日本刀の切れ味

切れ味が鋭い最強の日本刀

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日本刀の特徴を「折れず、曲がらず、よく切れる」と表現しますが、その理由はどこからきているのでしょうか。日本古来の伝統技法によって鍛えられた日本刀には、切れない物はないと言っても過言ではない強靱さと鋭利さをかね備えています。言わば最強の刀剣「日本刀」。そんな切れ味が鋭い最強の日本刀は日本国内や海外でも非常に高く評価されており、その凄すぎる切れ味を伝えられる逸話が多数残されているのです。
今回は「切れ味が鋭い最強の日本刀が分かる歴史」と「切れ味が鋭い最強の日本刀を伝える名刀の逸話」についてご紹介。罪人の遺体を何人切れるかで切れ味が鋭い最強の日本刀を確かめる「試し切り」や、日本刀で一刀両断されたと伝えられる「天石立神社の一刀石」など、日本刀の歴史や名刀の逸話を解説していきます。また、最強の刀剣とは一体どれなのかを決めるランキングをまとめた江戸時代の書籍もご紹介しますのでお楽しみ下さい。

切れ味が鋭い最強の日本刀が分かる歴史

日本の歴史には、刀剣が密接に関係しています。武器として、外交の際の贈り物として、権力の象徴として、様々な歴史の場面で刀剣は重宝されてきました。

こちらでは、刀がかかわってきた歴史の中で、「切れ味」について焦点を絞り、4つの話をピックアップしています。それでは、優れた切れ味の日本刀が歴史上でどのように扱われたのか確かめてみましょう。

罪人の遺体で切れ味を確かめた「試し切り」

試し切り

試し切り

現代では、切れ味が鋭い最強の日本刀を調べたいとき、まずインターネットで情報を検索すると思いますが、江戸時代の人々は、実際に試し切りを行なうことで切れ味を確かめていたそうです。

ここで言う試し切りとは、斬首刑となった罪人の遺体を実験台にして、刀剣の切れ味を検証すること。具体的には、台の上に複数の遺体を積み重ねて、一太刀で何体まで切ることができるかを試すことで、その切れ味を確認していたそうです。

裁断銘

裁断銘

両断した遺体(胴)の数によって、「二ツ胴」、「三ツ胴」というように刀のが決まり、それが「」(なかご)に刻まれています。

試し切りの歴史において最高記録を出したのは、「七ツ胴落とし兼房」(ななつどうおとしかねふさ)という日本刀です。

この試し切りが行なわれたのは1681年(延宝9年)のこと。試し切り役がはしごに登って、7体積み上げられた遺体に飛び降りるように切り付けました。すると、すべての遺体が両断されたのです。このことから、その刀には「七ツ胴切落」の銘が刻まれました。

刀剣の試し切りについて、その記録をまとめた数々の書物が存在しており、後世において日本刀を研究する際の貴重な資料となっています。江戸時代の先人達が試し切りによって切れ味を調べた資料が残っているため、私達は手軽に刀の切れ味についての文献を読むことができるのです。

刀 銘 於武州江戸越前康継(金象嵌)慶長十九年寅七月十一日二ツ筒落
刀 銘 於武州江戸越前康継(金象嵌)慶長十九年寅七月十一日二ツ筒落
於武州江戸
越前康継
(金象嵌)
慶長十九年寅
七月十一日
二ツ筒落
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
70.4
所蔵・伝来
松平忠昌 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

切れ味が鋭い最強の日本刀ランキングをまとめた書物「懐宝剣尺」

切れ味が最も鋭い最強の刀剣は何か、刀剣ファンなら一度は考えたことがあるのではないでしょうか。この難問について、大きな手がかりとなるのが、懐宝剣尺(かいほうけんじゃく)という江戸時代の書物です。

この書物は、1797年(寛政9年)に「山田浅右衛門」(やまだあさえもん)など日本刀について造詣の深い人々により作成されました。山田浅右衛門とは、江戸幕府の試し切り役のひとり。試し切りで得た知見を書物にまとめたのです。

懐宝剣尺は、日本刀の最高傑作を決める、刀の切れ味を比べたランキング本とも言えます。書物の中では、「業物」、「良業物」、「大業物」、「最上大業物」という4つのランクを設けて、刀工100名以上が作刀した日本刀を格付けしているのです。最もランクの高い最上大業物に選ばれた刀は、「長船秀光」(おさふねひでみつ)や「多々良長幸」(たたらながゆき)などの15振(詳しくは下記の一覧表を参照)。

この懐宝剣尺で最高ランクに輝いた15工の日本刀は、最も鋭い最強の刀剣を決める最有力候補と言えるでしょう。

最上大業物15工

刀工名 時代分類(制作国)
長船秀光 古刀(備前:現在の岡山県
三原正家(初代 三原正家) 古刀(備後:現在の広島県
長船元重 古刀(備前)
兼元(初代 兼元) 古刀(関:現在の岐阜県
孫六兼元(2代目 兼元) 古刀(関)
和泉守兼定(2代目 兼定) 古刀(関)
長船兼光 古刀(備前)
長曽祢興里(初代 虎徹) 新刀(江戸:現在の東京都
長曽祢興正(2代目 虎徹) 新刀(江戸)
仙台国包 (初代 国包) 新刀(仙台)
ソボロ助広(初代 助広) 新刀(摂津大坂:現在の大阪府
肥前忠吉(初代 肥前忠吉) 新刀(肥前:現在の佐賀県
陸奥守忠吉(3代目 肥前忠吉) 新刀(肥前)
多々良長幸 新刀(摂津大坂)
三善長道(初代 長道) 新刀(会津:現在の福島県
著名刀工名鑑(刀工・刀匠)著名刀工名鑑(刀工・刀匠)
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昭和の刀剣研究家が著書に残した「日本刀で何人まで切れるか」

テレビの時代劇では、役者が日本刀でバッサバッサと次々に敵を切り倒すシーンがお約束となっています。

しかし、実際のところは、人を切ることによって刃こぼれしてしまうため、いつまでも切り続けることはできません。では、何人ぐらいまで切り続けることができるのでしょうか。

この疑問に関して興味深い内容を記した書物を残しているのが、昭和の刀剣研究家「成瀬関次」(なるせかんじ)氏です。日中戦争に従軍し、日本兵が装備していた刀を研究対象にして、その結果をもとに「戦ふ日本刀」、「実戦刀譚」などの書物を執筆しました。

これらの書物によると、刀剣の切れ味にはそれぞれ差があるとされています。つまり、少し切っただけで刃こぼれしてしまう物もあれば、複数人を切り続けられる物もあるということです。

さらに、成瀬関次氏は「強靭な日本刀なら一度に10人以上も切り続けられた」と、記しています。これをふまえると、時代劇の殺陣シーンも、切り倒す敵が十数人ぐらいまでなら「現実離れしていない」と言えそうです。

剣豪の斬撃の切れ味を残す「一刀石」

歴史上、刀剣の扱いに最も長けていたのは戦国~江戸時代の剣豪でしょう。剣豪の操った日本刀は、一体どれほどの威力だったのでしょうか。これに関する史跡が残っているので逸話とともにご紹介します。

天石立神社の一刀石

天石立神社の一刀石

奈良県の「天石立神社」(あまのいわたてじんじゃ)の近郊には、「一刀石」(いっとうせき)と呼ばれる巨岩(長さ約8m、幅約7m、高さ約2m)が鎮座。この一刀石には、中央に縦一直線の亀裂が入っており、剣豪による斬撃の跡と言われています。

その剣豪というのが「柳生宗厳」(やぎゅうむねよし)。江戸時代に最も栄えた剣術「柳生新陰流」(やぎゅうしんかげりゅう)の創始者です。また、この一刀石の亀裂には、こんな伝説が秘められています。

戦国時代、宗厳が剣術修行のために天石立神社に籠もっていたときのこと。ある晩、修行をしていると、どこからともなく天狗が現れて、果し合いとなりました。

激しい闘いの末、宗厳の放った渾身の斬撃が見事に天狗をとらえたのですが、次の瞬間、天狗は消え、代わりに真っ二つに割れた巨岩が現れたのです。この闘いで剣術の極意を得た宗厳は、柳生新陰流を創設。そして、この巨岩は一刀石と名付けられました。

伝説の通りなら、巨岩を真っ二つにした刀剣の威力は、岩を割る巨大な工業用機械に匹敵すると言えます。剣豪の残した斬撃の跡と言われる一刀石をひと目見たい方は、ぜひ奈良県の天石立神社を訪れてみてはいかがでしょうか。

切れ味が鋭い最強の日本刀を伝える名刀の逸話5選&番外編

日本刀の中には数々の名刀がありますが、その中でも切れ味にまつわる逸話のある名刀を5振、集めました。その5振とは、「童子切安綱」(どうじきりやすつな)、「鬼丸国綱」(おにまるくにつな)、「へし切長谷部」(へしきりはせべ)、「長曽祢虎徹」(ながそねこてつ)、「北谷菜切」(ちゃたんなきり)です。それぞれの逸話からは、切れ味の素晴らしさがはっきりと伝わってきます。

また、番外編では、切れ味の素晴らしい名刀とは対照的に、切れ味に難のある「逆刃刀」をご紹介。名刀だけではなく「迷刀」についても押さえておきましょう。

6つの遺体を一刀で輪切りにした「童子切安綱」

刀剣の中でも、特に出来栄えが傑出した5振のことを「天下五剣」(てんがごけん)と呼びます。太刀 童子切安綱は、この天下五剣の1振であると同時に、天下五剣の筆頭にも位置付けられている名刀です。

実は、この「童子切」という号、源氏の英雄「源頼光」(みなもとのよりみつ)による退治の伝説に由来しています。平安時代、頼光は、京で悪さをしていた鬼「酒呑童子」(しゅてんどうじ)を愛刀で見事に退治しました。酒呑童子を切ったことから、頼光の愛刀は童子切という号が付けられた訳です。

鬼をも退治できた童子切安綱の切れ味が、どれほどのものであったのか、それが分かる逸話があります。

江戸時代、津山藩松平家(現在の岡山県北東部付近を領有した藩)にて、童子切安綱の試し切りが行なわれたときのこと。試し切り役が童子切安綱を振り下ろすと、その刃は6つ積まれた遺体を輪切りにしただけでなく、遺体を積んでいた台座にまで食いこんだのです。これほどの切れ味なら、たとえ鬼が相手でも難なく倒せたことでしょう。

鬼退治や試し切りで、その力を遺憾なく発揮した童子切安綱。天下の名刀というだけあり、切れ味も天下一なのかもしれません。

童子切安綱
童子切安綱
安綱
鑑定区分
国宝
刃長
80
所蔵・伝来
源頼光 →
足利家 →
豊臣秀吉 →
徳川家康

鬼の悪夢を断ち切った「鬼丸国綱」

童子切安綱と同じく、太刀 鬼丸国綱も天下五剣の1振です。童子切安綱は、6つの遺体を輪切りにした「剛刀」ですが、鬼丸国綱は「霊刀」と呼ぶのがふさわしいでしょう。その刃には、霊的な切れ味が宿っていることを示す逸話があるのです。

鎌倉時代、幕府の執権「北条時政」(ほうじょうときまさ)は、恐ろしい鬼の出てくる悪夢に苦しめられていました。ある時、時政の所有していた太刀の1振がひとりでに倒れて、その拍子に、そばにあった火鉢の脚を切り落としたのです。時政が切り落とされた火鉢の脚を見てみると、驚いたことに、そこには悪夢に出てくる鬼が彫刻されていたのです。

それ以来、時政が悪夢を見なくなったことから、悪夢の元凶は火鉢の脚に彫られた鬼だったことが判明。鬼の悪夢を断ち切ったことから、この太刀は鬼丸国綱と呼ばれるようになりました。

悪夢の元凶を探し出し、人の手を借りることなくそれを切ってしまうとは…。鬼丸国綱の持つ霊的な力が伝わってくる逸話ですね。

鬼丸国綱
鬼丸国綱
國綱
鑑定区分
御物
刃長
78.2
所蔵・伝来
北条時頼 →
新田義貞 →
斯波高経 →
足利家 →
織田信長 →
豊臣秀吉 →
徳川家康 →
皇室

信長が棚ごと無礼者を押し切った「へし切長谷部」

打刀 へし切長谷部は、現在福岡市博物館に収蔵されており、福岡藩主黒田家伝来の宝刀として定期的に展示されています。

黒田家にへし切長谷部を譲ったとされるのは、戦国武将「織田信長」(おだのぶなが)。もともとの所有者である信長が、へし切長谷部の切れ味を天下に知らしめた逸話があるのでご紹介します。

戦国時代のある時、信長の家臣だった僧・観内(かんない)が無礼を働きました。これに信長が激怒すると、観内は手打ちを恐れて逃げていき、棚の下に隠れます。

隠れ場所に気付いた信長は、日本刀を抜くと、観内の隠れた棚に刃を押し付けました。すると、その刃は棚ごと観内を押し切ったのです。当時は、押し付けて切ることを「へし切り」という言葉で表しており、観内を切った刀は、へし切長谷部と呼ばれるようになりました。

本来、日本刀は対象物に刃をあてて引いたり、押し上げたりしないと切ることができません。それなのに、刃を押し付けただけで棚ごと人を切ってしまうとは、へし切長谷部の切れ味がいかにすごいのかが分かる逸話です。

信長がへし切長谷部を黒田家に譲る以前、この刀を手に戦に出陣したのでしょうか。このような逸話を知ると、信長が愛刀で敵兵を「へし切る」姿を思わず想像してしまいますね。

へし切長谷部
へし切長谷部
長谷部国重本阿
(花押)
黒田筑前守
鑑定区分
国宝
刃長
64.8
所蔵・伝来
織田信長
黒田官兵衛
福岡市博物館

最上大業物に選ばれた「長曽祢虎徹」

打刀 長曽祢虎徹は、切れ味が鋭い最強の日本刀をランク分けした江戸時代の書物 懐宝剣尺の中で、最もランクの高い最上大業物に分類されています。

長曽祢虎徹と言えば、「今宵の虎徹は血に飢えている」という台詞を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。この台詞を言ったとされる新撰組局長「近藤勇」(こんどういさみ)は、長曽祢虎徹を愛刀にしていました。

新撰組の名が世の中に広がるきっかけとなった池田屋事件で、長曽祢虎徹の切れ味のすごさを示す逸話が生まれたのです。

1864年(元治元年)に起きた池田屋事件では、尊王攘夷派の浪士10名以上と、新撰組の隊士数10名が激しく切り合いました。この事件後、隊士達の刀剣のほとんどは、人を切ったことや鍔迫り合いをしたことにより壊れてしまいます。

そんな中、近藤の長曽祢虎徹は、折れることも曲がることもなく無事だったのです。それほどまでに長曽祢虎徹は、強靱な切れ味を持っていました。

しかし、近藤の長曽祢虎徹は贋作だ、という説もあります。池田屋事件が起きたときの新撰組は、まだそれほど知名度が高くなく、資金力も乏しかったため、近藤が非常に高価な長曽祢虎徹を買うのは無理だったと言われているのです。

とはいえ、近藤の長曽祢虎徹は、池田屋事件での切り合いを経ても、折れも曲がりもしなかっただけに名刀であることは疑いようがなく、本物の可能性もあります。近藤とともに幕末を駆け抜けた長曽祢虎徹が本物か贋作かは分かりませんが、その刃に「誠」の志が宿っていたのではないでしょうか。

長曽祢虎徹

長曽祢虎徹

触れてもいないのに首を切り落とす最強の切れ味を持つ刀剣「北谷菜切」

短刀 北谷菜切は、琉球王国伝来の宝剣です。短刀だけに刃長は23cmと短い上、使いこまれたことによって、刃が「鋒/切先」(きっさき)にしか残っていないため、見た目から「最強の切れ味」を想像するのは難しいかもしれません。しかし、その刀身には、恐ろしいほどの切れ味を示す逸話があるのです。

その昔、琉球で農婦が赤子を斬殺するという事件が起きました。役人に捕まった農婦は「包丁で切る真似をしただけなのに赤子の首が切れてしまった」と話し、殺意がなかったことを主張。この話を信じない役人が、試しにその包丁で山羊に向かって切る真似をします。

すると、本当に山羊の首が切れてしまったのです。この結果、農婦は許され、包丁は短刀に鍛え直されました。こうして完成したのが北谷菜切です。

この逸話が事実なら、切る真似をするだけで実際に切ることができる北谷菜切は、最強の切れ味を持つ刀剣と言えるかもしれません。

現在は、那覇市歴史博物館に収蔵されている北谷菜切ですが、あの鋭い切れ味は健在なのでしょうか。逸話を知ると気になってしまいますね。

北谷菜切

北谷菜切

【番外編】切れ味に難のある「逆刃刀」

ここまでは、切れ味のすごさで有名な5振の刀剣を紹介してきましたが、番外編では、切れ味に難のある1振を紹介します。その1振とは逆刃刀(さかばとう)という刀です。

逆刃刀とは、通常の日本刀とは構造が逆になっており、刃のあるはずの部分が峰に、峰であるはずの部分に刃が付いています。したがって、普通の刀剣のように切りつけても、切ることができません。

逆刃刀は人気漫画「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」(和月伸宏作)に登場する刀で、漫画の世界にだけ存在する架空の物だと思われていました。しかし、2014年(平成26年)千葉県白井市の旧家から本物の逆刃刀が発見されたのです。

全長約28cm、刃渡り約22cmの小刀で、銘は彫られておらず、やはり本来は刃のあるべき部分が峰になっています。この逆刃刀が何のために作られたのかは、「昔の刀工が人を驚かせるために遊びで作った」など諸説ありますが、はっきりとは分かっていません。

逆刃刀は、類例のない貴重な日本刀であるため、市の文化財に指定され、現在は白井市郷土資料館に所蔵されています。展示もしていますので、刀なのに切れ味に難のある珍しい迷刀をひと目見たい方は、ぜひ白井市郷土資料館に足を運んでみてはいかがでしょうか。

逆刃刀

逆刃刀

「日本刀の切れ味~抜刀道~」のYouTube動画

日本刀の切れ味を
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日本刀の切れ味~抜刀道~

切れ味が鋭い最強の日本刀

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切れ味の逸話が残る日本刀

切れ味の逸話が残る日本刀
刀剣の価値は、美術品としての美しさだけでなく、実戦で扱う際の切れ味の鋭さも非常に重要とされてきました。そのため、鋭い切れ味を表す特殊な名前(号)が付けられた名刀が、数多く存在します。「へし切長谷部」や「小豆長光」など、一見不思議な名前に見える、刀剣の切れ味が名前(号)となった名刀を見ていきましょう。

切れ味の逸話が残る日本刀

最上大業物

最上大業物
江戸時代後期に編纂された「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく)と「古今鍛冶備考」(ここんかじびこう)で、日本刀を切れ味という観点から評価し、最高位に選ばれた15刀工を「最上大業物」(さいじょうおおわざもの)と言います。この最上大業物はどのように選出されたのか、また、どのような刀工が選ばれているのか。時代の変遷に沿ってご紹介します。

最上大業物

大業物

大業物
「大業物」(おおわざもの)とは、江戸時代後期に編纂された「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく)と「古今鍛冶備考」(ここんかじびこう)において、「最上大業物に次ぐ切れ味を有している」という評価を得た業物のことです。刑死した罪人の死体を使った試し斬りによって格付けされ、計21工が選出されました。大業物では、どのような刀工が選ばれ、いかなる特徴を持った日本刀なのかをご紹介していきます。

大業物

良業物

良業物
「良業物」(よきわざもの)とは、刑死した罪人の死体を使った試し斬りの結果、「大業物(おおわざもの)に次ぐ切れ味を有している」との評価を得た業物のことです。いずれも江戸時代後期に編纂された「懐宝剣尺」(かいほうけんしゃく)と「古今鍛冶備考」(ここんかじびこう)に記されており、刀工の数は総勢58。平時に荒事をしている30歳〜50歳前後の男子の胴で、乳割(ちちわり:両乳首より少し上の部分)以上に堅い部分を10回斬撃して5~7回両断もしくは両断寸前まで切り込めた作例が選ばれました。良業物では、選ばれた刀工達の中でも著名な作例を紹介し、その魅力を掘り下げていきます。

良業物

業物

業物
「業物」(わざもの)とは、江戸時代後期の書物「懐宝剣尺」(かいほうけんしゃく)と「古今鍛冶備考」(ここんかじびこう)において、「最上大業物」(さいじょうおおわざもの)や「大業物」(おおわざもの)、「良業物」(よきわざもの)に次ぐ切れ味だと評価された93刀工のことです。30~50歳前後の男子の胴で、平時に荒事をしていて骨組の堅い者の乳割(ちちわり:両乳首より少し上の部分を指す試し斬り用語)以上に堅い部分を切りつけ、10回中3~4回両断もしくは両断寸前まで切り込めた作例が、業物と認定されました。業物では、業物に選ばれた作例の傾向や特徴などについてご紹介していきます。

業物

日本刀の業物

日本刀の業物
業物(わざもの)とは、「業良き物」を意味する言葉で、切れ味の良い日本刀のことを指します。日本刀を武器にして戦う武士にとって、切れ味が鋭い最強の日本刀の良し悪しは、そのまま己の生死を左右したため、非常に重要な指標として古来注目されてきました。また、業物か否かは、刀剣鑑定家による見解の他、罪人の死体を利用した「試し斬り」の結果により判断されます。試し斬りは、安土桃山時代から江戸時代にかけて盛んに行なわれましたが、江戸時代になり太平の世がくると、その残忍さから徐々に忌み避けられるようになりました。これを受け、御様御用(おためしごよう)と呼ばれる試し斬りの専門職が設けられるようになったのです。その代表格である「山田浅右衛門」(やまだあさえもん:試し斬り役を務めていた山田家の当主が代々名乗った名称)による試し斬りの鑑定書が出版されるとこれが大変な評判となりました。試し斬りによる鑑定書には、江戸時代後期に刊行された「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく)と「古今鍛冶備考」(ここんかじびこう)の2書があります。日本刀の業物では、同書に書かれている内容や特異性などについて解説していきます。 日本刀の切れ味~抜刀道~ YouTube動画

日本刀の業物

大業物・良業物・業物混合

大業物・良業物・業物混合
「大業物・良業物・業物混合」(おおわざもの・よきわざもの・わざものこんごう)とは、江戸時代後期に編纂された刀剣書「懐宝剣尺」(かいほうけんしゃく)と「古今鍛冶備考」(ここんかじびこう)において、大業物や良業物、業物に格付けされなかった68刀工をまとめて紹介した項目です。 大業物・良業物・業物混合では、なぜ各刀工が大業物・良業物・業物に含まれず、「混合」という形で選定されたのかをご紹介。各刀工の特徴や著名刀工などについても掘り下げていきます。

大業物・良業物・業物混合

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