戦後生まれの刀剣小説家

宇月原晴明

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『聚楽 太閤の錬金窟』を含む戦国3部作を発表した宇月原晴明(うつきばらはるあき)。戦国3部作は山田風太郎、司馬遼太郎のオマージュであることを公言しています。
歴史・時代小説と同時にフランスの異端文学にも傾倒する宇月原晴明の刀剣世界では、善と悪の二元論を錬金術や両性具有者によって乗り越えようとする幻想的な試みがなされています。

アントナン・アルトーを時代小説に

ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト

ヘリオガバルス あるいは
戴冠せるアナーキスト

宇月原晴明は大学在学中に母校の文芸雑誌『早稲田文学』に携わり、卒業後は出版社に勤務しながら執筆や評論活動を続けます。

本名・永原孝道名義で詩集と評論を1冊ずつ発表後、美術評論家・青山二郎を取り上げた評論で第6回三田文学新人賞・評論部門を受賞しました(1999年)。

その同じ年、幻想時代小説『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』で第11回日本ファンタジーノベル大賞を受賞します(1999年)。

同作はフランスの俳優・詩人のアントナン・アルトーが主人公です。アントナン・アルトーは散文「ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト」を執筆しました。

ヘリオガバルスは14歳で即位するも18歳で惨殺されたローマ帝国史上最悪とされる異端の皇帝です。宗教儀礼の伝統を破壊し、両性具有者的、乱倫、放蕩などが知られます。

両性具有者・織田信長

信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス

信長 あるいは
戴冠せるアンドロギュヌス

『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』は、ナチスが台頭する1930年のベルリンが舞台です。

ベルリン滞在中に「ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト」を執筆中のアントナン・アルトーの前に謎の日本人・総見寺龍彦が現れ、織田信長の話を吹き込みます。

織田家の氏神・劔神社(福井県越前町)の祭神スサノオが外来神・牛頭天王(ごずてんのう)と習合していることをふまえ、総見寺龍彦は牛頭天王と古代シリアの牛頭神バール神(太陽神)とをつなげます。

そしてバール神は古代シリアの太陽神エラガバル(山の神の意味)と同一視されていることから、牛頭天王とエラガバルが共に太陽神である共通点を見出します。

エラガバルはシリア出身のローマ皇帝ヘリオガバルスがローマに持ち込みました。ローマ皇帝ヘリオガバルスは本名をウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌスと言い、ヘリオガバルスとエラガバルは同じ意味の愛称です。

さらに総見寺龍彦は、両性具有者的だったヘリオガバルスから織田信長=両性具有者(二重性)という共通思考も見出します。

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澁澤龍彦を時代小説に

城 夢想と現実のモニュメント


夢想と現実のモニュメント

総見寺龍彦はフランス文学者・澁澤龍彦がモデルです。実際、澁澤龍彦はヘリオガバルスと織田信長を結び付けたエッセイ『城 夢想と現実のモニュメント』を発表しています。

同エッセイでは織田信長の居城・安土城と同時に菩提寺として建てられた総(摠)見寺の独自な造りを紹介します。

そのとき、戦国時代に来日したイエズス会宣教師ルイス・フロイスが『日本史』で書き記した織田信長の自身が神体であると述べた発言を取り上げ、澁澤龍彦は両者を結び付けました。

『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』では、総(摠)見寺の創建時の住職・堯照(ぎょうしょう)はバール神の使徒とされ、その末裔と語るのが総見寺龍彦です。

同作の最大の特徴は、織田信長が両性具有者としたところです。

キリスト教にとって異端となる錬金術やグノーシス主義では人造人間(ホムンクルス)の創造と(男女)二元論を超える両性具有者(二重性)が重んじられ、不老不死、天地創造主が目指されます。

日本ファンタジーノベル大賞受賞時の審査員の荒俣宏は「才気に脱帽」、鈴木光司は「この作者の頭のなかは妄想で満ちている」と評しました。

豊臣秀吉と豊臣秀次

聚楽 太閤の錬金窟

聚楽 太閤の錬金窟

続いて宇月原晴明は、幻想時代小説『聚楽 太閤の錬金窟(グロッタ)』(2002年)を書き下ろします。主人公は豊臣秀吉と彼の姉の子・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)です。

豊臣秀次は幼少の頃、政略から浅井長政の家臣の養子を経て三好康長の養嫡子・三好孫七郎信吉と名乗ります。

豊臣秀吉が天下人の道を歩んでいくなかで、豊臣秀吉の愛妾・茶々(豊臣秀吉とお市の方[織田信長の妹で浅井長政の継室]の娘。のち淀の方)との実子・鶴丸が満2歳で亡くなると豊臣秀吉の養嫡子となります。

こうして豊臣秀次は関白(*天皇に次ぐ地位)に、豊臣秀吉は太閤(*摂政・関白を子に譲った者の敬称)となりました。けれども、豊臣秀吉と茶々の間にお拾(豊臣秀頼)ができると豊臣秀次は切腹へ、妻子一族も豊臣秀吉の命で殺されました。

こうした人生のなかで豊臣秀吉は殺生(摂政)関白と自身で揶揄したほど、比叡山などでの乱行を繰り返した人物とされています。

『聚楽 太閤の錬金窟』の表題、聚楽とは豊臣秀吉が京に建設した邸宅・聚楽第のことです。豊臣秀吉が太閤となったあと関白に就任した豊臣秀次の邸宅となるも、豊臣秀次切腹後は跡形もなく壊されました。

豊臣秀次と日本刀

『聚楽 太閤の錬金窟』では、織田信長・羽柴(豊臣)秀吉の家臣だった太田牛一(おおたぎゅういち)が江戸時代初期に記した『大かうさまくんきのうち』(『太閤様軍記の内』の意味)に基づいて日本刀の場面が書かれます。

豊臣秀次の切腹が次のように記されました。粟田口国吉、その弟子・粟田口藤四郎吉光作の厚藤四郎と鎬藤四郎、正宗が登場します。

『太閤様軍記の内』の「関白殿御腹召され候次第」によれば、検使は福島正則、福原長堯、池田秀雄の三名であったという。太田牛一は、秀次に先立って殉死した四人の名を挙げている。

最初に腹を切ったのは山本主殿、国吉の脇差であった。二番目は山田三十郎、脇差は厚藤四郎。三番目は鎬藤四郎の脇差で切腹した不破万作。いずれも関白としての秀次を支えるため、対外的な折衝渉外にあたった側近中の側近だった。

秀次は聚楽第の宝蔵から三ふりの名刀を各人に与え、自ら介錯の労を取った。
(中略)
秀次は、第五番目の切腹者となった。
太田牛一は関白の自刃について、脇差が正宗であることと、介錯をしたのが雀部淡路守という「若輩の仁」であったと簡潔に記しているだけである。

『聚楽 太閤の錬金窟』より

織田信長とお市の方

『聚楽 太閤の錬金窟』では乱行を繰り返していたとされる豊臣秀次の史実をふまえ、豊臣秀次の命でさらわれた若い娘を使った秘術が夜ごと聚楽第の地下で行なわれます。

百年戦争期のフランスの軍人ジル・ド・レ(男装者ジャンヌ・ダルクの同士。ジャンヌ・ダルク処刑後に居城で黒魔術にのめり込む。誘拐した子供の大量殺人者を主人公とするジャンヌ・ペローの童話『青髭』のモデル)の物語が豊臣秀次に重ね合わされます。

聚楽第では、同時代に実在したユダヤ神秘主義者でイエズス会を破門されたギヨーム・ポステルが豊臣秀次に取り入り錬金術を行ない、人造人間(ホムンクルス)の創造に挑みます。

そこに、織田信長を信奉する徳川家康の支え、ギヨーム・ポステルを追うイエズス会の異端審問組織など思惑がからみます。

この幻想的な物語の背景には、豊臣秀吉とお市の方(織田信長の妹で浅井長政と政略結婚)との因縁があります。

浅井長政には正室や側室との間に嫡男・万福丸と万寿丸の他に円寿丸などがいたとされます。継室・お市の方との間には3姉妹(茶々・初・江)が生まれています。

織田信長に敗れた浅井長政が自害した小谷城の戦いの際、羽柴(豊臣)秀吉は織田信長の命で万福丸を殺害。万寿丸は僧侶になったとされています。

『聚楽 太閤の錬金窟』ではその円寿丸が実在し、小谷城の戦い後に行方不明になったとされ、その生母はお市の方とされます。そして茶々(淀の方)と豊臣秀次は似ているとされます。

豊臣秀吉は豊臣秀次がどんなに乱行をしようともとことん甘く許します。同作ではお市の方を愛していたとされる豊臣秀吉像が導入されています。

さらに豊臣秀吉に仕えた御伽衆・曽呂利新左衛門(初代)を豊臣秀次の味方とします。前半生が不明の彼のルーツを浅井久政(浅井長政の父)の娘・京極マリアの遺臣とし、豊臣家と浅井家の争いを描きました。

そんな『聚楽 太閤の錬金窟』では、『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』で登場した両性具有の織田信長が蘇ります。

「猿!」
疳高い、しかし鋭く大きな、まぎれもなくあの声。あの、全身全霊を恍惚のうちに支配する主人の呼び声だ。見間違いようもない市姫の唇から発せられる、その兄の声!
(中略)
市姫にして信長、妹にして兄、母にして父なるものが、太陽にして月のような鋭利にして甘美な瞳で、秀吉を見下ろしている。
(中略)
少女の肩からのびる少年の染みひとつないすらりとした右腕が動いた。握りしめられた銀と金の剣が、ゆっくりふり上げられる。

『聚楽 太閤の錬金窟』より

豊臣秀吉の物語の変遷

妖説太閤記

妖説太閤記

『聚楽 太閤の錬金窟』は、山田風太郎『妖説太閤記』のオマージュであることが公言されています。『妖説太閤記』で豊臣秀吉のすべての行動原理はお市の方、その娘でお市に似ていた茶々を手に入れたいがためとされます。

豊臣秀吉像は、豊臣秀吉の家臣に仕えた川角三郎右衛門が書いたとされる逸話集『川角太閤記』や儒学者・小瀬甫庵(おぜほあん)が記した『甫庵太閤記』などの江戸時代初期の伝記や、『川角太閤記』をもとに江戸時代中期に大坂で書かれた読本『絵本太閤記』などで広まっていきます。

昭和に入ると、第2次世界大戦末期に吉川英治が『新書太閤記』を発表します。

大戦後の時期は坂口安吾『真書太閤記』、川口松太郎『俺は藤吉郎 川口太閤記』、連載中に亡くなった坂口安吾のあとを受けた檀一雄『真書太閤記 藤吉郎篇』などが書かれます。

山田風太郎『妖説太閤記』が書かれた時期は、吉川英治『新書太閤記』を原作とした第3作目のNHK大河ドラマ『太閤記』が放送されています(1965年)。

この時期は他に、海音寺潮五郎『新太閤記』、山岡荘八『異本太閤記』、司馬遼太郎『新史太閤記』が書かれ、豊臣秀吉ブームが起こった時期でもあります。

斎藤道三と松永久秀

黎明に叛くもの

黎明に叛くもの

『聚楽 太閤の錬金窟』の翌年、宇月原晴明は幻想時代小説『黎明に叛くもの』(2003年)を書き下ろします。

主人公は信貴山城を居城とした松永久秀です。

小瀬甫庵が『甫庵太閤記』で斎藤道三、松永久秀、宇喜多直家の主家を乗っ取った3人を悪人としたことで知られます。

松永久秀は主家一族と抗戦、東大寺の大仏殿を燃やし(東大寺大仏殿の戦い)、息子・松永久通は足利義輝(室町幕府第13代将軍)を暗殺しています(永禄の変)。

宇月原晴明以前には、中山義秀の中編『松永弾正』が戦後の先鞭を着け、その後、井上靖、早乙女貢、笹沢左保、津本陽戸部新十郎らが書いています。

『黎明に叛くもの』ではそんな松永久秀を、戦国時代に来日したイエズス会宣教師ルイス・フロイスが記した『日本史』の記述などから才智ある人とします。

そのうえで前半生が不明なことから、ふんだんに伝奇的な創作がなされます。

松永久秀は、京の妙覚寺で法蓮房という名の僧侶だった斎藤道三とその寺で出会い、彼を慕った義兄弟とされます。2人は朝廷に逆らった平将門と藤原純友を目指し(承平天慶の乱)、離れ離れになって修業の旅に出ます。

やがて斎藤道三は織田信長に、松永久秀は三好長慶にそれぞれ武運を賭けます。そんな2人は、イスラム系の暗殺集団にルーツを持つ師匠・果心(かしむ)から幻術・波山の法を習得しており、松永久秀は傀儡(くぐつ:あやつり人形)を使いこなします。

松永久秀と織田信長

松永久秀は数奇者(すきしゃ:芸道に熱心な者)としても知られます。茶道に親しみ、茶器にもこだわりました。

そんな松永久秀は主家にあたる三好三人衆との戦いのなかで孤立した際、足利義昭(のち室町幕府第15代将軍)を擁して上洛してきた織田信長に頼ります。

そのとき茶器などを献上しました。かつて足利義満(室町幕府第3代将軍)が愛用していた茶入の九十九(髪)茄子(つくもなす)と、粟田口藤四郎吉光の脇差です。

その史実に基づく2人のつながりは、『聚楽 太閤の錬金窟』では次のように書かれます。

このとき、久秀は我朝無双の大名物と讃えられる秘蔵の唐物漢作茶入・九十九茄子を、粟田口吉光の小脇差ととともに信長に献上している。信長が茶道具の名品蒐集に血道を上げるようになるのは、これがきっかけだという。

『黎明に叛くもの』より

松永久秀と明智光秀

松永久秀の所有していた茶器には、古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)の茶釜もありました。

織田信長の所望を何度も断り、織田信長と対立した松永久秀は最期、古天明平蜘蛛と共に自害したとして知られます。

『黎明に叛くもの』で平蜘蛛は、信貴山で修業した僧・命蓮(みょうれん)の伝来とされます。

命蓮は『信貴山縁起絵巻』で鉢を飛ばし長者の米を蔵ごと運ぶなどと描かれ、不思議な力を持つ人物として知られます。

同作では、平蜘蛛はふたつあったとされます。そのもうひとつは明智光秀に手渡されます。

松永久秀とやがて本能寺の変へと向かう明智光秀とがつなぎあわされました。表題の「黎明(れいめい)」は夜明けや新しい始まりを意味し、作中では日輪とも称される織田信長を指します。

「平蜘蛛の写しですか。にしても見事な」
久秀はきっぱりと首をふった。
「いや、写しではない。これもまた、命蓮伝来の平蜘蛛でござる」
「本朝に無双の名器が……」
光秀は絶句した。
「実は二つあったわけじゃな。上人にも、替えの鉢が要り用であったのかの」
(中略)
「さすがに空を飛びはしますまいけれど、平蜘蛛を手許に置かれれば、あれやこれや不思議なることもあるかと申しましてな」
光秀と利三は、再び顔を見合わせた。
「されば、これもまた光秀殿守護の法具。これにて山法師の調伏はことごとく打ち返せましょうぞ」
「ありがたく頂戴いたしまする」

『黎明に叛くもの』より

司馬遼太郎の戦国時代物

国盗り物語

国盗り物語

『黎明に叛くもの』は司馬遼太郎の短編「ペルシャの幻術師」や『国盗り物語』へのオマージュと公言されています。

斎藤道三・織田信長の義理の親子と明智光秀を主人公とした『国盗り物語』は、司馬遼太郎が戦国時代に取り組んでいた時期にあたります。『関ヶ原』、『新史太閤記』、『豊臣家の人々』、『城塞』、『覇王の家』などは同時期に書かれました。

『国盗り物語』は司馬遼太郎原作の初のNHK大河ドラマにもなりました(1973年)。以後、多数の司馬遼太郎作品がNHK大河ドラマ化され、原作本数が吉川英治、山岡荘八を上回っていくことになる記念碑的な歴史・時代小説です。

壇ノ浦の戦いを取り上げた山本周五郎賞受賞

安徳天皇漂海記

安徳天皇漂海記

『黎明に叛くもの』の分冊版に収録された外伝となる4つの短編を収録した『天王船』(2006年)が発表された同年、宇月原晴明は書き下ろしの幻想時代小説『安徳天皇漂海記』(2006年)を発表します。

源氏が平氏を滅ぼした壇ノ浦の戦いにて数え年8歳で神器と共に海に身を投げた安徳天皇を描きます。

神器に守られるかたちで生き残っていた安徳天皇と、源実朝(鎌倉幕府最後の源氏将軍)、祥興帝(南宋最後の皇帝。もととの戦いに敗れ8歳で入水)との交流が描かれる同作は第19回山本周五郎賞を受賞しました。

受賞の翌年、外伝となる4つの短編幻想時代小説集『廃帝綺譚』(2007年)も書き下ろします。

順帝(元朝最後の皇帝)、永楽帝(明朝第3代皇帝)、崇禎帝(明朝最後の皇帝)、安徳天皇の異母弟・後鳥羽上皇(承久の乱で鎌倉幕府に敗北。隠岐に配流)の4人の物語が描かれます。

山本周五郎賞受賞後の宇月原晴明

かがやく月の宮

かがやく月の宮

山本周五郎賞受賞から7年後、『竹取物語』を題材に『かがやく月の宮』(2013年)を発表します。高畑勲監督『かぐや姫の物語』の公開と同じ年でした。

同作では、京都の南・巨椋池(おぐらいけ)に浮かぶ竹生島に建つ竹取館で暮らすかぐや姫に求婚する5人の貴人と帝の物語が、飛鳥・奈良時代の争いの史実を背景に描かれます。

表題は現在54帖(じょう:折り本の数え方)とされる『源氏物語』において存在が失われたとされる幻の帖「輝く日の宮」に基づき、『源氏物語』の作者・紫式部がかがやく月の宮を読むという仕かけがなされました。

かがやく月の宮では『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』以来の関心が継続されます。月と日の一体化・両性具有化、男神ツクヨミ(月読)と女神アマテラス(天照大神)の一体化・両性具有化が主題です。

そのとき、アマテラスとギリシア神話の女神で月神アルテミス(太陽神アポロンは双子の兄)とが連想づけられていきます。同作では稲垣足穂『黄漠奇譚』へのオマージュが公言されています。

言葉の連想から独自の物語を伝奇的に創出し続ける宇月原晴明。『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』でのデビューからかがやく月の宮までは14年ですべて書き下ろし7冊という寡作のその作品では、常に二元論を乗り越えようとする思考で統一されています。

その根源にあるのが織田信長です。

著者名:三宅顕人

宇月原晴明

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