明治・大正生まれの刀剣・歴史映画監督(時代劇映画監督)

小林正樹

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【切腹】や【上意討ち 拝領妻始末】などの時代劇映画を監督した小林正樹(こばやしまさき)。
第2次世界大戦の応招経験に基づいた反戦映画で名を成し、その時代劇映画では武家の理不尽さを描き出しました。そこでは中間管理職の恐ろしさ、武家が抱える根源的な危うさをあぶり出します。

計9時間31分の長編反戦映画で国際的評価

小林正樹は大学卒業後、太平洋戦争が始まった年に松竹に入社します(1941年)。映画への関心は女優で映画監督の田中絹代(松竹)の又従弟だったことも影響しています。入社すると野村芳太郎(代表作:【砂の器】、【八つ墓村】など)が同期にいました。

入社の翌年、応招し、第2次世界大戦終結後は松竹に復職します。現場復帰後は木下惠介(当時代表作:【カルメン故郷に帰る】。のち代表作:【二十四の瞳】、【楢山節考】など)のもとで修業します。そして中編で監督デビュー後(1952年)、青春映画【まごころ】(木下惠介脚本)で長編監督デビューしました(1953年)。

DVD-BOX【人間の條件】より

DVD-BOX【人間の條件】
より

以後、監督作では主に社会問題を取り上げます(安部公房脚本【壁あつき部屋】、小野稔原作【あなた買います】、岸田國士原作【泉】、富島健夫原作【黒い河】)。そして反戦映画【人間の條件】が初期の代表作となりました(1959~1961年〔松竹〕配給)。

原作は五味川純平です。実体験に基づく第2次世界大戦下の満州(現在の中国東北部)での暮らしと大戦終結後のシベリア抑留生活が描かれます。全6部のこの長編小説を、小林正樹は計9時間31分の3作品という長さで映画化しました。

同作の1作目(第1部・第2部)は、第21回ヴェネツィア国際映画祭でサン・ジョルジョ賞とイタリア批評家賞を受けています(1960年)。

製作には女優3名(松竹の岸惠子、東宝の久我美子と有馬稲子)を中心に結成された「文芸プロダクションにんじんくらぶ」がかかわっています。

滝口康彦の短編時代小説【異聞浪人記】

小説【異聞浪人記】より

小説【異聞浪人記】より

そして、南条範夫の推理小説を原作とする【からみ合い】(第17回英国アカデミー賞・国連平和賞受賞)を経て、自身初の時代劇映画に取り組みます。

原作は滝口康彦の短編の時代小説【異聞浪人記】です。第54回サンデー毎日・大衆文芸賞受賞作です(1958年度下半期)。

同短編は江戸時代中期に記された逸話集【明良洪範】に基づき、太平の世に流行したとする狂言切腹を採り上げます。貧しさから裕福な大名屋敷を訪ねる浪人の行為です。切腹の場として庭先を借りる申し出をするもあらかじめ拒否されることを想定し、代わりに金子(きんす:*金銭のこと)をせびります。

小説での時代設定は、徳川家光江戸幕府第3代将軍)政権下とされます。改易(*大名の身分や領地を奪う刑罰)が推し進められ、牢人(*江戸時代中期以前に主家を去り扶持を失った武士の表記。一般的な表記では浪人)が大量に発生した時代です。

主人公は豊臣秀吉の重臣・福島正則広島城の無断修復を理由に江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠に改易される)の元・家臣です。

時代劇映画【切腹】

滝口康彦の短編を小林正樹は【切腹】(1962年〔松竹〕配給)の表題で映画化します。

脚本を橋本忍(当時の代表作:黒澤明監督作【七人の侍】、自身監督作【私は貝になりたい】など)が手がけます。第16回カンヌ国際映画祭にも出品され、審査員特別賞を受けています(1963年)。

映画版では、原作以上に回想場面が巧みに取り入られます。

Blu-ray【切腹】より

Blu-ray【切腹】より

主人公の浪人・津雲半四郎(つくもはんしろう:仲代達矢)は、井伊直孝(彦根藩第2代藩主)の江戸屋敷を訪れ、狂言切腹を申し出ます。

対応した井伊家家老・斎藤勘解由(さいとうかげゆ:三國連太郎)は、つい先日、同様に狂言切腹を申し出た若い浪人の話をします。若い浪人を屋敷に迎え入れ、本当に切腹へと至らせていました。狂言切腹への忌々しさ、武家の誇りからでした。

切腹させた若い浪人が腰に差していたのは、貧しさゆえの竹光でした。それでも斎藤勘解由は切腹を強行させます。介錯を務めた沢潟彦九郎(おもだかひこくろう:丹波哲郎)も必要以上に介錯を長引かせました。

その竹光で切腹させられた若い浪人は、津雲半四郎が亡き旧友に託された子で、娘婿に迎えた千々岩求女(ちぢいわもとめ:石濱朗)でした。病の妻と幼子のため、金策に奔走した末の狂言切腹でした。

津雲半四郎の自邸に娘婿が亡骸で帰宅したあと、娘も孫も共に病でこの世を去ります。津雲半四郎は家族の無念を晴らすため井伊家を訪ねていたのです。

武家の面目よりも評判・体裁

津雲半四郎(仲代達矢)の本懐を知ると、家老・斎藤勘解由(三國連太郎)は武士の面目よりも、ことの解決を急ぎます。実は津雲半四郎は井伊家を訪れる前、沢潟彦九郎(丹波哲郎)らと密かに立ち合い、娘婿の介錯にかかわった計3名のもとどり(髷を束ねた部分)を切って持参していました。

その事実を知った斎藤勘解由は、井伊家の評判、藩主の顔色を重んじます。中間管理職の打算が描かれます。

白洲。井伊家の庭に座った津雲半四郎、縁座敷の斎藤勘解由へ語る。互いの考えを話すも意見は合わない。そんななか津雲半四郎、沢潟彦九郎ら三束のもとどりを懐から放り、井伊家の武士の面目をあざ笑う。

津雲半四郎
赤備えの武勇などとは言いながら、井伊家のご家風もしょせん武士の面目の上辺だけを飾るもの(高笑い)」

斎藤勘解由、その事実に驚愕し、その意味を思い巡らす。切腹など厳格に礼節を重んじる武士の面目などかなぐり捨て、決意する。

斎藤勘解由
「乱心者、切り捨てぃ」

斎藤勘解由、立ち去り、屋敷の奥で津雲半四郎と家臣の斬り合う声を聞く。
津雲半四郎、多勢のなかひとりで立ち回る(敵から奪ったで奮闘、砂をかける、自身の抜刀、投げられた槍をよける、井伊家の家紋を背にして奮闘、敵の額を横一文字に斬る、斬った敵が井伊家の家紋を血で汚す)。
部屋の奥でじっと待つ斎藤勘解由。
再び庭の場面。息の上がる津雲半四郎、少しずつ斬られていく。足元がおぼつかないまま、屋敷の奥へ。飛び込んだ先には大勢の手練がいた。それでもあきらめず力を振り絞り、立ち向かう。
津雲半四郎、さらに部屋の奥へ。転がり込むと、そこには井伊の赤備えの甲冑があった。一突きされた津雲半四郎、その赤備えの甲冑を抱きゆっくりと歩く。

井伊家家臣たち
「引けぇー」

井伊家家臣ら一斉に下がると鉄砲隊三名登場。津雲半四郎、抱えていた赤備えの甲冑で一瞬身を守ろうとするも鉄砲隊の構えを見て、赤備えの甲冑を投げ捨てる。そして、本差で切腹する。
鉄砲の放たれた音が響く。
部屋にひとりこもっていた斎藤勘解由、その音を聞いた。

映画【切腹】より

武士の面目への後悔

津雲半四郎(仲代達矢)は斎藤勘解由(三國連太郎)との会話のなかで、かつての自身の主君が受けた処遇、自身の処遇について言葉を発します。

そのことは娘婿に情けのなかった井伊家に対してでもあり、竹光になるほどの娘婿の窮状に気付けず、自身は後生大事に刀を守り続けていた後悔にも受け取れます。

白洲。井伊家の庭に座った津雲半四郎、縁座敷の斎藤勘解由へ語る。

津雲半四郎
「仮借なき幕府の政略のため罪なくして主家を滅ぼされ、奈落の底にうめきあえぎうごめいて浪人ものの悲哀など衣食に憂いのない人にはしょせんわからん。求女が未練を真に苦々しく思う人があろうと、逆に自分がその立場に立ったとき、果たしてどれだけのことができよう。しょせん武士の面目などと申すものは、単にその上辺だけを飾るもの」

映画【切腹】より

滝口康彦の短編時代小説【拝領妻始末】

小説【拝領妻始末】より

小説【拝領妻始末】より

小林正樹は自身初のカラー映画となった小泉八雲原作【怪談】(第18回カンヌ国際映画祭・審査員特別賞受賞)を経て、松竹を退社します(1965年)。

そして、再び滝口康彦を取り上げます。短編【拝領妻始末】です。

同短編では、会津藩第3代藩主・松平正容(まつだいらまさかた)の側室・お市の方の意地が描かれます。

お市の方は許嫁がいたものの引き離され、藩主の子を産みます。けれども藩主は新しい側室に入れ揚げ、反発したお市の方を笹原家嫡男へ下賜(かし:身分の高い者が身分の低い者へ与えること)しました。側用人・高橋外記(たかはしげき)は、物頭(ものがしら:足軽隊率いた武将職)の家・笹原伊三郎(ささはらいさぶろう)へ嫡男にお市の方を、妻いちとして迎えるよう命じます。

笹原家では、養子の笹原伊三郎の肩身は狭く、彼の妻・すがは、いちにつらくあたります。けれども息子夫婦は娘をもうけるなど仲睦まじい日々を過ごします。

平穏な日々が続いていたなか、藩主の嫡男が急逝したことで、若い夫婦の人生は急転します。いちが藩主との間に産んでいた子が世継ぎとなり、いちは生母として再び奥へ呼び戻されることになります。

このとき、いちは強引なやり口で奥へ連れ戻されました。そして、その帰還の嘆願を迫った笹原親子は、知行召し上げ(*石高没収)に永押込め(ながのおしこめ)の刑(*座敷牢への軟禁)となりました。けれどもいちはお市の方として重んじられることはなく、美崎(みさき)の名に改めさせられ、老女(*侍女の筆頭)職として無念な暮らしを強いられます。

時代劇映画【上意討ち 拝領妻始末】

DVD【上意討ち 拝領妻始末】より

DVD【上意討ち 拝領妻始末】より

滝口康彦の原作小説は【上意討ち 拝領妻始末】(1967年〔東宝〕配給)の表題で映画化されます。

脚本は橋本忍です。製作には三船プロダクションがかかわりました。

同作は、第28回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受けます(1967年)。第41回キネマ旬報ベストテンでは日本映画監督賞と脚本賞、日本映画ベストテンで1位を獲得しました(1967年度)。

映画版では、馬廻り藩士とした笹原伊三郎(三船敏郎)が主人公です。妻・すが(大塚道子)に遠慮しながらも、息子・笹原与五郎(加藤剛)とお市の方=いち(司葉子)の息子夫婦の生き方に魅せられ、養子暮らしのなかで忘れていた武士の誇りを取り戻していきます。

また、笹原伊三郎は剣客とされます。表題に加えられた「上意討ち」に準ずる重臣へ刀を振るう場面も描かれます。

笹原伊三郎の親友として、国廻り支配で剣客の浅野帯刀(仲代達矢)も独自に登場します。やがて対立することになる剣客の親友同士の行く末も、表題「上意討ち」に準ずる刀の場面として描かれました。

都合の良い武家の面目

笹原伊三郎(三船敏郎)と笹原与五郎(加藤剛)親子は、藩主・松平正容(松村達雄)に従順な側用人・高橋外記(神山繁)と家老や笹原家一門の長の不条理な命に逆らい続けます。

命を賭けた笹原伊三郎の行動に対し、高橋外記の実際の振舞いは武士の名に恥ずものでした。お市の方を説得の材料に使います。藩主を重んじるあまり、礼節を重んじる武士の面目などありません。中間管理職の恐ろしさが浮かび上がります。

嘆願を取り下げない笹原親子のもとに、高橋外記、お市の方を連れて訪れ、藩主の命を伝える。

お市の方=いち
「いちは笹原与五郎の妻として、夫の与五郎殿と父上伊三郎殿の助命を老女の吉野を通じて殿に嘆願。決してご世子様の母としての願いではなく、いちは、いちはいまだに笹原与五郎の妻にございます」

その決意を受け止める笹原親子。

高橋外記
「開けたところを申せば、お市の方様の申される通りだ。しかし拙者は直々殿にお目通りをし、もしお市の方様が笹原家の者としてではなく、ご世子様の母君として笹原の者たちの一命を相お助け下さるよう嘆願あれば、切腹の儀は押し込めに変替えの旨、しかとご内諾を得てきておる」

笹原伊三郎
「ふん、拙者にはなんのことやらさっぱりわからぬが」

笹原与五郎
「拙者にもとくと」

笹原伊三郎
「お側用人様、お話の筋、拙者らにはいささか腹にはまりかねまするが」

高橋外記
「事は簡単にして明瞭だ。もしお前たち二人がいちはすでに笹原家の者ではなく、はっきりと返上した者と認めるならばそのお市の方様のお取り成しによって一命は相助かり軽きお咎めと相なる。いちの返上を認めて一命を助かるか。それとも認めずに藩の追手をどこまでも迎えるのか。その二つに一つだ」

映画【上意討ち 拝領妻始末】より

剣客の意地も描く

映画版では、笹原伊三郎(三船敏郎)と浅野帯刀(仲代達矢)の親友同士による対決が最大の山場です。武門の意地が描かれます。

そこには表題に加えられた「上意討ち」以上の世界観が強調されます。

関所を越えて江戸へ向かおうとする孫娘のとみを抱いた笹原伊三郎。その前に立ちはだかる浅野帯刀。

浅野帯刀
「藩の公幹または道中切手なくして、この国境の一ノ木戸を超えられるのだな」

笹原伊三郎
「左様」

浅野帯刀
「しかしそれは拙者の役目柄、またそれにかかわる武門の意地もあってお通しはできぬ。強いて通られるとあらばその木戸破り、拙者一命にかけても相防がねばならぬが」

*****

浅野帯刀
「お主が破れ、拙者が残る。それの方が」

笹原伊三郎
「何?」

浅野帯刀
「伊三郎、勝負を譲れ、とみのために」

笹原伊三郎
「いやどれほどお主の腕が立ち、またどのように守りが固くとも、それを打ち破り、拙者ととみは江戸へゆくのだ」

浅野帯刀
「ならば、ならば勝つ。必ず、必ず共に拙者がな」

映画【上意討ち 拝領妻始末】より

その後の小林正樹

小林正樹はその後、遠藤周作原作【日本の青春】を経て、黒澤明・木下惠介・市川崑の映画監督の面々と「四騎(しき)の会」を結成します(1969年)。時代は東京オリンピック(1964年)以降、大衆娯楽の中心が映画からテレビへと完全に移っており、映画監督もフリーの時代へと移行していました。

「四騎の会」では黒澤明初のカラー映画【どですかでん】(山本周五郎原作)の共同脚本や、テレビドラマの演出を手がけます。小林正樹は四騎の会ドラマシリーズでは第2作目を担当し、井上靖原作【化石】を演出しています(1975年)。

DVD【いのちぼうにふろう】より

DVD【いのちぼうにふろう】より

その後は、時代劇映画では江戸時代を生きるならず者達を描いた山本周五郎原作【いのちぼうにふろう】(1971年〔東宝〕配給)を監督。製作には俳優座が名を連ねます。同作は第14回タオルミーナ・フィルム・フェストで審査員特別賞を受けました(1971年)。

五木寛之原作【燃える秋】を経て、社会派映画を監督し続けます。

ドキュメンタリー映画【東京裁判】(第35回ベルリン国際映画祭・国際評論家連盟賞受賞)、そして学生運動を描いた円地文子原作【食卓のない家】が遺作となりました(1985年)。

生涯、社会派映画を撮り続けた小林正樹。その代表的な時代劇映画では、武家の理不尽さを描く原作を取り上げたうえで、そこからさらに武家に潜む恐ろしさをあぶり出しました。

著者名:三宅顕人

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