甲冑の部位

面頬(面具)とは

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面頬(めんぽお/めんぼお)は、甲冑(鎧兜)に付属した顔面を守るための防具で、最初に登場したのは平安時代後期。そののち、室町時代末期から安土・桃山時代にかけて広く普及したと言われています。
この時代には、機動性と堅固さをかね備えた「当世具足」(とうせいぐそく)が登場。各戦国武将が趣向を凝らし、百花繚乱の様相を呈した当世具足と同様、面頬(面具)も様々な作品が登場しました。
ここでは、面頬(面具)の基本的な事項についてご説明します。

面頬(面具)とは

面頬面具)は、顔面を防御する防具です。

広く普及したのは室町時代末期から安土・桃山時代にかけての時期ですが、その歴史は意外と古く、平安時代後期には、「半首」(はっぷり)と呼ばれる面具が使用されていたと考えられています。もっとも、面頬(面具)が独自の発展を遂げていったのは、南北朝時代以降でした。これらは、室町時代に成立した「猿楽」(さるがく:能のこと)で用いる「面」に通じているとも言われています。

目を除いた顔の大部分を覆い隠した「目の下頬」や「総面」といった面頬(面具)の特徴は、それ自体が豊かな表情を持っていること。

雄々しい表情の面頬(面具)を着用することで、着用者の闘志をかき立てたり、戦場には不釣合いな笑い顔の面頬(面具)を着用することによって、敵を当惑させたりするなど、面頬(面具)は、戦場における「仮面」の役割も果たしました。

面頬(面具)の種類

面頬(面具)は、大きく半首、額当半頬、目の下頬、総面の5種類に分類することができます。

面頬(面具)の原点と言えるのが半首。これが額当と半頬に分かれ、さらには目の下頬や総面へと進化・派生していきました。

半首(はっぷり)

半首

半首

半首は、最も長い歴史を有している面具です。

登場したのは平安時代後期であると言われ、「保元の乱」の顛末を描いた「保元物語」や南北朝時代の軍記物「太平記」にも記載があります。

室町時代以降は衰退しましたが、懐古主義の風潮が高まった江戸時代において、複製が盛んになりました。

素材は鉄を用いた物が多く、革を用いて、表面に漆塗を施した半首も制作されたと言われています。

また、絵巻物の中には、「絵韋」(えがわ:型染めで文様を描いた鹿皮)を用いた半首が描かれている作品もあることから、様々な装飾が加えられていたことが想像できるのです。

額当(ひたいあて)

額当

額当

額当は、前頭部を保護するための防具です。

面頬(面具)は、前述した半首から後述する半頬(はんぼお)・目の下頬(めのしたぼう)へと派生・発展していったと推察されていますが、その過程において、半首で防御していた前頭部を防御するために、この部分が残されて額当になりました。

しかし、半頬や目の下頬とは異なり、額当が用いられることはなくなっていきます。その理由として考えられるのは、兜の「眉庇」(まびさし)が進化し、前頭部の防御が可能となったため、額当を使用する必要がなくなったこと。兜の眉庇部分に眉状に打ち出された装飾(打眉)に、額当の名残があると言われています。

江戸時代には、前頭部を覆う複数の鉄板を額部分で1枚にたためる「畳額当」(たたみひたいあて)が考案されました。

半頬(はんぼお)

半頬

半頬

半頬は、両頬とあごを覆う面具です。鼻はありません。

半首とは異なり、喉部分を防御する「垂」(すが)が付いています。従来の半首では、のどから胸板の上にできた隙間を覆うための小具足(こぐそく:甲冑[かっちゅう]における鎧、、袖以外の構成要素)である「喉輪」(のどわ)に付属されていましたが、顔面の下半分(両頬と顎)を防御するための防具である半頬と垂をつなぐことによって、半頬と垂が一揃いとなったのです。この垂の付いた形式は、半頬に鼻を付けた形式の目の下頬へと踏襲されていきました。

半頬の類型としては、「猿頬」(さるぼう)、「燕頬」(つばくろぼう)、「加賀頬」(かがぼう)などがあります。半頬や猿頬、燕頬については、口の部分をかたどった物と、そうではない物が制作されました。

また、加賀頬は一般的に半頬の中でも最も小さな面具で、顎だけを防護する形状だったことから、「顎当」(あごあて)とも呼ばれています。

目の下頬(めのしたぼお)

目の下頬

目の下頬

目の下頬は、鼻のある頬当です。前述した半頬と目の下頬の違いは鼻の有無であると言えます。

現存する最古の目の下頬は、室町時代前期の作。その最大の特徴は、表情が豊かであること。

戦場で使用されていた武具であるため、多くは勢いのある怒りの形相をした「烈勢面」(れつせいめん)ですが、他に、笑っているような「笑面」(えみめん)や、老人のような「翁面」(おきなめん)、さらには天狗を模したように見える「天狗面」(てんぐめん)など、様々な形態の目の下頬が制作されました。

素材は鉄が多く、革を用いた物も見受けられます。鼻は取り外しできる物と、そのままとじ付けている物があり、耳については、ある物とない物が存在するなど多様。口の周りに髭を植え付けることで、武威を表現しました。

目の下頬の口が開いている理由は、戦場における呼吸と発声をしやすくするため。また、目から上の部分をなくすことで、軽量化を実現しました。

高い彫金技術を用いて制作されるなど、美術品としての人気が高まっている面頬(面具)ですが、武具(小具足)としての機能性も重視されていることをうかがい知ることができるのです。

総面(そうめん)

総面

総面

総面には、鼻のある総面と鼻のない総面の2種類があります。

前者は、半首と半頬を合わせたような形をしており、後者は目の下頬に目と額(前頭部)を防護する部分を追加し、仮面のように顔全体を覆う造りになっています。そして、顎の下には垂を付属。着用者を隙間なく覆っていることで、防御力は高いと言えるのです。

もっとも、実戦で総面を着用した場合、必要以上に重くなってしまったり、視界が狭くなったりしてしまうなど、利便性には疑問が残りました。そのため、広く普及することはなかったと言われています。

江戸時代に入り、戦のない天下泰平の世の中になると、甲冑師達は技術を競い合うように鉄を打ち出したり、シワに変化を付けたりするなど、装飾性の高い総面を制作。武具としてではなく、美術品として人気を誇りました。

有名武将の面頬(面具)

織田信長

紺糸威胴丸具足

紺糸威胴丸具足

織田信長」が所用していたと言われている「紺糸縅胴丸具足」(こんいとおどしどうまるぐそく:建勲神社蔵)には、面頬(面具)が付属していません。

そのため、織田信長がどのような面頬(面具)を所用していたかについて、現存品で確認することは困難です。

ヒントとなり得るのが、「長篠の戦い」で勝利した織田信長が凱旋する様子を描写した「長篠合戦図屏風」に描かれた凱旋の図。

兜を運搬する役割の従者が掲げているのは、鉢が高く、つばが広い形状の赤色に塗られた「唐人笠兜」(とうじんがさのかぶと)と、黒塗りされた総面です。この図を参考にすると、織田信長の面頬(面具)は、総面であったと考えることもできます。

豊臣秀吉

色々縅二枚胴具足鎧兜

色々縅二枚胴具足鎧兜

豊臣秀吉」所用の甲冑(鎧兜)として現存しているのが、「色々縅二枚胴具足」(いろいろおどしにまいどうぐそく:名古屋市秀吉清正記念館蔵)です。

これは、豊臣秀吉が晩年の「朝鮮出兵」の際に実際に所用したと言われている1領。この甲冑(鎧兜)には、烈勢面の目の下頬と垂が付属していますが、その雄々しい表情が印象的です。

徳川家康

金陀美具足鎧兜

金陀美具足鎧兜

徳川家康」が初期に所用していたと言われている甲冑(鎧兜)が、国指定の重要文化財「金陀美具足」(きんだみぐそく:久能山東照宮蔵)です。

この甲冑(鎧兜)は、「桶狭間の戦い」にまつわる「大高城兵糧入れ」(おおだかじょうひょうろういれ)のときに着用していたと伝えられている1領。金色に染められた半頬(燕頬)の両頬には、シワを模した装飾が施され、黒色の縅毛で素懸縅にされた3段板の垂が付属しています。

本多忠勝

黒糸縅胴丸具足鎧兜

黒糸縅胴丸具足鎧兜

徳川四天王のひとり「本多忠勝」所用の甲冑「黒糸縅胴丸具足」(くろいとおどしどうまるぐそく:三河武士のやかた家康館蔵)は、黒ずくめで迫力満点の1領です。

鹿角を模した巨大な脇立(わきだて)を配した兜には、半頬(燕頬)と、黒色の糸で縅された垂が付属しています。

一見、派手な甲冑(鎧兜)ですが、巨大な脇立は紙で制作されるなど、軽量化に配慮。面頬(面具)も、顎と頬を防護する必要最小限度の半頬(燕頬)を付属させています。

生涯において57度戦場に立ちながらも、傷ひとつ負うことがなかったと言われている「忠勝伝説」の一端を窺い知ることのできる、合理性重視の1領です。

刀剣ワールド所蔵の面頬(面具)

鉄黒漆塗翁総面

鉄黒漆塗翁総面

鉄黒漆塗翁総面

種別 総面
推定制作年代
代表的な所蔵・伝来 刀剣ワールド財団
(東建コーポレーション)

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鉄錆地烈勢面 明珎宗勝

鉄錆地烈勢面 明珎宗勝

鉄錆地烈勢面 明珎宗勝

種別 目の下頬(烈勢面)
推定制作年代 江戸時代中期
代表的な所蔵・伝来 刀剣ワールド財団
(東建コーポレーション)

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鉄錆地鑢彫隆武面(春田派)

鉄錆地鑢彫隆武面(春田派)

鉄錆地鑢彫隆武面(春田派)

種別 目の下頬(隆武面)
推定制作年代 江戸時代前期
代表的な所蔵・伝来 刀剣ワールド財団
(東建コーポレーション)

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鉄黒漆塗隆武面(岩井派)

鉄黒漆塗隆武面(岩井派)

鉄黒漆塗隆武面(岩井派)

種別 目の下頬(隆武面)
推定制作年代 江戸時代 中期
代表的な所蔵・伝来 刀剣ワールド財団
(東建コーポレーション)

鉄黒漆塗烈勢面

鉄黒漆塗烈勢面

鉄黒漆塗烈勢面

種別 目の下頬(烈勢面)
推定制作年代 江戸時代 中期
代表的な所蔵・伝来 刀剣ワールド財団
(東建コーポレーション)

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古式頬当 伝 高義

古式頬当 伝 高義

古式頬当 伝 高義

種別 半頬
推定制作年代 室町時代 後期
代表的な所蔵・伝来 刀剣ワールド財団
(東建コーポレーション)

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鉄海老茶漆塗燕頬

鉄海老茶漆塗燕頬

鉄海老茶漆塗燕頬

種別 半頬(燕頬)
推定制作年代 江戸時代 後期
代表的な所蔵・伝来 刀剣ワールド財団
(東建コーポレーション)

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甲冑(鎧兜)写真/画像甲冑(鎧兜)写真/画像
歴史的に価値の高い甲冑(鎧兜)や面頬などを名前や種類から検索することができます。

面頬(面具)とは

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甲冑の胴

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甲冑の袖

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面頬(面具)の歴史

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面頬(面具)の種類

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喉輪・脇当・満智羅

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平安時代に誕生したと言われている日本式甲冑は、時代を経るにしたがって防御の範囲が広がっていきました。頭部を守る「兜」、肩を守る「袖」、胴部分を守る「鎧」や「草摺」(くさずり)を装備していたものの、隙間が多かった「大鎧」は進化。「当世具足」が登場する時代になると、防御力は格段に向上します。もっとも当世具足も完全無欠ではなく、防御しきれない箇所もありました。 それを補っていたのが「喉輪」(のどわ)、「脇当」(わきあて)、「満智羅」(まんちら)などの小具足です。目立たないながらも人体の急所を覆い、命を守るために欠かせない存在だった喉輪・脇当・満智羅についてご紹介します。

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