高瀬理恵の自作をまたぐキャラクターの1人・天野守武。その正体は京の小禄の公家・日野西家に仕える青侍(公家に仕える侍)です。その初登場は名刀・粟田口久国がかかわります。(■高瀬理恵の刀剣キャラ③ 粟田口久国の刀守り・天野守武より)
【首斬り門人帳】で知られる高瀬理恵(たかせりえ)。同作では刀にまつわる史実をもとに、江戸時代後期に刀剣鑑定と公儀御様御用を務めた6代目山田朝右衛門・吉昌の活躍が描かれます。その後描いた【公家侍秘録】では京都の少禄の公家に仕える刀守りを描きます。
高瀬理恵は、小学館新人コミック大賞・1993年度前期一般部門受賞作【上意】(1993年〔ビッグコミック〕掲載)でデビューしました。
その後は、義太夫三味線方・鶴沢道八(初代)の芸談集【道八芸談】を参考にした読み切り【あわ雪】や、【妖笛】、【恋文】などの読み切りを続けて発表しました(1994年〔ビッグコミック〕掲載)。
以後も、【秘聞香】(1995 年〔プチフラワー〕掲載)、【竹の海】(1996 年〔プチフラワー〕掲載)、【癖馬】(1996 年〔プチフラワー〕掲載)、【明治撃剣伝】(1996 年〔コミックトム〕掲載)、【夜汽車】(1997 年〔プチフラワー〕掲載)などの読み切りを、主に少女漫画雑誌などに発表します。
近年、電子書籍化された明治撃剣伝では、明治初頭を舞台に、鳥羽・伏見の戦いで斬られた兄の敵討が描かれます。その表題は歴史・時代小説家の津本陽の短編【明治撃剣会】を想起させます。
初の長期シリーズとなった【首斬り門人帳】(1995~1998年、2002年〔ビッグコミック増刊号〕断続連載)が高瀬理恵の最初の代表作になりました。同作は、江戸時代後期に実在した6代目山田朝右衛門(やまだあさえもん)・吉昌(よしまさ)とその架空の弟子・神崎又平が主人公です。
山田浅(朝)右衛門は代々、幕府の命を受けて試し斬り(公儀御様御用)を行ない、刀剣鑑定を生業としました。試し斬りでは罪人を斬ることから「首切り浅(朝)右衛門」とも呼ばれます。5代目朝右衛門の吉睦は、最上大業物・大業物・良業物と刀の切れ味を記した書物【懐宝剣尺】やその改定版【古今鍛冶備考】を残しました。
山田浅(朝)右衛門を描いた漫画には3代目山田浅右衛門・吉継を描いた小池一夫原作【首斬り朝】(小島剛夕作画)が首斬り門人帳に先行しています。山田家の存在は、首斬り朝の発表の前年に連載が始まった綱淵謙錠(つなぶちけんじょう)の第67回直木三十五賞受賞作【斬】で7代目山田浅右衛門・吉利が書かれ、広く知られます(1972年)。
首斬り門人帳は、6代目山田朝右衛門・吉昌が神崎又平の兄が購入した井上真改(大坂新刀を代表する刀工)が鍛えたとされる刀の真贋を確かめる話から始まります。
一目見て偽物と見抜いた6代目山田朝右衛門・吉昌は、かつての弟子がその原因と知ったとき、「…剣とは夫(そ)れ、神聖にして邪を祓うもの…!」、「刀匠が怨神を退け心神天に満つの気概もて精進潔斎して鍛えるもの!!」とその刀剣観を述べました。

第1話「正邪の剣」
【首斬り門人帳】
首斬り門人帳では、楠木正成の佩刀(小竜景光)も題材にされます。
楠木正成の佩刀は、江戸時代後期に河内の農家から発見されるも刀剣鑑定師の家系・本阿弥家が鑑定を拒んだ史実があります。
その後、代官・中村覚太夫、毛利家、6代目山田朝右衛門・吉昌、井伊直弼、7代目山田朝右衛門・吉利の手を経て明治天皇の佩刀(はいとう)になりました。現在は国宝に指定されています。
首斬り門人帳では、本阿弥宗家18代当主・本阿弥光鑑(ほんあみこうかん)の跡継ぎ問題と楠木正成の佩刀の真贋を巡る話が描かれます。
本阿弥光鑑は、「刀の極めは、この本阿弥宗家と分家十一家とが合議して下す慣わしにござるが、」、「この「楠木公の佩刀」は賛否両論殊の外激しく、幾たりも合議を重ねた末、」、「終に…折紙は与うべからずと決し申した。」と述べます。
高瀬理恵は楠木正成の佩刀を取り上げるにあたり、本阿弥光鑑の本阿弥家と6代目山田朝右衛門・吉昌の山田家との違いも描写しました。
押型(おしがた)目利と武利(ぶり)目利です。「“押型目利”とは(中略)刀の品格を重んずるもの。」、「“武利目利”とは(中略)斬れ味を重んずるもの。」と本阿弥光鑑に語らせました。

第5話「折紙無用」
【首斬り門人帳】

第5話「折紙無用」
【首斬り門人帳】
首斬り門人帳では、鎌倉時代の京の刀工・粟田口久国の鍛えた刀も題材になります。
粟田口久国は後鳥羽天皇が設けた御番鍛冶の中でも、後鳥羽天皇の師徳鍛冶を務めた鍛冶師とされています。三種の神器のひとつで壇ノ浦の戦いの際に海に沈んだ宝剣を所持しないまま即位していた後鳥羽天皇は、鎌倉幕府に対抗すべく御番鍛冶として刀工を集めたとされます。
物語は、遠州浜松藩藩士・柘植平助方理(つげへいすけまさよし)が手に入れた京の古刀・粟田口久国の試し斬りを6代目山田朝右衛門・吉昌に依頼するところから始まります。柘植平助方理は、5代目山田朝右衛門・吉睦がかかわった【懐宝剣尺】と【古今鍛冶備考】を実際に記した人物です。
6代目山田朝右衛門・吉昌が粟田口久国を預かった帰り、怪しい男が現れます。
「その麹塵(きくじん)の色に唐花尾花鳥(からはなおばなどり)の文様、内裏の公家衆が勅許にて賜った布で作った刀袋なれば―――」、「中身はさぞや名のある御刀かと…」と語ります。
男の正体は粟田口久国を守り続ける、京の小禄の公家・日野西家に仕える青侍(公家に仕える侍)の天野守武(あまのもりたけ)でした。

第6話「刀守り」
【首斬り門人帳】
高瀬理恵は、首斬り門人帳の単行本化の際、巻末に山田浅(朝)右衛門の史実をまとめます。
「門人の多くは江戸詰の諸藩の武士だった。ときには、刀工など武士階級でない者もいる。概して地方の藩士の間では尚部の傾向が残っていたが、文化の中心だった江戸の直参たちの間では、据物試しや首打ちなどは無骨で、良いイメージではなかったらしい」、「ただ当時、勝海舟の父で反骨・無頼の人、勝小吉が、御家人の身分ながら吉昌に入門し、以来、山田家と勝家の交際が始まった」と記しています。

【首斬り門人帳】
首斬り門人帳と並行して高瀬理恵は、【公家侍秘録】(1997~2009 年、2012 年〔ビッグコミック〕、〔ビッグコミック増刊号〕断続連載)を発表します。首斬り門人帳で登場した刀守り・天野守武を主人公にしました。
このとき高瀬理恵は室町時代に始まる公家に仕える物守りの家について、興福寺領地の桜を守る「花守り」、茶道具の名器の散逸を防ぐ「道具守り」、そして家宝の日本刀を密かに守る「刀守り」と記しました。
こうしたスピンオフは他に【表具屋夫婦事件帖】(2006~2009年〔ビッグコミックオリジナル増刊 ビッグコミック1〕断続連載)があります。公家侍秘録「古筆守り」(こひつもり)で登場した貧乏公家の高丘家の妾腹の娘・千香と高丘家の古筆守りの斎之介(いつきのすけ)の日々が描かれます。
公家侍秘録では江戸時代後期の京を舞台に、日野西家の姫・日野西薫子(ひのにしかおるこ)と彼女に仕える天野守武との日々が描かれます。日野西家は室町時代まで遡れる近衛家の門流で、かつて天皇の側近として仕えた際、粟田口久国を賜ったとされます。けれども日野西家は今では貧乏公家となっています。
貧しさから粟田口久国を売れと日野西薫子は言います。対して「「売れ」やなぞと云うたら口が曲がらはりますぞ!」と刀守りを務める天野守武は叱ります。

「刀守り」【公家侍秘録】

「刀守り」【公家侍秘録】
貧乏ゆえに侍としての働き以上に日々の雑務の方が多い天野守武は内職に明け暮れます。
けれども日野西家に危険が及べば、京八流の剣の腕前で敵を斬ります。京八流は、平安時代末期に陰陽師の鬼一法眼(きいちほうげん)が京で始めたとされる流派です。
表具屋夫婦事件帖としてスピンオフされることになる古筆守りの斎之介と、天野守武との出会いは京の祇園の遊郭です。女郎となっていた千香(公家の高丘家の妾腹の娘)を斎之介が連れ去ろうとしたとき、偶然でくわしました。
斎之介は代々高丘家に仕え、歌人・藤原定家など歌名人の遺した書を受け継ぎ守る・古筆守りです。千香を連れ出そうとした時、罪人として取り押さえようとする天野守武に斎之介は短刀で立ち向かいます。

「古筆守り」【首斬り門人帳】
高瀬理恵はその後、澤田ふじ子の歴史・時代小説【絵師の首 小説日本女流画人伝】と【花篝 小説日本女流画人伝】の中から4 作の短編を読み切り連載漫画化し、【花篝 江戸女流画人伝】として単行本化します(1999 年、集英社刊行)。以降、歴史・時代小説の漫画化も多数手がけていきます。
「時代歴史コミック」を掲げた不定期刊行の漫画雑誌で、読み切り【夢想の剣】(2005年〔ビッグコミックオリジナル増刊 ビッグコミック1〕掲載)では居合の創始者・林崎甚助を取り上げます。先行した白土三平【忍者武芸帳 影丸伝】や小池一夫原作【刀化粧】(神田たけ志作画)の時代劇漫画に続く林崎甚助像を描きました。同掲載雑誌では以後も、古川薫の歴史・時代小説【雪に舞う剣 維新小説集】に収録された小太刀の名手の3姉妹を描いた短編「春雪の門」を読み切り漫画化。掲載漫画雑誌の最終号を飾りました(2009年〔ビッグコミックオリジナル増刊 ビッグコミック1〕掲載)。
近年では、川田弥一郎の時代推理小説【江戸の検屍官】を漫画化しています(2010~2018年〔ビッグコミック〕断続連載)。江戸北町奉行所の同心で優れた検死技術を持つ北沢彦太郎と医者・玄海、女性絵師・お月らが活躍する物語です。時代考証家の山田順子の協力を仰ぎ、正確な描写にこだわりました。
江戸の検屍官連載中には、池波正太郎の元・渡世人を描いた短編「雨の杖つき坂」も掲載漫画雑誌の「池波正太郎」特集に合わせて読み切り漫画化しています(2016年〔コミック乱ツインズ増刊〕掲載)。
現在は鳥羽亮【必殺剣「二胴」】を原作とする【暁の犬】(2019年〔コミック乱ツインズ〕連載中)を手がけています。時代考証は山田順子です。
富田流居合術の遣い手・小野寺佐内が父の謎の死を探ります。二胴に斬られて亡くなった父は町道場を営みながらもその裏で口入れ屋からの刺客を請け負っていました。小野寺佐内も父から続く裏稼業を引き継いでいます。
小池一夫(代表作:【子連れ狼】、【首斬り朝】、【刀化粧】など)が切り開いた本格的時代劇漫画の系譜に立つ高瀬理恵は、歴史・時代小説の漫画化が増えるにつれ、さらにその描写が精密になっていきます。