戦闘中、頭を守るためにある「兜」には、「兜鉢」(かぶとばち)を1周するように付けられた、主に後頭部から首を守るための「錣」(しころ:𩊱・錏とも)という部位が存在。兜を鑑賞する際には、一際目を引く「前立」(まえだて)などに注目してしまいがちですが、錣にも様々な種類があり、時代によって形状などに違いが見られるのです。錣の特徴や種類、その役割などについて説明します。
「錣」(しころ:𩊱・錏とも)とは兜の部位の一部であり、後頭部から首にかけての部位を守る目的で付けられた物。「兜鉢」(かぶとばち)にある「眉庇」(まびさし)の両端から左右に垂れた覆いで、通常は、「小札」(こざね)や「縅毛」(おどしげ)、帯状の鉄板など、甲冑の胴部分に使われる物と同じ素材で制作されます。
また、この小札や鉄板を3~5段ほど連ねて縅し下げる、つまり糸などで綴り合わせた物や、鋲(びょう)などで留められた物が一般的です。錣はこの板の枚数によって呼び方が異なり、3枚の場合は「3枚兜」、5枚の場合は「5枚兜」というように呼称されます。
兜の部位
なお、最下段にある板は「裾板」(そでいた)、または「菱縫板」(ひしぬいのいた)と呼ばれ、錣の左右両端を後ろに折返した部分を「吹返」(ふきかえし)と呼称。
吹返は、騎馬戦において刀や槍、矢などに狙われやすい顔を守る目的があるだけでなく、兜の装飾としても注目されました。
吹返は、「絵韋」(えがわ)で包み、上部に「据文金物」(すえもんかなもの)を打つことで、装飾されることもあります。
また、兜には鑑賞目的で制作された飾り兜が存在。この飾り兜の錣には、「続小札」(つづきこざね)という鉄などの金属を、細かな波状の凹凸を付けた板をもとにした物がよく使われており、一枚物である場合は、両面に凹凸があるのが一般的です。
これに対して、錣が分厚く、裏面が平らになっている錣も存在。数段に及ぶ錣のすべてが平らになっている物は「総裏」(そううら)、最下段だけが平らになっている物を「裾裏」(すそうら)と呼びます。
小札錣・板錣
錣は小札を用いた「小札錣」(こざねしころ)と、鉄板などを用いた「板錣」(いたしころ)の2種類に分類され、戦法の変化に伴い時代によって変遷。
小札錣は、錣に「小札板」(こざねいた)を用い、それを縅した物を一段から複数段に亘って付け、垂れ下げた物で、中世に主流となったものです。
小札錣は、制作時に兜鉢の形に合わせて小札板をひとつひとつ曲げ、そのあとに縅していく作業過程が必要。
これに対して、「板札」(いたざね)を縅してつなげた「板札錣」(いたざねしころ)や、鋲留めをした板錣などは、制作コストが削減されるため、戦乱の激化した戦国時代以降、頻繁に使われるようになります。
錣は本来、平安時代に主流であった戦い方である騎馬戦において、後頭部に板をぶら下げることで、弓矢などの背後からの攻撃から身を守るために作られました。なお、吹返も同様に、顔の横で折り返すことで、弓矢が顔にあたらないようにするための防具です。
錣は時代によって形状が変わっていきますが、この変化は、時代ごとの戦法の変化によるもの。時代によって、騎馬戦での弓を中心とした戦法から、徒歩戦における日本刀や槍などの近接武器で、直接打撃を与える戦法への変化に、錣の形も対応していったのです。
中世前期~中期にかけては騎馬戦が中心であったため、吹返も下方へ向いていました。この時代の吹返は大きく、視界を狭めてしまう一方で、顔を防御できるメリットがあるため、弓矢から顔面を守るためには有効だったのです。
そののちの南北朝時代以降、徒歩戦が中心になると、視界の確保が重要視され、水平方向に広がっていきました。
錣の種類はその形状によって区別され、大きく分けて、「杉形錣」(すぎなりじころ)、「笠錣」(かさしころ)、「最上錣」(もがみじころ)、「当世錣」(とうせいじころ)の4つに分けられます。
笠錣
笠錣は、傾斜が少なく平たい笠状に開いた錣が特徴。
南北朝時代・室町時代以降に使用された錣で、吹返は通常大きく反って上向きに付けられました。
南北朝時代以降、太刀や薙刀などを用いた接近戦や、攻城戦が多く行なわれたことから、腕を自由に動かせる形状を取り、肩や背まで覆うことのできる錣は、斬撃(ざんげき)や上からの投下物を防ぐ形状を取ったのです。
またこの笠錣は、「文永・弘安の役」の2度に亘る蒙古軍の襲来から学び、制作されたものとされています。
笠錣の代表作として知られるのは、「櫛引八幡宮」(くしひきはちまんぐう:青森県八戸市)所蔵の国宝「白糸縅褄取鎧」(しろいとおどしつまどりよろい)。南北朝時代に制作された甲冑で、「南部信光」(なんぶのぶみつ)が「後村上天皇」(ごむらかみてんのう)から下賜された甲冑として知られています。
黒糸縅横矧二枚胴具足
当世錣は、戦国時代以降に作られた錣で、激化する戦乱に合わせて大量生産がされやすいよう、制作コストを下げ、迅速化を図るために、小札ではなく板札を用いて制作されました。
やや丸みを持たせた形状で、小型となって肩まで下げられ、小さな吹返が1枚付けられています。
代表作は、「永青文庫」(えいせいぶんこ:東京都文京区)に所蔵されている「黒糸縅横矧二枚胴具足」(くろいとおどしよこはぎにまいどうぐそく)が知られ、この甲冑は、「関ヶ原の戦い」の際に、豊後国(現在の熊本県)の大名「細川忠興」(ほそかわただおき)が着用した物として有名です。
なお当世錣は、形状や構造によって6種類に分類することができ、黒糸縅横矧二枚胴具足は、そのなかの「越中錣」(えっちゅうじころ)に分類されます。
越中錣
越中錣は、細川忠興が考案した越中具足に用いられる、「越中頭形」(えっちゅうずなり)の兜鉢に付けられた錣で、鉄板札を用いて制作された物。
5枚兜である物が多く、表面には栗色や黒漆塗の「皺革包」(しぼかわつつみ)が用いられました。
当世錣にはその他、「割錣」(わりじころ)、「饅頭錣」(まんじゅうじころ)、「一饅頭錣」(いちまんじゅうじころ)、「日根野錣」(ひねのじころ)、「重錣」(かさねじころ)があります。
大きな戦乱がなくなった江戸時代中期頃からは、全体にゆるやかな曲線をもたせた形状の饅頭錣や一饅頭錣などが流行。また、中世の「大鎧」や「胴丸」などを模範とした、復古調(ふっこちょう)の様式を取った甲冑が流行し、錣も同様に杉形錣や笠錣など、古式の形状を再現した錣が多く制作されるようになりました。