守りの戦略

築城方法 ~選地・縄張・普請・作事~

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各地に点在する数々のお城は、その美しさや機能性で観る者の目を楽しませてくれます。数百年前に造られたとは思えないほどの、お城の規模や構造を目の当たりにすると、どのように建てたのかと疑問に思う人もいるのではないでしょうか。お城を造る際には、近代の住宅などの建築物と同じように、土地選びから設計、土木工事、建築工事など多くの工程が存在しているのです。お城が築かれた時代などをより深く理解するために、築城の方法とその工程の基礎についてご紹介します。

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選地

山城

山城

築城にあたってまず行なわれるのが、目的に適した土地を選定する「選地」です。

選地において重要視されたポイントは、お城によって異なりますが、基本的には「守りやすく、攻めにくい」ことが念頭に置かれていたと考えられています。

例えば、南北朝時代から戦国時代にかけて発展した「山城」(やまじろ)では、山そのものの険しさに重きが置かれました。谷や尾根などの自然の地形を守りに活かすことで、騎兵の襲撃を避ける天然の要害を造り上げていたのです。

平城

平城

一方、1576年(天正4年)に「織田信長」によって建てられた「安土城」(あづちじょう:現在の滋賀県近江八幡市)以降、発展することとなった「平城」(ひらじろ)では、川や街道との位置関係に重きが置かれました。

石垣」の発展により人工の要害を造れるようになったものの、山城に比べると守りの点に不安があったと言われています。

物資の運搬経路や天然のとして川を、敵を監視したり迎撃したりする場所として街道を近くに配置することなどにより、平地であっても、お城を防御する力を高めようとしたのです。

その他にも、侵入が困難である島に造られた「能島城」(のしまじょう:現在の愛媛県今治市)や、同じく湿地に造られた「忍城」(おしじょう:現在の埼玉県行田市)などからも、築城の際には守りにこだわった選地が重視されていたことを窺い知ることができます。

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縄張

選地の次に行なわれたのが、城郭の中心となる一区画の「本丸」や、その外側を囲む「二の丸」、「三の丸」などの配置など、お城全体の構造を決める「縄張」(なわばり)の作業です。土地に縄を張って設計を進めたことから、その名が付けられました。

お城の主な構造には、以下の3つの様式が用いられています。

梯郭式(ていかくしき)
梯郭式

梯郭式

「梯郭式」とは、本丸を渓谷などの険しい地形に面して造り、本丸の周囲2~3方向を二の丸や三の丸が取り囲む構造です。

山城を筆頭に、自然の地形を活かしたお城において、よく見られる様式となっています。

連郭式(れんかくしき)
連郭式

連郭式

「連郭式」とは、本丸と二の丸、三の丸を一方向に連なるように並べた構造です。

側面からの攻撃に弱いため、もともと攻めにくい山城や戦の頻度が落ちた近代のお城で多く採用されています。

輪郭式(りんかくしき)
輪郭式

輪郭式

「輪郭式」とは、本丸の周りを二の丸が、さらにその周りを三の丸がというように、幾重にも本丸を囲う様式の構造です。

四方をバランスよく守ることができる理想形だったのですが、構造上どうしてもお城の規模が大きくなってしまう他、二の丸が手狭になってしまう欠点もありました。

ただし、実際のお城においては、これら3つの様式のうち1種類のみを用いたような、単純な構造が見られることはほとんどありません。縄張は多くの構造パターンを組み合わせて練り上げられ、最終的にはその土地の地形にあった配置が考案されていたのです。

普請

縄張の次に行なう工程が、「普請」(ふしん)と呼ばれる堀や石垣、そして「土塁」などで区画した、「曲輪」(くるわ)を設ける土木工事です。一般的に普請は、自然の地形を活かす山城では小規模に、一方、人工的に造り上げる平城では大規模に行なわれました。

山城における普請は、斜面を削って平坦にし、崩れないように突き固めることが基本となる方法でした。堀や「切岸」(きりぎし:人工的に作られた崖)を造る際に出た土を、別の場所に設ける土塁の材料として再利用したのです。そうすることで土を遠くから運び込んだり、運び出したりする労力を削減していたと言われています。

山城に対して平城における普請では、あらかじめ土を削る場所と盛る場所を決めて、地面を平らにならしていくのが基本でした。山城と同じように土の再利用も行なわれましたが、現地で掘った土だけでは曲輪を造るには不足していたため、近隣の小山などから土を運び込んだと考えられています。

また平城は、平地であるが故に思わぬ場所から水が湧き出ることもあり、そのような問題をどう処理していくかも大きな問題でした。そのため、湿地帯の平城などでは普請が難航してしまい、完成までに長い年月を要することもあったと伝えられています。

作事(天守の建築)

土木工事である普請のあと、お城本体の建物を建築する工事は、「作事」(さくじ)と呼ばれる工程です。そのなかでも終盤に行なわれていたのが、お城の最上部を飾る「天守」の建築です。安土城において初めて造られた天守は、もともと防御施設としての役割のみであったお城に対して、権威を示す新たな役割を付加しました。

天守の主な建造方法としては、主に以下の4種類が挙げられます。

独立式
独立式

独立式

「独立式」とは、天守のみを単独で造る建造方法です。

すぐに天守への侵入が可能なため、守りとしては堅牢さに欠けており、日本刀などの武器を使った戦がなくなった江戸時代以降に多く採用されました。

連結式
連結式

連結式

「連結式」とは、「付櫓」(つけやぐら)や「小天守」を、「渡櫓」(わたりやぐら)で天守に連結する建造方法です。

付随する建物を経由しなければ、天守に侵入できない造りであったため、敵の迎撃にも対抗できるという利点がありました。

複合式
複合式

複合式

「複合式」とは、付櫓や小天守を直接天守に連結する建造方法です。

連結式と同じように防御面で優れており、天守が登場した初期に多く用いられていました。

連立式
連立式

連立式

「連立式」とは、天守と2つ以上の付櫓や小天守を、渡櫓で円状に繋ぐ建造方法です。

複雑なだけでなく厳重な防御が可能だったので、天守のみでひとつの曲輪を構成することも少なくありませんでした。

また、天守自体の形状には、「入母屋造」(いりもやづくり)と称される形式で造られた屋根を設けた建築物の上に、外敵を見張ることを目的とした「望楼」(ぼうろう)を乗せた、華やかな「望楼型」や、同じ形状の建築物を規則的に積んでいくため、建築費、工期が抑えられる「層塔型」(そうとうがた)などがあり、それらの形状から天守が建築された時代などを推測できるのです。

まとめ

このように築城方法は、選地、縄張、普請、作事という4つの工程に分けられます。選地では、目的に適した土地選びが行なわれ、縄張では地形に合わせた構造の考案がなされていました。さらに普請では、お城の基礎となる土木工事が行なわれ、それに続く作事では実際の建築工事として、その終盤に天守が建築されたと考えられているのです。

ちなみに、多くの戦国武将がお城の完成まで待つことなく、城の核となる部分ができあがった時点で入城していたと伝えられています。日本各地の様々なお城は、その築城方法からも時代ごとの技術力や、歴史的背景を知ることができる非常に重要な建築物なのです。

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