【関ヶ原】など司馬遼太郎作品の映画化に近年取り組む原田眞人(はらだまさと)。学生時代に山手樹一郎や五味康祐、司馬遼太郎の時代小説に大いに親しみ、映画監督デビュー直後には司馬遼太郎に映画化の打診をし、断られたエピソードもあります。司馬遼太郎作品への想いは特に強く、映画監督デビューから40年以上の時を経て司馬遼太郎作品の映画化を実現させました。
原田眞人は25歳の年、語学留学先のイギリスで映画評論家としてデビューします。翌年アメリカ・ロサンゼルスに渡り、映画ジャーナリストを足がかりに映画制作の修業を6年間積み、【さらば映画の友よ インディアンサマー】(1979年)で映画監督としてデビューしました。
以後、国内受賞作では、第40回ブルーリボン賞で作品賞・監督賞を受けた【バウンス ko GALS】(1997年)、第39回日本アカデミー賞で優秀作品賞・優秀監督賞・優秀脚本賞と第28回日刊スポーツ映画大賞で監督賞・石原裕次郎賞を受けた【日本のいちばん長い日】(2015年)など。
海外受賞作では、第6回ヴァランシエンヌ冒険映画祭で準グランプリ・監督賞を受賞した【KAMIKAZE TAXI】(1995年)、第52回モンテカルロ・テレビ祭で最優秀監督賞を受賞した【初秋】(2011年)、第35回モントリオール世界映画祭・ワールド・コンペティション部門で審査委員特別グランプリを受賞した【わが母の記】(2012年)などがあり、海外でも高い評価を受けています。
小説【尻啖え孫市】より
映画監督業以外にも、プロモーションビデオ(PV)、脚本、オリジナルビデオ、テレビ映画など多彩に活動し、著名な海外映画の字幕も手がけています(【スター・ウォーズ 帝国の逆襲】、【スター・ウォーズ 日本語版】、【フルメタル・ジャケット】など)。
海外での活動が映画人キャリアの始まりの原田眞人ですが、歴史・時代小説には若き頃から親しんだと言います。
母親の影響で中学生のときに山手樹一郎や五味康祐を、高校生になると司馬遼太郎を読んだと言います。映画監督としてデビューした頃、司馬遼太郎が戦国時代の鉄砲集団・雑賀党を率いた雑賀孫市を主人公にした【尻啖え孫市(しりくらえまごいち)】(1964年刊)の映画化を希望し、本人に問い合わせをしたものの実現には至りませんでした。
Blu-ray【ラストサムライ】
原田眞人は時代劇映画の監督を手がける前に、時代劇俳優としてデビューしています。
ハリウッド映画【ラストサムライ】(2003年〔ワーナー・ブラザース〕配給)です。トム・クルーズ、渡辺謙、真田広之が主演するなかで、日本の近代(西洋)化を強引に推し進める実業家兼大臣役・大村松江を演じました。
大村松江は幕末を生きた面々、大村益次郎(明治時代の兵部省初代大輔)の名前を想起させ、そのモデルは岩崎弥太郎(三菱財閥創業者)と大久保利通(初代内務卿)とされます。長州藩藩士・大村益次郎は司馬遼太郎の【花神】のなかで、そして薩摩藩藩士・大久保利通は司馬遼太郎の【翔ぶが如く】で、共にNHK大河ドラマ化されたことで広く知られるようになりました。
小説【東慶寺花だより】
原田眞人が監督として初めてかかわった時代劇映画は、脚本も手がけた【駆込み女と駆出し男】(2015年〔松竹〕配給)です。同作は第70回毎日映画コンクールで脚本賞と、第28回日刊スポーツ映画大賞で石原裕次郎賞(日本のいちばん長い日と併せて)を受賞しました。
駆込み女と駆出し男の原案は井上ひさしの遺作となった【東慶寺花だより】です(2010年刊)。江戸時代に縁切寺として知られた東慶寺(鎌倉市)を舞台に繰り広げられる全15編の連作短編です。
夫との離縁を可能にするこの駆込み寺については、山田風太郎が【柳生忍法帖】ですでに取り上げており、歴史学者・網野善彦のアジール(聖域・無縁所・避難所)の研究によって広く知られていきます。網野善彦に影響を受けた隆慶一郎も【駆込寺蔭始末】で井上ひさし以前に取り上げました。
東慶寺花だよりは映画化以前、7代目・市川染五郎(現10代目・松本幸四郎)の主演で歌舞伎化もされています(2014年)。
Blu-ray【駆込み女と駆出し男】
駆込み女と駆出し男の主人公は中村信次郎(大泉洋)です。見習い医師であり戯作者・曲亭馬琴(山崎努)に憧れて戯作者を目指す駆出しの男です。
倹約政策を大道でなじったことで追われるように江戸を出た中村信次郎は、親類の営む東慶寺の門前にある御用宿・柏屋に居候することになります。3代目・柏屋源兵衛(樹木希林)が主人を務める柏屋は、駆込み女達の聞き取り調査を行っています。その柏屋で中村信次郎は、じょご(戸田恵梨香)、お吟(満島ひかり)、戸賀崎ゆう(内山理名)など、夫との諸事情を抱えた駆込み女達とかかわっていくことになります。
原案小説で曖昧だった時代設定は、映画では江戸時代後期、徳川家慶(江戸幕府第12代将軍)の時代に設定されました。倹約政策(天保の改革)を行った老中・水野忠邦(中村育二)とその下で取り締まりを担当した鳥居耀蔵(とりいようぞう:北村有起哉)が登場します。鳥居耀蔵は権現様(徳川家康)の後ろ盾によって縁切寺となっていた聖域・東慶寺を、出世欲から取りつぶしを図ります。
東慶寺の場面は、原田眞人がラストサムライで気に入った書寫山圓教寺が使用されました。圓教寺の使用は監督を引き受ける条件のひとつだったと言います。他にも、滋賀県の園城寺・西教寺(共に大津市)、百済寺(東近江市)などが使用されました。
駆込み女のひとり、戸賀崎ゆう(内山理名)は夫への仇討ちのために東慶寺に駆け込んで来ました。
門弟1,000人を超える江戸の剣術道場の娘でしたが、道場破りにやってきたゴロツキ侍に家を乗っ取られます。父は病で亡くなり、許婚も斬られます。そして乱暴を働くその侍によって無理やり祝言まで挙げさせられた身の上でした。
柏屋源兵衛
「東慶寺様は仇討ちの助太刀はいたしませんよ」
戸賀崎ゆう
「助太刀は無用。私は二十四ヶ月寺内にて修行し、夫・田の中勘助を討ち果たす存念です」
映画【駆込み女と駆出し男】
原案小説と映画では、天保の時代を実際に生きた東慶寺の院代・法秀尼(ほうしゅうに:陽月華)を武芸の心得がある人物とします。戸賀崎ゆうは法秀尼から武芸の指導を受けます。
小説【関ヶ原】
時代劇映画2作目で原田眞人は司馬遼太郎作品の映画化を実現しました。
石田三成を主人公に関ヶ原の戦いを取り上げた【関ヶ原】(2017年〔東宝/アスミック・エース〕配給)です。
原作は石田三成&島左近と徳川家康&本多正信との攻防を書いた司馬遼太郎【関ヶ原】です(1966年刊)。徳川家康(江戸幕府初代将軍)と徳川秀忠(江戸幕府第2代将軍)、徳川頼宣(紀州徳川家の家祖)に仕えた医師・2代目板坂卜斎(いたさかぼくさい)が記した【慶長年中卜斎記】に基づき書かれました。
司馬遼太郎は同作の執筆時期、斎藤道三・織田信長を主人公とした【国盗り物語】、豊臣秀吉を主人公とした【新史太閤記】【豊臣家の人々】を並行して書いています。それらの執筆後には大坂城を舞台に、徳川方と豊臣方の対立を描いた【城塞】や、徳川家康の前半生を描いた【覇王の家】を書き、関ヶ原の執筆は司馬遼太郎が戦国時代に取り組んでいた時期でした。
Blu-ray【関ヶ原】
関ヶ原では、石田三成(岡田准一)と徳川家康(役所広司)が西軍と東軍に分かれていく過程と、敗軍の将となった石田三成が処刑されるまでが描かれます。
原作小説にはない忍者の活躍も描かれました。石田三成には藤堂高虎の家臣の娘を伊賀の忍びとして改変した初芽(有村架純)、徳川家康には伊賀の忍び・蛇白/阿茶(伊藤歩)がそれぞれ仕えます。
構想25年だったと語る映画の完成までには主人公も変遷したと言います。
石田三成の相棒として終生を共にした年長者の島左近(平岳大)、次に石田三成を裏切った若き武将・小早川秀秋(東出昌大)に揺れ動いたと原田眞人は言います。
映画のなかでは独自の見解も示します。
豊臣秀次(豊臣秀吉の甥で養嫡子)は、豊臣秀吉のあとを受けて関白に就任します。けれども豊臣秀吉に実子(のちの豊臣秀頼)誕生後、謀反の疑いから切腹、一族は三条河原で公開処刑されています。また、小早川秀秋は幼少時に豊臣秀吉の養子となり、豊臣秀次に次ぐ位置にありました。
原田眞人は小早川秀秋と親しい関係にあった豊臣秀次一族を豊臣秀吉が処刑したことが関ヶ原の戦いの遠因としました。
映画化にあたっては、黒澤明【七人の侍】や自身がリメイクした岡本喜八【日本のいちばん長い日】などを大きく意識したと明かしています。
この映画でも原田眞人お気に入りの圓教寺の他、城の場面では姫路城(姫路市)と彦根城(彦根市)や東本願寺(京都市)、他に五百羅漢が安置されている天寧寺(彦根市)や、石田三成ゆかりの龍潭寺・清凉寺(共に彦根市)などが使用されています。
映画では、島左近(平岳大)と新陰流の継承者・柳生石舟斎宗厳(やぎゅうせきしゅうさいむねよし-むねとし:辻萬長)とのやりとりが設けられました。
島左近
「柳生一族と島一族が大和の地で育ち、助けおうた姿」
柳生石舟斎
「剣技と医術の合体じゃな」
島左近
「やがて天下は二つに割れ、徳川殿と石田殿が戦うやも知れませぬ」
柳生石舟斎
「いかに養生する?」
島左近
「養生とはどちらが滅びても生き延びた者が両家の家族を育てていくことにございましょう。手前、石田殿を選びました」
柳生石舟斎
「では徳川殿に倅共を預けましょう」
映画【関ヶ原】
島左近と柳生石舟斎宗厳は、共に元・筒井家の家臣です。
島左近の娘は柳生石舟斎宗厳の孫・柳生兵庫助利厳(やぎゅうひょうごすけとしとし-としよし:尾張徳川家に仕えた尾張柳生家の祖)の側室になります。その2人の子が柳生連也斎厳包(やぎゅうれんやさいとしかね:尾張柳生家の継承者)です。柳生家については、五味康祐が盛んに取り上げたことで一般にも広まりました。
映画では上記の引用場面ののち、徳川家康が小早川秀秋に柳生家の息子達を引き合わせます。
そして四男・柳生宗章は関ヶ原の戦いでは西軍になる小早川秀秋のもとへ、五男・柳生宗矩(のち大和柳生藩初代藩主/徳川将軍家・兵法指南役)は関ヶ原の戦いでは東軍になる徳川家康のもとへ、とそれぞれ別れる史実を、原田眞人は両者が兜割りを披露することで描きました。
このやりとりは関ヶ原の戦いの直前に、父・真田昌幸と二男・真田信繁(幸村)は西軍に、長男・真田信幸(信之)は東軍にと親子で分かれたという巷説「犬伏の別れ」を想起させます。
小説【燃えよ剣】
原田眞人は続いて、土方歳三(岡田准一)を主人公とする【燃えよ剣】(2021年〔東宝/アスミック・エース〕配給)を映画化します。原作は司馬遼太郎【燃えよ剣】です(1964年刊)。
これまで司馬遼太郎原作映画は、60年代に9本、テレビドラマが興隆するなかで70年代に2本、そして90年代に2本制作されました。90年代は、篠田正浩が手がけた伊賀忍者を主人公とする【梟の城】と大島渚が手がけた新選組を描く【御法度】です(共に1999年)。2000年代に入って原田眞人が関ヶ原で18年ぶりに司馬遼太郎原作映画を手がけ、現在異例の計2本となります。
司馬遼太郎原作の特別な映画監督となった原田眞人。それは、学生時代から愛読していた司馬遼太郎を映画で乗り越えようとする挑戦でもあります。