甲冑の部位

面頬(面具)の歴史

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面頬(めんぽお/めんぼお)は、日本式甲冑とともに進化・発展を遂げてきました。平安時代になると、それまで用いられていた「短甲」(たんこう)や「挂甲」(けいこう)から「大鎧」(おおよろい)へと進化。これに伴い、小具足のひとつとして、面頬(面具)が誕生したのです。西洋においても顔面を防御する、いわゆる「兜面」(かぶとめん)がありますが、これとは一線を画する日本独自の発展を遂げた防具。
ここでは、日本における面頬(面具)の歴史についてご紹介します。

甲冑写真
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面頬(面具)のはじまり

絵巻物に描かれている面頬(面具)

日本において、面頬(面具)が登場した時期については定かではありませんが、平安時代後期に勃発した「平治の乱」の様子を描いた「平治物語絵詞」(へいじものがたりえことば)では、大鎧を身にまとった騎馬武者が、顔を「黒色の物体」で覆っている様子を確認することができます。

この絵巻物自体は、鎌倉時代に制作されたと言われていますが、多少の脚色はあったとしても、作者によって、全く架空の描写が行なわれたとは考えられません。

このように考えた場合、少なくとも平治の乱(1160年)のころには、絵巻物に描かれている「黒色の物体」に類似した防具が存在した可能性が高いと推測されるのです。

この物体の「正体」として考えられるのが面頬(面具)として最古の形態であると言われている「半首」(はっぷり)。額から両頬にかけて防御する、この小具足(こぐそく:鎧・以外の部分)は、その多くが黒漆塗で制作されていました。

面頬(面具)の萌芽

武装埴輪

武装埴輪

一般的に、面頬(面具)が登場したのは、平安時代だったと推測されています。もっとも、その萌芽は古墳時代末期に見られました。

古墳時代に用いられていた甲冑を知る手がかりとなる武装埴輪に、それを観て取ることができるのです。

具体的には、武装埴輪が被っている兜。埴輪の兜の「」(しころ)は、両頬を覆い隠すように下に垂れ下がっています。すなわち、兜そのものが顔面を防御する機能を有していたと考えられるのです。

その後、兜着用者の視界を確保するため、大鎧の兜の錣は外側に折り曲げられ、「吹返」(ふきかえし)へと変化。隙間ができ、防御が手薄になった顔面(両頬)を守るための手段として、新たな防具が考案されたのです。

古代の面頬(面具)

前述のように、小具足としての面頬(面具)が登場したのは、平安時代だと考えられています。

もっとも、古墳時代においても、顔面を防御する防具は存在していた可能性もあるのです。例えば、近畿地方の古墳からは、頬当の残欠と思われる形状の鉄片が出土したという記録が残っています。

こうした出土品から、少なくとも、古墳時代において「頬当状の防具」が制作されていたという事実が推察されるのです。

時代ごとの面頬(面具)

平安時代以前

面頬(面具)は、日本式甲冑の小具足であることから、日本式甲冑が登場する前の平安時代より前の時代においては、面頬(面具)は制作されていなかったとするのが一般的な見解だとされています。

もっとも、前述のように、少数ではありますが、古墳から頬当状の防具の残欠と推察される鉄片が出土されているという事実から、古墳時代においても、顔面を防護するために、何らかの防具が制作されていたと考えられるのです。

平安時代~鎌倉時代

半首

半首(はっぷり)

平安時代になると、武力行使(軍事)を生業とする武士が台頭。それと時を同じくして、日本式甲冑の出発点となる大鎧が登場しました。

これによって、それまで用いられていた短甲挂甲とは異なる形状の兜が用いられるように。それまでは、顔面を守る防具は兜と一体化していましたが、日本式甲冑では視界確保等の理由から、切り離されます。

代わって、顔面(主に額と両頬)を守るための防具として考案されたのが半首でした。

兜を着用しなかった下卒の兵についても、着用していたと言われている半首は、面頬(面具)としては最古の形態なのです。もっとも、半首は鎌倉時代以降、徐々に衰退。平安時代に制作された半首は、ほとんど現存していません。

詳しくは後述しますが、現存している半首は、江戸時代以降における「復古主義」において、復古調の甲冑や小具足が盛んに制作されるようになった時代の作品です。

南北朝時代

半頬

半頬(はんぼお)

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、合戦における戦い方において大きな変化が生じました。それまでの騎馬武者による一対一の「騎射戦」から、大量に動員された歩兵同士が戦う「徒立戦」(かちだちせん)となります。

機動性が重視された結果、従来は下卒兵が着用していた簡易的な甲冑である「胴丸」や「腹巻」が主流となっていきました。

同時に面頬(面具)も変化。無駄を省いた最小限度の防御力を残しつつ、より軽快な形式にしたのが「半頬」(はんぼお)です。

面頬(面具)の初期形態である半首を逆さにしたような形状の半頬は、両頬から顎にかけて防護するとともに、顎下に「」(たれ)を付属させて喉元を守る意識が生じていたことを確認することができます。

室町時代~安土・桃山時代

目の下頬

目の下頬(めのしたぼお)

半頬の登場以降、面頬(面具)は、古典芸能などで用いられる、いわゆる「面」(仮面)としての性格も帯びていきました。

防具としての面頬(面具)は、敵の攻撃から顔面を防護することこそが、本来、求められている機能だと言えます。言わば受動的な小具足。

しかし、半頬以降に登場する面頬(面具)は、それに止まりません。面頬(面具)に表情を付けることで、戦場で対峙した敵を威嚇したり、恐怖心を植え付けたりする攻撃性をも内包させたのです。

南北朝時代までの面頬(面具)との大きな違いは、「鼻」があること。平安時代に誕生した面頬(面具)ですが、それまでは、側面からの攻撃に対する防御と比べて、正面からの攻撃に対する防御は手薄でした。

面頬(面具)に鼻を付属させなかったのは、鼻を防護することで、着用者の視界を遮ってしまう恐れがあると考えられていたためだと言われています。

取り外し可能な鼻を付属させた「目の下頬」(めのしたぼお)は、戦闘を繰り返してきた歴戦の猛者達の経験をもとに考案された「究極の面頬(面具)」だったと言えるのです。

鼻のある目の下頬のなかで、最も一般的だと言われているのが、勢いのある怒りの表情をした「烈勢面」(れっせいめん)。

怒りの形相の面頬(面具)を装着した兵(武士)は、その気迫が乗り移ったかのように勇猛果敢に戦いました。目の下頬は、仮装のための道具でもあったと言えるのです。

鉄錆地烈勢面 明珎宗勝

鉄錆地烈勢面 明珎宗勝

種別 目の下頬(烈勢面)
推定制作
年代
江戸時代中期
代表的な
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
(東建コーポレーション)

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江戸時代以降

天下泰平の世となった江戸時代における甲冑は、武家の威光を示す武具という位置づけとなりました。

すなわち、高価な芸術作品として、家宝と言うべき存在になったのです。こうした背景から、江戸時代においては、甲冑制作で、当代における最先端の技巧が用いられました。もちろん、付属している小具足についても例外ではありません。

面頬(面具)の初期形態である半首で、現存しているのは、ほとんどが江戸時代以降の作品です。

それらは黒漆を丹念に塗り重ねたり、「絵韋」(えがわ:文様などを染めた鹿のなめし革)を貼ったりすることで装飾され、裏側に金箔押しを施した作品もあるなど、豪華な姿を現在に伝えているのです。

顔全体を覆う「総面」(そうめん)は、南北朝時代から江戸時代に制作されていましたが、残存している作品は少なく、希少価値があります。

総面では、インドなどの山地に棲息していたとされる哺乳類「ヤク」の毛を用い、鉄の打ち出し技術や、絵韋などを用いて装飾されたのです。

このように、江戸時代における甲冑師達は、自らの腕を競い合うように、技巧を凝らした作品を世に送り出していきました。

鉄黒漆塗翁総面

鉄黒漆塗翁総面

種別 総面
推定制作
年代
代表的な
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
(東建コーポレーション)

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