戦国時代の姫・女武将一覧

お市の方

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戦国時代の覇者「織田信長」の妹であった「お市の方」(おいちのかた)。戦国一と言われるほどの美貌の持ち主であったと伝えられています。お市の方は、最初の夫であった「浅井長政」(あざいながまさ)と兄の織田信長が戦うことになり、夫が兄によって自刃に追い込まれるなど、波乱万丈の生涯を送った女性です。ここでは、戦国の世に翻弄されたお市の方が歩んだ道のりと、その3人の娘達についてもご紹介します。

お市の方の誕生から3人の娘を儲けるまで

お市の方

お市の方

「お市の方」(おいちのかた)は、1547年(天文16年)尾張国(おわりのくに:現在の愛知県西部)の「織田信秀」(おだのぶひで)とその継室(けいしつ:後妻のこと)であった「土田御前」(どたごぜん/つちだごぜん)の間に、五女として生まれました。

兄は「うつけ者」と呼ばれていた「織田信長」です。

天下統一を目指していた織田信長は、近江国(おうみのくに:現在の滋賀県)から美濃国(みののくに:現在の岐阜県南部)を牽制して、同国を平定することを企てます。

そこで織田信長は、北近江で勢力を伸ばしていた「浅井長政」(あざいながまさ)と同盟を結ぶため、1568年(永禄11年)に、妹のお市の方を浅井長政のもとに嫁がせたのです。

政略結婚で浅井長政に嫁いだお市の方でしたが、2男3女を授かったことが伝えられています。

お市の方と浅井長政との間に生まれた「茶々」(ちゃちゃ)と「」(はつ)、そして「」(ごう)と名付けられた3人の娘達は、のちに天下を動かす姫となりましたが、長男「万福丸」(まんぷくまる)と次男「万寿丸」(まんじゅまる)については、お市の方の実子であるのかは明確には分かっていません。

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夫・浅井長政が兄・織田信長を裏切った経緯

浅井長政

浅井長政

1568年(永禄11年)、美濃を平定した織田信長は、室町幕府15代将軍「足利義昭」(あしかがよしあき)を奉じて上洛するために、浅井長政を従えて出陣します。

浅井・織田連合軍は、六角家(ろっかくけ)の居城である「観音寺城」(現在の滋賀県近江八幡市)を攻撃。六角家は猛攻に耐え切れず、南近江へと退却します。

浅井家は、3代に亘って続く朝倉家の同盟国であり、両者の間では不戦の誓いが交わされていました。しかしそれを破り、浅井家が付き従っていた織田・徳川連合軍が、朝倉領に侵攻してしまったのです。

そのため浅井長政は、織田家との同盟を破棄。織田・徳川連合軍を挟撃すべく、朝倉軍と共にその背後から進軍を開始しました。

1570年(元亀元年)の「姉川の戦い」で、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍は激戦を繰り広げ、その結果、織田・徳川連合軍が勝利を収めました。これを機に、浅井・朝倉連合軍は、甲斐国(かいのくに:現在の山梨県)の「武田信玄」や、足利義昭などと織田信長包囲網を形成し、織田家に対抗していくことになったのです。

1573年(元亀4年)、武田信玄が三河国(みかわのくに:現在の愛知県東部)で亡くなったことを好機と見た織田信長は、浅井領へ侵攻。朝倉軍が援軍に駆け付けましたが、織田軍の猛攻に耐えられず撤退を余儀なくされました。織田軍はその背後を追撃し、朝倉家の居城「一乗谷城」(いちじょうだにじょう:現在の福井県福井市)まで攻め込み、朝倉家を滅亡させます。

さらに織田軍は、浅井家の居城「小谷城」(おだにじょう:現在の滋賀県長浜市)を包囲。このとき、浅井長政は織田家から降伏を打診されましたが、これを拒否。小谷城はとうとう落城し、浅井長政は自刃したのです。

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柴田勝家と共に歩んだお市の方の運命

1582年(天正10年)、「明智光秀」の謀反によって起こった「本能寺の変」において織田信長が自刃すると、織田家のなかで後継者問題が起こりました。

柴田勝家

柴田勝家

これを話し合うために行なわれた「清州会議」(きよすかいぎ)では、明智光秀を討ち取った「豊臣秀吉」の影響力が大きく、その思惑通りに進んだと言われています。

同会議では、織田家の跡目を「織田信忠」(おだのぶただ)の嫡男「三法師」(さんぼうし)のちの「織田秀信」(おだひでのぶ)とすることだけでなく、お市の方が、「柴田勝家」と再婚することが決められました。

そしてお市の方は、3人の娘と共に柴田勝家の領地である、越前国(えちぜんのくに:現在の福井県北東部)に移り住むことになったのです。

1583年(天正11年)、豊臣軍と柴田軍が「賤ヶ岳の戦い」(しずがたけのたたかい)で衝突。このとき、柴田軍に属していた前田軍が、戦わずに撤退したことをきっかけに、柴田軍は総崩れ。柴田軍は「福井城」(現在の福井県福井市)へと撤退せざるを得ませんでした。

そのあと柴田勝家は、お市の方と3人の娘に城から逃れるように伝えましたが、お市の方はこれを拒否。その結果、3人の娘は城から逃れることとなりましたが、お市の方は、夫・柴田勝家と一緒に自刃したのです。

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天下を動かしたお市の方の娘「浅井三姉妹」

長女「茶々」は豊臣秀吉の側室へ

長女・茶々は豊臣秀吉の側室となり、2人の男子を生みます。長男の「鶴松」(つるまつ)は2歳で亡くなってしまいましたが、次男の「豊臣秀頼」(とよとみひでより)は無事に成長し、豊臣秀吉の跡を継ぎました。

しかし、豊臣秀吉が亡くなった際、豊臣秀頼は、まだ5歳だったため政務を担うことができず、大老だった「徳川家康」に天下の実権を握られてしまいます。

1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」のあと、豊臣秀頼は豊臣秀吉の遺言に従い、徳川家康の嫡子「徳川秀忠」(とくがわひでただ)の娘「千姫」(せんひめ)と結婚し、徳川家と縁戚関係を結んだのです。

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次女「初」は天下統一仕上げの合戦で和議の使者に

次女・初は、1587年(天正15年)に浅井家の主筋にあたる京極家の「京極高次」(きょうごくたかつぐ)と結婚。

関ヶ原の戦いで京極高次は「大津城」(現在の滋賀県大津市)に籠城し、わずか3,000の兵士のみで西軍の1万5,000の兵士を、1週間に亘って引き付けたのです。結局、京極高次は大津城を開城することになりましたが、西軍を抑えた武功が評価され、若狭国(わかさのくに:現在の福井県西部)を与えられます。

夫の死後、初は出家して「常高院」(じょうこういん)と号し、姉・茶々のいる豊臣方と、妹・江のいる徳川方の仲介役として尽力し、「大坂冬の陣」における和睦交渉では、豊臣方の使者として奔走しました。

三女「江」は将軍の妻となる

三女・江は、「佐治一成」(さじかずなり)や「豊臣秀勝」(とよとみひでかつ)と結婚したのちに徳川秀忠と結婚し、江戸幕府2代将軍の妻となった女性です。

徳川秀忠と江の間に生まれた嫡男「徳川家光」(とくがわいえみつ)は、3代将軍として江戸幕府の基礎を築き、他にも5人の娘は豊臣家前田家などに嫁いでいます。

お市の方が生んだ浅井三姉妹のうち、長女の茶々は大坂の陣で自刃し、次女の初も子どもに恵まれませんでした。そのため、三姉妹のなかで三女の江のみが、浅井家、そして織田家の血筋を残すことができたのです。

徳川十五代将軍のひとり、第3代将軍・徳川家光についてご紹介します。

お市の方

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朝日姫

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天下人「豊臣秀吉」の妹であった「朝日姫/旭姫」(あさひひめ)。すでに尾張国(おわりのくに:現在の愛知県西部)の農民に嫁いでいた朝日姫でしたが、天下を取りたい兄の夢のために、長年連れ添った夫と無理矢理離縁させられ「徳川家康」の正室となりました。ここでは、朝日姫が徳川家康に嫁ぐことになった背景を、天下統一を果たすまでの兄・豊臣秀吉が歩んだ道のりと共に紐解いていきます。

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阿茶局(雲光院)

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「徳川家康」の21人にも及んだ正室・側室のなかで、ひときわ異彩を放つ女性がいます。甲冑に身を包み、徳川家康と共に戦場を駆け抜け、大坂冬の陣では豊臣方との交渉にあたった「阿茶局」(あちゃのつぼね)です。今回は、徳川家康から厚い信頼を受け、表舞台でも裏方としても活躍した阿茶局について、人柄やその生涯を見ていきます。

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綾御前(仙桃[洞]院)

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「上杉謙信」の異母姉であった「綾御前」(あやごぜん)は、上杉家の将来を大きく変えていくこととなった重要人物です。政略結婚や上杉謙信亡きあとの後継者争いなど、上杉家の発展や存続のために、その力を注いでいたと伝えられています。上杉家のために生きたとも言える綾御前は、果たしてどのような人物だったのでしょうか。そこで今回は、綾御前に焦点を当てて、彼女の歴史や生涯について解説します。

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明智煕子

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かつて「明智の妻こそ天下一の美女」という噂がありました。明智とは、戦国武将「明智光秀」のこと。妻は「明智熙子」(あけちひろこ)です。少ない史料をたどっていくと、明智熙子の美貌は東美濃随一で、たいへん心が美しい女性であったことが分かります。明智熙子とはどんな出自で、どのような女性であったのかを詳しくご紹介します。

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荒木だし

荒木だし
「有岡城」(ありおかじょう:現在の兵庫県伊丹市)の城主「荒木村重」(あらきむらしげ)の妻であった「荒木だし」(あらきだし)は、「今楊貴妃」(いまようきひ)と称されるほど、絶世の美女でした。ここでは、荒木だしが壮絶な最期を遂げるまでに、夫・荒木村重をどのように支えていたのか、その生涯を通して見ていきます。

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生駒吉乃

生駒吉乃
「織田信長」の側室にして、その最愛の女性であったと伝わる「生駒吉乃」(いこまきつの/いこまよしの)。織田信長との間に授かった3人の子ども達は、織田家にとって重要な役割を果たし、生駒吉乃は織田信長から正室と同格の扱いを受けていたとも言われています。生駒吉乃に関する記載がある資料は「武功夜話」(ぶこうやわ)しかなく、大変謎が多い女性です。ここでは、そんな生駒吉乃が織田信長に嫁ぐ前から死去する前の行動など、その生涯についてご紹介します。

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犬姫

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「織田信長」の妹と言えば「お市の方」が有名ですが、もうひとりの妹「犬姫」(いぬひめ)をご存知でしょうか?お市の方は「絶世の美女」だったとよく言われますが、その妹の犬姫も美しい女性だったのです。織田信長の戦略によって、2度も政略結婚をさせられるなど、波乱万丈な人生を歩んだ犬姫の生涯をご紹介します。

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栄姫

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お江(崇源院)

お江(崇源院)
ドラマなどでも取り上げられることが多い有名な「お江」(おごう)こと「崇源院」(すうげんいん)。権力がひしめき合う時代で、女性のなかでも特に強い権力を持っていました。しかし、彼女は生まれながらにして順風満帆な人生を送っていた訳ではありません。むしろ、波乱万丈の苦労人と言っても過言ではないほどです。お江とはどんな姫だったのか、その生い立ちから見ていきましょう。

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