「刀身彫刻」は、刀工達が時間をかけて作刀した日本刀を、より魅力的な作品へと仕上げるための工程です。日本刀の美しさを損なわないように、強度を保ったまま、吉祥を授かるよう、神仏や聖獣などを題材にします。そこには、作刀者や所持者の守護を願う気持ちが込められているのです。
そうした刀身彫刻について紐解いていきましょう。
刀身彫刻とは、日本刀の刀身に施された彫刻のことです。刀身彫刻の歴史は古く、飛鳥時代に作刀され「聖徳太子」が所持していた「七星剣」(しちせいけん)には、すでに彫刻がなされていました。この時代は、刀身に溝を彫り金銀を嵌め込んだ「象嵌」でしたが、平安時代になる頃には、刀身に立体的な意匠を彫り込む技法が確立。刀身彫刻は、作刀者や所有者の宗教観を表します。
また、装飾的な美しさだけではなく、刀身の軽量化など実用性もかねていました。主な刀身彫刻について見ていきましょう。
刀身彫刻の代表格に「倶利伽羅」(くりから)という、龍が剣に巻き付いた様子を表した意匠があります。このことから別名「剣巻龍」(けんまきりゅう)とも呼ばれていました。この倶利伽羅は、平安時代中期に流行した「密教」(みっきょう)の影響を受けていると考えられます。
そして密教の尊格は、煩悩を断ち、悪を退けると伝わる「不動明王」(ふどうみょうおう)です。この不動明王が持っている武器が「倶利伽羅剣」(くりからけん)と呼ばれ、炎と龍が巻き付いている剣。この龍は「倶利伽羅龍王」(くりからりゅうおう)と言い、倶利伽羅剣とともに不動明王の化身であると伝わっています。
こうしたことから倶利伽羅の刀身彫刻のある日本刀には、厄除けの意味が込められているのです。そんな刀身彫刻の倶利伽羅の種類には、「草の倶利伽羅」・「真の倶利伽羅」が挙げられます。草の倶利伽羅と真の倶利伽羅について、解説していきましょう。
草の倶利伽羅
草の倶利伽羅は、平安時代中期の古刀期に作刀されることが多く、龍は写実的な彫りではなく簡略化されていました。この「草」とは書道の草書を表しています。同じく簡略化された表現として行書からなぞらえた「行の倶利伽羅」といった彫刻も古刀期にはよく見られました。草の倶利伽羅には、龍や剣と並んで、密教で使用される「梵字」(ぼんじ)を彫刻した日本刀もあります。
真の倶利伽羅
真の倶利伽羅とは、江戸時代初期の新刀期に多く見られるようになった意匠です。この場合の倶利伽羅龍は、写実的な彫刻をされており、立体的な表現になっているところが特徴です。
不動明王
不動明王の刀身彫刻は、前述した通り、煩悩を断ち、悪を退ける意味を持ちます。刀身彫刻には、不動明王が剣と羂索(けんさく:紐状になっており衆生救済の象徴と言われている)を持ち、岩に立って滝に打たれる図や、炎に包まれる図などがよく作られました。
不動明王は、インド神話の「シヴァ神」であり、暴風雨の威力を神格化した存在です。暴風雨のような破壊的な災害を起こしますが、そののち雨によって植物を育てるといった破壊と再生による相反した性質を持ちます。
日本へ伝来した不動明王も、シヴァ神の相反する性質を受け継いでおり、不動明王は悪人をこらしめたあとに、その悪人を仏法へと導き常に守護してくれるのです。こうした、悪魔退散や修行者守護といった思いが刀身彫刻に込められています。
「金剛杵」(こんごしょ)とは、「三鈷杵」(さんこしょ)や「独鈷」(とっこ)などの密教で使用される法具のことを指します。これらは、儀式などに使用することから、煩悩を断ち、厄を払う象徴として刀身彫刻にも用いられました。
金剛杵を題材とした「三鈷柄剣」(さんこづかけん)・「素剣」(すけん/そけん)・独鈷について解説します。
三鈷剣/三鈷柄剣
「三鈷柄剣」とは、不動明王が持つ剣のことです。前述した倶利伽羅龍剣も不動明王の剣ですが、どのような違いがあるのかと言うと倶利伽羅龍剣は剣に龍が巻き、燃え盛る炎に巻かれています。一方の三鈷柄剣は、龍も炎もない剣です。
三鈷柄剣は、密教の祈祷・瞑想・浄化・魔除けなどに使われる密教法具でもあり、三つ又の柄を有する構造が特徴です。真の倶利伽羅・草の倶利伽羅と同様に、厄除けの意味合いや邪気などを寄せ付けないと言われています。
素剣
「素剣」とは、三鈷柄剣を簡略化した彫刻です。見栄えのする倶利伽羅や三鈷柄剣とは違い、やや簡素な意匠であることから、広く用いられています。
また、簡素であるが故に「刀身彫刻は素剣にはじまり素剣に終わる」と言われるほど奥が深いのも素剣の彫刻ならではです。
独鈷
「独鈷」は、三鈷柄剣と同じく密教法具のひとつに挙げられます。法具としては「独鈷杵」と言い、金属製の両端が尖った短い槍の姿で、中央が柄です。所有者の守護や、煩悩などを打ち砕くとされています。
梵字
「梵字」は、インドのサンスクリット語を起源とした仏教用語。刀身へと彫刻する場合は、陰刻(いんこく)という、刀身の表面をへこませて彫る技法がよく用いられる手法です。
サンスクリット語は、もとはインド神話にある、万物を創造した神「ブラフマー」(日本では[梵天]と訳される)が作った文字であると伝わり、密教とともに日本へ渡りました。梵字は、一字一字が諸仏諸尊を表しており、刀身彫刻でもっとも多いのは不動明王です。
その他には、「愛染明王」・「大威徳明王」・「摩利支天」などが多く見られます。
珠追龍
「珠追龍」(たまおいりゅう:[玉追龍]とも)とは、龍が珠を追いかけて掴もうとする図を装飾化したもの。珠追龍のもとは、古代中国の「神仙思想」(神仙術により仙人になることを目指す思想)から来る「北辰信仰」を背景とした彫り物です。「北辰」は、北極星と北斗七星を指します。
そして古代中国の皇帝は、宇宙の中心である北極星に位置付けられていたため、龍は権力の象徴として用いられました。珠追龍の他にも、天を目指して進む「昇龍」や、地上に降りてくる「降龍」などの彫り物も多く見られます。
蓮台
「蓮台」(れんだい:別名を[蓮華]とも)は、蓮華の花を象っている仏像の台座を指し、これを簡略化した図です。刀身の上部に施された彫りを蓮華、下部に配された彫りを蓮台と言います。
梵字や素剣といった、密教法具とともに描かれることが多い意匠です。
「鍬形」(くわがた:別名を[爪]とも)は、前述した三鈷柄剣の三つ又を意匠化した図です。三つ又の柄部分を爪のように伸ばし、特に長く伸びた場合に鍬形と呼び分けています。
鍬形は、素剣や梵字など密教法具と一緒に表されることが多い意匠です。
旗鉾
「旗鉾」(はたぼこ)は、十字型の剣先に旗が巻き付いている図。この刀身彫刻は、「毘沙門天」を示しており、不動明王と同様に所持者の厄を払い守護する意味を持ちます。
毘沙門天は、インド神話に登場する富と財宝の神でしたが、中国を経て日本へと伝来する際に、軍神となり、日本では多くの武士に信仰されました。