本太刀の制作者は、平安時代中期から鎌倉時代前期にかけて備前国(現在の岡山県南東部)で繁栄した「古備前派」の刀工「正恒」(まさつね)とされ、平安時代後期に作られたと考えられています。江戸時代には、美濃大垣藩(現在の岐阜県大垣市周辺)藩主の戸田家が所蔵していました。
制作者の正恒は、古備前派を代表する刀工のひとりであり、「友成」(ともなり)と並び称せられるほどの名工です。また古備前派の刀工のなかでは、在銘の作品が最も多く現存しています。
古備前派のなかでも「正恒」銘を切る刀工は数名存在し、また、同じ時代に備中国青江(現在の岡山県倉敷市)を拠点とした「古青江派」にも「正恒」と銘を切る刀工が存在しましたが、いずれも本太刀を制作した正恒とは別人です。
本太刀の刃長は78.9cm、反りが2.4cm。鎬造り(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね:屋根の形に見える峰/棟[みね/むね])で、腰反りやや浅く、踏張りのある姿が印象的です。地鉄(じがね)は板目詰んで地沸(じにえ)細かに付き乱れ映り立ち、刃文(はもん)は直刃(すぐは)に小乱れ交じり。さらに足、葉(よう)盛んに入り、匂(におい)、小沸(こにえ)が深いという古備前の作風をよく表わしています。
1931年(昭和6年)1月19日、重要文化財に指定。1952年(昭和27年)3月29日には、国宝に指定されました。現在は東京都台東区にある「東京国立博物館文化庁分室」が所蔵しています。常設展や特別展において、年に数回ほど観ることが可能です。