戦国武将の隠し湯

明智光秀など戦国武将が利用した温泉
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明智光秀など戦国武将が利用した温泉 明智光秀など戦国武将が利用した温泉
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隠し湯を多く持っていた武田信玄や戦国三英傑以外にも、隠し湯や温泉と馴染みの深い戦国武将は多くいました。合戦で負った傷や疲れを癒すために利用された温泉は湯治として本物の湯と言われており、実際どのような温泉が隠し湯として使われていたのか、名だたる戦国武将ゆかりの温泉をご紹介します。

明智光秀と山代温泉

石川県加賀市にある「山代温泉」は、725年(神亀2年)に開かれた歴史ある温泉です。薬王院温泉寺に七堂迦藍(しちどうがらん)が建ったことで広く知られるようになりました。都にまで山代温泉の噂は届き、京都から山代温泉に訪れる人は多かったと言います。

戦国時代には「明智光秀」が、戦で負った傷を癒すために10日間に亘り山代温泉に滞在。明治時代以降には、詩人の「与謝野晶子」(よさのあきこ)、芸術家の「北大路魯山人」(きたおおじろさんじん)など多くの著名な文化人が訪れるなど、温泉地としての知名度が高くなりました。

山代温泉:山代温泉 古総湯

古総湯

古総湯

古総湯(こそうゆ)は、明治時代の総湯を再現した共同浴場であり、地元の人々が集う温泉です。

当時の温泉を体験してもらうため、一般的な温泉とは異なり、シャワー等の設備はありません。

源泉かけ流しの温泉で、入浴方法も明治時代の形式を体験できる施設です。

温泉名称 古総湯 連絡先 0761-76-0144
所在地 石川県加賀市山代温泉18-128

加藤清正と平山温泉

平山温泉」は、熊本県山鹿市の山里にある温泉です。起源は延暦年間(8世紀)ごろに開かれた古い歴史を持つ温泉とされ、「肥後国史」により流行り病の皮膚病で悩んでいた住民達が、阿蘇大明神に祈ったことで温泉が湧き出たとあります。

アルカリ性の単純硫黄泉が特徴の皮膚に良いとされる温泉で、賤ヶ岳の七本槍のひとり「加藤清正」(かとうきよまさ)も、汗疹(あせも)を治すために平山温泉を訪れたと伝えられています。

平山温泉:温泉旅館 奥山鹿

温泉旅館奥山鹿(おくやましか)は、単純硫黄温泉で湧出温度が60度あり、温度が高め。白い湯の花が浮かんでおり、美人の湯として知られる歴史のある湯治の温泉です。アルカリ性の泉質で湯上がりは肌がしっとりするので女性に喜ばれます。

温泉名称 温泉旅館 奥山鹿 連絡先 0968-44-0588
所在地 熊本県山鹿市平山235

前田利家と草津温泉

日本の三大名泉に数えられる「草津温泉」は、有名な温泉だけに訪れた戦国武将や有名人も多くいます。「豊臣秀吉」が「徳川家康」に草津入湯を勧めた書状も残るなど豊臣方に好まれていたようで、妹の「朝日姫」、甥の「豊臣秀次」(とよとみひでつぐ)、「丹羽長秀」(にわながひで)などの戦国武将も訪れていました。

織田家に仕えるなど、戦国武将として名高い「前田利家」(まえだとしいえ)も草津温泉に湯治に訪れており、亡くなる1年前の1598年(慶長3年)にも癒しを求めたのが草津温泉でした。

草津温泉:奈良屋

奈良屋

奈良屋

奈良屋は、草津温泉で最古の源泉「白旗の湯」を引いている温泉。

源泉かけ流しで加水をせずに職人の湯守が最適な温度にするための湯もみをします。

お湯はとろみがあり、草津温泉ならではの硫黄の香りも楽しむことができます。

温泉名称 奈良屋 連絡先 0279-88-2311
所在地 群馬県吾妻郡草津町草津396

福島正則と山田温泉

山田温泉」は、安芸(現在の広島県西部)・備後(現在の広島県東部)両国の大名だった「福島正則」(ふくしままさのり)が広島城広島市中区)の無断普請を理由に領地を没収され、長野県の高井野藩に移住した際に見付けたと言われています。開湯は江戸時代中頃になってから行われました。松川渓谷近くの山間にあり、塩分が高いお湯が特徴的です。

長野県上高井郡高山村には、「福島正則屋敷跡」があり、長野県史跡に指定された屋敷跡には「高井山高井寺」(たかいざんこうせいじ)があり、福島正則の遺品が残されています。

山田温泉:信州山田温泉 山田館

信州山田温泉山田館は松川渓谷に臨んでおり、大浴場から季節の景観を楽しむことができます。温泉は源泉200年以上湧き出し続ける無色透明の含硫黄の温泉で、源泉かけ流しのお湯を満喫できます。湯冷めしにくく、肌がさらっとするので女性に人気の温泉です。

温泉名称 山田館 連絡先 026-242-2525
所在地 長野県上高井郡高山村山田温泉3604

浅井長政と須賀谷温泉

滋賀県随一の温泉である「須賀谷温泉」は、浅井氏が居城していた小谷城(滋賀県長浜市)のふもとにある秘湯。湯治目的で「浅井長政」(あざいながまさ)と「織田信長」(おだのぶなが)の妹で浅井長政の妻となった「お市の方」(おいちのかた)が訪れていました。

泉質はヒドロ炭酸鉄泉で神経痛、肩こり、冷え性など疲労回復に効果があるとされています。

須賀谷温泉:須賀谷温泉

須賀谷温泉

須賀谷温泉

須賀谷温泉(すがたにおんせん)は、戦国武将の浅井長政や妻のお市の方が良く利用したとされる温泉。

鉄分を多く含む褐色の温泉と無色透明の温泉の2種類あり、アトピーへの効果や子宝に恵まれる温泉としても有名です。

黒い湯の花が浮かんでおり、とろみがあり肌触りも良いのが特徴。

温泉名称 須賀谷温泉 連絡先 0749-74-2235
所在地 滋賀県長浜市須賀谷町36番地

直江兼続と五色温泉

山形の奥羽山脈の雄大な山中にあり、五色の湯けむりで発見されたと言われる「五色温泉」(ごしきおんせん)は、そのまま温泉の名前になっています。「天武天皇」(てんむてんのう)の時代、すでに温泉があることは分かっていたのですが、実際に温泉として整備されたのは「直江兼続」(なおえかねつぐ)の時代。

直江兼続は、病弱な嫡男(ちゃくなん:正室が最初に生んだ年長の子)のために湯壷を開いたところ、両目共にただれていた嫡男でしたが、五色温泉に浸かることで回復していったと言われています。この話により、五色温泉は広く知られるようになりました。

五色温泉:五色温泉 宗川旅館

宗川旅館

宗川旅館

五色温泉は、源泉かけ流しの温泉で直江兼続ゆかりの湯治場として知られています。

宗川旅館(そうかわりょかん)は、内湯には岩風呂と宿から少し離れた場所に展望露天風呂があり、湯船からの展望は秘湯を思わせる風景です。

日帰りでも露天風呂に入浴が可能なので、武将ゆかりの温泉を堪能できます。

温泉名称 宗川旅館 連絡先 0238-34-2511
所在地 山形県米沢市大字板谷498

島津義弘と吉田温泉

宮崎県内で最も古い温泉である「吉田温泉」は、「島津義弘」(しまづよしひろ)が開いた温泉地。またの名を「鹿の湯」とも言われ、島津義弘自身が訪れただけでなく、伊東氏と衝突した「木崎原の戦い」では、負傷した兵の治癒のために利用されました。

戦国の世を生き抜くために湯治場は必要不可欠な存在であり、吉田温泉は島津家御用達の湯治場でした。時代が経ち、薩摩藩土が足しげく通い、「西郷隆盛」も訪れたと言われています。

吉田温泉:吉田温泉 鹿の湯

鹿の湯は、怪我をした鹿が温泉に浸かったところ、怪我が回復したという言い伝えがあります。島津義弘ゆかりの温泉として湯治効果が期待でき、ぬるめの湯でふんわりやわらかく感じます。

鹿の湯から少し上ったところに島津義弘が温泉を開いたときに建てた湯権現社があり、歴史の重みを感じさせます。

温泉名称 鹿の湯 連絡先 0984-37-1531
所在地 宮崎県えびの市大字昌明寺

ゴルフ・温泉リゾートのご紹介

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宿泊ゴルフが楽しめる養老山系の天然温泉施設です。
会員制リゾートホテル/ホテル多度温泉 レジデンス 新館
会員制リゾートホテル レジデンス新館では、「ホテル1年会員」様を募集しております。
ホテル多度温泉 火水風別館
静かな時間がゆったりと流れる大人の隠れ家で、プライベートな時間をお愉しみいただけます。
東建多度カントリークラブ・名古屋
三重県桑名市多度町のJGTO・LPGA認定のゴルフコース!
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東建コーポレーション株式会社が主催するJAPANゴルフツアー開幕戦「東建ホームメイトカップ」。
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岐阜県可児市にある東建多度CCの姉妹コースです。

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