室町時代から江戸時代にかけて大名や領主に仕え、諜報活動や暗殺などの役割を担っていた忍者。現在では、映画やアニメで題材となることもあり、日本国内での知名度は高く、海外でも「NINJA」として人気の高い存在となっています。 忍者の基礎知識では、忍者の成り立ちや役割をはじめ、忍者が使用した手裏剣や日本刀などの道具や剣術、諜報術といった忍者術、さらに武将に仕えた忍者、有名な伊賀流・甲賀流忍者など、忍者について詳しくご紹介します。
忍者は、室町時代から江戸時代に大名や領主に仕え、戦においては独立部隊として諜報活動、破壊活動、浸透戦術(強力な少数部隊を作って、部分的に攻めていく戦術)、謀術(ぼうじゅつ :相手を油断させて、隙を作り出す)、暗殺などを行なう役割を担っていました。日本で有名な忍者としては伊賀忍者、甲賀忍者などが挙げられます。
「戦国時代や江戸時代に忍者がどんな活躍をしていたか」と聞かれたとき、みなさんはどのような姿を想像するでしょうか?黒い忍び装束で闇夜にまぎれ、屋根の上を走り回って敵の城に忍び込み、悪事を企む密談に聞き耳を立てる。敵に出会えば手裏剣や忍び刀で戦闘し、劣勢と見るや煙幕を張って煙のように消えて逃げ失せる。しかしこのイメージの多くは後世に生まれた創作で、実際には町中を歩き回ったり敵を見たら戦わずに逃げたりすることが忍者には求められていました。
歴史と創作の狭間にある謎の存在「忍者」。戦国時代には、数多く実在したとされていますが、その実像は定かではありません。江戸時代には、「賊禁秘誠談」(ぞくきんひせいだん)に登場する「石川五右衛門」(いしかわごえもん)や「百地三太夫」(ももちさんだゆう)、同時代の読本(伝奇小説)や歌舞伎狂言に登場する「自来也」(じらいや)などが忍者として創作されました。また、800年代に遣唐使として密教を持ち帰った空海をはじめ、実在した人物の中でも実は忍者だったのではないかと語られている人物もいます。創作上の忍者では物語や歌舞伎などで創作された忍者の他、歴史上に実在しながらも実は忍者であったとされている人物をご紹介します。
日本国内では頻繁に映画やアニメで取り上げられ、子どもから大人まで知らない人はいないであろう「忍者」の存在。では、海外の人々には、忍者はどれほど知られていて、どのような存在だと認識されているかご存知でしょうか?海をわたるNINJAでは、海外での忍者の知名度や、どういったイメージで捉えられているかなど、海外の「NINJA」像をご紹介します。
手裏剣は、忍者の用いる「忍具」のなかで、最も有名な物のひとつです。忍具のなかで、真っ先に手裏剣を連想する人も多いのではないでしょうか。時代劇など創作のなかではたびたび、両手を身体の前で水平に構えて擦るように手裏剣を連射する忍者の姿が描かれます。しかし実はあの打ち方(手裏剣は投げるではなく打つと表現する)は、創作が発祥で広まった誤った描写だということをご存知でしょうか?知っているようで意外と知らない手裏剣について、ご紹介していきます。
忍者の活躍した戦国時代、主に使用されていた武器は日本刀です。忍者も例外ではなく、任務中は日本刀を帯刀していました。忍者は隠密行動を生業としていたため、帯刀していた日本刀は特別な形状の「忍者刀」と呼ばれる物であったと言われています。しかし一方で、通常とは違う形状の日本刀を持ち歩けば周りに忍者という事が筒抜けになってしまうため、特殊な形状の忍者刀は存在せず、忍者も一般的な日本刀を使用していたという説もあります。忍者の道具(忍者刀)では、忍者刀に込められた工夫と、その用途についてご紹介します。
現代では、ワンタッチで着火できるコンロや、ポケットに収まるライターなど、便利に使える「火」。しかし当然ながら、忍者の活躍した戦国時代・江戸時代には、現代のように便利ではありませんでした。そのため忍者は様々な工夫をこらして、当時外国から伝来したばかりの火薬や火縄銃など最新兵器の扱いを学んだり、煙を風に負けないよう垂直に立ち昇らせる技術を確立したりすることで、忍者自身の活躍の幅を広げていきました。武器から逃走補助の忍具、伝達用の合図まで、忍者の隠密活動に重宝された火を使った「忍具」についてご紹介します。
私達が漫画やアニメで目にする忍者は、全身黒ずくめの格好で闇に紛れて活躍するイメージが強いのではないでしょうか。では、実際に忍者の着用していた衣類には、どのような秘密が隠されていたのか、忍者が任務時に身に付けていたと言われる衣装「忍び装束」(しのびしょうぞく)についてご紹介します。
忍者は多様な忍具を駆使しながら敵陣に侵入して任務を遂行してきました。誰にも気付かれることなく家屋や城内に忍び込むために考え抜かれ、様々な機能を持った忍具の数々。忍者の活動を支えた様々な知恵や工夫の詰まった忍具をご紹介します。
漫画や映画など現代の創作物のなかで、忍者は高い塀を軽々と跳び越えたり、木々の枝の上を飛び移って移動したりしています。そんな、ことさらに忍者の身軽さが強調されるシーンをみなさんも見たことがあるのではないでしょうか。実際には創作物のように助走もなしに何mも跳び上がることはできませんが、城や砦などに忍び込むことも多く、熟練者であれば1日に50里(約200km)を駆け抜けたと言われる忍者にとって、少しでも持ち物を減らし身軽になることは非常に重要。そのため経験則から「最低限持っていくべき忍具」が7種類挙げられるようになり、江戸時代に書かれた忍術書「正忍記」でもご紹介されています。そんな「忍者の7つ道具」についてご紹介します。
忍者は実に多様な忍具を駆使して、忍者は任務にあたっていたのです。取り上げてきた有名な忍具以外にも知恵と工夫の詰まった忍具がたくさんあります。忍者が使用したまだ紹介していない忍具についてご紹介します。
忍者は長距離移動や敵陣などへの潜入のため、日々様々な鍛錬に励んでいました。そしてその身体能力を最大限に活かし効率的かつ素早く走る「走法」や、潜入した敵陣で暗闇のなか足音ひとつ立てずに歩く「歩法」など、忍者独自の身体の使い方「体術」が多数編み出されてきたのです。忍者の体術では、そんな忍者の体術をご紹介します。
忍者の最大の役割は「諜報」であり、敵側の情報を生きて味方のもとに持ち帰ることが何よりも大切。敵陣で敵兵に襲われても、戦わずに逃走を図ることが優先されていました。ですが、見張りの兵がいてどうしても倒さなければならなかったり、そもそも任務が要人の暗殺だったりと、敵と戦わなければならない場面も多々訪れます。そのため忍者は日々の鍛錬で武術も習得し、技を磨いていました。忍者の武術ではそんな忍者に伝わっていた武術をご紹介します。
忍者の任務の大部分は、館や城などの敵地に潜入しての諜報活動(ちょうほうかつどう)です。忍者は、任務遂行のための諜報活動に役立つ潜入や、身を隠す様々な術や忍具を使いこなしていました。忍者の諜報術では、忍者の活動を支えた諜報にかかわる術や忍具についてご紹介します。
忍者の主な任務は「諜報」であり、その任務を果たすため忍者独自の情報収集技術が発展していきました。一方で、その諜報技術が発展していく過程で、情報を守る「防諜」の技術も多く確立していったのです。そんな防諜にかかわる忍術をご紹介します。
戦が絶えなかった戦国時代において、各地で活躍した忍者。東北の地でも「黒脛巾組」(くろはばきぐみ)と呼ばれる忍者集団が存在したと伝わっています。そんな黒脛巾組を結成した「伊達政宗」(だてまさむね)や、黒脛巾組が活躍した戦などについてご紹介します。
真田忍軍は、戦国時代に真田家に仕えて活躍した忍者集団です。後世には、真田忍軍をモデルとした、「真田幸村」(さなだゆきむら)の名で知られる「真田信繁」(さなだのぶしげ)と、その真田幸村に仕える真田十勇士(さなだじゅうゆうし)が創作されました。最近でも2016年の大河ドラマ「真田丸」に忍びとして登場するなど、その人気は今も昔も変わることがありません。
「歩き巫女」(あるきみこ)は、戦国時代に武田家に仕えていた複数ある忍者集団のなかのひとつです。歩き巫女の最たる特徴と言えば、他に類を見ない女性の忍者くノ一のみで構成されていたこと。全国各地を渡り歩きながら、巫女として吉凶を占うなど様々な人と接して情報を集め、有用な情報を主君の武田信玄らに伝えていました。そんな歩き巫女についてご紹介します。
「服部半蔵」(はっとりはんぞう)は、誰もが一度は聞いたことのあるほど有名な忍者です。しかし実は、服部半蔵という名は特定のひとりを指す名称ではなく、服部家の当主が代々名乗る通称なのです。今回は服部家のルーツや、私達がいわゆる服部半蔵として思い描く「服部半蔵正成」(まさなり)についてご紹介します。
数ある忍者の流派の中でも最も有名な「伊賀流忍者」。そんな伊賀流忍者の代表的な戦と言えば、2度にわたって織田家と戦った「天正伊賀の乱」でしょう。乱と言っても、伊賀側が始めた戦ではありません。そのため「天正の伊賀攻め」などとも言われています。天正伊賀の乱が起った理由や戦の概要、その後の伊賀流忍者の動向などをご紹介します。
戸隠流忍者(とがくれりゅうにんじゃ・とがくしりゅうにんじゃ)は、今なお継承され、現代を生きる忍者として代表的な流派です。現在の戸隠流忍法宗家である34代目「初見良昭」(はつみよしあき)は、忍術や体術、武器術といった古武術の道場である「武神館」を創設しました。そんな戸隠流忍者についてご紹介します。
忍者の力を存分に活かし、最も活躍したのが戦国時代。諸大名は、有力な忍者を雇い入れるために争ったこともあると言われるほど、忍者は重宝されました。この頃から忍者の数が増え、主君を持たない野武士や山賊などが出世の手段として忍者を生業とするようになりました。このようにして、流派の異なる様々な忍者が誕生。数ある流派の中でも代表的な忍者が「伊賀流忍者」です。
甲賀流忍者とは、忍者を語るうえで欠かすことのできない有名な忍者の里「甲賀」を中心に活躍した忍者集団です。同じく忍者の里として知られる「伊賀」と並び、忍術の一派として広く知られています。しかし、甲賀流忍者はどういった特徴があるのか。いつごろ誕生し活躍していたのか。そもそも、甲賀とはいったいどこにある地域なのか。意外と知らない甲賀流忍者についてご紹介します。
風魔一族とは、戦国時代に北条家に仕えた忍者の一族です。「風魔」や「乱波」(らっぱ)と呼ばれる北条家配下の忍者集団の首領は代々「風魔小太郎」(ふうまこたろう)を名乗ったことで知られています。そんな風魔一族について紹介します。
これまで伊賀・甲賀の忍者や、武田家・徳川家などに仕えた忍者を紹介してきましたが、当然ながら彼ら以外にも忍者は全国各地に存在しました。その地方独自の忍術が発展した里や、有事の際に備えていた江戸時代の忍者集団。さらには諜報や護衛といった忍者に求められる任務のうち、何かひとつに特化した集団として、存在していた組織などです。日本各地の忍者では、バラエティに富んだ忍者達をご紹介します。
忍者は、古代中国の兵法書「孫子」にも出てくる間諜(かんちょう:敵の様子をさぐりその情報を味方に知らせる役割)から発展した存在であると言われています。日本では身体能力に特化した忍者に進化していった間諜ですが、欧米ではスパイやエージェントと呼ばれ、映画「007」シリーズの「ジェームズ・ボンド」に代表される近代のスパイ像を確立していきました。そこに至るまでの、海外の忍者であるスパイ(諜報員)についてご紹介します。
激動の戦国時代を暗躍したイメージの強い忍者。太平の世が訪れると、その存在は少しずつ姿を消していきましたが、現代においてもわずかに忍者の息吹を感じ取ることができます。そんな現代に生きる忍者や、忍者のように人知れず暗躍する諜報員の存在にスポットライトをあてて、ご紹介します。
忍者コスプレを楽しむためのポイントをご紹介します。
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