【大菩薩峠】、【宮本武蔵】という戦前に人気を博した時代劇映画を、戦後復活させた内田吐夢(うちだとむ)。その両作では原作に忠実に、剣客を自負する者とその剣客の思いあがる心を諌める者とを対比的に描きます。
内田吐夢は谷崎潤一郎が文芸顧問を務めた大正活動写真(のち大正活映)で助監督・俳優業を経て、日本映画の父・牧野省三(マキノ省三)の興した牧野教育映画製作所で無声映画(サイレント:トーキー誕生以前の映画形式)の共同監督としてデビューします(1922年)。
小説【新書太閤記(五)】
鳥居強右衛門の活躍場面
収録
その後、日本初の本格的映画会社とされる老舗の日本活動写真(略称・日活)に入社し(1926年)、監督業を生業にします。トーキー(*それまでの無声映画に対して技術発展した映像と音声が同期した発声映画)勃興時代に入ると日活の面々と新映画社を興します(1932年)。けれどもすぐに解散し、松竹の傍系・新興シネマに在籍しました。
その後、日活に再び移り、現代劇の悲喜劇【限りなき前進】(第14回キネマ旬報・日本映画ベストテンで第1位)や長塚節原作の農民劇【土】(第16回キネマ旬報・日本映画ベストテンで第1位)を経て、第2次世界大戦勃発時期には歴史映画【歴史 第一部 動乱戊辰】、【歴史 第二部 焦土建設・第三部 黎明日本】を監督・構成しています(1940年)。
第2次世界大戦が勃発すると映画製作に制限がかかります。劇映画の映画製作会社は国策によって松竹・東宝・大日本映画社(略称・大映)の3社に統合されます(1942年)。
3社統合時代に入ると内田吐夢は、松竹で時代劇映画【鳥居強右衛門(とりいすねえもん)】を監督します(1942年)。原作は吉川英治です。長篠の戦いで織田信長・徳川家康連合軍に仕えた実在の足軽が主人公です。命を賭けた伝令係を務め、敵対する武田勝頼軍から味方を救いました。
DVD【血槍富士】より
内田吐夢は第2次世界大戦終結直前、満州に渡ります。国策映画会社・満州映画協会(略称・満映)に籍を置きました。敗戦後は中国に数年抑留されました。帰還後は満映の流れを汲む戦後に誕生した東映に入社します(1952年)。
復帰第1作は、時代劇映画【血槍富士】(1955年〔東映〕配給)です。
大正活映の同僚だった井上金太郎の原作・脚本・監督作【道中悲記】(1927年)をリメイクしました。同映画の企画はマキノ光雄=満男(牧野省三の子。元・満映製作部長~松竹~東横映画~東映)、企画協力には溝口健二、伊藤大輔、清水宏、小津安二郎の映画監督が名を連ねます。
同作は、太平となっていた江戸時代を生きる槍持ちが主人公です。東海道から江戸への道中で出会った様々な人を通して、封建社会の理不尽さが描かれます。
DVD【大菩薩峠】
内田吐夢版【大菩薩峠】(1957~1959年〔東映〕配給―3部作)は原作初のカラー映画となります。
3部作の第1部では、武蔵国(東京都・埼玉県、神奈川県の一部)の流派・甲源一刀流の剣士・机竜之助(片岡千恵蔵)に対する敵討が原作に忠実に描かれます。
机竜之助は奉納試合で甲源一刀流の師範・宇津木文之丞(波島進)を惨殺します。そして宇津木文之丞の内縁の妻・お浜(長谷川裕見子)を手ごめしたうえで連れ去り、江戸に出奔しました。そんな机竜之助の命を兄の恨みを晴らそうと宇津木兵馬(中村錦之助=のち萬屋錦之介)は狙い続けます。
対して机竜之助は敵討される身などにとらわれず、江戸で金のために人斬りに加担します。京都に出ると尊王攘夷派による天誅組の変に加わり、その争いのなかで失明に至ります。
机竜之助(片岡千恵蔵)は、自身の剣の美学を次のように語ります。奉納試合を前に対戦相手・宇津木文之丞(波島進)への手加減を密かに申し出にやってきた彼の内縁の妻・お浜(長谷川裕見子)に話します。
(中略)
机竜之助
「物に例うなら、我らの武術、女の操と同じこと。例え親兄弟のためなりとて、操破るば女の道ではござるまい」
映画【大菩薩峠】
そんな美学を持つ机竜之助(片岡千恵蔵)は江戸で、実在の剣客で直心影流島田派・島田虎之助(大河内伝次郎)との斬り合いに遭遇します。
机竜之助の無軌道ぶりの噂を聞き付けていた島田虎之助は、自身の剣の美学を次のように机竜之助へ語ります。
映画【大菩薩峠】
小説【宮本武蔵】
内田吐夢は海音寺潮五郎原作【酒と女と槍】(主人公は戦国武将・富田高定)の監督作を経て、歴史・時代小説の金字塔である吉川英治【宮本武蔵】を映画化します。
戦前は滝澤英輔(1936年)を皮切りに、尾崎純(1937年)、稲垣浩(1940年―4部作)、佐伯幸三(1942年)、伊藤大輔(1943年―2部作)が順に映画化しています。
戦後は、再び稲垣浩(1954年―3部作)が映画化します。2度目の稲垣浩版は戦後初かつ配給会社・東映初のイーストマン・カラー作品(*3本のフィルムを使ってカラー化するテクニカラー方式から技術発展した1本のフィルムだけでカラー化を可能にした撮影技術)でした。
それから7年後、内田吐夢が宮本武蔵の映画化を手がけます。
DVD【宮本武蔵】
内田吐夢版【宮本武蔵】(1961~1965年〔東映〕配給)は、同原作映画の最初で最後の5部作となりました。
第1部では、宮本村(現在の岡山県美作市宮本)のたけぞうこと宮本武蔵(中村錦之助=のち萬屋錦之介)の若き頃を描きます。
宮本武蔵は関ヶ原の戦いに、幼馴染の本位田又八(ほんいでんまたはち:木村功)と共に豊臣方に付き参戦するも、負けて落ち武者となります。
手傷を負った本位田又八は命を救ってもらった、もぐさ屋のお甲(木暮実千代)と恋愛関係に陥ります。お甲の養女・朱美(丘さとみ)も含む新しい人生を選びます。
対して、無傷の宮本武蔵は姉・お吟(風見章子)が待つ故郷に戻ることを選びます。けれども本位田又八の母・お杉(浪花千栄子)から息子を戦へそそのかしたと目の敵にされます。また、帰郷の際に関所破りをしたこともあって役人・村人に捕えられます。
本位田又八には許嫁がいました。禅僧・宗彭沢庵(そうほうたくあん:三國連太郎)の寺で働く娘・お通(入江若葉)です。お通は宗彭沢庵の寺に捕えられていた宮本武蔵を逃がし、宮本武蔵との新しい人生を選びます。
内田吐夢は映画の冒頭、宮本武蔵(中村錦之助=のち萬屋錦之介)の心情を次のように語らせました。落ち武者狩りから逃げ、山小屋で本位田又八(木村功)と隠れる場面です。
映画【宮本武蔵】
故郷に戻り、村人に捕えられた宮本武蔵(中村錦之助=のち萬屋錦之介)は、宗彭沢庵(三國連太郎)によって寺の千年杉にくくりつけられます。暴れる宮本武蔵に宗彭沢庵はこう人生を説きます。
映画【宮本武蔵】
DVD【真剣勝負】
(イタリア盤)
内田吐夢は剣客映画を監督する前後から、のちに古典芸能4部作と称されることになる監督作を発表します。
【暴れん坊街道】(1957年)、【浪花の恋の物語】(1959年)、【妖刀物語 花の吉原百人斬り】(1960年)、【恋や恋なすな恋】(1962年)です。
それぞれ、近松門左衛門作の人形浄瑠璃【丹波与作待夜の小室節】、同じく近松門左衛門作の人形浄瑠璃【冥途の飛脚】と同作を歌舞伎化した【恋飛脚大和往来】、歌舞伎【籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)】、人形浄瑠璃【芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)】と清元【保名狂乱】を題材としています。
遺作は、宮本武蔵と彼に敗れた鎖鎌の使い手・宍戸梅軒(ししどばいけん)とその家族をドキュメンタリータッチで描いた【真剣勝負】(1971年〔東宝〕配給)となりました。脚本は伊藤大輔です。
同作は宮本武蔵5部作の番外編に位置付けられています。
戦前に人気を博した歴史・時代小説の金字塔、大菩薩峠と宮本武蔵を戦後に監督した内田吐夢。その両作では原作に忠実に、剣客を自負する者とその剣客の思いあがる心を諌める者とを対比的に描きました。