大正・昭和生まれの刀剣・歴史小説家
津本陽
大正・昭和生まれの刀剣・歴史小説家
津本陽

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短編「明治撃剣会」で当時珍しかった明治時代初頭を物語の舞台とし、時代小説に新風を送り込んだ津本陽(つもとよう)。剣道と抜刀道の有段を活かし、出版した刀剣・歴史小説で日本刀(刀剣)の立ち合いの描写にも新風を送り込みました。

明治維新の苦悩を描く直木三十五賞受賞作

深重の海

深重の海

津本陽は、和歌山市で生まれ育ちます。故郷で不動産会社を経営しながら関西の同人誌『VIKING』で小説の発表を続け、直木三十五賞の2度目の対象作『深重の海』(1975~1978年『VIKING』断続連載)で第79回直木賞を受賞しました。

明治期の和歌山太地の捕鯨を題材に、黒船来航以降、手投げ銛から五連発クジラ銃への移行などを通して近代化の苦悩を描きました。

士族を救うための撃剣会

明治撃剣会

明治撃剣会

その後も明治期の和歌山は津本の題材となります。

幕末から明治を描いた短編集の表題作「明治撃剣会」(1981年『オール讀物』初出)では、直心影流男谷派の継承者・榊原鍵吉が始めた撃剣興行を題材にしました。

明治維新後、生活に困窮する士族を救うために榊原が始めた剣術試合の見世物を、津本は和歌山を舞台に描きます。

剣道の有段者が描く剣術描写

「明治撃剣会」の主人公・深沢新右衛門は、和歌山の大手旅館の主人となっているものの、もと・東京府士族の幕臣であり、北辰一刀流の千葉門下で免許皆伝の腕前を持っています。

かつてみかじめ料を新右衛門に断られたことで恨みをもっていたイキリ長兵衛は、紀州東照宮お旅所の大鳥居の前で撃剣興行を開き、新右衛門を飛び入りで撃剣興行に参加させます。新右衛門は、倒幕派だったもと・肥後熊本藩藩士で柳剛流の剣客・三島兼重と竹刀を交えることになります。

剣道の有段者でもある津本は、両者の対決を精細に描写しました。

三島が凄まじい勢いで新右衛門の右横面に竹刀を叩きつけ、辛うじて防ぐと喉を突かれた。新右衛門は首を振って避けたが、三島の剣尖がかすっただけで、喉仏が割れたかと思う疼きが走った。

新右衛門はせきこみながら飛び退った。つづいて三島は面を狙い飛び込んできた。面と臑打ちは連繋した技である。新右衛門は無意識のうちに、竹刀をつき出した。

両腕に重い響きが伝わった。新右衛門の竹刀がまともに三島の喉に決まったのだ。三島が重みのない紙人形のようにあおむき、ゆらめいてひっくりかえるのを、新右衛門は見た。

「明治撃剣会」より

文殊重国を愛刀とする紀州藩の脱藩浪人

剣のいのち

剣のいのち

津本はその後も、戦国時代に織田信長に鉄砲で立ち向かった紀州の地侍集団・雑賀衆や江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の紀州藩藩主時代など故郷・和歌山を題材にする中で、『剣のいのち』(1984 年『週刊朝日』連載)を発表します。紀州藩士で江戸にて心形刀流師範・伊庭秀業に学んだ東使左馬之助を主人公として創作しました。

左馬之助は、父・伊織が紀州藩主・徳川慶福(のち14代将軍・家茂)を井伊直弼とともに擁立するも、桜田門外の変ののち蟄居させられたことで脱藩へ。尊王攘夷派で先に脱藩していた同じ紀州藩士の陸奥宗興・陽之助(のち陸奥宗光)義兄弟らと京で合流します。

京では薩摩藩藩士・中村半次郎(のち桐野利秋)と連帯して薩摩の密偵として新選組に潜伏したのち、陽之助とともに坂本龍馬に傾倒していきます。佐幕派と勤王派とに揺れ続けた紀州藩のように揺れ動いた左馬之助。そのそばには、父から譲り受けた文殊重国(紀州藩お抱鍛冶)の日本刀(刀剣)がいつもありました。

父伊織は、左馬之助に心中をうちあけられると同意し、家宝の銘刀、文殊重国を門出の祝いにと、手渡してくれたのである。

『剣のいのち』より

抜刀道の有段者が描く剣術描写

抜刀道の有段者でもある津本は、左馬之助の剣術描写をこう記しました。

ふだんの稽古で、一刀両断の竹刀を三尺うちこむことのできる者が、真剣勝負でおなじ技をおこなえば、三尺うちこんだと思っても、実際に剣尖は三寸しか伸びていない。平生から小手先の技を好む者であれば、寸分も刀を動かすことができない。

つまり、必死になった左馬之助は、一匹の野獣として狂い、気魄によって五人を倒したのだ。

『剣のいのち』より

その後、津本は故郷・和歌山の題材から離れます。宮本武蔵、仏生寺弥助、柳生兵庫助、山岡鉄舟、小笠原長治、千葉周作など有名・無名の剣客を取り上げていきます。

その刀剣世界には、実践を伴う津本の剣術感覚が息付いています。

著者名:三宅顕人

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