「子どもの日」と聞くと、空にたなびく鯉のぼりや床の間に飾られた兜を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。日本では、3月3日は桃の節句「ひな祭り」として女の子の成長を、5月5日は端午(たんご)の節句「子どもの日」として、男の子の成長を祈り、祝う日として定着しています。しかし、いつ、どのように、この風習が発生したのでしょうか。男の子に贈られ飾られる「五月人形」について、起源や種類、有名な武将を模した人形など、様々な角度からご紹介します。

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五月人形について

鎧飾り
5月5日、端午の節句は、男の子の成長を祝う日であり、現代では「子どもの日」とも呼ばれています。端午の節句に飾られる人形のことを「五月人形」と呼び、男の子の誕生を祝い、健やかな成長を願って両親や親戚から贈られるのが一般的です。
端午の節句の、「端」には「初め」の意味があり、「午」は「うま」を意味します。つまり、端午は5月最初の午の日を意味する言葉です。
午と五が同じ音であることから、奈良時代以降に5月5日が端午の節句として定着するようになりました。邪気を払う効果があると言われる植物の「菖蒲」(しょうぶ)を厄除けとして飾り、邪気祓いを行ったと言われています。
政治の中心が公家から武家に移行していった戦国時代から江戸時代にかけて、菖蒲は、武事や軍事を尊ぶことを意味する「尚武」(しょうぶ)と同じ音であることから、端午の節句は、尚武の節句として、武家の間で祝われるようになりました。
そして男の子が生まれると、周囲に広める意味でも大きな幟(のぼり)を掲げ、家の前に棚を作り、槍(やり)や薙刀(なぎなた)などの武具を立て、武士を模した大型の人形を飾るようにもなっていきます。
武家の風習は、やがて商人にも広がり、江戸時代後期には鯉のぼりも登場。一族に跡取りが生まれたことを祝い、健やかに成長することを願う重要な行事として定着していったのです。
また、兜(かぶと)や人形には、厄を担う形代(かたしろ)の意味があります。武家のシンボルでもあった甲冑は、やがて模造品や人形となり、子どもの災厄を肩代わりする形代として現代にも受け継がれているのです。

目次

端午の節句の由来と五月人形

現代では男の子が誕生すると、名の知られた武将達所用の甲冑を模した「五月人形」を兜や太刀などと共に、「端午の節句」(こどもの日)に飾る風習があります。現代でも「年中行事」のひとつとしてお祝いされる端午の節句ですが、そもそも端午の節句の始まりは、どのようなことに由来しているのでしょうか。時代と共に変化してきた端午の節句について、過去にさかのぼってその変遷を見ていくと共に、端午の節句と五月人形の関係についてもご説明します。

端午の節句の意味

五月晴れの空に鯉のぼりが風にそよぐ様子は、「端午の節句」(たんごのせっく)における代表的な風景であり、春の風物詩となっています。近年では、長い連休となるゴールデンウィークの中に埋もれてしまっていますが、5月5日の端午の節句は、奈良時代から続いている日本古来の年中行事です。

「端午」という言葉は、もともと月の最初に来る「午の日」(うまのひ)のことを指していました。午の日とは、十二支の午に当たる日のこと。日本の暦では、各日に干支(十二支)の動物が割り当てられており、午の日はその動物が午に当たる日を意味しています。そして端午は、旧暦の5月に訪れる最初の午の日を指すようになり、「午」(ご)と「五」(ご)が同じ音だったことから、やがて5月5日になったと言われているのです。

菖蒲

菖蒲

端午の節句は、春から夏へと季節の変わり目となる時期に当たり、急に暑くなることで病気にかかりやすく、亡くなる人も多くいました。

そのため、5月を「毒月」と称して、薬草を摘んだり、蘭を入れた湯を浴びたり、「菖蒲」(しょうぶ)や蓬(よもぎ)の葉を門に刺したりするなど、病気や災厄から逃れるための風習が、昔から行われていたのです。

特に菖蒲は強い臭いを発することで、鬼を追い払う効果があるとされていたため、邪気を払う厄除けの植物としても使われていました。

また、病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治する意味で、馬からを射る「流鏑馬」(やぶさめ)の儀式も、端午の節句の時期に行われていたことが伝えられています。

端午の節句の発祥は中国

端午の節句の由来は、中国に伝わる逸話から知ることができます。それは、今から約2,300年前、中国の戦国時代、「楚の国」(そのくに)に「屈原」(くつげん)と名乗る詩人がおり、国王の側近をしていました。正義感が強く人望も厚い屈原でしたが、陰謀によって国を追われるはめに。そののち、屈原は国の将来を憂いて川に身を投げてしまったのです。

屈原を慕っていた国民達は、川で太鼓を打って魚を脅すと共に、魚が屈原の死体を食べないよう川にちまきを投げ込みました。その日が5月5日に当たり、屈原を供養するために祭りが行われるようになったと伝えられています。この祭りがやがて中国全土に広まり、中国の年中行事にまで発展したのです。

川にちまきを投げ入れる風習は、やがて国家安泰を祈願する風習に様変わりし、さらに病気や災いを払うための貴族の「宮中行事」へと変化して、端午の節句になったと言われています。三国時代には、「魏の国」(ぎのくに)によって、端午の節句が旧暦の5月5日に定められ、奈良時代の日本にも伝わってきました。

もともと女性の祭りだった端午の節句

奈良時代に伝わった端午の節句は、平安時代には宮中行事に変化します。「端午の節会」(たんごのせちえ)と言われたこの行事は、菖蒲で屋根を葺いたり、菖蒲を身に付けたりして邪気を払っていたのです。

また厄除けとして、菖蒲や蓬の茎(くき)、葉で玉を編み、その隙間を花や五色の糸で飾っていました。これは「薬玉」(くすだま)と呼ばれ、現代の式典やお祝いごとなどに用いる「くす玉」の由来となっています。この頃は、貴族間で薬玉を贈り合ったりすることもあり、その風習は、「源氏物語」や「枕草子」にも記載されているのです。

そして、5月頃は田植えに当たる時期。日本では古来、田植えは神聖な行事だったことから、若い清らかな女性の仕事とされていました。田植えをする女性を「早乙女」(さおとめ)と呼び、田植えの前に身を清める「物忌み」(ものいみ)の儀式を、一定期間行う風習があったのです。

これに端午の節句が結び付き、物忌みの儀式で女性達は菖蒲や蓬で屋根を葺いた小屋で一夜籠もりをし、菖蒲酒で穢れ(けがれ)を祓ってから、早苗(さなえ:稲のなえ)を手にしていました。

端午の節句は、現代では男の子の節句とされていますが、平安時代以降には女性のお祭りとして祝っており、今と様子もかなり違っていたと伝わっています。

端午の節句と五月人形

端午の節句が今のように男の子の祭りになったのは、鎌倉時代以降、武士が政権を握り始めた「武家社会」になってからとされています。それまでの端午の節句における風習が次第に廃れていき、武家であることから、菖蒲と「尚武」(しょうぶ:武道を重んずること)をかけて「尚武の節句」(しょうぶのせっく)となり、武家の間で盛んに祝うようになりました。

こうして尚武の節句は、家督を継ぐ男の子の健やかな成長と無病息災を祈り、一族の繁栄を願う重要な行事となったのです。この頃から、女の子の節句である3月3日の「桃の節句」に対して、5月5日が端午の節句となり、男の子の節句として定着していきます。

東建多度カントリークラブ・名古屋に設置された武者絵のぼり

東建多度カントリークラブ・名古屋に
設置された武者絵のぼり

江戸時代には、徳川幕府の重要な式日(儀式を執り行う日)が5月5日に定められ、大名などが式服で「江戸城」(現在の東京都千代田区)に集まり、将軍にお祝いを奉じるようになったのです。

そして武士の家では端午の節句に、門や玄関に家紋の入った「旗指物」(はたさしもの)や「幟」(のぼり)、「吹流し」などを立てて祝いました。

その幟のひとつに、勇ましい武将が描かれている「武者絵のぼり」があります。「節句のぼり」とも呼ばれるこの幟は、男児の誕生を祝い、その子の無病息災や立身出世を願って端午の節句に掲げられたのです。

江戸時代中期になると、その風習が庶民の間にも広がり、中国に伝わる道教(どうきょう)系の神であり、厄除けとされた「鍾馗」(しょうき)を描いた幟や、鯉のぼりを立てるようになったと推測されています。また鯉のぼりは、中国の「龍門伝説」から来ており、立身出世や無病息災への願いが込められました。

や鎧を飾る風習が始まったのも江戸時代からです。武家社会では、身の安全と戦勝を祈願して神社に参拝する際に、兜や鎧を奉納するしきたりがありました。武将にとって兜や鎧は自分の身を守る防具であり、家のシンボルを表す大切な道具でもあったのです。

しかし江戸時代では、戦もなく泰平の世が続いたため、合戦での勝利ではなく子どもの安全や無病息災などの願いを込めて、鎧や兜を飾る風習が広がっていきます。

やがて兜や鎧の他に、人形を飾る風習も生まれました。人形はもともと、人に代わって厄を受けてくれるとされていたことから、端午の節句に飾る人形である五月人形にも、厄除けのために身代わりになって欲しいという願いが込められたのです。

そして現代では、甲冑を真似た五月人形としての「鎧飾り」や「兜飾り」だけではなく、「金太郎」や「牛若丸」のように、有名な武者を模した武者人形にも、たくましい男の子に育つようにと願いが込められています。

五月人形は人形本体だけでなく、その脇に弓や太刀といった武具を飾ることも少なくありません。弓は魔除けとして、太刀は合戦のみならず、儀式などにも欠かせない物として古くから用いられてきたのです。なお、魔物は光を嫌うと考えられていたため、光輝く太刀もまた魔除けの役目を果たしていました。

五月人形の飾り方

端午の節句では、五月人形に代表される「内飾り」と鯉のぼりのような「外飾り」があります。

これらの飾りは、通常春分(3月20日前後)を過ぎた頃から4月中旬までに飾ることが大切。

また片付ける時期としては、5月5日以降、遅くても5月中旬くらいまでが望ましいとされています。

あまり遅いと梅雨に入るため、湿気を含んでカビが発生する恐れがあることがその理由です。

五月人形を飾る場合、昔は「床の間」に飾るのが風習でしたが、最近では床の間がない家も多く、飾る場所に迷うことがあります。こんなときに考慮しておきたいポイントは、家族全員が集まる場所を選ぶこと。子どもの成長を見守って貰える場所としてリビングなどが最適です。

飾る位置については、直射日光を避け、エアコンの風が直接当たらない場所を選ぶようにします。また、五月人形は湿気に弱いため、キッチンなど水まわりの近くに飾ることも禁物。なお、北向きに飾るのは縁起が悪いなどと、方角を気にされる人もいますが、特に決まりはないので置きやすい場所に飾ると良いでしょう。

端午の節句の食べ物

柏餅・ちまき

柏餅・ちまき

端午の節句にお供えして食べる物と言えば、「柏餅」(かしわもち)と「ちまき」です。

柏餅が端午の節句に食べられるようになった背景のひとつには、柏の葉が持つ性質にあります。

それは、育ち切った古い柏の葉は、新芽が出てきてから落ちるということ。このような柏の葉の性質は、武家にとっては「家系が途絶えることなく一族が存続し、子孫も繁栄する」という願いに繋がると考えられていたのです。そのため、柏の葉で包んだ柏餅が、端午の節句に供されるようになりました。

端午の節句に柏餅を食べる風習は、関東地方で主流となっています。その理由はいくつかあり、柏餅が生まれた江戸では、武家において、「御家」(おいえ)の家督を譲られる男の子の成長が最優先であったこと、また、関西地方における気候のもとでは、柏の木が上手く育てられなかったことなどが挙げられるのです。

柏餅が主流である関東に対して関西の端午の節句では、ちまきがよく食べられています。日本で端午の節句にちまきを食べるようになった背景は、前述した通り中国に伝わる屈原の逸話が由来となっていました。ちまきが、主に関西で食べられている理由としては、奈良時代に端午の節句が中国から伝来してきた頃、「平城京」と称する日本の首都が、現在の奈良県に当たる地域であったことが考えられるのです。

端午の節句と菖蒲湯

菖蒲湯

菖蒲湯

前述した通り、端午の節句は鎌倉時代以降、武家の跡継ぎとなる男の子の成長を願って祝われるようになりました。

端午の節句における菖蒲の使い方は、軒先に飾る方法などもありますが、広く知られているのは「菖蒲湯」です。

お湯を張った湯船の中に菖蒲を入れて入浴することで、厄除けや子どもの成長を祈願するだけでなく、体の疲れを取ったり、身も心もリラックスさせたりする効果も期待できます。

また、端午の節句では菖蒲湯の他にも、邪気を払うために菖蒲を用いていました。菖蒲をお酒に浸して作る「菖蒲酒」を飲んだり、5月5日の夜に、短く切った菖蒲を薄紙に包んで作った「菖蒲の枕」(あやめのまくら)で寝たりするなど、端午の節句において菖蒲は様々な方法で使われていたのです。

そのなかでも、現代のご家庭でも手軽にできるのは、やはり菖蒲湯。こどもの日に家族みんなで菖蒲湯に浸かれば、端午の節句が忘れられない思い出になるかもしれません。

五月人形と鯉のぼりの由来

「端午の節句」(たんごのせっく)として知られる「こどもの日」は、男の子の成長を家族みんなでお祝いする日。そのお供えには柏餅や粽(ちまき)がありますが、いちばんの主役は、何と言っても「五月人形」と「鯉のぼり」。どちらも、こどもの日には欠かせない端午の節句のお飾りですが、屋内と屋外といった飾る場所だけでなく、それぞれに込められた意味と役割にも大きな違いがあるのです。もともとは宮中行事であった端午の節句について、その変遷を解説すると共に、五月人形と鯉のぼりそれぞれに異なる由来などについてもご説明します。

宮中行事だった端午の節会

平安時代の年中行事であった「端午の節会」(たんごのせちえ)は、5月は悪い月であるという中国の思想に基づいた行事。古代中国で5月は、「五月、俗に悪月[あくげつ]と称し、禁忌多し」とされていました。旧暦の5月は、歴史的にも天災や戦乱などの凶事が多く重なっていたと伝えられており、忌み慎む(いみつつしむ)月だったのです。

そのため旧暦の5月には、「魔除け」の意味を込めて、「菖蒲」(しょうぶ)の薬効にあやかった行事である端午の節会が行われていました。中国では、菖蒲の持つ芳香が魔除けになると信じられており、この風習が平安時代における日本の朝廷に取り入れられていたのです。

この端午の節会のように、公式の宴である節会の儀式は、「節日」(せちにち)と呼ばれる、季節の変わり目に際して祝いごとをする日に執り行われていました。節日のなかでも、「端午」と称される5月5日を始め、「人日」(じんじつ)の1月7日、「上巳」(じょうし)の3月3日、「七夕」(しちせき)の7月7日、そして「重陽」(ちょうよう)の9月9日を、江戸幕府が公的な祝日、または行事として定め、総称して「五節句」(ごせっく)と呼ばれるようになったのです。

そんな五節句のひとつである「端午の節句」(たんごのせっく)の日に公家達は、髪に菖蒲を付け、菖蒲や薬玉(くすだま:香りの良い薬物を袋に包み、これに菖蒲などを結び付けて5色の糸を長く垂れ下げた物)を贈り合っていました。

また、平安時代における端午の節句には、粽(ちまき)を食べり、干した菖蒲の根を煎じて飲む風習もありました。菖蒲の根には強い薬効があり、滋養強壮のために端午の節句の時期に飲むべき物だったのです。

現在のように入浴の際、菖蒲を浴槽に入れるようになったのは、江戸時代に入ってからだと言われています。

本来は女の節句
もともと端午とは、「端っこ」すなわち月の初めの「午の日」(うまのひ)を意味しており、5月とは限っていませんでした。しかし、中国から日本に端午の節句が伝わった頃には、「午」の字と「五」の字、両者の発音が同じ「ウー」であったことから、端午が5月5日を指すようになったのです。

また端午の節句は本来、菖蒲で屋根を葺(ふ)いて家を清め、女性が身体を休める日とされていました。つまり、端午の節句には由来にも行事の内容にも、「男の子の節句」という意味はまったくなかったのです。

菖蒲が尚武になり男の子の節句に

端午の節句が男の子の節句になったのは、菖蒲にあやかったためです。剣状である菖蒲の葉は、を合戦の場で用いていた武士を表す植物。また、「武事を重んずる」ことを意味する「尚武」(しょうぶ)という言葉が菖蒲と同じ発音であったため、武士にとって縁起の良い植物とされ、これをお供えする端午の節句が男の子の節句となったのです。

端午の節句にこのような変化があったのは、武家が社会的地位を確立してきた鎌倉時代からと言われています。菖蒲は、「屋根を葺く」、菖蒲の薬効にあやかって「菖蒲湯に入る」、「菖蒲の根を煎じて飲む」、さらには、「菖蒲で日本刀を模したお供え飾りを作って魔除けにする」など、端午の節句において大いに活用されました。

武家の幟を立てた端午の節句
武家の幟

武家の幟

端午の節句が武家における男の子の節句となってから、江戸時代には武家屋敷内の屋外において、家紋や「鍾馗」(しょうき)と称される中国伝説上の神様などを描いた「幟」(のぼり)や「吹貫」(ふきぬき)を立てるようになりました。

古くから日本では、幟は神様を迎える祭礼の際に使われていましたが、武家が軍事用に使い始めてから重要な役目を持つようになります。

戦のときに敵味方を明確にするため、家紋が配された幟を武将達が利用し始めたのです。これは「指物」(さしもの)とも言い、家紋だけではなく主君の思想や趣味が反映されている物も多くありました。

馬標/馬印

馬標/馬印

指物のなかでも、武将の馬側にいる家臣に持たせた幟を「馬標/馬印」(うまじるし)と言い、集団戦の中でより目立つような工夫がされています。

このように、敵から目立つためと言うよりも、味方同士が区別をできるようにとの配慮から生まれたのが、戦国時代の指物でした。

指物のなかでも有名な馬標には、「武田信玄」の「風林火山」、「豊臣秀吉」の「金の逆さ瓢箪」、「柴田勝家」の「金の御幣」(きんのごへい)、「徳川家康」の「金の開き扇」などがあり、多種多様な意匠が施されています。

この馬標が持つ役目は、戦乱の世が終わった江戸時代にも引き継がれ、「馬標持」(うまじるしもち)という江戸幕府の役職となりました。馬標持は、主人の傍らを離れずに仕える大事な役目を担っていたのです。

この馬標や幟といった指物が、武家の家格を表す大事な意匠のひとつとなり、一族のルーツや家格など武家の威厳を表す役割も果たしていました。そして、端午の節句では武家の跡取りである男の子の成長を祝うために、幟が立てられるようになったのです。

吹貫

吹貫

また戦場では指物と一緒に、吹貫と呼ばれる標識具も用いられていました。

吹貫とは、幅広の布を切り裂いて鯨の髭や竹を芯にして、円形に合わせた布を竿の横に取り付け、風になびくように作られた物。

豊臣秀吉が所持していた朱の吹貫や、その養子であった「豊臣秀次」(とよとみひでつぐ)の白の吹貫が、その代表です。

吹貫もまた、江戸時代には家紋の幟と共に武家に引き継がれていきます。

五月人形が飾られるようになった背景

鎌倉時代から室町時代にかけて、武士の家では旧暦の5月頃、家の中へ甲冑や日本刀などを飾る習慣があったと言われています。

もともとは、梅雨の時期を前に風を通し、手入れをすることが目的でした。ちょうどこの時期は、端午の節句と重なる頃。そのため、武将にとっての大切な武具や防具である、甲冑、日本刀などを、「子どもの身を守る」という願いを込めて、端午の節句で飾られるようになったのが始まりです。

江戸時代に入ると、幕府では5月5日に重要な式典が行われるようになります。さらには、大名や旗本が参上するなか、「江戸城」(現在の東京都千代田区)では男の子が生まれると、城内に兜や鎧などが飾られるようになりました。

そして、江戸時代後期には武士の家々で行われる端午の節句のお祝いも豪華になり、甲冑だけでなく有名な武将の「武者人形」なども作られるようになります。一方、武士だけでなく商人や農民といった市井の人々の間でも、このような端午の節句のお供え飾りを真似て、紙で作った兜など飾ることが広まり、現在に至っているのです。

五月人形の持つ意味
「五月人形」を飾る風習は、戦国時代から受け継がれていますが、現代において実際の戦いはないため、「子どもの身を守る」という願いから、「子どもの健康や成長」を願う意味へと変化していきました。

また、端午の節句には歴史的に天災や戦乱など災いが多くあった古代中国において、災いから子どもを守るために魔除けとして、菖蒲を用いた行事を行っていた背景から、「子どもの厄除け」、さらには「子孫繁栄」を願う意味も込められています。これらの他にも五月人形には、「お祝い」や「成長祈願」の意味も含まれているのです。

五月人形や道具に込められた思い
端午の節句における兜や甲冑を始めとするお供え飾りには、種類は同じであっても絵柄が異なる場合があります。武家の習慣に由来するこれらのお飾りは、それぞれに違う意味と役割を持っているのです。

甲冑や兜
戦国武将にとって甲冑や兜は、「自分の身を守る大切な防具」でした。そのため、端午の節句に飾る甲冑や兜には、「命を守る」という意味があります。

ただし、現代社会では戦国時代のような戦はないため、五月人形としての甲冑や兜には、「子どもを病気や怪我など命の危険から守って貰いたい」と願う思いが込められているのです。

弓矢と太刀
弓矢太刀には魔除けの意味があります。端午の節句に飾られる太刀は実戦で使う日本刀とは異なり、主に儀式で魔除けとして用いられた物を模しています。また弓矢は、中国の武神である鍾馗が弓矢を用いて悪鬼を退治していたことが由来となり、魔除けの意味を持つようになりました。

そして矢の一種である「破魔矢」(はまや)も、五月人形と一緒に飾られることがあります。破魔矢は鎌倉時代、縁起の良い物やお祝いの品として使われていました。そのため、子どもの成長を祝う儀式の魔除けとして、五月人形の両側に飾られるようになったのです。

屏風
五月人形の後ろに飾られる調度品の「金屏風」には、いろいろな図柄があり意味も異なりますが、いずれも子どもの成長を願っています。

図 柄 意 味
風神雷神 邪気から身を守る
福を招く
すこやかな成長
元気に生きる
赤富士 縁起が良い
三品
五月人形の前飾りである「三品」(さんぴん)とは、戦いに欠かせない3種類の武具のこと。一般的には、「軍扇」(ぐんせん)や「陣笠」(じんがさ)、「陣太鼓」(じんだいこ)を指します。

前飾り 用具の用途
軍扇 武将が自分の軍を指揮するために使う扇。
陣笠 足軽などが兜の代わりに被った笠。
縁が反り返っている物は武士が外出用として使用。
陣太鼓 自分の軍に合図を送るために使う太鼓。
三宝(三台)
「三宝」(さんぽう)は「三台」とも呼ばれ、端午の節句にお供えする飾りです。

飾 り 意 味
瓶子(へいし) 口縁部が細く窄まる(すぼまる)器形で、武士の間ではまつりごとなど行事に使用。
柏餅(かしわもち) 柏の葉で包まれた和菓子。
柏の葉は新しい葉が出るまで古い葉が落ちない木とされ、子孫繁栄を表す縁起物とされている。
(ちまき) 餅米などで作られた餅の一種。
古代中国の故事に由来しており、災いを避ける意味が込められている。
武者人形
端午の節句に飾る「節句人形」のひとつに武者人形があります。この武者人形を飾るようになったのは、江戸時代前期が始まりと言われており、男の子が生まれると、端午の節句の時期、玄関前に大きな人形を飾りました。

江戸時代中期には、縁側など室内でも外から見える位置に飾られるように。そののち江戸時代後期には、家の中で飾れるぐらいの小さな人形が主流となったのです。武者人形は、歴史上の英雄がモデルになっていることが多くあります。

例えば、「坂田金時」(さかたのきんとき)幼名「金太郎」や、「源義経」(みなもとのよしつね)幼名「牛若丸」などが有名です。昔話に出てくる「桃太郎」や武神の鍾馗も武者人形のモデルとなっています。これらは、歴史上に名を残す人物が象徴する思いや願いを込めて、現代でも飾られている武者人形です。

端午の節句に武士が幟や鯉のぼりを飾る風習

武家における端午の節句に、家紋を染め抜いた幟や吹貫を庭先に飾るようになったのは、江戸時代になってからのこと。江戸時代後期になると、幟と吹貫と共に鯉を模したお供え飾りである「鯉のぼり」が飾られるようになりました。勢いよく滝を上る鯉が、男の子の活発で健やかな成長の願いとなって、吹貫のように飾られるようになったのが鯉のぼりの始まりなのです。

なぜ鯉なのか
鯉が端午の節句に使われるようになった由来は、中国の歴史書である「後漢書」(ごかんじょ)にあります。中国の黄河にある「竜門」と称される急流を上った鯉が龍になると伝えられていたことから、鯉の意匠は、「立身出世」の象徴となりました。この竜門は、突破すれば立身出世が約束されることを意味する、「登竜門」ということわざの由来にもなっています。

現代において鯉は、気軽に食卓に上る食材ではありません。地方の名産として食することはあっても、日常食として口にすることは少なくなりました。しかし、古来の日本人にとって鯉はご馳走であった食材。

鯉は大きさ、形の良さ、味の良さなどで人気が高く、魚の中でも最上の部類に入り、祝賀の場では必ず供されていました。海から遠い地域の人々にとって、淡水魚である鯉は新鮮なうちに食べられる貴重な動物性のたんぱく源だったのです。

室町時代以降は、鯛が魚の最高位の座を奪います。現在の私達が慶賀の席で目にする尾頭付きの鯛は、室町時代以降に始まった風習なのです。それでも鯉は、祝賀の場で出される食材として好まれ、安土桃山時代には養殖が始まっていたとされています。それだけ鯉は日本人に愛されており、現在よりも身近な存在だったのです。

現在の鯉のぼり
鯉のぼり

鯉のぼり

鯉のぼりには「のぼり」という言葉が使われていますが、幟ではなく、吹貫の形状を採っています。

鯉を飾るようになった当初は、手すき和紙に描いた鯉だけを飾っていました。

現在見られるような吹貫の形状を用いた鯉のぼりが、いつから飾られるようになったのかについては分かっていません。

江戸時代の文化のなかで、幟と吹貫、両方の意味が混在していき、鯉のぼりが完成していったと推測されています。なお、当時の鯉のぼりは江戸の風習であったとされ、西の文化にはありませんでした。

色鮮やかな錦鯉が養殖されるようになったのは、江戸時代末期頃とされていますが、庶民が目にすることはあまりありませんでした。現代のようなカラフルな鯉のぼりになり、庶民が飾るようになったのは、明治時代後期以降と言われています。そして鯉のぼりは、四民平等の世になり、武家の身分が廃止されたことによって普及したのです。

鯉のぼりの「矢車」の意味
矢車

矢車

矢車(やぐるま)とは、鯉のぼりを飾る幟竿(のぼりざお)の先端にある車輪のような部品のこと。

その軸の周りには、いわゆる「矢羽根/矢羽」(やばね)が放射状に取り付けられており、この矢車が鯉のぼりと共に飾られているのは、戦国武将が合戦で用いていた弓矢が背景にあります。

また、矢車には風を受けて回る性質があり、そのときに聞こえる音を頼りに、神様が降りてくると伝えられているのです。

鯉のぼりの選び方
鯉のぼりを選ぶ際に決めなければならないのは、その飾り場所。鯉のぼりには基本的に、一戸建てなどに適した「庭用」と、アパートやマンションなどでも飾ることができる「ベランダ用」の2種類があります。

それぞれ設置方法が異なり、庭用の鯉のぼりは地面に杭を打ち、そこに幟竿を固定するのが一般的。これに対してベランダ用は、ベランダに金具を固定して鯉のぼりを飾るのが主流となっています。

しかし、アパートやマンションによっては騒音対策や安全面の観点から、ベランダにおける鯉のぼりの設置を禁止している場合があるので、初めて飾るときには管理会社などへ事前に問合せることが大切です。

五月人形と鯉のぼりに込められたそれぞれの思い
このように、端午の節句で飾られる五月人形と鯉のぼりには、歴史的背景を踏まえた意味や思いが込められています。

五月人形には「子どもの健康と成長」や「子どもの代わりに災いを引き受ける」、「子孫繁栄の願い」などが込められている一方で、鯉のぼりは生きる力がたくましくて強く、さらには縁起が良い鯉になぞらえて、「元気に育って欲しい」という願いが込められているのです。

五月人形と鯉のぼり、どちらも子どもの成長を願う気持ちは同じこと。端午の節句で五月人形や鯉のぼりを飾ることは、江戸時代から続いている習わしであり、祝いごとのやり方が時代と共に移り変わっていっても、子どもを持つ親の思いはいつの時代も同じと言えます。

五月人形の気になる「いつから?」にお答え

日本では古来、四季折々に節目となる年間行事が催され、行事そのもの、あるいはその日のことを「節句」(せっく)と呼んでいます。そのなかでも、現代の日本人にとって最も身近である節句のひとつが、男の子の健康と成長を願う「端午の節句」(たんごのせっく)通称「こどもの日」ではないでしょうか。その際、「五月人形」を飾る家庭も多いですが、お祝いする日が5月5日であることは知っていても、いつから飾り始めていつ仕舞うのか、何歳まで飾っても良いのかといった事柄について、困っている両親や祖父母も多いはず。五月人形にまつわる「いつから?」という様々な疑問について、詳しくお答えします。

五月人形を飾る時期はいつからいつまで?

5月5日にお祝いされる端午の節句(たんごのせっく)ですが、五月人形を飾る時期については、必ずこの期間でなくてはならないというような決まりはありません。

また、昔に比べると少なくなりましたが、旧暦の5月5日(現在の6月5日)頃にお祝いする地域もあるため、五月人形を飾る時期について一概に定めることは難しいのです。

しかし一般的には、気候が暖かくなり始める春分の日以降、4月の中頃ぐらいまでに収納箱から出して飾り始める家庭が多く見られます。

忙しくてなかなか時間が取れない場合でも、五月人形を飾るのは、端午の節句の1週間前までに終わらせておくことが大切。組み立てるのに時間が掛かることがあるだけでなく、お正月のしめ飾りなどのように、「一夜飾り」(いちやかざり)を避ける地域も見られるため、端午の節句直前ではなく、余裕を持ってなるべく早めに五月人形を飾るようにしましょう。

時期以外にも、五月人形を飾る際に注意しておきたいのが、その日の天気。甲冑などを模して制作された五月人形は、様々な部位で構成され、その分たくさんの部品が使われています。戦国武将達が合戦の場で身に着けていた本物の甲冑と同じくらい、繊細な造りになっている五月人形が多いのです。

そのため五月人形は、湿度が高すぎたり、逆に乾燥しすぎたりしている環境のもとに置かれると、すぐに傷んでしまいます。これを防ぐために五月人形を飾る際には、天気の良い日に太陽の光とエアコンからの風が直接当たらないような場所に飾ることが大切です。

なお、五月人形を仕舞う時期についても、飾り始める時期と同様に明確には決められていません。しかし前述した通り、五月人形にとって湿気がいちばんの敵となるので、梅雨がまだ始まっていない5月の中頃までには仕舞うようにしましょう。このときにも天気が良い日を選び、収納箱に人形用の除湿剤や防虫剤を一緒に入れておけば、1年後も綺麗な状態の五月人形を飾ることができます。

五月人形を飾る年齢はいつからいつまで?

五月人形を初めて飾る年齢は、生後0歳の初節句であることが一般的ですが、「〇歳まで飾る」という期限は、やはり決められていません。と言うのも五月人形は、子どもに降りかかる災難や厄を引き受ける身代わりとなって欲しいという、両親や祖父母の願いを込めて飾る節句人形だからです。

あえて期限を決めるとするならば、成人式を迎えたり、社会人になるために家を出たりと、子どもが自立したタイミングがそのときなのではないでしょうか。子どもの自立は、親の見守りや五月人形の身代わりがいらなくなったことを意味しているのです。

奈良時代以降、公家や武家の男の子は、現在の成人式に当たる「元服」(げんぷく)を迎えることで「一人前の男性」と認められていました。この元服は、現在の成人とされる年齢よりも若い11~16歳の間に執り行われていましたが、当時はこれをきっかけに五月人形も飾らないようにしていたことが伝えられています。

このような歴史を踏まえると、五月人形を飾るのは現代においても子どもが成人するまでと考えて、そののち供養を行ってから処分するのが良いでしょう。

赤ちゃんの五月人形はいつから飾り始める?

初節句のお祝い

初節句のお祝い

男の子が生まれ、初節句のお祝いとして祖父母などから贈られることも多い五月人形。

子どもの無病息災と幸せを願う節句人形であるため、ぜひ生後0歳から飾ってあげましょう。

ただし、まだ赤ちゃんであるときに五月人形を飾る場合は、怪我をしたり事故を起こしたりしないように配慮することが大切。

そのなかでも、いちばんに注意したいのが五月人形を飾る場所です。何かの拍子に、重さのある五月人形が赤ちゃんに向かって倒れてくるかもしれません。このようなことを避けるためにも、ベビーベッドなどの近くに五月人形を飾らないようにしましょう。

また、端午の節句をお祝いする「こどもの日」(5月5日)は、大型連休の期間中です。赤ちゃんにとって初節句ということもあり、お祝いの席を設けて、両家の祖父母や親族などを家に招待する家庭が多いかもしれません。

しかし、赤ちゃんが生まれた時期により、まだ体調に不安があったり、母親も体力が回復していなかったりするなど、万全な状態で初節句をお祝いすることが難しい場合には、無理は禁物。初節句が楽しい思い出になるようにするためにも、1年後の子どもの日に改めてお祝いするのが良いのではないでしょうか。

五月人形はいつから飾るようになった?

端午の節句は、古代中国の「陰陽五行説」(いんようごぎょうせつ)と称する思想と、日本における宮中行事が融合してできた風習「五節句」のうちのひとつ。端午の節句における行事そのものは、奈良時代から行われていました。

暦の上で季節が変わる節目である節句の時期には、急な気候の変化などによって病気に罹る(かかる)人や、亡くなる人が多かったことから邪気を寄せ付けやすいと考えられており、季節に合った飾りやお供えをすることで、厄払いをしていたのです。

そして武士が台頭し、武家政権が確立された鎌倉時代以降、端午の節句の時期には、甲冑や兜などを収納箱から出し、室内で飾る慣習が武家のなかでありました。当時の端午の節句は旧暦の5月、すなわち現在の6月頃、梅雨に入る時期に当たります。湿度が高くなっていることから、カビなどによる劣化や損傷を防ぐため、甲冑などの武具に風を通し、補修や整備などを行っていたのです。

このような武家の慣習が背景となり、江戸時代以降、現代の五月人形に見られるような甲冑などの「武者人形」を、男の子の前途を祝して飾るようになったと考えられています。

五月人形はいつからお店で買える?

店頭に並ぶ五月人形

店頭に並ぶ五月人形

五月人形が店頭に並び始めるのは、早いところであれば2月の終わりごろ。

ただしこの時期はまだ、3月3日の「桃の節句」に飾る「雛人形」をメインにしているお店が多いので、豊富な種類のなかから選びたい場合は、桃の節句直後の時期に購入するのがオススメ。

お店に直接行くのはもちろん、カタログやインターネットによる通信販売を実施しているお店もあります。

また、「伝統工芸品」でもある五月人形は、手作りであるため大量には生産できず、自宅への配送にも1週間程度、またはそれ以上掛かることもあります。そのため、購入時期を検討する際には、端午の節句を祝う日を考慮しながら、遅くても4月中旬頃までには五月人形を選ぶようにしましょう。 

五月人形は誰が買う?地域差や注意点も解説

男の子の健やかな成長を願って祝われる5月5日の「こどもの日」。「端午の節句」(たんごのせっく)とも呼ばれるこの日には多くの家庭において、「鯉のぼり」と共に「五月人形」が飾られます。生まれてから初節句となる場合には、この五月人形を準備することになりますが、「いったい誰が買うのが良いの?」、「購入するときに注意することはある?」といった、様々な疑問を持つご両親もいるのではないでしょうか。そんな疑問にお答えすると共に、初めて五月人形を購入する際の注意点なども併せて解説します。

五月人形は誰が買う物?

端午の節句

端午の節句

五月人形は、以前であれば「母方の両親」、すなわち子どもにとっての「母方の祖父母」が購入する家庭が多く見られました。

その背景にあったのは、昔は娘が嫁ぐと実家になかなか帰って来られなかったという慣わしです。

そのため、孫となる男の子が誕生した際に、母方の祖父母が五月人形を購入し、それを届けることを口実として娘のもとへ会いに来ていたと考えられています。

母方の祖父母が五月人形を用意する風習は全国的に見られていましたが、地域によっては父方が用意するところも。これは、甲冑飾り(鎧飾り)である五月人形は、言わば武家社会の象徴であることが理由のひとつ。武家社会において最も重要なのは、「御家」(おいえ)を存続させることにあるため、父方が購入した五月人形を、端午の節句に飾る地域もあったのです。

このように両親の出身地が異なれば、五月人形のみならず、いろいろな年中行事や風習に違いが見られるのは当たり前のこと。さらに現代においては、両家で折半したり、実家のご両親から頂いたお祝い金で購入したりと、各家庭で多種多様なケースが見られます。

いずれにしても、五月人形を購入する際には地域で異なる風習なども考慮し、両家の両親を含めてしっかりと検討することが大切です。

次男・三男がいる場合の五月人形は誰が買うのが良い?

長男に続いて次男、三男というように、男の子の兄弟が他にいる場合、五月人形は、できればそれぞれに準備したいところ。と言うのも五月人形は、子どもに降りかかる災難や厄などを引き受ける身代わり、つまり子どものお守りであると信じられているため、兄弟でひとつの五月人形を飾ると、その効果が半減すると言われています。

以前であれば、その家の跡継ぎとなる長男にだけ、五月人形を贈る家庭もありました。ところが現代においては、五月人形が子どもの身代わりとなることから、個別に準備して平等に飾ってあげたいと考える両親や祖父母が増えてきているのです。

それでは、次男や三男用の五月人形は、誰が購入するのが良いのでしょうか。これは、長男のときと同様に、厳密な決まりなどはありません。しかし、子どもの両親、あるいは父方と母方の祖父母、いずれかの家庭ばかりが負担することはやはり大変なこと。そのため、次男には父方から、三男には母方から贈る、あるいは両家で購入金額を折半するなど、五月人形を誰が買うのかについては各家庭で異なっています。

子どもの幸せと健康を願って、端午の節句をお祝いに飾る大切な五月人形。両家のご両親を交えて相談し、それぞれが納得のいく形で五月人形を準備するようにしましょう。

祖父母に五月人形を買って貰うときの注意

前述してきた通り、五月人形を誰が買うのかを決めるときに最も重要なのは、両家の祖父母とのコミュニケーションを密に取ることです。

以前には、母方の祖父母が五月人形を購入していたと説明しましたが、これには娘に会うという口実の他にも理由があります。

それは、「父方ばかりに負担をかけすぎないようにする」ということ。核家族化が進む現代の日本では減少傾向にありますが、かつては父方の祖父母と同居する世帯が多く見られていました。そのため、端午の節句のお祝いは、娘家族が住む「父方の実家」に集まって行うことが主流となっていたのです。

そうすると、お祝いの席で頂くお料理やおもてなしの準備などは、父方の実家がすべて引き受けることになります。これでは恐縮してしまうことから、五月人形については、母方の祖父母が購入するケースが一般的であったと言われているのです。

しかし、現代では考え方や事情に合わせて、誰が五月人形を買うのかについて決める家庭がほとんど。父方と母方の祖父母、お互いが「こちらで購入したい」、あるいは「準備はあちらにお任せする」というように考えている場合もあるので、両家がお伺いを立てやすいように子どもの両親がパイプ役となり、全員が円滑な意思疎通を図れるようにすることが重要だと言えます。

また、五月人形の購入について両家で相談する際には、「誰が買う?」ということはもちろんのこと、両家ともの祖父母から五月人形を贈りたいと希望された場合には、「誰がどんな物を買うのか」という点について決めておくこともポイント。似たような、もしくはまったく同じような五月人形が届いてしまうことがあれば、せっかくのお祝いの席が台無しになり、これから先、両家の関係が悪くなることにも繋がります。

子どもが成長した喜びを分かち合って楽しくお祝いするためにも、両家との密なコミュニケーションは、やはり欠かせないのです。

五月人形のお下がりは大丈夫?

日本刀が各武家に伝来したように、それぞれの家庭にある大切な物が代々受け継がれるのは、「伝統を守る」意味でも非常に喜ばしいこと。ところが前述したように、「子どものためのお守り」という側面がある五月人形については、その限りではありません。

子どもの父親や兄の「お下がり」を譲り受けた五月人形を端午の節句のお祝いに飾ると、その持ち主の身に起こった災難や厄などについても、一緒に受け継ぐことになってしまうと考えられているのです。

小さめの兜飾り

小さめの兜飾り

しかし、現代における日本の住宅事情では、甲冑のパーツをすべて揃えた五月人形を兄弟の人数分用意しても、それらを飾るスペースがないことも実情。

そのような場合には、小さめの飾りや武者人形などを五月人形として飾りましょう。大切な子どもの成長を願う両親や祖父母の想いが込められていれば、大きさなどは関係ないのです。

五月人形は「誰が買う」よりも「誰のために」を大切に

ここまで「五月人形は誰が買うべきか」ということについて解説してきましたが、大前提として忘れてはいけないのは、「誰のための五月人形なのか」という点です。

端午の節句をお祝いする際に、子どものお守りとして飾られる五月人形は、その多くが甲冑や兜を模して作られています。戦国時代の武将達にとっての甲冑は、激しい戦いを繰り広げる合戦の場において、敵の攻撃から身を守るために使われていた大事な武具のひとつ。そのような甲冑の役割を踏まえて、五月人形には武将が戦場で装備した甲冑の意匠が用いられています。

他の誰でもない、大切な我が子や孫が、無病息災でこれからの人生を過ごせるようにと、両親や祖父母の切なる願いが込められているのが五月人形なのです。

そのため五月人形を購入する際には、「誰が買うのか」ということにこだわり過ぎず、子どもの成長と幸せを思い描いて、「誰のために買うのか」ということを心に留めておきましょう。そうすることで端午の節句のお祝いが、子どもにはもちろんのこと、その両親や両家の祖父母にとっても、ずっと心に残り続ける大切な思い出となるのです。

五月人形のお下がりがダメな理由

男の子が生まれると、「端午の節句」(たんごのせっく)のお祝いに贈られることが多い「五月人形」。しかし、すでに男の子の兄弟が他にいる次男や三男であったり、父親の五月人形が残っていたりする場合、「お下がりの物で良いのでは?」と考える両親や祖父母もいるのではないでしょうか。しかし、五月人形などの「節句人形」は基本的に、お下がりの物を用いることは良くないとされているのです。五月人形のお下がりがダメな理由について、様々な側面から解説します。

五月人形のお下がりは避けたい

5月5日の子どもの日に、男の子の健やかな成長を祈願して祝われる「端午の節句」(たんごのせっく)。「節句」とは、季節の節目となる日に行われる年中行事、及びその日のことを指します。

古来日本では、季節の変わり目である節句には、病気などを引き起こす「邪気」(じゃき)が溜まると考えられていました。

それらを追い払うために、節句では神社などに多種多様なお供えをする風習があり、端午の節句においては、薬草の「菖蒲」(しょうぶ)を軒(のき)に吊るしたり、菖蒲湯に入ったりするなどして厄除けを行っていたのです。

そして鎌倉時代以降、菖蒲の読みが武勇や武道を重んじることを意味する「尚武」(しょうぶ)と同音であることから、武家において跡継ぎである男子を厄や災いから遠ざけるために、武士の強さを象徴する甲冑、あるいは「源義経」の忠臣「武蔵坊弁慶」を模した人形などが飾られるようになります。これが現代の五月人形の風習に繋がっていったのです。

このような背景を踏まえると、五月人形は子どもの厄を引き受けてくれる「身代わり」のような存在であることが分かります。そのため五月人形は、父親、または兄弟の「お下がり」を用いてしまうと、もともとの持ち主の厄までもが受け継がれてしまうと考えられており、世代を跨いだ(またいだ)五月人形のお下がりは、あまり望ましくないとされているのです。

次男や三男にも五月人形は必要なの?

前述した通り、五月人形は男の子の身代わり、つまり「お守り」の役割を果たしています。神社やお寺で頂けるお守りを家族で共有しないことを考えれば、五月人形も可能な限り、次男や三男それぞれに1体ずつ用意したいところです。

現代の五月人形で人気が高いのは、戦国武将達が戦場で身に纏う甲冑を模した、「鎧飾り」や「兜飾り」。現代では、兵刃(へいじん)を交えるような戦いが実際にあるわけではないので、身を守るための鎧やの五月人形は、一家に1体あれば充分と考える人もいるかもしれません。

しかし現代の子ども達には、その成長過程のなかで受験や就職などの様々な「戦い」が待ち受けています。これらに勝利を収めるためにも、その子ども専用の五月人形を個別に贈ってあげるのが良いのではないでしょうか。

五月人形が複数必要な場合のおすすめはコンパクトタイプ

コンパクトタイプの大将飾り

コンパクトタイプの大将飾り

兄弟それぞれに五月人形を準備するとなると、その悩みの種となるのが、すべてを一緒に飾ることができるような広いスペースを確保すること。

アパートやマンションも多い現代の住宅事情では、複数の五月人形を飾るのに充分な広さがある部屋を用意するのは至難の業(わざ)。

そこでおすすめしたいのが、通常の五月人形に比べてサイズがコンパクトになっている五月人形。

コンパクトタイプの五月人形にも、細部にまでこだわった本格的な造りの鎧飾りや兜飾りはもちろん、可愛らしくも引き締まった表情の少年が甲冑を身に着けた「子ども大将」とも呼ばれる「大将飾り」など、その種類は豊富にあります。そのため、コンパクトタイプであってもお子さんの顔立ちや雰囲気、性格などに合った五月人形を選ぶことが可能です。

父親の五月人形と一緒に飾るのは良い?

厄や災いなどを引き継ぐことになるため、父親が子どもの頃に飾っていた五月人形であっても、そのお下がりを子ども達に受け継ぐことはあまり良くありません。

しかし、新しく購入した子どもの五月人形の隣に、父親の物を飾ることについては、まったく問題はないのです。むしろ一緒に飾ってあげることで、父親がどんな幼少時代を過ごしたのか、その思い出話を聞かせて貰えたり、ずっと以前の五月人形であっても、きちんとお手入れをして大切に扱えば長持ちするということを、子ども達が身をもって学んだりできます。

そのため、飾る場所に余裕がある場合は、父親と子ども達の五月人形をぜひ並べて飾ってあげましょう。子ども達が大人になって振り返ったときに、大切な思い出になっているはずです。

役目を終えた五月人形の処分・供養について

子どもの日に端午の節句を祝うための五月人形は、基本的には飾っても良い年齢に制限がありません。しかし、子どもが中学生ぐらいになって端午の節句をお祝いしなくなったり、成人を迎えたり、実家を出て社会人として自立したりするといった人生の節目に、五月人形を手放す家庭が多く見られます。

その理由は、これらのタイミングで、子ども達には両親からの保護を受けることが不要となるため、同じように子どもの成長を見守っていた五月人形についても、その役目を終えたことになるからです。

子どもの成長過程を経て手放すことになった五月人形。「自治体に家庭ゴミとして収集してもらう」、「リサイクルショップなどの買取専門店で査定をしてもらって売却する」、「児童福祉施設や海外の子ども達に寄付する」といった、いろいろな方法で処分することは可能です。しかし、毎年の端午の節句に、子どもの身代わりとして五月人形を繰り返し飾っていたため、多くの人達にとっては自身の分身とも言えるぐらい愛着の湧く存在になっています。

こういったことを背景に、いざ五月人形を手放すタイミングになってでも、処分することに抵抗があり、人形に対して気の毒に思ってしまう人もいるのです。

そんな人にオススメしたいのは、五月人形を「処分」するのではなく「供養」する方法。五月人形などを始めとする人形の供養は、一般的には神社やお寺で行われています。

前述していたように五月人形は、子どもに降りかかっていたかもしれない厄や災いを、一身に引き受けてくれていた子どもの身代わり。そのため、寺社に供養料や初穂料(はつほりょう)を添えて五月人形を持ち込み、お祓いをして貰うことで、長年使用した五月人形が安らかに眠れるように祈って供養して貰うのです。

ただし、寺社によっては事前の予約が必要であったり、持ち込まれた五月人形を1年に数回、まとめて供養していたりするところもあるため、突然寺社に五月人形を持ち込むことはせず、寺社を訪れる前に必ず問合せるようにしましょう。

明治神宮

明治神宮

また、全国にある寺社のなかには、大規模なイベントとして「人形供養祭」を実施しているところもあります。

なかでも有名なのが、東京都渋谷区にある神社「明治神宮」の本殿で開催される「人形感謝祭」。

その名称からも分かる通り、この人形感謝祭の意義は、感謝を込めて長年大切にしてきた五月人形などの人形をきちんと供養し、お別れを告げることにあります。

毎年秋に行われている明治神宮の人形感謝祭は、当日の持ち込みも受け付けて頂けるので、お近くにお住まいで供養したい五月人形がある人は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

五月人形の飾り方と飾る場所

「五月人形」は、5月5日の「こどもの日」にお祝いする「端午の節句」(たんごのせっく)に欠かせない「節句人形」。そのなかで、「鎧飾り」や「兜飾り」といった五月人形の種類、大きさなどによって、適切な飾り方が異なるのはご存じでしょうか。五月人形の飾り方を詳しく解説すると共に、飾る場所についても現代の住宅事情を踏まえてご説明します。

五月人形を飾る場所を決めるときのポイント

床の間

床の間

五月人形はもともと、和室に設けられた「床の間」(とこのま)に飾る風習がありました。

古来、仏家(ぶっけ:僧侶のいる寺)の床の間には仏像が安置され、武家においても仏具や仏画を飾っておく格式高い場所であったことがその理由のひとつ。

床の間は、家の跡継ぎになる男の子の健やかな成長を願う五月人形を飾るのに、ふさわしい場所であると考えられていたのです。

しかし、アパートやマンションも多い現代の住宅事情では、広いスペースを確保しなければならない床の間のある和室は、なかなか見られないのが実情。そのため、五月人形を飾る場所は厳密には決められていません。

部屋の状況に合わせて、臨機応変に選ぶことが前提となりますが、そのなかでも注意しておきたいポイントが2つあります。

子どもや家族の目に入る場所を選ぶ
五月人形の役割は、「端午の節句」(たんごのせっく)のお祝いに華を添えるだけでなく、子どもの災いや厄を引き受けてくれる「身代わり」であり、その成長を見守ること。これを踏まえると、五月人形を飾る場所は、子ども部屋や家族が集まるリビングなどが適していると言えます。
五月人形の負担にならない場所を選ぶ

五月人形にとって大敵となる、「湿気」や「直射日光」を避ける場所を選ぶことも重要なポイント。キッチンや浴室などの水まわりを避け、エアコンの風が直接当たらない部屋、もしくはスペースを選び、翌年以降も美しい姿で飾ることができるように、錆(さび)や変色などによる劣化を防ぐようにしましょう。

なお、昨今の風水ブームなどにより、五月人形を飾る方角を気にする人もいるかもしれませんが、五月人形には決められた吉方などはないため、特に留意する必要はありません。

五月人形の飾り方の種類

五月人形を飾る場所が決まったら、次に選ぶのは飾り方です。人気の高い「鎧飾り」や「兜飾り」は、飾り方によって飾る際、または収納する際に掛かる手間暇やスペース、さらには観る側に与える印象までも変わってくるため、慎重に検討する必要があります。

平飾り

「平飾り」(ひらかざり)とは文字通り、段のない平らな飾り台に五月人形を飾る方法。定番であるこの飾り方は、さらに3種類に分けられます。

平台飾り
平台飾り

平台飾り

「平台飾り」(ひらだいかざり)は、五月人形の飾り方のなかでも多くの鎧飾りに用いられている方法です。

戦国時代の名将を思わせるような、威風堂々たる雰囲気を醸し出すことが可能。

自身で下に敷く物を用意する必要がなく、扱い方もシンプルであるため、鎧飾りの飾り方として主流になっています。

床飾り
床飾り(床の間飾り)

床飾り(床の間飾り)

「床の間飾り」とも呼ばれる「床飾り」(とこかざり)は、大きいサイズの甲冑である、「大鎧」(おおよろい)の鎧飾りに適した方法。

余裕のあるスペースを確保する必要がありますが、華やかな印象を与えるだけでなく、荘厳な風格のある飾り方です。

小振りな甲冑の場合は、洗練された雰囲気が感じられます。

高床台飾り

「高床台飾り」は平台よりも高さのある飾り台の上に、鎧飾りや兜飾りを載せて飾る方法。和室のない現代の住宅では、日常生活において椅子が用いられていることも多く、少し高い視線に合わせて五月人形を飾ることができるため、飾る場所が洋室である場合に適した飾り方です。

神聖な場所である床の間に見立てられた高床台には、その前面に金の彫刻蒔絵(まきえ)といった、豪華絢爛な意匠が施されている物もあります。また、高床台飾りは鎧飾りの一種である「奉納飾り」にもぴったり。奉納飾りとは、戦国時代の上級武士達が戦勝を祈願するため、神社に奉納していた甲冑を模した五月人形のこと。

戦国武将が合戦で着用していた甲冑と比較すると、奉納されていた甲冑には、肌に密着させるような「臑当」(すねあて)や「面頬」(めんぽう/めんぽお)などが付属されていませんでした。そのため、奉納用の甲冑は、実戦で用いられていた甲冑特有の威圧感などはなく、美術品としての気品が感じられるのが特長。

このようなことから五月人形の奉納飾りは、どこか重厚感のある高床台飾りに適していると言えるのです。

段飾り

男の子の端午の節句に対して、女の子の成長と健康を願って祝う「桃の節句」。その節句人形の「雛人形」に用いられる「雛壇」のように、五月人形も、何段かで構成された壇上に飾る方法があるのです。段飾りは用いられる段数により、以下の2種類に分けられます。

二段飾り
二段飾り

二段飾り

「二段飾り」では、上段に鎧飾りや兜飾りを載せ、下段に「三宝」(さんぽう)と称される3種類のお供え物を象った(かたどった)「お供え飾り」を載せることが基本。

端午の節句における三宝は、①厄除けとなる薬草の「菖蒲」(しょうぶ)を酒器に飾った物、②「柏餅」、③「ちまき」を指し、それぞれ①が下段中央、②が向かって下段左側、③は下段右側に飾ることが慣わし(ならわし)です。

三段飾り
三段飾り

三段飾り

豪華さと趣(おもむき)をかね添えた「三段飾り」は、現代では鎧飾りを飾る際に主流となっている飾り方。

二段飾りにも使用される三宝を中心に、「軍扇」や「陣太鼓」など、合戦の場での大将を象徴するお供え飾りなども飾られますが、それらを選ぶ際には段の大きさのみならず、鎧飾りの格に合う物にすることが大切です。

段数がある分、高さと広さが充分に確保できる部屋が必要になりますが、他の飾り方と比べて深い奥行きがあることで、より勇壮な雰囲気が感じられます。

収納飾り

「収納飾り」は、甲冑や太刀などの五月人形セットの収納箱を、そのまま飾り台として用いる方法です。飾り台を別に用意する必要がないため、五月人形を手軽に飾ることができ、またコンパクトに収納・保管できることから広いスペースも不要であるため、現代における五月人形の飾り方として人気があります。

ケース飾り
ケース飾り

ケース飾り

「ケース飾り」は、五月人形セットがすべて入れられている透明のケースを使って飾る方法です。

鎧飾りや兜飾りがすでに固定されているため組み立てる必要がなく、片付けや収納にも手間が掛からないメリットがあることから、好きな場所で五月人形を飾る方法として、収納飾りと共に現代でよく用いられています。

五月人形を飾る前の準備

五月人形を飾る場所と方法を決めたら、いよいよ飾り付けの本番に入りますが、その前の準備としてひとつだけやっておきたいことがあります。

それは、五月人形を飾る工程を、スマートフォンやデジタルカメラなどを使って写真に収めておくこと。前述したケース飾りであれば、組み立てなどの必要はありませんが、他の飾り方の場合、鎧や兜などを組み立てなければならないため、翌年以降、スムーズに飾ったり収納したりするためにも、飾り工程や完成の状態などを撮影しておくようにしましょう。

飾り方の手順

それでは、五月人形のなかでもよく見られる、鎧飾りと兜飾りの基本となる飾り方や組み立て方についてご説明します。

五月人形・鎧飾りの飾り方
  1. 櫃の前側に佩盾を垂らし鎧を着せる
    櫃と芯木に鎧を着せる

    櫃と芯木に鎧を着せる

    唐櫃」(からびつ)の別称を持つ「櫃」(ひつ)は、もともと甲冑などを収納、もしくは運搬するために用いられていた蓋付きの箱のこと。

    五月人形を飾る際には、この櫃を飾り台として使用します。

    まず、櫃の上に「芯木」(しんぎ)をバランス良く載せ、その前面に足の膝から上部を保護する役割を果たしていた「佩楯」(はいだて/はいたて)を垂らします。

    このとき、佩楯の上部にある帯(おび)を櫃の本体に入れて蓋で挟み込み、ずれないように上からしっかり押さえておきましょう。佩楯は正面から見え目立つ部分であるため、左右対称になるようにバランスを調整することが大切。

    次に芯木の上から鎧を着せ、「籠手」(こて)が前に来るように腕を折り曲げます。

  2. 面頬を吊るす
    面頬を吊るす

    面頬を吊るす

    顔面と喉(のど)を守る面頬の紐を芯木の最上部に引っ掛け、前面に垂らして固定します。

    芯木に切りかけ部分があれば、そちらに面頬の紐を掛けても構いません。

    面頬の位置が鎧の上にきちんと収まるように、紐の長さを丁度良く調整しましょう。

  3. 兜に鍬形と龍頭を差し込む

    兜の「鍬形台」(くわがただい)に、「前立物」(まえだてもの)である「鍬形」と「龍頭/竜頭」(りゅうず:龍の頭を模した飾り物)を差し込み、芯木の上から被せます。兜によっては龍頭がない場合もありますが、いずれにしても特殊な兜を除けば、正面から見て「Uの字」になっている形状が正しい飾り方です。

    左右を間違えないようにするためにも、完成形をよく確認して作業するようにしましょう。

  4. 臑当を毛履に差し込む

    「毛履」(けぐつ)とは、現代の靴に当たる甲冑の履物のこと。これに臑(すね)の防具である臑当を差し込み、櫃の前に並べます。

  5. 全体を見ながらその他の部品をバランス良く整える

    草摺」(くさずり)や「」などの部品を、全体のバランスを調整しながら配置します。見栄えを良くするために、曲がっている箇所はないか、左右対称になっているかなど、細かいところまで確認しておきましょう。

  6. 弓や太刀などのオプション品を飾る

    五月人形によって違いがありますが、その主なオプション品は、武士を象徴する武具である弓と太刀です。

    弓は矢羽(矢羽根)が正面になるように向かって左側に、太刀については、「」(つか)が下になるように同じく右側に飾ります。

    なお、制作者名などが書かれた「作札」(さくふだ)を飾る位置には、決まりはありません。

五月人形・兜飾りの飾り方
  1. 櫃の上に芯木を載せる
    櫃の上に芯木を載せる

    櫃の上に芯木を載せる

    櫃の中に収納されている兜や芯木、鍬形などの部品を取り出して兜飾りを飾る場所に櫃を置き、バランスを見ながら櫃の中央部に芯木を載せます。

    格好良く安全に飾るため、櫃に傾きがないかよく確認することが大切です。

  2. 芯木の上に袱紗を被せる
    芯木の上に袱紗を被せる

    芯木の上に袱紗を被せる

    袱紗」(ふくさ)と呼ばれる布を芯木の上に被せます。

    このとき、一方の角が前側に垂れるように、バランスを整えましょう。

    袱紗の角が垂れすぎないようにすることは大切ですが、櫃の3分の1ぐらいまでであれば、余分に垂れ下がっていても問題ありません。

  3. 兜に鍬形と龍頭を差し込む

    鎧飾りと同様に、鍬形や龍頭を兜に差し込んだあと、②で袱紗を被せた芯木の上に兜を載せます。このとき、鍬形の左右を間違えないようにしましょう。

  4. 全体のバランスを整えてオプション品を飾る
    オプション品を飾る

    オプション品を飾る

    兜が左右どちらかに傾いていないかなどを確認し、兜飾りが格好良く見えるように全体のバランスを調整します。

    そして、鎧飾りと同じように、オプション品である弓を左側へ、太刀を右側に配置して兜飾りの完成です。

飾るときの注意事項

五月人形を飾る際、いちばんに注意しておきたいのは、組み立ての作業を飾る場所で行うこと。収納箱を保管していたクローゼットや押入れのある部屋で組み立ててから、飾る場所や選んだ部屋に移動させることは、五月人形の部品や人形そのものが落下し、怪我をするなどの危険にも繋がります。

また、五月人形には金属製の部品が多く使われており、手指の脂分や塩分が含まれる汗などが付着してしまうと錆の原因となるため、組み立てる際には手袋を着用することがオススメ。

さらには、初節句など子どもがまだ小さい頃には、五月人形の部品を誤って飲み込んでしまう恐れもあるので、子どもの手が届かない場所で作業するだけでなく、収納や保管をしておく場所にも注意することが重要です。

五月人形について、ここまでいろいろな飾り方や組み立て方をご紹介してきましたが、何よりも大事なことは、格好良く、そして凜凜しく(りりしく)見えるように飾ること。ご両親など五月人形を飾る人のセンスで、お子さんの健やかな成長を祈りつつ、五月人形を飾ってあげましょう。

五月人形の処分方法を徹底解説!

男の子の健やかな成長を願って、「端午の節句」(たんごのせっく)のお祝いに飾られる「五月人形」。生後0歳で迎える「初節句」から毎年飾られる節句人形ですが、子どもの年齢が上がるにつれて、端午の節句を盛大にはお祝いしなくなり、飾る機会が少なくなってしまうのが実情。その結果、家庭によっては五月人形を手放すことを考えるようになりますが、その適切な処分方法やタイミングについて、悩んでいる人も多いのではないでしょうか。いくつかある五月人形の処分方法についてご説明すると共に、大切な五月人形をそのまま処分するのは憚られる(はばかられる)という人のために、五月人形の供養方法についても解説します。

五月人形は何歳まで飾る?

五月人形をいつから飾るのか、そしていつ処分するのかということは、現代においては明確に決められていませんが、時代をさかのぼって見てみると、人生の節目となる年齢で五月人形を手放していたことが分かります。

例えば、江戸時代には数え年7歳の頃に、五月人形を神社に奉納する風習がありました。「7つ前は神のうち」という言葉が示すように、当時の日本では、子どもは7歳になるまで神様からお預かりしていると考えられており、無事に成長できたことへの感謝の証しとして、毎年「端午の節句」(たんごのせっく)に飾っていた五月人形を神様に奉納していたのです。

元服

元服

また、現代の成人式に当たる「元服」(げんぷく)を迎えた年齢のタイミングで、五月人形を手放していた風習もありました。

現代で成人となるのは20歳ですが、奈良時代以降に始まった元服の儀式は、およそ11~16歳の間に行われていたのが一般的。当時の男の子は現代よりも幼い年齢で、「一人前の男性」として認められていたのです。

そのため、元服を終えて立派な大人になったとされるタイミングで、五月人形を手放すケースも多く見られていました。

この7歳、もしくは元服の年齢まで五月人形を飾る風習は、地域によって現代まで根付いているところもあります。しかし、現代では厳密な決まりがないことから、子どもが五月人形に興味を示さなくなった、あるいは、自立して一人暮らしをするために家を出たときなど、五月人形を処分するタイミングは各家庭によって様々です。

五月人形は、子どもの災難や厄を引き受けてくれる「身代わり」の役割もあるため、成人する20歳まで飾るのが理想ですが、子どもの意見も配慮しつつ、それぞれの事情に合わせたタイミングで処分するようにしましょう。

五月人形を可燃ゴミ・不燃ゴミ・粗大ゴミとして処分する

五月人形を手放すのには、ゴミに出して処分する方法がありますが、多くの五月人形には燃やせない金属類が含まれているため、自身で分解した部品を「可燃ゴミ」と「不燃ゴミ」に分別が必要です。

また、サイズが大きかったり、ガラスケースに収納されていたりして、自分での分別が難しい場合には、「粗大ゴミ」として出す方法もあります。粗大ゴミは、多くの自治体で事前に収集の申込みが必要。申込み後は、スーパーやコンビニなど、取扱いのある店舗で購入した「粗大ゴミ処理券」を五月人形に貼り付けて、指定された場所に出しておくのが一般的な手順です。

しかし、ゴミの出し方などについては各自治体で異なる部分もあるため、五月人形をゴミとして処分したい場合は、詳細を確認しておくことが大切です。

なお、五月人形をゴミとして出す前に自分で供養したいときには、汚れなどを落として綺麗に掃除し、髪を束ねてお清めの塩を振りかけ、白い布などで包んでおきましょう。

五月人形を買取専門店で処分する

思い出が詰まった五月人形を、ゴミとして処分するのは気が引けるという人には、リサイクルショップなどの「買取専門店」で引き取って貰う方法がオススメ。

子どもの身代わりであり、無病息災の願いを込めて飾られていた五月人形は、多くの家庭で大切に保管されているとは思いますが、買取の査定の前には、五月人形自体はもちろん、ガラスケースが付属されている場合は、そちらについても改めて掃除をしておくことも重要。そうすることで、より高値で買い取って貰える可能性が高まります。

買取専門店のなかには、自分で店舗に持ち込むだけでなく、送られてきた段ボールなどに五月人形を入れて、宅配便で送り返す「宅配買取」や、家に来て貰って査定して貰う「出張買取」などの方法を採っているお店もあるので、自身の都合に合わせた方法を活用しましょう。

五月人形を寄付して処分する

きちんと保管されており、まだまだ飾ることができる綺麗な状態の五月人形であれば、単に処分するのではなく、「寄付」も選択肢に入れることが可能。

「児童福祉施設」のなかには、子ども達と一緒に端午の節句をお祝いするため、五月人形を必要としているところもあり、また、海外の途上国を支援するため、学校や自治体、病院などに送る物資のひとつとして、五月人形など日本の節句人形を送っている団体もあります。

五月人形を寄付することは、長年所有していたことで、愛着が湧いている五月人形を処分してしまうのは忍びないと感じる人にオススメな方法です。子どもの成長を見守ってくれた大切な五月人形が、国境を越えてたくさんの子ども達を笑顔にしているのであれば、五月人形の持ち主にとっても嬉しいことなのではないでしょうか。

五月人形を「お下がりにする」という方法で処分するのは?

前述した通り、五月人形は子どもに降りかかる災難を引き受ける身代わりです。そのため、他に兄弟がいたとしても、また、父親が子どもの頃に飾っていた五月人形であったとしても、「お下がり」として譲ることは、あまりオススメしません。

お下がりにしてしまうと、五月人形そのものだけでなく、五月人形が引き受けた災難や厄までも、一緒に受け継ぐことになると考えられているからです。

言ってみれば、五月人形は子どもにとっての「お守り」。神社やお寺で頂けるお守りも、兄弟や親子の間で共有しないことを考えると、可能であれば五月人形をお下がりにせず、それぞれに自分用の五月人形があることが理想だと言えます。

五月人形は「処分」ではなく「供養」しましょう

人形供養

人形供養

人の形を象って(かたどって)作られる「人形」には、「魂が宿る」と考える人もいます。

また、長い間子どもの身代わりとなり、その成長を見守ってくれていた五月人形を処分するのに躊躇してしまう人も多くいるのではないでしょうか。

そんな人々にオススメしたい五月人形を手放す方法は、「処分」ではなく、神社やお寺などで「供養」して頂く方法です。

寺社で読経して頂いたあと、「お焚き上げ」(おたきあげ)を行うことで、子どもの厄を引き受けてくれた五月人形から魂が抜け、安らかな眠りにつくことができると考えられています。

このような人形供養を行っている寺社は全国に遍在しており、なかには年に一度、「人形供養祭」を大規模に開催しているところもあるのです。

寺社で正式な供養をお願いすることは、遠方に住んでいるなど、人によってはなかなか大変なことかもしれません。どのような処分方法や供養を選ぶにしても、子どもの身代わりになってくれていた五月人形への労いと、感謝の気持ちを込めることが大切です。

五月人形の種類と選び方

五月人形の種類や有名な武将の甲冑を模した五月人形、さらには五月人形の選び方についてもご紹介します。

五月人形の種類

男の子の成長を願って端午の節句に飾られる五月人形には、様々な種類があります。どのような種類があるのか見てみましょう。

鎧飾り

五月人形のなかでも、最も豪華と言われているのが「鎧飾り」です。敵の攻撃から身を守るための甲冑は、男の子の健やかな成長を願い、様々な災厄から身を守る意味が込められています。

鎧の形に決まりはなく、見た目が派手な「大鎧」(おおよろい)や「胴丸」(どうまる)が主流。

正式な五月人形は、甲冑の他に魔除けの意味を持つ「」や「太刀」などの武具、「軍扇」や「陣笠」なども合わせて飾る「段飾り」とされています。しかし、甲冑と武具のみの「鎧平飾り」も充分な迫力。

また、床の間や床に置くタイプや高床台が付いたタイプなど、飾り台にもいろいろな種類があり、飾る場所に合わせて選ぶことが可能です。

商品例
  • 実際に販売されている五月人形「鎧飾り」の商品例をご紹介します。
    • 商品の写真・説明は各メーカーのホームページから引用しております。
    • 販売が終了している場合がございますので、お買い求めの際は各メーカーのホームページを
      ご確認下さい。
    • 商品はメーカー名の50音順で掲載しております。
  • 赤褄取糸縅の鎧

    【メーカー名】ふらここ赤褄取糸縅の鎧

    燃えるような鮮やかな赤色の縅糸(おどしいと)は、「生命の源」や「魔よけ」の意味をもっています。さらに兜には4色の、鎧には3色のアクセントカラーを加えて、飽きのこないお洒落(しゃれ)な鎧飾りに仕上げました。鎧・兜の作りは、こだわりの作品づくりに他の追随を許さない名匠・総州 英凛(そうしゅう えいりん)の手によるものです。

  • 吉徳大光 【五月人形】飛龍大鎧10号高床台飾り

    【メーカー名】吉徳大光【五月人形】飛龍大鎧10号高床台飾り

    出世のシンボルとされているのが、「登龍門」伝説で有名な「龍」。この龍をふんだんに用いたのが、この飛龍シリーズです。
    正絹の赤絲縅の大鎧。兜の鍬形には、向かい龍を透かし彫りで表現し、吹き返し、弦走(つるばしり)、佩楯(はいたて)にも龍の彫金を施しました。

  • 吉徳大光 【五月人形】飛龍大鎧5号床飾り

    【メーカー名】吉徳大光【五月人形】飛龍大鎧5号床飾り

    佩盾の裏には「登龍門」伝説をモチーフにした鯉が隠れており、また、太刀の柄の部分には「鯉」の飾り金具、刀には「龍」のデザインを施しました。細やかなところまでこだわり抜いた逸品です。漆黒に金箔のコントラストが美しい屏風には「鯉」が滝を登り「龍」となる様を蒔絵で描きました。美しい加賀蒔絵と箔押を組合わせた台屏風が、高級感を演出しております。

兜飾り
五月人形の甲冑のうち、兜のみを飾る物が「兜飾り」です。

近年では住宅事情などもあってか、兜飾りが主流となっています。一般的には鎧飾りと同様、兜の両側に弓や太刀を合わせて配置。

平安時代の「星兜」(ほしかぶと)や、戦国武将が趣向を凝らして制作した「変わり兜」を模した作など、様々な兜が制作されているのです。

また、サイズについても実際に子どもが被れる物からミニチュアまで豊富にあり、ケース付きや箱入りなど家庭で管理しやすいように工夫が施されています。

商品例
  • 実際に販売されている五月人形「兜飾り」の商品例をご紹介します。
  • ふらここ 金銀鍬形彫金の兜(収納タイプ)

    【メーカー名】ふらここ金銀鍬形彫金の兜(収納タイプ)

    丹念に純金と銀の鍍金(めっき)で仕上げた、均整のとれた美しい鍬形(くわがた)。細かい彫金(ちょうきん)を丁寧にほどこした、美しい吹き返し。華美な装飾をなくし、シンプルな中に洗練された美しさを表現した味わい深い兜飾りです。

  • ふらここ 彫金飛龍中鍬形の兜(収納タイプ)

    【メーカー名】ふらここ彫金飛龍中鍬形の兜(収納タイプ)

    吹き返しに魔よけの龍をほどこした優美な兜飾り。縅糸(おどしいと)には五月の新緑を想わせる美しい緑色の正絹を使用。
    袱紗(ふくさ)も端午の節句に合わせ、上品な緑色でまとめました。お屏風と飾り台には、美しい花の蒔絵を丁寧に描いています。

  • 【五月人形】正絹色々縅 阿古陀形之兜床飾り 別所実正(べっしょじっしょう)作

    【メーカー名】吉徳大光【五月人形】正絹色々縅 阿古陀形之兜床飾り 別所実正(べっしょじっしょう)作

    熟練の鍛金技法により鈍(なま)した銅を叩き出したのち、ひとつずつ丹念に細かな星鋲を手仕事で取り付けた阿古陀形兜(あこだなりかぶと)です。
    鍬形台と吹返しの金物には極めて細かい糸鋸で複雑な波柄を精巧に切り出しており、非常に繊細で美しい仕上がりです。

  • 【五月人形】正絹赤絲縅 和紙小札1/3兜床飾り 小柴鑚穂(こしばさんすい)作

    【メーカー名】吉徳大光【五月人形】正絹赤絲縅 和紙小札1/3兜床飾り 小柴鑚穂(こしばさんすい)作

    伝統工芸・江戸甲冑の作風を伝える小柴鑚穂作の逸品です。和紙をカシュー漆で塗り固めた小札は、縫重(ぬいがさね)と称する大変手間のかかる技法で仕上げ、吹返しの鹿革には甲州印伝を用いています。
    赤絲縅の大鍬形兜を、和紙に金彩で松を描いた本装屏風に組み合わせた美しくもあり、重厚感もある兜飾りです。

戦国武将
歴史を動かした有名な戦国武将のエピソードや関係する人物、戦い(合戦)をご紹介します。
武将・歴史人の日本刀
武将・歴史人のエピソードや、関連のある刀剣・日本刀をご紹介します。
着用兜

「本物の武士のように格好良く兜を被ってみたい」、そんな子どもの願いを叶えてくれるのが、「着用兜」と呼ばれる兜飾りです。被ることを前提に制作されている着用兜は、他の五月人形に比べて軽量であるため、組み立てや収納、お手入れなども簡単に行えるのが特長です。

商品例
  • 実際に販売されている五月人形「着用兜」の商品例をご紹介します。
  • 【五月人形】着用兜25号 黒絲縅 収納箱飾り

    【メーカー名】吉徳大光【五月人形】着用兜25号 黒絲縅 収納箱飾り

    吉祥図と言われる松鷹の屏風を使用した着用兜収納箱飾りです。立体的鍬形を用いた兜の吹返しには、彫金で龍を描きました。落ち着きある色合いの台屏風が、着用の兜をより一層際立たせます。

武者人形

「武者人形」とは、歴史上で武勇に優れた英雄を模した人形のこと。江戸時代を起源に、端午の節句の飾り人形として中心的な役割を果たしました。昭和時代に入ると、甲冑に主役の座を明け渡しますが、今もなお根強い人気を誇ります。

武者人形としては、「金太郎」が最も一般的。

金太郎は、「源頼光」(みなもとのよりみつ)の重臣「頼光四天王」のひとりであった「坂田金時」(さかたのきんとき)の幼名。

武者人形の金太郎は、その幼少時の姿がモチーフとなっています。

坂田金時には様々な武勇伝があり、心が優しく力持ちの人物として描かれてきたため、武者人形の金太郎も人気を集めているのです。

これらの他にも人気のある五月人形は、「神功皇后」(じんぐうこうごう)と「武内宿禰」(たけうちのすくね)。神功皇后は、大和朝廷で活躍した人物で、女性ながらに武者姿で出陣した「三韓征伐」(さんかんせいばつ)伝説で有名です。武内宿禰は、神功皇后の補佐役として優れた忠臣で、2人の組み合わせは、「武運長久」(戦いで幸運がいつまでも続き、無事であること)を象徴しています。

この他にも、「桃太郎」や「牛若丸」、「武蔵坊弁慶」、伝説上の人物や実在する歴史上の人物など、様々な人物をモデルにした武者人形が存在。子どもを守る「お守り」として、また、厄災の身代わりとなる形代として、端午の節句に飾られているのです。

商品例
  • 実際に販売されている五月人形「武者人形」の商品例をご紹介します。
  • 【五月人形】ケース入り金太郎10号 童心

    【メーカー名】吉徳大光【五月人形】ケース入り金太郎10号 童心

    凛々しい表情のお顔、力強く構える後ろ姿が特徴的です。

武者人形 一組

「刀剣ワールド財団」が所蔵する「武者人形 一組」は、大鎧を身に着けた武将と家臣、武蔵坊弁慶を模したと思われる侍など、華やかな作品です。ディテールまで精巧に作られた人形に、親が子を願う強い思いを感じます。

  • 武者人形 一組

    武者人形 一組

  • 武者人形 一組

    武者人形

神武天皇

日本の初代天皇として知られる「神武天皇」(じんむてんのう)もまた、五月人形のモデルであるひとり。「日本書紀」に見られる「金鵄」(きんし)の伝説が、その背景になったと考えられているのです。

その伝説は、神武天皇が賊軍の「登美能那賀須泥毘古」(とみのながすねびこ)と戦っていた際に、金鵄と呼ばれる金色のトビが同天皇の弓に止まり、その体から光を放ったことから始まります。これを受けた賊軍の軍勢は目がくらみ、神武天皇軍が勝利を収めたのです。

この伝説により、神武天皇をモデルにした五月人形が平和と武勇の象徴として、端午の節句に飾られるようになりました。

鍾馗

五月人形のモチーフとなっているのは、日本の甲冑や武将、天皇だけではありません。例えば、中国の民間信仰における魔除けの神「鍾馗」(しょうき)も、日本の五月人形を代表するモデルのひとりです。

中国の唐時代(618~907年)、6代皇帝「玄宗」(げんそう)が熱病で倒れた際、その夢の中にが出現。そこに駆け付けて鬼を退治したのが鍾馗でした。目が覚めた玄宗皇帝は、宮廷画家にその姿を描かせるほど、鍾馗を大いに称えたという伝承が残っています。

鍾馗を模した五月人形は、他の人形と比べると堂々として威厳たっぷりの表情で作られていることが多く、厄災から子どもの身を守ることを祈って贈られています。

有名な武将の五月人形

様々な種類のある五月人形のなかでも、近年では戦国武将の甲冑を模した五月人形に人気が集まっています。「魅力的な人間性の戦国武将のように成長して欲しい」という親の願いが込められ、選ばれているのです。飾ることが前提のために個性的な意匠が施されていることも、有名な戦国武将の甲冑を模した五月人形が、高い人気を博している要因のひとつになっています。

伊達政宗の兜飾り
伊達政宗

伊達政宗

伊達政宗」は、片目に眼帯を施していたため、「独眼竜政宗」(どくがんりゅうまさむね)の異名を持ち、知略と処世術に優れた武将として知られる人物です。

仙台藩(現在の宮城県仙台市)の初代藩主となり、東北の繁栄を築きました。

生まれるのが10年早ければ、天下人となっていたとも言われる伊達政宗の兜は、三日月の「前立」(まえだて)が印象的。デザインの美しさ、そして伊達政宗の何事にも恐れずに挑戦し、生き抜く人間性に惹かれた人に選ばれています。

徳川家康の兜飾り
徳川家康

徳川家康

織田信長」や「豊臣秀吉」と並ぶ戦国三英傑のひとり「徳川家康」。泰平の世となった江戸幕府を開いた功績は偉大で、子孫繁栄のイメージを持って選ぶ人が多いと言います。

徳川家康は、様々な甲冑を所領しており、五月人形における兜飾りでは、シダの葉の前立が付いた絢爛豪華な兜が人気。

苦難を乗り越え、天下統一を成し遂げた徳川家康のように、最後まで諦めずに目標を達成する子に育って欲しいという願いが込められています。

豊臣秀吉の兜飾り
豊臣秀吉

豊臣秀吉

織田信長に仕え、下層階級の出身でありながら大出世を遂げ、天下人にまで上り詰めた豊臣秀吉。

織田信長が外出する際に、草履を懐(ふところ)で温めてから差し出したことで、織田信長から高く評価されたと伝わる逸話からは、才知に富んでいた豊臣秀吉の賢さが窺えます。

そんな豊臣秀吉の代名詞とも言える兜が、「一の谷馬蘭後立付兜」(いちのたにばりんうしろだてつきかぶと)。

「一ノ谷」とは、「一ノ谷形」(いちのたになり)と称される兜の形状の一種です。この兜は、「源氏」と「平氏」との間で繰り広げられた「一ノ谷の戦い」において、「源義経」が奇襲を仕掛けた一ノ谷の崖を模しています。

そして、この兜における最大の特長が、後光が差す様を思わせる「後立」(うしろだて)。アヤメ科の植物・馬蘭の葉を模した装飾がいくつも並べられています。この形状が昇る朝日に見えることから、「立身出世を果たしたい」との願いを込めて、豊臣秀吉の兜に取り入れられたと伝えられているのです。

五月人形として見栄えが良いだけでなく、豊臣秀吉のように利発な人に成長して欲しいという思いを込めて選ばれている兜飾りです。

真田幸村の兜飾り
真田幸村

真田幸村

「日本一の兵」(ひのもといちのつわもの)と評されるほど勇敢な武将であった「真田幸村/真田信繁」(さなだゆきむら/さなだのぶしげ)。

初めは「馬廻衆」(うままわりしゅう)として豊臣秀吉に服属し、「関ヶ原の戦い」においては、「石田三成」率いる西軍に加勢。

そののち、「豊臣家」が滅亡することとなった「大坂夏の陣」において、敵方の徳川家康をあと一歩というところまで追い詰めた猛将です。

真田幸村の甲冑と言えば、最強部隊の象徴とも言える全体に朱塗が施された真っ赤な「真田の赤備え」(さなだのあかぞなえ)。真田幸村の兜は、朱色の「兜鉢」(かぶとのはち)に、「真田家」の「六文銭」の家紋をあしらった前立、そして鹿の角を表す「脇立」(わきだて)が特長。

大坂夏の陣で潔く散った真田幸村のように、どんな逆境にも立ち向かう不屈の精神を持つ人になって欲しいとの願いを込めて、五月人形の鎧飾りに選ばれています。

上杉謙信の兜飾り
上杉謙信

上杉謙信

内乱が多く、不安定だった越後国(現在の新潟県)を、わずか22歳で統一した「上杉謙信」。「越後の虎」や「軍神」とも称される、最強の戦国武将のひとりです。

また、謀反を起こした家臣をも大切にするなど、義を重んじ、自分自身で道を切り開くべきという強い信念を持って、乱世を駆け抜けた武将。

上杉謙信の兜飾りは、太陽を表す日輪と三日月の前立が特長です。

人に優しく、信念を貫いて生きた上杉謙信に憧れる人から選ばれています。

五月人形の選び方

屋内に飾る「内飾り」が基本となる五月人形を選ぶときに、まず考えなければならないのが、予算はもちろんのこと、五月人形を飾るスペースの確保。五月人形の贈り主や持ち主の好みを考慮することが前提ですが、このスペースの広さによって、鎧飾りや兜飾り、甲冑、そして武者人形といった五月人形の種類の中から、どれを選ぶかを決めます。

このとき、同時に考慮しておきたいことは、五月人形の飾り方。これには、段のない飾り台を用いた①「平飾り」(ひらかざり)、床の間に直接置く②「床飾り」(とこかざり)別称「床の間飾り」、高さのある飾り台に載せて飾る③「高床台飾り」、何段かの壇上に、五月人形とお供え飾りを載せる④段飾り、そして収納箱やガラスケースをそのまま飾り台として用いる⑤「収納飾り」と⑥「ケース飾り」の6種類があります。

五月人形における飾り方の種類も、収納や飾る場所のスペースに大きく影響するため、五月人形を選ぶ際には必ず吟味することが大切。

また、鎧飾りと兜飾り、甲冑を模した五月人形は、その制作に用いられた技法によって醸し出す雰囲気が変わってきます。その技法の種類は、大きく分けて「京甲冑」と「江戸甲冑」の2つ。

京甲冑は、京都に伝わる伝統的な技法を駆使した、華麗で気品のある雰囲気が特長。そして、江戸甲冑の五月人形は、実際に戦国武将が戦場で着用していたような大鎧を模しているため、頑強で威厳が感じられる雰囲気を漂わせています。

このように、子どもの五月人形を決める際には、予算やスペース、飾り方の種類などを総合的に検討し、子どもに似合う五月人形を選んであげましょう。

五月人形の基礎知識

現代では男の子が誕生すると、名の知られた武将達所用の甲冑を模した「五月人形」を兜や太刀などと共に、「端午の節句」(こどもの日)に飾る風習があります。現代でも「年中行事」のひとつとしてお祝いされる端午の節句ですが、そもそも端午の節句の始まりは、どのようなことに由来しているのでしょうか。時代と共に変化してきた端午の節句について、過去にさかのぼってその変遷を見ていくと共に、端午の節句と五月人形の関係についてもご説明します。
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「端午の節句」(たんごのせっく)として知られる「こどもの日」は、男の子の成長を家族みんなでお祝いする日。そのお供えには柏餅や粽(ちまき)がありますが、いちばんの主役は、何と言っても「五月人形」と「鯉のぼり」。どちらも、こどもの日には欠かせない端午の節句のお飾りですが、屋内と屋外といった飾る場所だけでなく、それぞれに込められた意味と役割にも大きな違いがあるのです。もともとは宮中行事であった端午の節句について、その変遷を解説すると共に、五月人形と鯉のぼりそれぞれに異なる由来などについてもご説明します。
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日本では古来、四季折々に節目となる年間行事が催され、行事そのもの、あるいはその日のことを「節句」(せっく)と呼んでいます。そのなかでも、現代の日本人にとって最も身近である節句のひとつが、男の子の健康と成長を願う「端午の節句」(たんごのせっく)通称「こどもの日」ではないでしょうか。その際、「五月人形」を飾る家庭も多いですが、お祝いする日が5月5日であることは知っていても、いつから飾り始めていつ仕舞うのか、何歳まで飾っても良いのかといった事柄について、困っている両親や祖父母も多いはず。五月人形にまつわる「いつから?」という様々な疑問について、詳しくお答えします。
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男の子の健やかな成長を願って祝われる5月5日の「こどもの日」。「端午の節句」(たんごのせっく)とも呼ばれるこの日には多くの家庭において、「鯉のぼり」と共に「五月人形」が飾られます。生まれてから初節句となる場合には、この五月人形を準備することになりますが、「いったい誰が買うのが良いの?」、「購入するときに注意することはある?」といった、様々な疑問を持つご両親もいるのではないでしょうか。そんな疑問にお答えすると共に、初めて五月人形を購入する際の注意点なども併せて解説します。
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男の子が生まれると、「端午の節句」(たんごのせっく)のお祝いに贈られることが多い「五月人形」。しかし、すでに男の子の兄弟が他にいる次男や三男であったり、父親の五月人形が残っていたりする場合、「お下がりの物で良いのでは?」と考える両親や祖父母もいるのではないでしょうか。しかし、五月人形などの「節句人形」は基本的に、お下がりの物を用いることは良くないとされているのです。五月人形のお下がりがダメな理由について、様々な側面から解説します。
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「五月人形」は、5月5日の「こどもの日」にお祝いする「端午の節句」(たんごのせっく)に欠かせない「節句人形」。そのなかで、「鎧飾り」や「兜飾り」といった五月人形の種類、大きさなどによって、適切な飾り方が異なるのはご存じでしょうか。五月人形の飾り方を詳しく解説すると共に、飾る場所についても現代の住宅事情を踏まえてご説明します。
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男の子の健やかな成長を願って、「端午の節句」(たんごのせっく)のお祝いに飾られる「五月人形」。生後0歳で迎える「初節句」から毎年飾られる節句人形ですが、子どもの年齢が上がるにつれて、端午の節句を盛大にはお祝いしなくなり、飾る機会が少なくなってしまうのが実情。その結果、家庭によっては五月人形を手放すことを考えるようになりますが、その適切な処分方法やタイミングについて、悩んでいる人も多いのではないでしょうか。いくつかある五月人形の処分方法についてご説明すると共に、大切な五月人形をそのまま処分するのは憚られる(はばかられる)という人のために、五月人形の供養方法についても解説します。
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全国の人形店一覧(五月人形)では、端午の節句の「五月人形」や、桃の節句の「ひな祭り」などに贈り・飾られる節句人形を販売する五月人形販売店(全国の人形店)情報を都道府県別に一覧でご紹介。各都道府県にある人形店(五月人形)の人形店名(販売店名)や所在地、電話番号がご確認できます。
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五月人形写真集五月人形写真集
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甲冑(鎧兜)の基礎知識
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