信忠」(おだのぶただ)の婚約者となった「松姫」(まつひめ)。政略結婚でありながらも、お互いに思いを寄せ合っていた2人は、「甲尾同盟」(こうびどうめい)の破綻によって引き裂かれることとなります。武田家が滅ぼされることになっても、織田信忠に思いを寄せていた松姫は、生涯独身を貫き通しました。ここでは戦乱の世で純愛を育み、戦国時代のロミオとジュリエットを体現した、松姫の生涯をご紹介します。

満天姫

満天姫
「徳川家康」の寵愛を受けて育った養女「満天姫」(まてひめ)。しかし、江戸幕府を創設した人物の養女である満天姫は、幸せばかりの人生ではありませんでした。政略結婚や家督争いによる多くの試練が待ち受けています。満天姫がどんな道を歩んできたのかをご紹介します。

妙玖

妙玖
「妙玖」(みょうきゅう)は、戦国時代に智将としてその名を轟かせた「毛利元就」(もうりもとなり)の正室となった女性。良妻賢母として夫・毛利元就を内助の功で支え、のちに中国地方を席巻する3人の息子を生みました。戦国時代きっての名将を支えた、妙玖の生涯と人物像を紹介します。

妙林尼

妙林尼
戦国時代において、もっとも勇敢な女武将だったと言われる「妙林尼」(みょうりんに)。豊後国(ぶんごのくに:現在の大分県)を中心とした大友氏の家臣「吉岡鑑興」(よしおかあきおき)の正室で、夫の死後、智謀に長けた戦果を挙げたことで有名です。妙林尼の居城であった「鶴崎城」(つるさきじょう)で起こった戦では、妙林尼自らが指揮を執り、幾度となく攻撃を受けながらも敵軍を退け、奪還したことが伝わっています。

愛姫

愛姫
「独眼竜」の異名を持つ「伊達政宗」は、今の時代も人気の高い戦国武将のひとりです。そして、この伊達政宗のもとへ嫁いだのが「愛姫」(めごひめ)でした。しかし、愛姫が嫁いだ矢先に、夫・伊達政宗の暗殺未遂事件が起きます。さらに生涯のほとんどを「伊達政宗の正室」として、天下人「豊臣秀吉」や「徳川家康」のもとで過ごす人質生活。悲運な生活を送っているかのように見えますが、夫婦仲は良好でした。伊達家のことを重んじながらも、夫を思い「心の支え」となり続けた、愛姫の生涯をご紹介します。

望月千代女

望月千代女
甲斐の虎「武田信玄」の命で、身寄りのない子供を引き取り、歩き巫女として育成した「望月千代女」(もちづきちよじょ)。一説では甲賀流の「くノ一」、いわゆる女忍者だったのではないかと言われていますが、真相は分かっていません。ここでは、戦乱の時代に翻弄されながらも武田家に尽くし、間諜(かんちょう:破壊工作や、ひそかに敵の様子を探って味方に報告する者)を育成した、望月千代女についてご紹介します。

義姫

義姫
大河ドラマの大ブームを巻き起こしたのは、80年代に放送された「独眼竜政宗」でした。そんな「伊達政宗」は、現代でもゲームなどで人気の高い戦国武将のひとりなのです。この伊達政宗の母でもあり「独眼竜」の影響から極悪扱いされてしまった「最上義光」(もがみよしあき)の妹でもある「義姫」(よしひめ)。彼女は気が強くて、伊達政宗を疎んじた鬼母のようなイメージを持っている人も多いでしょう。ここでは、そんな義姫の人生をご紹介します。

淀殿(茶々)

淀殿(茶々)
戦国時代を生きた姫のうち「淀殿」(よどどの)本名「茶々」(ちゃちゃ)ほど波乱万丈な人生を歩んだ姫はいないかもしれません。2度の落城による実父・養父との死別に始まり、その原因を作った天下人「豊臣秀吉」の側室として、豊臣政権の後継者となった「豊臣秀頼」(とよとみひでより)を出産。最後は「大坂夏の陣」で「徳川家康」に敗れ、燃え盛る「大坂城」(現在の大阪城)のなかで自害してこの世を去りました。ここでは、戦国時代の最後に激しく生きた淀殿の生涯を掘り下げます。
  • 歴女必見!戦国武将を支えた女剣士~女性と刀剣~

    有名な女武将「巴御前」など実在した女剣士をご紹介します。

  • 歴女に人気の城下町

    刀剣や甲冑を観ることができる城郭を地域別にご紹介します。

  • 武将と歴史人の日本刀

    武将・歴史人のエピソードや、関連のある刀剣・日本刀をご紹介します。

  • 戦国武将

    日本の歴史に登場する戦国武将をイラスト付きでご紹介します。

  • 武将・歴史人イラスト集イラスト集

    戦国武将や歴史の武将・歴史人のイラストをご覧頂けます。

  • 刀剣ワールド 城

    日本全国のお城や城跡を検索できる情報サイト!

  • 城と武将~武将列伝~

    日本全国にある多くの城と、城に縁のある武将をご紹介。

  • 日本の城と戦国武将

    日本全国にある多くの城と、城に緑のある武将をご紹介!

  • 戦国武将の姫イラスト集

    武将戦国時代に活躍した姫や時代を切り開いた女武将などを、イラスト集としてご覧頂けます。

日本刀に秘められた幾多の魅力を皆様にお届けする、刀剣の専門サイト・バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド」のコンテンツ「戦国時代の姫・女武将たち」のページです。
激動の戦国時代を生き抜いた姫や、戦線で戦国武将に並ぶ活躍を残した女武将達のエピソードをまとめました。戦国武将とは違う、姫や女武将の激動の人生をご覧下さい。
刀剣の専門サイト・バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド」の掲載内容は、日本刀・甲冑、武者絵や書画の基礎知識をはじめ、日本刀の歴史や雑学、刀にまつわる歴史人や合戦、名刀を生み出した名工達の紹介など盛りだくさん。日本刀に関する各種アプリゲーム、刀剣・お城川柳、四文字熟語といった楽しむコンテンツも充実。日本刀や鎧兜、武者絵や書画に関する様々な情報を、あらゆる角度からバーチャルの世界でお楽しみ頂けます。

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