歴女に人気の城下町

東京都の城下町・江戸(千代田区)

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毎年、国内外から多くの観光客が訪れる大都市「東京」(とうきょう)。この東京で、定番の観光名所のひとつとなっているのが「江戸城」(えどじょう)です。
江戸時代に「江戸幕府」(えどばくふ)の政庁として機能していた江戸城は、明治時代以降に「宮城」(きゅうじょう:天皇の住居)となり、現在では江戸城跡一帯が「皇居」(こうきょ)と呼ばれています。大都市の中央に位置しながら、緑豊かな敷地が広がる江戸城内には、江戸時代の遺構が残っており、江戸の歴史を感じながら散策を楽しむことができるスポットです。
また、江戸城を囲むお堀沿いの道は、綺麗に舗装されていることから、ランニングに最適。お堀沿いを走ることを「皇居ラン」と呼び、ランナー達からも親しみを込めて呼ばれています。歴女のランナーなら一度は走ってみたいコースではないでしょうか。都民の憩いの場でもある江戸城と、城下町の歴史や観光スポットをご紹介します。

江戸から東京へ! 現代につながる町づくり

江戸時代から始まった日本の中心都市は、現在の「東京」(とうきょう)でさらなる発展を目指し成長しています。ここでは、江戸時代の徳川将軍家がどのように城下町をつくり上げたのか、その歴史をご紹介します。

江戸幕府を支えた徳川将軍家の居城

もともと「江戸城」(えどじょう)は、1457年(長禄元年)に関東地方を中心に割拠していた「扇谷上杉氏」(おうぎがやつうえすぎし)が、家臣の「太田道灌」(おおたどうかん)に命じて築かせた平山城(ひらやまじょう:丘陵などに築城された城)でした。当時は、質素な「」(やぐら:防衛用の建築で、矢の発射台などに使用された)があるだけの小さな城だったと言われています。

戦国時代になると「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)が全国統一を目指すなかで、1590年(天正18年)に「徳川家康」(とくがわいえやす)が、「小田原の役」(おだわらのえき)の功績で関東に転封となり、江戸へ入府することになりました。徳川家康が入った頃の江戸は、荒廃が進み水害も多く、民家もまばらであったと伝わっています。

そして、1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」(せきがはらのたたかい)のあと、1603年(慶長8年)に「江戸幕府」(えどばくふ)を開いた徳川家康は、「天下普請」(てんかぶしん:江戸幕府が全国の諸大名に行なわせた城郭・土木工事)によって、大規模な河川の整備と城郭の拡張を図りました。城郭の増築は徳川家康の死後も続き、約60年もの歳月をかけ、江戸城は雄大な城へ変貌を遂げていったのです。こうして、江戸は徳川将軍家の本拠地として、天下一を誇る江戸城を中心に発展していきました。

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江戸城下町の歴史

徳川家康

徳川家康

1603年(慶長8年)に「征夷大将軍」(せいいたいしょうぐん)となった徳川家康は、行政府として江戸を発達させるために、城郭同様に諸大名に江戸の市街地普請を命じます。

埋立事業や河川・港湾整備を行なうなど、大規模な拡張工事を開始。それに伴い、各地の旗本や御家人の家族が居住することで、町人も呼び寄せられ、江戸は市街地として急速に発展するのです。

そののち、1635年(寛永12年)に「参勤交代」(さんきんこうたい)が開始されると、大名とその家族のための武家屋敷が建設され、城下町としての姿ができあがっていきます。当初、江戸城の南西から北側にかけて広がる「山の手」(やまのて)には武家屋敷がありました。そして、東側の河川に面する「下町」(したまち)には町人が多く暮らしていたと言われています。

江戸時代初期の江戸の範囲は、現在の東京都千代田区周辺まででしたが、1657年(明暦3年)の「明暦の大火」(めいれきのたいか)のあとに行なわれた再建事業によって、市街地は墨田川を超えて拡大を続け、江戸時代中期には人口が100万人を超えるようになりました。

城下町のひとつ浅草

城下町のひとつ浅草

この頃になると、武家屋敷や町人の民家の所在は入り乱れ「江戸八百八町」(えどはっぴゃくやちょう)と呼ばれるようになります。

こうして、江戸は多種多様な町として人口増加を続け、江戸時代後期には、すでに世界有数の大都市となっていました。

また、江戸城は室町時代の築城時から、寺社とのつながりが深い城でもあります。

太田道灌による江戸城築城時には、城の周囲に寺社を建立し、軍事と信仰の両面での防御を図っていたと言われています。

そして、徳川家康が入府してからの江戸城改築の際には、さらに多くの寺社が造営されました。全国から江戸に集まってきた人々の生活、治水工事や築城の安全と成功祈願など、寺社には信仰の面で支える役割があったのでしょう。なお、江戸時代の江戸城下町には、1,000を超える寺院が存在したと言われています。

天海の宗教政策による江戸設計

南光坊天海

南光坊天海

天海」(てんかい)は、安土桃山時代から江戸時代初期の「天台宗」(てんだいしゅう)の僧侶で、徳川家康の側近として江戸幕府初期の政策に関与。

徳川家康は、江戸を本拠地に幕府を構えるにあたり、天海の意見を多く取り入れています。

天海は、中国の「四神相応」(しじんそうおう:四方の方角を司る4神のこと)の思想をもとに、東に墨田川、西に東海道、南に江戸湾、北に富士山がある江戸こそが幕府開設に適する地として、江戸の都市計画を支えました。

天海は、江戸城の「鬼門」(きもん)と「裏鬼門」(うらきもん)の鎮護(ちんご:外敵や災難から守ること)を重視し、鬼門である北東に「寛永寺」(かんえいじ)を、裏鬼門である南西には「増上寺」(ぞうじょうじ)を創建。寛永寺の住職を天海が務め、増上寺を「徳川家」(とくがわけ)の菩提寺としました。他にも、城門がある要所に「平将門」(たいらのまさかど)を祀った神社や塚を設置し、邪気が江戸城内に入り込むのを防ぐ宗教政策を行なっていったのです。

また天海は、謎に満ちた人物で「足利将軍家の末裔」とする説や「生き残った明智光秀[あけちみつひで]である」という説、「100歳以上生きた」といった様々な逸話と共に語られています。

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江戸文化の発信地にもなった「吉原遊郭」

江戸幕府開設にあたり、徳川家康が東海地方から多数の家臣団を率いて江戸に入ったため、江戸の都市機能は急速に進展して活気付きました。このとき、駿府(すんぷ:現在の静岡県静岡市葵区)城下町にあった遊郭の一部を江戸に移転したことが「吉原遊郭」(よしわらゆうかく)のはじまりとされています。当初、江戸中に点在していた「遊女屋」(ゆうじょや)は、市街地整備のたびに移転を強制されていたため、江戸幕府に遊郭の設置を求めるようになりました。

そして、1617年(元和3年)に江戸初の遊郭「葭原」(よしはら:のちの吉原)の設営が許可されたのです。このとき、江戸幕府が提供した土地は、日本橋葺屋町(にほんばしふきやちょう)の区画(現在の日本橋人形町2、3丁目の日本橋富沢町付近)で、海岸近くに葦(よし)が茂る場所であったことから「吉原」(よしわら)の名が付きました。

江戸幕府は1656年(明暦2年)10月、再度、吉原遊郭に移転を命じ、日本堤(にほんづつみ:現在の東京都台東区)に新たな遊郭を設立させました。こうして、かつて日本橋に存在した吉原遊郭は「元吉原」(もとよしわら)と呼ばれ、新たにできた遊郭は「新吉原」(しんよしわら)と区別して呼ばれるようになったのです。ちなみに、落語などで語られる吉原は、この新吉原を指しています。

この新吉原に移転したあと、新吉原には近畿地方の遊女達が移ってきたことで、遊女の数が一気に増えました。人数の多さから、従来の区分けでは遊女達を統制できなかったため、「太夫」(たゆう)、「格子」(こうし)、「散茶」(さんちゃ)、「埋め茶」(うめちゃ)といった階級が生まれます。なかでも上位の階級だった、太夫、格子を相手にするには、高額の費用が必要でした。

しかし、高額過ぎたことから客を呼び込むことが難しくなり、1760年(宝暦10年)に、太夫と格子の階級はなくなります。太夫と格子がなくなると、散茶が上位の階級になり、散茶は「花魁」(おいらん)と名付けられ、花魁が吉原遊女の最上位の階級になりました。歴女の皆さんも、花魁という言葉や、彼女達の独特な着物の着こなしを目にしたことがあるのではないでしょうか。

そして、吉原遊郭には新たな文化の発信地としての役割もありました。様々な「髷」(まげ)や衣装が吉原遊郭から始まっており、これらは歌舞伎などの芸能と共に、江戸市中で評判となります。また、遊郭を通して男女間の様々な人間模様や、悲喜交々は芝居や「浄瑠璃」(じょうるり:三味線を使用した音楽演劇)となり、唄われていったのです。

吉原遊郭の歴史は、1957年(昭和32年)4月に「売春防止法」(ばいしゅんぼうしほう)が施行されるまで、およそ340年に亘り江戸で続きました。

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歴女が巡る! 江戸城下町の観光スポット

東京と言えば日本の文化、ファッションなどあらゆる情報、流行の発信地。その流れは日本国内に留まらず、海外にも影響を与え、毎年たくさんの観光客が訪れています。ここでは、見逃せない観光スポットの江戸城と歴史ある神社をご紹介します。

歴女なら一度は訪れたい江戸城

江戸城の城跡すべてが、「皇居」(こうきょ)の敷地と思われているかもしれませんが、実は江戸城西の丸跡が皇居の敷地であり、それ以外の天守や本丸、二の丸、三の丸跡が「皇居東御苑」(こうきょひがしぎょえん)として一般に開放されています。

歴女必見の、徳川将軍家が築いた天下一の城郭について解説していきましょう。まずは、江戸城の正門である「大手門」(おおてもん)。徳川家に仕える大名達は、この門をくぐって江戸城に入りました。正門という重要な門であるため、常時数十名の武士が警護にあたっていたと言われています。

また、江戸城の裏門は「平川門」(ひらかわもん)と呼ばれ、徳川家康が江戸城を改修する以前からある古い城門です。江戸時代には、大奥の女性達や重臣の通用門として使用されていました。歴女ならば、正門だけでなく裏門も必ずチェックしておきたいポイントです。

江戸城内で次に観ておきたい鑑賞スポットが「番所」(ばんしょ)です。番所とは、警備の待機場所を指し、江戸城内にはいくつかの番所が設置されていました。大手門近くにある番所は「同心番所」(どうしんばんしょ)と呼ばれている場所で、登城した大名の付き人の動向を監視していた場所だと言われています。この近くには「百人番所」(ひゃくにんばんしょ)と呼ばれる番所もあり、常時100人の警護が配置されていたことから、この名で呼ばれていました。

さらに、本丸へと続く道を進むと最後の番所が見えてきます。ここは「大番所」(おおばんしょ)と言い、城の最奥部にある極めて重要な番所です。本丸付近にあるため、背後の石段から射撃もできるような仕組みになっています。このように、手薄になる場所を作らないよう、城のいたる所に番所が配置されていました。

江戸城 富士見櫓

江戸城 富士見櫓

そして、歴女に知っておいてもらいたい江戸城内の見所と言えば、やはり櫓です。

江戸城には3基の櫓が現存しており、そのうち本丸跡に残る櫓は「富士見櫓」(ふじみやぐら)と言い、3基のなかでは唯一の三重櫓。江戸城内で最古の遺構であり、1657年(明暦3年)に発生した明暦の大火のあとは、天守として代用されていたと伝えられています。

また、西の丸跡にある「伏見櫓」(ふしみやぐら)は、1628年(寛永5年)に京都の「伏見城」(ふしみじょう)から移築された櫓で、城内で最も美しい櫓とされていたことから「月見櫓」(つきみやぐら)という名でも呼ばれていました。

そして、三の丸跡に残るのが「桜田巽櫓」(さくらだたつみやぐら)。この桜田巽櫓は、東南(辰巳)の方角にあることから、この名が付けられたと言われています。江戸城散策の際は、この3基の櫓に注目してみましょう。

また、江戸城の「天守台」(てんしゅだい)も見所です。明暦の大火で焼失してしまった天守は、城下町の復興が優先されたため再建されませんでした。現在、残る石垣は、「加賀藩」(かがはん)の藩主「前田綱紀」(まえだつなのり)によって再建された石垣です。

江戸時代の代表的な100藩を治世などのエピソードをまじえて解説します。

歴女を魅了する神田神社のお祭り

神田神社

神田神社

東京都千代田区外神田にある「神田神社」(かんだじんじゃ)は、江戸っ子達から「神田明神」(かんだみょうじん)の名で親しまれている神社。

例大祭である「神田祭」(かんだまつり)は、毎年5月に開催され、「江戸三大祭り」のひとつにも数えられています。

他の2社は、東京都江東区富岡の「富岡八幡宮」(とみおかはちまんぐう)の「深川八幡祭」(ふかがわはちまんまつり)と、東京都千代田区永田町の「日枝神社」(ひえじんじゃ)の「山王祭」(さんのうまつり)です。

また神田祭と山王祭の祭行事が、江戸城に入ることを許されていたため「天下祭」(てんかまつり)とも呼ばれており、江戸っ子にとって特別なお祭りとして親しまれていました。

神田神社の歴史は古く、創建は730年(天平2年)と伝えられています。ご祭神に「大己貴命」(おおなむちのみこと)、「少彦名命」(すくなひこなのみこと)、「平将門命」(たいらのまさかどのみこと)を祀り、江戸城を築城した太田道灌や徳川家康など、多くの武将から信仰を集めていた神社です。神田神社は、江戸幕府開府後に、江戸城の「表鬼門」(おもてきもん)にあたる現在地に遷座(せんざ:神体の場所を移すこと)され、江戸幕府の総鎮守として崇敬を集めました。

神田祭と日枝神社の山王祭は、神輿を1年交代で使用する決まりになっています。江戸時代から続く神田祭は、「山車」(だし)が有名な祭典でしたが、現代では交通規制の都合上、山車の代わりに「神輿」(みこし)が使用されるようになりました。

神田祭の見所と言えば「神幸祭」(しんこうさい:神霊が他所へ出る際に行なわれる祭礼)です。江戸っ子達が、華やかな神輿を担いで30㎞の距離を練り歩きます。そして、神幸祭の翌日行なわれる「神輿宮入」(みこしみやいり)が、神田祭に欠かせない最後の見せ場です。各地区を巡行した多数の神輿が、朝から晩まで神田神社に「宮入」(みやいり:祭礼の練り物が境内に入ること)します。煌びやかな神輿と、担ぎ手の熱気あふれる神田祭は、江戸時代は「江戸の華」と称されていました。

歴女も注目!日枝神社の祭礼行列

お祭り好き歴女ならば、日枝神社にも訪れましょう。日枝神社で毎年6月に行なわれる山王祭は、神田祭と共に、江戸三大祭りと天下祭に指定されている伝統あるお祭りです。日枝神社が創建された年は明確には分かっていませんが、太田道灌が江戸城を築城する際に、現在の埼玉県川越市にある「川越日枝神社」(かわごえひえじんじゃ)を城内に勧請したことに始まると言われています。

しかし、山王祭は神田祭よりも古い歴史を持つ祭典と伝えられていることから、奈良時代にはすでに成立していたのではないかとも考えられます。

日枝神社は、徳川家康によって江戸幕府開設後に、城内から城外へと遷座され、江戸城の鎮守となりました。1615年(元和元年)には、山王祭の山車や神輿が江戸城内に入ることが許可され、2代将軍「徳川秀忠」(とくがわひでただ)もお祭りの様子を上覧していたと伝わります。

山王祭

山王祭

このように、日枝神社は幕府から手厚い保護を受けていたこともあり、お祭りの際は行列の集合や、経路などが厳しく定められていました。

江戸っ子に「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と謳われていた通り、山王祭は総勢500名にも上る氏子が参加し、300mに及ぶ祭礼行列が特徴的なお祭りです。

江戸1番の氏子域を誇る日枝神社の山王祭へ参加して、歴女の皆さんも江戸っ子気分を味わってみてはいかがでしょうか。

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