本太刀は、鎌倉時代中期に備前国(現在の岡山県東部)で活躍した刀工「光忠」(みつただ)が制作した太刀です。5代将軍「徳川綱吉」が尾張徳川家3代「徳川綱誠」(とくがわつなのぶ[つななり])へ下賜(かし:身分の高い人からくださること)した太刀。
各寸法は、長さが72.4cm、反りが2.2cm、元幅が29.7cm、先幅は2.3cm。鎬造り(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)で反りが浅く、猪首鋒/猪首切先(いくびきっさき)となっています。裏面は二重刃ごころで、飛焼(とびやき)しきりに入るのが特徴。また、茎先棟寄りには二字銘も記されています。
制作者である光忠は、備前国「長船派」(おさふねは:備前長船)の祖と言われる刀工です。光忠の作る太刀は、身幅(みはば)が広くて猪首鋒/猪首切先の豪壮な姿と、やや細身で中鋒/中切先の穏やかな姿の2種類があり、同時代の「畠田派」(はたけだは)や「国宗」(くにむね)らと比較して、地鉄(じがね)が澄み、とても美しいのが特徴です。
本太刀は、光忠の数少ない在銘作の1振で1954年(昭和29年)3月20日に国宝指定され、現在は「公益財団法人徳川黎明会」が所有し、愛知県名古屋市東区「徳川美術館」が所蔵しています。