備前伝
備前伝の流派
備前伝
備前伝の流派

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「備前伝」(びぜんでん)とは、平安時代から室町時代に、日本一の日本刀の産地として栄えた「備前国」(びぜんのくに:現在の岡山県東部)と、その近辺で輩出された刀工やその一派による日本刀の制作法です。特に、備前国を南北に流れる吉井川の下流あたりが最も栄え、数多くの名工と名門一派を生み出してきました。 ここでは「長船鍛冶」(おさふねかじ)で触れた「長船派」(おさふねは)を除いた代表的な流派である「古備前派」(こびぜんは)、「福岡一文字派」(ふくおかいちもんじは)、「吉岡一文字派」(よしおかいちもんじは)、「正中一文字派」(しょうちゅういちもんじは)、「片山一文字派」(かたやまいちもんじは)についてご紹介します。

古備前派

「古備前派」(こびぜんは)は、備前国で平安時代中期から鎌倉時代初期にかけて活躍した刀工一派です。備前国は、吉井川流域に位置し、古くから鉄や鍛刀(たんとう:刀剣の製造)に使用する「松炭」(まつずみ:松の木を焼いて作ったやわらかい炭)などの資源が豊富で、日本刀の制作に適した土地だったため、数多くの名工を輩出してきました。

古備前派は、この日本刀の名産地である備前国で栄えた流派「備前伝」(びぜんでん)始まりの一派とされており、のちに栄える「福岡一文字派」(ふくおかいちもんじは)や「長船派」(おさふねは)の源流とされています。また、古備前派の作刀は、宝刀らしい優美な姿から、古くから贈答用などに珍重されてきました。

系譜
古備前派の開祖は「友成」(ともなり)。古備前鍛冶の系譜は、「神武天皇」(じんむてんのう:紀元前711年生)の東部遠征のため、備前国に武器製造の場を設けたことを起源とする伝説もありますが、文献に残っているのは「祟神天皇」(すじてんのう:紀元前147年生)の御世、「四道将軍」(しどうしょうぐん:祟神天皇が支配圏を拡大するため四方に遣わした皇族将軍)のひとり「吉備津彦」(きびつひこ)が長船の地で兵器を生産したとされる頃です。

実際の作刀が見られるのは988年頃(永延頃)、友成が父の「実成」とともに「一条天皇」(いちじょうてんのう:980年生)に召され、勅命により日本刀を制作。その後「友成派」と「正恒派」(まさつねは)に分かれていきます。

特徴
太刀姿は長寸の細い「身幅」(みはば)で「小切先」(こきっさき)に「腰反り」(こしぞり)が深く、踏ん張りのある姿。

地鉄(じがね)は「板目肌」(いためはだ)で、刃文は古備前派の後に興った一文字派などとは異なり「焼幅」(やきはば)が狭く、一見すると「直刃」(すぐは)のように見える「小乱刃」(こみだれば)や「小丁子乱」(こちょうじみだれ)を焼きます。地鉄は「小板目肌」(こいためはだ)で、これに関しても「杢目肌」(もくめはだ)を特徴とした後年の一文字派と一線を画しているのが特徴です。また「焼出し」に個性があり、「はばき元」(はばきもと)の焼幅を上部よりも狭く焼き出します。

腰反り

腰反り

代表的な刀工
「友成」、「正恒」(まさつね)、「包平」(かねひら)、「吉包」(よしかね)、「助包」(すけかね)など。

友成:平安時代中期に活躍

人物
「伯耆国」(ほうきのくに:現在の鳥取県西部)の「安綱」(やすつな)、京都の「三条小鍛冶宗近」(さんじょうこかじむねちか)とともに、日本最古の「三名匠」と呼ばれている刀工です。

正恒と並んで古備前派を代表しました。同銘が何代か続き、鎌倉時代に及びます。

作風
太刀姿は平安時代の優美さを思わせる長寸で身幅の狭い小切先の姿。地鉄や刃文に関しては先述の通りです。「匂口」(においぐち)は「匂本位」(においほんい)。「樋」(ひ:溝のような刀身彫刻)のある作がとても多く、全体の8割にも上るとされています。
帽子
「古備前帽子」か「二重帽子」。
同銘が何代か続いたため、2字銘の「友成」の他にも、「友成作」、「備前友成」、「備前国友成造」などの長銘が見られます。
作品
「鶯丸」(御物)厳島神社所蔵。
「太刀 銘 友成作」(重要文化財)など。
評価
古刀最上作。国宝3振。重要文化財6振。

正恒:平安時代後期に活躍

人物
友成とともに古備前派を代表する刀工。同銘が何代か続きました。古伝書によると「七種の正恒」として古備前派に「古備前正恒」を含む5人、「青江派」(あおえは)にひとり、「筑前国」(ちくぜんのくに:現在の福岡県北西部)にひとりと異なる7人の「正恒」がいたとされています。
作風
太刀姿は「反り」浅く、身幅が広いしっかりとした姿。刃文は焼幅に広狭のある小丁子乱を焼き、刃中には「金筋」(きんすじ)や「稲妻」(いなづま)などの「働き」(はたらき:沸出来[にえでき]や匂出来[においでき]の中に時折現れる様々な動き)が見られます。「焼出し」は正恒独特の直刃風の小丁子乱。友成よりも華やかな作風です。
帽子
「焼」の深い「小丸」風。古備前帽子。
2字銘「正恒」。
作品
「蜂須賀正恒」(国宝)
「太刀 銘 正恒」(国宝)など。
評価
古刀最上作。国宝5振。重要文化財8振。

友成と正恒の相違点

友成は優美な細身の作が多いのに対し、正恒の作は幅広のしっかりした姿で、一目でその違いを感じ取ることができます。また、友成は「樋」(ひ:溝のような刀身彫刻)がある作が非常に多いのに対し、正恒の作に樋はほとんど見られません。

また、友成の銘は友成と2字銘に切る物だけでなく、「備前友成」のように作刀国を冠した長銘の物が見られるのに対し、正恒は正恒と2字に銘を切ります。その他後述する細かな作風に違いが見られ、古備前派の双璧である2人の違いを確認することができます。

福岡一文字派

「福岡一文字派」(ふくおかいちもんじは)は、多くの刀工を生み出したことで有名な備前国で、鎌倉時代初期から中期に栄えた刀工の一派です。福岡一文字の名は、岡山県東部に流れる吉井川の東岸にある福岡の地で興ったことに由来します。

後鳥羽上皇の御番鍛冶(ごばんかじ:1ヵ月ごとに交代で院に勤番した刀工)が多数輩出され、13名の御番鍛冶のうち7名をこの一派が務めました。

特に刃文が華麗なため古くから珍重されており、最多の国宝指定数を誇る備前長船派の次に多くの国宝を制作しています。

福岡一文字以外の一文字を冠する一派
鎌倉時代末期には、福岡一文字に代わって吉井川北部の吉岡の地で吉岡一文字という一派が名声を上げました。一文字を冠する一派は他にも片山一文字や岩戸一文字(正中一文字)などが見られますが、通常一文字と呼ぶ場合には福岡一文字か吉岡一文字のどちらかを意味しています。
系譜
後鳥羽上皇の御番鍛冶で、正月番鍛冶を務めた古備前派の則宗(のりむね)が開祖です。この則宗が、上皇の命を受けて制作した日本刀のことを「菊一文字」(きくいちもんじ)と呼び、新選組の一番隊隊長・沖田総司の愛刀も、この菊一文字だったとする説で有名ですが、真偽のほどは定かではありません。
特徴
匂出来で、花の咲き誇る姿に似る個性的な丁子乱の刃文が特徴です。京都の「粟田口派」(あわたぐちは)が沸出来と地鉄の美しさで抜きん出ていたのに対し、福岡一文字は刃文の華麗さで名声を博しました。

古一文字や鎌倉時代後半の一部を除いて、焼幅の広い姿にはばき元(はばきもと)から先まで丁子乱の焼幅が安定して付き、丁子の頭が揃った華麗な「重花丁子乱」(じゅうかちょうじみだれ)や「大房丁子乱れ」(おおふさちょうじみだれ)の刃文が見られます。表裏の乱れが同一の状態で、喰い違いがほぼ見られない丁子乱であることから「一文字丁子乱」(いちもんじちょうじみだれ)と呼ばれてきました。

代表的な名工
福岡一文字の刀工の中でも、鎌倉時代初期の「則宗」、「助宗」、「宗吉」、「成宗」、「宗忠」などの刀工を指し「古一文字」(こいちもんじ)と呼び、鎌倉時代中期からの「吉房」(よしふさ)、「則房」(のりふさ)、「助真」(すけざね)などを「福岡一文字」と呼びます。

古一文字:鎌倉時代初期に活躍

刀工
「則宗」、「助宗」、「宗吉」、「成宗」、「宗忠」など。
作風
太刀は長寸に踏張りのある姿で、身幅、重ねともに頃合いの姿で小切先。「小沸」(こにえ)が付く小丁子乱や「互の目丁子」(ぐのめちょうじ)の刃文、または匂出来に重花丁子乱の刃文が特徴で、杢目肌がよく詰みます。
帽子
小丸、浅く返る小模様の乱込。
個人銘や菊紋を切る場合もありますが、無銘や「一」(いち)の字を切る物もあり、一文字であることは判明しても、刀工を特定できない物が見られます。
作品
「二つ銘則宗」(重要文化財)享保名物。
「太刀 銘 宗吉作」(重要文化財)熱田神宮宝物館所蔵。
評価
国宝15振。重要文化財7振。

※作者不明の無銘刀もあり識別が困難なため、福岡一文字と合わせて数えています。

福岡一文字:鎌倉時代中期に活躍

刀工
「吉房」、「則房」、「助真」など。
作風
太刀が多く、例外的に小太刀も。踏張りの付いた姿に腰反りが高く、身幅の広い豪壮な姿に「猪首切先」(いくびきっさき)で板目肌交じりの小板目肌。刃文の乱れに沿って「映り」(うつり)が顕著に見られることを「乱れ映り」と呼んでおり、見どころのひとつとなっています。

刃文は初期・中期・末期で異なり、初期は華やかな重花丁子乱の刃文が特徴で、中期には「大丁子乱」(おおちょうじみだれ)となり、末期には「直刃丁子乱」(すぐはちょうじみだれ)となりました。匂出来で、刃肉がよく付き、その形状から「蛤刃」(はまぐりば)と呼ばれます。

帽子
大丸に焼詰(やきづめ:返りがない)。
個人銘や菊紋を切る場合もありますが、無銘や一の字を切る物もあり、一文字であることは判明しても、刀工を特定できない物が見られます。
作品
「岡田切」(国宝)東京国立博物館所蔵。
「太刀 銘 吉房」(国宝)秀吉所持。
評価
国宝15振。重要文化財7振。

※作者不明の無銘刀もあり識別が困難なため、古一文字と合わせて数えています。

吉岡一文字派

「吉岡一文字派」(よしおかいちもんじは)は、多くの日本刀の刀工を生み出したことで有名な備前国の吉井川西岸にある吉岡という地で、鎌倉時代後期から南北朝時代に栄えた刀工の一派です。鎌倉時代初期から鎌倉時代中期にかけて吉井川の東岸で活躍した福岡一文字一派に続いて興りました。
福岡一文字と同じく、古くから特徴的な丁子乱の刃文が見られる作風が重用されてきました。

一文字の系譜
後鳥羽上皇の御番鍛冶で正月番鍛冶を務めた古備前派の則宗を開祖とします。一文字の「一」の字は、則宗が「天下一」の名匠であると後鳥羽上皇に讃(たた)えられたことに起因しており、銘にも「一」と切るようになった物です。

一文字の系譜は長く、この則宗を祖として、①鎌倉時代初期から鎌倉時代中期にかけて福岡の地で栄えた福岡一文字、②鎌倉時代中期から鎌倉時代後期にかけて吉岡の地で栄えた吉岡一文字、③鎌倉時代末期から南北朝時代末期にかけて「和気郡岩戸」(わきぐんいわと)の地で興った正中一文字、別称・岩戸一文字、④福岡の地より南に下った「備前国片山」(びぜんのくにかたやま)と隣国の「備中国片山」(びっちゅうのくにかたやま)に移住し栄えたとされる片山一文字の4派の間で、約300年間の長きに亘り受け継がれていきました。

系譜
吉岡一文字の開祖は、一文字の開祖である則宗の孫、「助吉」です。通称は「新太郎」。「左近将監」(さこんのしょうげん)と称し、福岡から吉岡に移住して活躍、「古刀上作」と評価されました。この助吉の移住により、吉岡の地は一躍有名になったと伝えられます。
特徴
福岡一文字と同様に太刀が多く見られ、初期の作品は福岡一文字に似ていますが、全体として反りが浅い姿で、先反りの付く鎌倉時代末期風の太刀姿が多く見られます。焼きには高低が少なく、匂出来。乱れの華やかさが控えめな丁子乱や互の目丁子の刃文が特徴です。福岡一文字と同様に板目肌がよく詰み、地沸が細かに付きます。
代表的な刀工
開祖の「助吉」、一門随一の名工とされている「助光」(すけみつ)、「助茂」、「助包」(すけかね)、「助重」など。「紀氏」(きうじ)を姓とし、「助」の字を名の頭に用いるのが特徴です。特に助光の作は群を抜いており、「阿部豊後守忠秋」(あべぶんごのかみただあき)が、将軍家光の命により大洪水の隅田川を馬で乗り越えた際、その功績を讃えられ、加賀藩とともに助光の太刀が拝領されたという逸話があります。

助光:1290年頃(正応頃)に活躍

人物
助吉の子とされるが、弟とする説もあり、一門随一の名工とされました。生没年不詳。
作風
太刀姿がしっかりとし、先反り。匂出来で広い焼幅に丁子乱や大丁子乱の刃文が見られ、地鉄は細かい杢目肌に、「大肌」(おおはだ:大模様の地鉄模様)が交じります。
帽子
軽く乱れ込み、「一文字帽子」風となり、返りは浅い。
一の字を大きく切る。
福岡一文字と異なり、刀工銘や年期銘を切る物が多い。
作品
「太刀 銘 一 備前国吉岡住左近将監紀助光」(国宝)徳川家光が阿部豊後守忠秋(あべぶんごのかみただあき)に拝領。
「短刀 銘 助光」(重要文化財)など。
評価
国宝2振。重要文化財1振。

※「一」の字のみ銘を切られている物は他の派との区別が困難なため、「一」銘以外で数えています。

正中一文字派

「正中一文字派」(しょうちゅういちもんじは)は、備前国和気郡の「岩戸庄」(いわとしょう)で、鎌倉時代末期の1324年頃(正中元年頃)から南北朝時代にかけて活躍した刀工一派です。別名「岩戸一文字」(いわといちもんじ)。

当時、岩戸庄が、「播磨国」(はりまのくに:現在の兵庫県)の太守・赤松氏(あかまつし)一族である浦上氏(うらがみし)の滞在地だったことに加え、正中一文字開祖である初代「吉氏」(よしうじ)が制作した日本刀の銘に「岩戸庄地頭源吉氏」(いわとしょうじとうみなもとよしうじ)と切られていたことなどから、この初代・吉氏は武士だったとされています。

2代目以降の正中一文字の刀工たちは長船に住み、また「長船鍛冶」(おさふねかじ)と交流を持ったため、その作刀の銘は「長船住」と切られました。

一文字派の中での正中一文字
正中一文字の他に一文字を名乗った刀工一派は、福岡の地で一文字派の興りとなった福岡一文字をはじめとし、その後福岡一文字の流れを汲み、吉岡の地で栄えた吉岡一文字、南下し片山の地に流れ興った片山一文字がいます。正中一文字はこれらの一文字派と比べると、一文字らしくない、一線を画した作風でした。
系譜
開祖は吉氏。「左兵衛尉」(さひょうえのじょう)と称した豪族で、1324年頃(正中元年頃)から日本刀の制作を始めました。本業は武士だったため、作品が非常に稀(まれ)で、中古刀最上作と評価されました。
特徴
二筋樋

二筋樋

正中一文字の作風は隣国・吉岡で栄えた吉岡一文字に似ています。吉岡一文字に比べて反りが浅く、寸が詰まり、「平肉」(ひらにく:たっぷりと肉厚感のある厚み)が少ないのが特徴です。身幅は広く切先が延びた姿。地鉄は大肌で、直刃や小丁子乱の刃文が見られ、樋が入る場合には「棒樋」(ぼうひ)、「二筋樋」(ふたすじひ)などが見られます。

他の一文字派と比べると一文字らしくない、一線を画した作風です。

代表的な刀工
開祖の「吉氏」、「吉守」(よしもり)、「吉利」(よしとし)、「吉定」、「吉久」、吉家(よしいえ)など。一貫して「吉」の字を頭に冠する一派です。

吉家:鎌倉時代後期から南北朝時代に活躍

人物
吉氏の子、あるいは門徒とされています。生没年不詳。
作風
正中一文字の特徴通りで、太刀姿は反りが浅く、身幅広く、平肉少ない姿。ときに乱れ映りが淡く出る物も見られます。
帽子
小さく乱れ込みます。
2字銘は「吉家」。「一備前国岩戸庄地頭源吉家」など。
作品
「薙刀 銘 一備前国岩戸庄地頭源吉家」(重要文化財)。

片山一文字派

「片山一文字派」(かたやまいちもんじは)は、青江派などの「備中鍛冶」(びっちゅうかじ)が輩出されたことで有名な備中国(びっちゅうのくに:現在の岡山県西部)で、鎌倉時代後期に栄えた、日本刀の刀工の一派です。

鎌倉時代初期から鎌倉時代中期に備前国で栄えた福岡一文字の刀工・則房が備前国の福岡から備中国の片山に居を移し、新たな一派を興したことに起因します。

片山は備前国南方と、備中国に2か所あり、まず先に備前国の片山に移り、その後、備中国の片山に移ったとされています。

一文字の系譜
後鳥羽上皇の御番鍛冶で、正月番鍛冶を務めた古備前派の則宗を開祖とします。一文字の系譜は長く、この則宗を祖として、鎌倉時代初期から鎌倉時代中期にかけて福岡の地で栄えた福岡一文字を皮切りに、一派を枝分かれさせながら約300年間に亘って栄えました。

その後、福岡一文字に次いで吉岡の地で栄えた吉岡一文字や、岩戸の地で栄えた正中一文字、別称・岩戸一文字の他、福岡の地より南に下った備前国片山、または備中国片山に移住し、栄えたとされる片山一文字があり、この4派の間で受け継がれていきました。

系譜
福岡一文字の則房が開祖。通称「藤二朗」・「片山右馬尉」。古備前派の「信房」(のぶふさ)と、福岡一文字の吉房とともに「三房」(さんぼう)と呼ばれました。また「可然物」(しかるべきもの:備前国と備中国の刀工のうち、業物[わざもの:切れ味の良い日本刀]の刀工60名の作を、将軍家から下賜すべき日本刀とした物)にも選定され、一文字派の中でも抜きん出た腕前として名声を得ます。
特徴
全体として福岡一文字に似た作風で、鎌倉時代中期の太刀姿として特有の反りが付き、身幅も広くしっかりとした姿に猪首切先。地鉄は福岡一文字や吉岡一文字とは異なり、青黒く澄んだ杢目肌に大肌。刃文は匂出来に特徴的な「逆丁子乱」(さかちょうじみだれ)を焼きます。この逆丁子乱れは、片山一文字の十八番(おはこ)であり、他の一門の追随を許さないできばえで、その美しさは淡雪の積もる様に例えられました。逆丁子乱と言えば片山一文字という答えが返ってくるほど有名です。
代表的な刀工
開祖の「則房」、「眞利」(さねとし)、「依眞」(よりざね)、「則常」(のりつね)、「則眞」(のりざね)など。

一文字の銘・「―」の違い

一文字の一派は、銘に個人銘ではなく「一」の字を切ることがあります。

銘に一の字を切ることは一文字派のしるしになり、福岡一文字・吉岡一文字・正中一文字(岩戸一文字)・片山一文字の4つの派もそれに倣っていきました。この4つの一派の「一」の字銘の見分け方ですが、それぞれ同じ「一」の字でも微妙に異なった特徴があります。

福岡一文字
「一」の字の入り、終わりともに力を入れたような鍵形になります。
吉岡一文字
「一」の字の入りが力を入れたような鍵形になり、終わりは鍵形になりません。

初期の物には、終わりが鍵形になっている物もあるが、吉岡一文字の銘は「逆鑚」(さかたがね)と言って、銘を通常と逆の右から左に切るので見分けが付きます。

正中一文字(岩戸一文字)
「一」の字が細長く、入り・終わりともに鍵形にならない。
片山一文字
「一」の字が太くて短いため、錆の具合によっては、傷のある無銘に見えることもあります。

則房:1222年頃(貞応頃)に活躍

人物
福岡一文字の「助房」の次男。備前国福岡の南にある片山に移住し高津右馬允」(たかつうまのじょう)を名乗りました。その後備中国の片山に移住したとされています。生没年不詳。
作風
太刀姿は反りが深く、身幅の広い猪首切先の堂々とした姿で、匂出来に重花丁子乱、「大逆丁子乱」(おおさかちょうじみだれ)の豪華な刃文が特徴です。
帽子
乱れ込み、焼き詰め、または少し返ります。
ほとんどが2字銘、または一の字を切ります。
作品
「今荒波一文字」(いまあらなみいちもんじ:重要文化財)
評価
古刀上々作。国宝2振。重要文化財1振。

※「一」の字のみ銘を切られている物は、他の派との区別が困難なため、「一」銘以外で数えています。

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長船鍛冶の歴史

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「備前長船」(びぜんおさふね)とは、備前国(びぜんのくに:現在の岡山県)の刀工流派。今で言う、日本刀(刀剣)の一流ブランドです。中でも、「長光」(ながみつ)・「真長」(さねなが)・「景光」(かげみつ)の3人は、鋒/切先(きっさき)の中に刃文(焼刃)を入れる、大変難しい「帽子」(ぼうし)技術に優れていました。この3人に共通する帽子のことを、「三作帽子」と言い、この3人は「長船三作」と呼ばれます。また、この流派は「長船四天王」と呼ばれる4人の卓越した刀工も輩出しました。 これらの優れた備前長船の特徴や歴史、名工について詳しくご紹介します。

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長船鍛冶

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備前国(びぜんのくに:現在の岡山県南東部)は、古来より鉄資源に恵まれた刀剣王国です。質・量ともに全国1位を誇り、刀匠の数も突出して多く、現存する名刀の70パーセントが備前の物と言うことからも、その繁栄ぶりが窺えます。中でも「長船派」(おさふねは:備前長船)は、「長船物」(おさふねもの)と呼ばれ高く評価され、名刀の代名詞とされてきました。備前長船が刀剣王国として栄えたのは、長船一門の、各代の長の時代を見る眼が正しかったと言うことが挙げられます。祖である「光忠」(みつただ)は武士の時代に即した、実戦を重んじながらも芸術的で華やかな日本刀を作り出し、2代目「長光」(ながみつ)の経営者としての力量が大工房へと発展させました。3代目「景光」(かげみつ)は堅実に父の跡を引き継ぎながらも、「肩落互の目」(かたおちぐのめ)など、時代に合ったデザインを工夫し、長船派は発展していくのです。 ここでは、長船派の代表的な名工についてご紹介します。

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