刃区(はまち)の部分から刃文が始まる通常の物とは異なり、刃区の下から深く焼き込まれた焼出し。
刃に沿って真っ直ぐに走る刃文の直刃(すぐは)のうち、焼幅(やきはば)が特に広い直刃のこと。
「粟田口物」、「来物」(らいもの)、「古備前物」、「古青江物」、「古三原物」に見られる。多くは小乱(こみだれ)や足(あし)などを交える。
古来より沸出来(にえでき)の刀は折れやすいと言われており、また広直刃は強度に欠点が出やすいため、新刀の時代にはほとんど作刀されなくなった。
なお、刀の切れ味の良し悪しについて、直刃や乱刃(みだれば)が関係しているという説があるが、これは現代では否定されている。刀が折れたり曲がったり、切れ味が悪いなどの原因は、刃文の種類ではなく、刀の形状や焼き入れの上手・下手、また使用者の腕前など様々な理由があるとするのが定説。
明治時代の日本海軍元帥「東郷平八郎」の愛刀である「刀 銘 備前国住長船十郎左衛門尉春光 天文十六年丁未八月吉日」は、室町時代後期に備前国(現在の岡山県東部)で活躍した刀工「長船春光」(おさふねはるみつ)が作刀した広直刃調の刀。末備前物の特徴がよく現れた1振となっている。
刃に沿って真っ直ぐに走る刃文「直刃」(すぐは)のうち、焼幅(やきはば)が特に狭い直刃のこと。また、細直刃のなかでも特に細い場合は「糸直刃」(いとすぐは)と呼ぶ。
細直刃の刀の特徴は、折れにくい一方で曲がりやすい点。「聖徳太子」が所有していた「七星剣」(しちせいけん)の他、「正倉院」(しょうそういん:奈良県奈良市)が所蔵する刀剣の多くが細直刃となっている。
刀剣鑑定家「本阿弥光徳」(ほんあみこうとく)は、細直刃の作刀を得意とした刀工、及び刀工一派を22工挙げている。
室町時代に活躍した刀工では、若州(現在の福井県西部)の「若州冬広」(じゃくしゅうふゆひろ)、及び「若州宗次」。出雲国(現在の島根県東部)の「雲州道永」(うんしゅうどうえい)。相模国(現在の神奈川県)の「相州国次」。越中国(現在の富山県)の「宇多国次」(うたくにつぐ)。石見国(現在の島根県西部)の「石州貞末」(せきしゅうさだすえ)、及び「石州貞行」(せきしゅうさだゆき)。紀伊国(現在の和歌山県)の「簀戸国次」(すどくにつぐ)。出羽国(現在の山形県)の「日州正次」(にっしゅうまさつぐ)。美濃国(現在の岐阜県南部)の刀工一派「関善定」(せきぜんじょう)。備後国(現在の広島県東部)の刀工一派「備後三原」(びんごみはら)の11工。
鎌倉時代に活躍した刀工では、筑前国(現在の福岡県北西部)の「筑前西蓮」(ちくぜんさいれん)。相模国の「新藤五国光」(しんとうごくにみつ)。備前国(現在の岡山県東部)の「備前長船長光」、「備前長船景光」、「備前長船真長」(びぜんおさふねさねなが)、「備前吉用」(びぜんよしもち)。京都・粟田口の刀工一派「粟田口派」(あわたぐちは)。豊後国(現在の大分県)の「豊後行平」(ぶんごゆきひら)。山城国(現在の京都府)の「来国俊」(らいくにとし)。筑前国の「筑前金剛兵衛」(ちくぜんこんごうひょうえ)。薩摩国(現在の鹿児島県西半部)の刀工一派「薩摩波平」(さつまなみのひら)の11工が挙げられている。