本太刀は、鎌倉時代中期に作られたとされています。徳川幕府4代将軍「徳川家綱」(とくがわいえつな)が日光社参(にっこうしゃさん:徳川将軍家が「日光東照宮」[栃木県日光市]に参拝すること)した帰りに、岩槻藩(現在の埼玉県さいたま市)4代藩主「阿部正春」(あべまさはる)に与え、以降阿部家に伝わりました。「日清戦争」終結後の1895年(明治28年)には、阿部家から「明治天皇」へ献上されています。
本太刀の制作者である刀工「定利」(さだとし)は、京都の綾小路(あやのこうじ)に居住していたことから、「綾小路定利」とも呼ばれました。1264~1275年(文永年間)頃に活躍したとされますが、作風には鎌倉時代前期の特徴が見られ、本太刀を制作した年代はやや遡ると考えられます。
本太刀の各寸法は、刃長が78.7cm、反り3.0cm、元幅が2.8cm、先幅が2.0cmの大きさです。鎬造り(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね:屋根の形に見える峰/棟[みね/むね])で、腰反りの踏張りが高い太刀姿が印象的。茎(なかご)は筋違(すじかい)の鑢目(やすりめ)付きで、棒樋(ぼうひ)の下には、二字銘が記されています。地鉄(じがね)、刃文(はもん)共に明るく冴えて、刃文は華やか。全体が堂々とした美しい刀姿です。
本太刀は、1949年(昭和24年)に重要文化財指定されました。1951年(昭和26年)6月9日に、国宝指定となり、現在は、「東京国立博物館」(東京都台東区)が所蔵しています。