歴女が訪れたい城下町

世界遺産の姫路城と城下町

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「姫路城」(現在の兵庫県姫路市)は、安土桃山時代の武将「池田輝政」が築城し、当時のままの天守が現存する名城のひとつです。白鷺が羽を広げたかのような美しい佇まいから、「白鷺城」(しらさぎじょう)とも呼ばれています。歴史的に価値が高いことはもちろん、その佇まいの美しさから、1993年(平成5年)には、「世界遺産」に登録されました。
城下町の歴史はもちろん、姫路藩ゆかりの伝統工芸、姫路城のビューポイントなど、歴女におすすめの姫路の魅力をご紹介します。

武家文化を象徴する日本の城「姫路城」
「白鷺城」の愛称で親しまれる世界遺産・姫路城をご紹介します。

姫路城下の人々が愛した風景を探しに出かけよう

姫路城

姫路城

姫路が軍事的な拠点として注目されるようになったのは、1580年(天正8年)です。

中国地方への侵攻を目指していた「織田信長」は、毛利討伐の先鋒として「豊臣秀吉」を抜擢しました。

豊臣秀吉は、当時の「姫路城」の実質的な城主であった「黒田官兵衛」(黒田孝高)の助言を受け、姫路城に軍事拠点を置くことを決断。当時の姫路城は、3層天守の城だったと伝えられています。

姫路城が現在の姿に生まれ変わるきっかけとなったのは、「関ヶ原の戦い」です。天下分け目の合戦に勝利した「徳川家康」は、東軍で武功を挙げた武将達に恩賞を与えました。西国の監視拠点、軍事拠点として重要な地、播磨姫路52万石は「池田輝政」に授けます。

池田輝政は、織田信長の重臣・池田恒興の次男です。父と兄が戦死したために家を継ぎ、大垣城(現在の岐阜県)城主を務めていました。姫路城城主となるにあたり、その権威にふさわしい存在感を示すために、姫路城を大改修する決意をします。

1600年(慶長5年)に、3層天守の城を取り壊し、5層6階大天守と3つの小天守が渡櫓(わたりやぐら)でつながる美しい連立式天守閣、つまり現在の姫路城を築きました。

やがて池田輝政は、西国最大の大名「西国将軍」と呼ばれるように。城好きな歴女も認める壮麗な佇まいの姫路城は、こうして誕生したのです。

池田輝政が西国将軍と呼ばれたのは、それほど姫路という土地が重要な拠点と考えられていたからに違いありません。そのことを示すように、池田輝政以降、城主になったのは「本多忠政」(ほんだただまさ)をはじめ、徳川四天王系の血筋を引く大名でした。

跡継ぎの人物が幼い場合は、他の地へ配置換えされることも。姫路城は、西国を抑えるための江戸幕府の最重要拠点として、目まぐるしく城主が入れ変わっているのです。

そんな姫路城の役割を改めて見つめ直してみるのも、歴女らしい楽しみ方のひとつではないでしょうか。

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日本の城 姫路城 YouTube動画

「姫路城」国宝5城・現存12天守

現在の街並みの原型になった城下町の防衛プラン

池田輝政

池田輝政

豊臣秀吉時代の城下町は、ごく限られた一部のエリアに町人を住まわせていた程度でした。そこで池田輝政は、姫路城の大改修と共に城下町の整備にも着手します。

池田輝政の描いたプランの特徴は、内堀、中堀、外堀が渦を巻いているような三重の堀が巡らされている点。外堀の一部には自然の河川も利用されましたが、その他の外堀、内堀、中堀は新たに開削されました。

さらに、内堀と中堀の間となる区画の中曲輪(なかくるわ)を「武家地」に、中堀と外堀の間となる区画の外曲輪を「町人地・寺社地」に分け、身分制度に準じた町割を行なったのです。

また、京都と下関を結ぶ基幹道である「西国街道」は、城下町の南に組み込まれました。あえて城下町を通したのは、通行人を監視するためだったという説もあります。なお、街道沿いには、下級の武家屋敷、町人屋敷が建ち並んでいました。さらに、交通の要衝となる場所には寺社を置き、防御の強化も図ったのです。

城下町の道は、基本的に碁盤の目状でしたが、随所に鉤の手型の屈折を設置。これは見通しを悪くして、有事に備えたと考えられています。基幹道であった西国街道には、当時19ヵ所も屈折があったと伝えられているのです。

池田輝政は、播磨地方の外港である飾磨(しかま)と城下町を結ぶ「三左衛門堀」(さんざえもんぼり)の開削を試みましたが、測量に誤りがあったため断念しました。この堀は、池田輝政の死後に城主となった本多忠政が計画を引き継ぎ、運河の開発に着手します。こうして生まれたのが「船場川」(せんばがわ)です。

船の通行が可能な水路が整備されたことで、瀬戸内海の各地と結ばれることになり、姫路の商業が飛躍的に発展していきました。

姫路城下の面影をチェックしたい歴女であれば、国道2号沿いを歩くのがおすすめです。この国道2号は、中堀を埋めると同時に、屈折を解消するために土塁を一部壊して整備された道路。そのため、土塁や門の石垣遺構を目にすることができます。

また、城の北東部にある「同心町」は、同心(役人)が住んでいたことにちなんだ地名。この他にも、寺社の多いエリアを探してみるなど、当時の町割の名残を確認しながら散策してみるのも良いでしょう。

姫路城周辺を歩きながらお気に入りの絶景ポイントを発見

城見台公園の鯱と姫路城

城見台公園の鯱と姫路城

姫路城の魅力のひとつは、見る位置を変えることによって、様々な美しさに出会えることです。写真好きな歴女であれば、ぜひ周囲を散策しながら、自分らしいこだわりの構図を探してみてはいかがでしょうか。

そこで、歴女旅で撮影したい、人気の絶景スポットについてご紹介します。

まずは、JR姫路駅の姫路城口(北口)近くにある眺望デッキ「キャッスルビュー」。姫路城を真正面から観ることができます。姫路城へと約1km続くメイン道路(大手前通り)の景色が見事。

次に「城見台公園」では、姫路城を南東から斜めに楽しめるので、おすすめです。城見台公園のシンボル「鯱」の石碑もあり、2匹の鯱の間に姫路城を取り入れる構図が人気。なお、鯱は大天守の物が原寸大で再現されています。

また、「姫路市立美術館」では、東から姫路城を眺めることが可能。赤レンガ造りの建物と白亜の姫路城のコントラストが鮮やかで、ひときわ美しさが引き立ちます。

「シロトピア記念公園」は、北方向から観える定番スポット。四季折々の草花に彩られた姫路城が堪能できます。またガラスの壁面が美しい「兵庫県立歴史博物館」では、ガラスに映った姫路城が撮影できるスポットとして人気です。

「男山配水池公園」は、北西からの姫路城が見えるビューポイント。大天守と3つの小天守が眺められる貴重なスポットとして有名で、姫路城の優雅な姿を目にすることができます。

この他、歴女として見逃せないのが、姫路城の夜景。日没から0時まで、毎日ライトアップが行なわれています。4月から10月は白色、11月から3月は暖色系になるとのこと。歴女旅の最後を幻想的な姫路城の姿で締めくくりませんか。

なお、「景福寺公園」や「姫路市立動物園」など、周囲には絶景スポットが数々あります。移動には、JR姫路駅前から姫路城の周辺を廻る「ループバス」を利用してみてはいかがでしょうか。料金は大人が100円(小人は50円)。乗り降り自由の1日乗車券は、大人が400円(小人は200円)です。1日乗車券は、施設などの割引特典があるので、有効に活用しましょう。

歴女も注目!!甲冑師の伝統が息づく明珍火箸

姫路の伝統工芸品として指定されているのが、「明珍火箸」(みょうちんひばし)です。

「明珍」とは、明珍家のこと。明珍家は、平安時代から続く甲冑師の一族です。もともとは、関東に拠点を置いていましたが、「酒井忠恭」(さかいただずみ)が姫路藩の藩主になったことで、共に移り住みました。以来、姫路藩のお抱え甲冑師として活躍。

しかし、明治維新により武士の時代が幕を閉じると、甲冑の受注がなくなり、明珍家は廃業の危機に。しかし、「千利休」(せんのりきゅう)から茶室用の「火箸」の注文を受けたことで、この危機を乗り越えるのです。

火箸とは、炭火を扱う金属製の箸。明珍家はこの火箸作りを生業としましたが、さらに時代が進むと、火箸の需要も減少。甲冑の鍛錬技術を絶やさないために、52代目の当主である「明珍宗理」(みょうちんむねみち)が開発したのが、風鈴「明珍火箸風鈴」です。

明珍火箸風鈴は4本の火箸を組み合わせた物で、火箸がふれあうときの澄んだ音色、味わいのある余韻が人気の秘密。世界的にも高い評価を受けています。姫路を訪れた歴女旅の記念に、甲冑の技が息づく工芸品を手にしてはいかがでしょうか。

姫路藩をはじめ、江戸時代の代表的な100藩を治世などのエピソードをまじえて解説します。

姫路藩・松本藩・松江藩 YouTube動画

姫路藩・松本藩・松江藩

歴女におすすめの人気スポットをセレクト

好古園

好古園 双樹庵

好古園 双樹庵

姫路城公園の敷地内にある「好古園」(こうこえん)は、姫路市市政100周年を記念して造営された日本庭園です。

西御屋敷跡や武家屋敷跡など、遺構調査をもとに、江戸時代の風景を再現。広大な敷地の中には、御屋敷の庭、茶の庭、夏木の庭、松の庭、竹の庭、花の庭など、9つの日本庭園が造られています。

四季折々に表情を変える庭園はもちろん、江戸時代の雰囲気を感じられるスポットとして、歴女からの人気も抜群です。

本格的な数寄屋建築の茶室「双樹庵」(そうじゅあん)では、季節の生菓子とお抹茶を味わいながら、憩いのひとときを楽しめます。茶室の奥には、黒田官兵衛(黒田孝高)ゆかりの茶釜である「播磨釜」(はりまがま)が展示されていますので、黒田官兵衛(黒田孝高)ファンの歴女はお見逃しなく。庭園を眺めながら、歴女仲間と姫路城について語り合ってみてはいかがでしょうか。

なお好古園は、時代劇のロケ地としても有名です。どこかで観たことのある風景と出会えるかもしれません。

男山千姫天満宮

千姫天満宮

千姫天満宮

姫路城と言えば「千姫」(せんひめ)のことを思い出す歴女も多いのではないでしょうか。

千姫とは、徳川家康の孫娘。7歳のときに豊臣秀吉の次男「豊臣秀頼」(とよとみひでより)と結婚しますが、19歳のときに夫・豊臣秀頼が「大坂夏の陣」で敗れて、自害。

千姫は、祖父・徳川家康の命で救出され、翌年、「本多忠政」の息子である「本多忠刻」(ただとき)と再婚し、姫路城に入りました。

子宝にも恵まれましたが、長男は3歳で亡くなります。そこで千姫は、信仰していた天神を祀る天満宮を男山に創設。現在では、「千姫天満宮」(せんひめてんまんぐう)と呼ばれています。本多家の繁栄を願い、千姫は毎朝拝んでいたと伝えられているのです。

その後、夫・本多忠刻を亡くし、千姫は尼になることを選びました。千姫と本多忠刻は、美男美女のカップルだったと言われています。現在、千姫天満宮は恋愛成就を願う人達の人気スポット。片思い中の歴女は、羽子板型の絵馬に願いを書いて奉納してみませんか。

書寫山圓教寺

書寫山圓教寺

書寫山圓教寺

書写山の山頂に建つ「書寫山圓教寺」(しょしゃざんえんぎょうじ)は、「西の比叡山」と称され、およそ1,000年の歴史を誇る天台宗の古寺です。

このお寺が歴女から注目されるようになったきっかけは、NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケ地のひとつであったこと。

現在も、軍師官兵衛を愛する歴女達が訪れ、定番の観光スポットになっています。

ここでは、座禅体験、写経体験なども行なわれていますので、旅の記念に仲間とチャレンジしてみてはいかがでしょうか。森の懐に抱かれたような、癒しのひとときを味わいたいという歴女にもおすすめです。

家老屋敷跡公園

「家老屋敷跡公園」は、酒井家が城主だった江戸時代後期に、筆頭家老「高須隼人」(たかすはやと)が、屋敷を構えていた場所を整備した公園です。

「いの屋敷」、「ろの屋敷」、「はの屋敷」、「にの屋敷」の4つの家老屋敷館が建ち、休息や食事、お土産を購入する人々で賑わっています。

ろの屋敷にある「高田の馬場」は、人気飲食店のひとつ。姫路名産の穴子を使った「穴子丼」をはじめ、「明石焼き」など、ご当地グルメが気軽に楽しめるので歴女旅にもぴったりです。今話題のグルメを挑戦してみたい歴女には、生姜醤油に付けて味わう「姫路おでん」がおすすめ。

お土産品や記念品として歴女から支持を得ているのは「紋瓦石鹼」(もんがわらせっけん)です。姫路城の歴代城主の紋瓦をモチーフにした石鹼で、豊臣秀吉の「五三の桐」(ごさんのきり)、池田輝政の「揚羽蝶」(あげはちょう)、「酒井忠恭」(さかいただずみ)の「剣酢漿」(けんかたばみ)の3種類。こちらは、いの屋敷の「姫路の宝蔵」で購入できます。

世界遺産の姫路城と城下町

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