結城秀康
結城秀康(ゆうきひでやす)は、徳川家康の次男の立場にありながら、数奇な運命を辿った戦国武将です。
元服を果たす前に、豊臣秀吉のもとへ養子に出されましたが、豊臣家の後継者が豊臣秀吉の甥・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)に決まると、今度は下総国(千葉県北部、及び茨城県南西部)結城晴朝(ゆうきはるとも)の養子となります。
天下人の家系に生まれながら、流転の境涯(きょうがい:この世で置かれている立場、身の上)にあったのです。小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いなどで活躍し、権中納言(ごんちゅうなごん)にまで昇進しますが、34歳の若さで病没してしまいます。
結城秀康は名刀を数多く所有し、そのなかでも南北朝時代の名工・郷義弘(ごうよしひろ)による「稲葉郷」(いなばごう)は、上杉討伐の際、上杉軍の抑えとして、宇都宮城(栃木県宇都宮市)に留まる結城秀康へ、徳川家康が秘蔵の采配(さいはい:戦場において、兵士達を指揮するために大将が手にして振っていた武具)と共に託した1振。
結城秀康亡きあとも、代々、越前松平家(えちぜんまつだいらけ)の家宝として受け継がれ、のちに作州松平家(さくしゅうまつだいらけ)へと伝えられています。
この他にも結城秀康は、童子切安綱(どうじぎりやすつな)や石田正宗(いしだまさむね)など、名立たる日本刀を所有していました。
西暦(和暦) | 年齢 | 出来事 |
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1574年(天正2年) | 1歳 | |
1584年(天正12年) | 11歳 | |
1587年(天正15年) | 14歳 | |
1590年(天正18年) | 17歳 | |
1600年(慶長5年) | 27歳 | |
1604年(慶長9年) | 31歳 |
結城晴朝から家督を相続し、松平に改姓。
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1605年(慶長10年) | 32歳 |
権中納言に昇進。
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1606年(慶長11年) | 33歳 | |
1607年(慶長12年) | 34歳 |
越前国へ帰国し、のちに病没。
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