中山義秀(なかやまぎしゅう)文学賞は中山義秀記念文学館の会館を記念して創設された賞です(1993年)。毎年4月から翌年3月の1年間に初めて刊行された書籍から、日本の歴史を題材にした歴史・時代小説に与えられています。2000年代以降の受賞作は、戦国武将に光が当てられており、特に豊臣から徳川への移行を題材にした作品が顕著です。
始祖鳥記
余寒の雪
2000年代、中山義秀(なかやまぎしゅう)文学賞における時代小説の受賞作は、飯嶋和一(いいじまかずいち)の書き下ろし『始祖鳥記』(2000年度受賞)に始まります。江戸時代後期、世界で初めて空を飛んだともされる備前国(現在の岡山県東南部)の表具師の実話が記されます。鳥人備前屋幸吉と呼ばれた男、浮田幸吉の物語です。
続いて、女性作家による時代小説が続けて受賞します。2001年度受賞作、宇江佐真理の7編の短編集『余寒の雪』に始まります。表題作では、仙台出身の女性剣士と妻を失った子持ちの北町奉行所同心との物語が描かれます。
おすず 信太郎人情始末帖
白春
2002年度受賞作、杉本章子の連作時代短編集『おすず 信太郎人情始末帖』は、呉服太物店の跡継ぎ・信太郎の人情話でした。宇江佐真理は、深川を舞台にした6編の短編集『深川恋物語』で吉川英治文学新人賞の受賞者(1999年)。杉本章子は、明治時代に活躍した浮世絵師・小林清親を取り上げた『東京新大橋雨中図』で直木三十五賞の受賞者でした(1988年下半期)。
2003年度受賞作、竹田真砂子『白春』は、赤穂藩京屋敷留守居役・小野寺十内(おのでらじゅうない)と夫の切腹後に自害した妻女・丹の夫婦の史実を通して、女性の視点から赤穂事件(忠臣蔵)が描かれます。
武家用心集
生きて候
2004年度は、直木三十五賞受賞者が再び受賞します。乙川優三郎(おとかわゆうさぶろう)の8編の時代小説集『武家用心集』です。乙川優三郎はこの時期、『五年の梅』で山本周五郎賞を(2001年)、『生きる』で直木三十五賞(2002年上半期)を獲得していました。
中山義秀文学賞では以後、戦国武将を題材にした受賞作が増加します。
2005年度受賞作、安部龍太郎『生きて候』は、徳川家康の参謀・本多正信の次男・本多政重の物語です。関ヶ原の戦いでは豊臣方の宇喜多秀家軍(西軍)として参加し、敗軍となるなど、徳川方の息子でありながら敵対する豊臣方に通じた生き方を選んだ武将です。そののち前田利長(加賀藩第2代藩主)などに仕え、上杉景勝(米沢藩初代藩主)の重臣・直江兼継の婿養子に。前田利常(加賀藩第3代藩主)にも仕えるなど、その波乱万丈の生涯が記されました。
雲を斬る
天地人
江戸時代中後期を舞台に父の仇を江戸の町で追う貧乏浪人の架空の物語、池永陽『雲を斬る』(2006年度受賞)の翌年には、火坂雅志『天地人』(2007年度受賞)で上杉景勝の家臣・直江兼継の生涯が記されます。織田信長と豊臣秀吉、そして豊臣方と敵対することになる徳川家康と渡り歩いた上杉家の様が記されます。同作はのちにNHK大河ドラマの原作にもなりました。
清佑、ただいま在庄
命の版木
以後は2年連続、武士以外の題材の受賞が続きます。岩井三四二(いわいみよじ)『清佑、ただいま在庄』(2008年度受賞)は、室町時代後期が舞台です。荘園の新代官となった架空の若き僧を主人公に、様々な事件の裁きが描かれます。
続く、植松三十里『彫残二人』(2009年度受賞)は、江戸時代後期を生きた経世家(※世を治めて民を救う[経世済民]の考えの持ち主)・林子平(はやししへい)の物語です。仙台藩に仕えた藩医の兄の部屋住み暮らしのなか、林子平は地誌と兵書を記すも江戸幕府が禁書とし、版木が没収された史実に基づきます。架空の女彫師・お槇との男女の物語としての創作がなされた同作は、文庫版では『命の版木』と改題されました。植松三十里は同年、『群青 日本海軍の礎を築いた男』で新田次郎文学賞を獲得しています(2009年度)。
新装版 孤闘 立花宗茂
そして、上田秀人『孤闘 立花宗茂』(2010年度受賞)は、豊後国(現在の大分県の大部分)で生まれ育った戦国武将・立花宗茂の物語です。立花宗茂は、大友家の重臣・高橋紹運(たかはしじょううん)の嫡男として生誕。同じく大友家の重臣・戸次鑑連(べっきあきつら:のちの立花道雪)の養嫡子となり彼の娘・立花誾千代(たちばなぎんちよ)の婿となります。
やがて大友宗麟(おおともそうりん)のもとから豊臣秀吉へ仕えることに。朝鮮出兵(文禄・慶長の役)にも参加し、関ヶ原の戦いでは西軍として敗戦します。浪人生活を経て、その武勇から徳川方から請われて陸奥国(現在の福島県・宮城県・岩手県・青森県)の棚倉藩初代藩主に。大坂冬の陣で徳川方として活躍後は筑後国(現在の福岡県南部)の柳河藩立花家初代藩主となる、その波乱万丈の生涯が記されました。
上田秀人が書き下ろした孤闘 立花宗茂では、立花宗茂(当時の名前は立花統虎:たちばなむねとら)が豊臣秀吉に仕えることになる場面で刀剣が登場します。秋月城(現在の福岡県)にて、豊臣秀吉から望まれて臣下となったとして描かれます。
立花統虎(宗茂)が仕えていた大友宗麟は対立する島津義久に勝利するため、大坂城に出向いて豊臣秀吉にすがることを選択。こうして九州に豊臣秀吉軍が島津討伐(九州平定)へやってくることになった史実がふまえられています。
ゆっくりと秀吉が諸大名を見まわした。
「まさに統虎こそ、九州一の武将よ」
秀吉の言葉は最大の讃辞であった。
統虎は、諸大名の注目が己に集まるのを感じた。
「宗麟」
諸大名の末席に座っていた大友宗麟を、秀吉が呼んだ。
「はっ」
大友宗麟が身体をずらし、秀吉に正対した。
「統虎を余にくれ」
秀吉が、統虎を直臣にしたいと言った。統虎の欲した言葉が秀吉から出た。
「…………」
しばらく沈黙した大友宗麟だったが、願いの形を取った命令にさからうことはできなかった。ちらと統虎を見た大友宗麟は、せつな苦い表情を浮かべたが、すぐに応えた。
「義をなによりのものとし、忠誠無二の者でございまする。ご家人となしたまわれば、当人はもとより、大友の誉れと存じまする」
大友宗麟が承諾した。
「うむ。統虎」
首肯した秀吉が、統虎に顔を向けた。
「五千与える。島津攻めの先陣をうけたわまれ。手柄をたててみせよ」
「はっ」
思わぬ先陣の命に統虎は驚愕した。九州の地勢に詳しいとはいえ、秀吉の帷幕(いばく)には、天下の知れた猛将が集まっているのである。そのなかにあって先陣を許されるのは、大抜擢であった。
「父を失った代わりにもならぬが……」
さらに秀吉が続けた。
「この太刀と馬を取らせる」
佩刀を秀吉は統虎に与えた。これも破格の名誉であった。
上田秀人『孤闘 立花宗茂』より
孤鷹の天
涅槃の雪
澤田瞳子『孤鷹の天』(こようのてん:2011年度受賞)は、奈良時代を舞台に、大学寮で儒学を学ぶ高向斐麻呂(たかむこのまろ)を通じて仏教推進派(上皇)と儒教推進派(今上天皇)との対立劇が描かれます。時代小説家・澤田ふじ子を母に持つ澤田瞳子は、デビュー作となった同作で中山義秀文学賞の受賞となりました。
西條奈加『涅槃の雪』(ねはんのゆき:2012年度受賞)は、江戸時代後期を生きた北町奉行・遠山景元(とおやまかげもと)と南町奉行の矢部定謙(やべさだのり)の2人と、天保の改革を実行した老中・水野忠邦と目付・鳥居耀蔵(とりいようぞう)の対立劇が、架空の主人公・高安門佑(遠山景元から信頼される部下で吟味方与力)を通じて描かれます。
破天の剣
そして、天野純希(あまのすみき)『破天の剣』(2013年度受賞)では、戦国武将・島津家久の生涯が記されます。島津家久は、薩摩国(現在の鹿児島県西部)の戦国大名・島津貴久の4人の息子(島津義久・島津義弘・島津歳久・島津家久)のうち、ひとりだけ正室からではなく側室の母から産まれた四男でした。
天野純希が書き下ろした破天の剣では、九州統一に向けた大友宗麟、龍造寺隆信との戦を通じて、主人公・島津家久の戦上手が描かれます。
物語の山場は、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)にすがった大友宗麟を通じて九州に島津討伐(九州平定)にやってきた豊臣軍(仙石秀久、長宗我部元親と長宗我部信親の親子、十河存保)との場面です(戸次川の戦い)。
この戦いで島津家久は、兄・島津義久が考案した「釣り野伏せ」(つりのぶせ)を披露します。それは、後退を装って敵を引き付ける釣りと、追ってきた敵を伏兵によって囲む野伏せの組み合わせです。作中、島津家久は名乗った官職・中務大輔(なかつかさのたいふ)の唐名「中書」(ちゅうしょ)と呼ばれます。
「中書はいかにして勝った。詳しく申せ」
「ははっ」
義久は濡れ縁に豊後の絵図を広げ、使者からの戦の顛末を聞き出した。
十二日早朝。羽柴軍は、鶴賀城から戸次川を挟んだ対岸の鏡城に入った。その報を受けた家久は、鶴賀城に監視の兵を置いて後退をはじめる。その動きに誘われた敵は、鏡城を出て戸次川を渡りはじめました。
敵の半数が渡河を終えたところで伏兵が襲いかかるが、予期していた敵の備えは堅く、撃退される。勢いに乗った敵は全軍が川を渡り、周囲の山や森に潜む伏兵に気付くことなく、鶴賀へ向けて押し出した。
まさに、絵に描いたような釣り野伏せ(つりのぶせ)である。あとは次々と伏兵を繰り出し、懐深く入った敵を囲んで締め上げればいいだけだ。この厳寒の中で川を渡った敵の動きは鈍い。軍監の仙石久秀は真っ先に戦場を離脱し、十河存保、長宗我部信親は奮戦したものの力尽きた。
「つまりは、鶴賀城を餌に、敵は釣り出したということか」
「御意」
攻めあぐねていたわけではない。遅まきながら気付かされ、義久は唸った。恐らく家久は、敵の後詰を待つ間に周囲の地形を入念に調べ上げ、敵の行軍路も読みきっていたのだろう。
天野純希『破天の剣』より
峠越え
沙羅沙羅越え
伊東潤『峠越え』(2014年度受賞)は、徳川家康が主人公です。織田信長が暗殺された本能寺の変の直後、謀反を起こした明智光秀の追手や落ち武者狩りから逃れるため、伊賀国(現在の三重県西部)を超えて三河国(現在の愛知県中・東部)へと向かう様(伊賀越え)を軸に描かれます。
伊東潤はこの時期、『黒南風の海 加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を獲得(2011年度)。峠越えが受賞した時期は、戦国小説集『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞を獲得(2013年)、『巨鯨の海』で山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を獲得(2013年度)、『義烈千秋 天狗党西へ』で歴史時代作家クラブ(現・日本歴史時代作家協会賞)の作品賞(2013年)を獲得しています。
風野真知雄『沙羅沙羅越え』(2015年度受賞)は、織田信長の家臣・佐々成政が主人公です。本能寺の変のあとに覇権を握った羽柴秀吉を打倒すべく、徳川家康と交渉をするため(小牧・長久手の戦いの再開)、越中国(現在の富山県)から厳冬期の飛騨山脈を越え、浜松を目指したとされるできごとが題材です(さらさら越え)。風野真知雄は同年、『耳袋秘帖』シリーズで歴史時代作家クラブ賞(現・日本歴史時代作家協会賞)のシリーズ賞を獲得しています(2015年)。
眩
荒仏師 運慶
朝井まかて『眩』(くらら:2016年度受賞)は、江戸時代後期を生きた葛飾北斎の娘で女絵師・葛飾応為(かつしかおうい)の生涯を記します。朝井まかては『恋歌』(こいうた)でこの時期、本屋が選ぶ時代小説大賞(2013年度)と直木三十五賞(2013年下半期)を獲得していました。梓澤要(あずさわかなめ)『荒仏師 運慶』(2017年度受賞)は、東大寺南大門の金剛力士像を彫った鎌倉時代の仏師・運慶の物語です。
守教
がいなもん
松浦武四郎一代
帚木蓬生(ははきぎほうせい)『守教』(2018年度受賞)は、戦国時代から明治時代までの300年間、潜教が続いた今村信徒(福岡県三井郡大刀洗町)について描かれます。同作は、吉川英治文学賞も同年受賞しました。守教は、新田次郎文学賞受賞作『水神』(2010年受賞)と『天に星 地に花』の先行作と併せて、作家の故郷である久留米藩三部作となっています。帚木蓬生はこの時期、『日御子』で歴史時代作家クラブ賞(現・日本歴史時代作家協会賞)の作品賞も獲得しています(2013年)。
河治和香(かわじわか)『がいなもん 松浦武四郎一代』(2019年度受賞)は、江戸時代後期から明治時代初期を生きた冒険家の一代記です。還俗(※僧侶から俗人となった者)した松浦武四郎は蝦夷地を筆頭に、日本全国の地誌を残しました。「北海道」の名称の生みの親でもあります。同作は、北海道ゆかりの本大賞と舟橋聖一文学賞も獲得しました。
まむし三代記
化け者心中
木下昌輝『まむし三代記』(2020年度受賞)は、美濃国(現在の岐阜県南部と愛知県の一部)の戦国武将・斎藤道三を含む親子3代の記録です。同作は、日本歴史時代作家協会賞で作品賞も受賞しました。
木下昌輝はデビュー作『宇喜多の捨て嫁』で、歴史時代作家クラブ賞(現・日本歴史時代作家協会賞)の新人賞、舟橋聖一文学賞、高校生直木賞の3つの賞の受賞者です(2015年度)。
まむし三代記の前年には、江戸時代中期を生きた上方落語家・米沢彦八の一代記『天下一の軽口男』で大阪ほんま本大賞を、江戸時代後期から明治時代初頭を生きた土佐藩家老のお抱えの天才絵師を取り上げた『絵金、闇を塗る』で野村胡堂文学賞を、それぞれ獲得していました(共に2019年)。
蝉谷めぐ実『化け者心中』(2021年度受賞)は、江戸時代後期を生きる架空の歌舞伎役者の業が描かれます。主人公は、とある事件をきっかけに両足の膝から下が動かず引退した元女形の役者です(モデルは3代目・澤村田之助)。彼の足がわりとなる鳥屋の青年とのコンビで、新作舞台に立つ6名に潜む1匹の鬼暴きに挑みます。同作は、日本歴史時代作家協会賞で新人賞も獲得しました(2021年)。
2000年代以降の中山義秀文学賞は、戦国武将の題材が増加しました。そこでは主に豊臣から徳川への時代の移行が題材となり、両家の間で揺れ動く本多政重と直江兼継、関ヶ原の戦いでは豊臣方に付いて負けたもののそののち徳川方に尊重された立花宗茂、豊臣方に当初抗った島津家の島津家久などが主人公とされました。