「日本刀」には様々な見所があります。それは、刀工によって細部までこだわりぬかれた結果です。ここでは、日本刀鑑賞における細かなポイント(刀身彫刻・鑢目・疵・疲れ)についてご紹介します。
実際に行なわれている刀身彫刻の工程についてご紹介します。
「刀身彫刻」とは、刀剣の「刀身」に施された彫刻のこと。すでに、直刀期の作刀には刀身彫刻が見られます。初期の彫り物は、刀身に溝を掘って金銀などで作った意匠をはめ込む「象嵌」(ぞうがん)でしたが、湾刀期に入った平安時代中期には、刀身の表面に意匠を立体的に掘り込むようになりました。
刀身彫刻は、装飾的な美しさだけでなく、刀匠や所有者の信仰心・宗教観を表します。また実用面においては、刀身の軽量化という役割を果たしているのです。
「彫刻」の主題を見ていくと、平安時代中期に大流行した「密教」の影響が見て取れます。「梵字」(ぼんじ)や「倶利伽羅」(くりから)、密教の仏具である「蓮華」(れんげ)、「金剛杵」(こんごうしょ)など、密教的なモチーフの彫り物が多いのです。
刀身彫刻には、「真」、「行」、「草」の3種類が存在。これは、書道の「真書」(楷書)、「行書」、「草書」でよく知られているように、写実的な真、極端に簡略化された草、その中間でほどほどにデフォルメされた行の3つから成ります。
倶利伽羅龍 真行草三体
倶利伽羅は、「不動明王」の変化神です。「剣」は不動明王、「龍」は「外道」(悪)であり、不動明王が外道を降伏させる様子を表現しています。
この倶利伽羅は、「真行草」すべての表現が作られています。鎌倉時代後半には装飾性が強くなり、「倶利伽羅龍」(くりからりゅう)も、草体から行体、さらに真体へと変化。現代に近づくにつれて、信仰性より装飾性が高まっていきました。
彫刻の技法は、大きく分けて2種類です。簡素な線を形のままに彫りあらわす「陰刻」(いんこく)と、文様の周りを掘り下げて文様を浮き上がらせる「陽刻」(ようこく)があります。陽刻は華麗な図柄の表現が可能です。その他の技法も併せてご紹介します。
陰刻
陽刻
文字彫
地肉彫
浮彫
透彫
現存する刀身彫刻の中で、最古の時代に制作されたのが「七星剣」(しちせいけん)です。「聖徳太子」が所持していた七星剣は特に有名で、太子ゆかりの寺院が所蔵しています。
七星剣とは、中国の道教思想に基づいて、刀身に「北斗七星」が金象嵌で施された上古の「直刀」です。道教思想では、「北極星は宇宙の中心」とされており、北斗七星は、その「北極星」を守護すると考えられていました。古代日本でも、国家守護の思いを込めた七星剣が制作されており、歴史的価値を持つ物も何振か現存しています。
銅七星剣(七星文銅太刀)
制作年代 | 刀鍛冶 |
---|---|
飛鳥時代 | 不明 |
刃長 | 所蔵 |
約62cm | 法隆寺 |
主な所有者・伝来 | |
聖徳太子 |
聖徳太子幼少時の守り刀と伝わる銅製・切刃造の直刀です。七星の他に瑞雲文、日月文が描かれています。
かつて法隆寺金堂に安置された日本最古の四天王像のひとつである「持国天」(じこくてん)が手にしていました。その後、一時期皇室で管理され、現在は法隆寺に戻りましたが、持国天に持たせることなく大宝蔵院で保管されています。
鑢目
「鑢目」(やすりめ)とは、日本刀の持ち手部分である柄(つか)に差した「茎」(なかご:刀身の柄に覆われた部分)を抜けにくくするために、茎に施した滑り止めのこと。上古の時代には、鎚(つち)で叩いて整えただけの「鎚目」(つちめ)でも十分でしたが、次第に、鑢が掛けられるようになります。現代に近づくにつれて、鑢目にも凝った意匠の物が見られるようになりました。
作刀された時代や流派、刀工などが分かるため、鑢目は鑑定する上での重要なポイントなのです。
鏟鋤
「鏟」(せん)という鉋(かんな)で、茎の表面を鋤き取っており、縦の荒い線だけが見られます。
檜垣鑢
「檜垣」(檜[ヒノキ]を編んだ垣をモチーフにした文様)のような鑢目。筋違鑢と逆筋違鑢を掛け合わせて、斜めに交差させており、大和伝や美濃伝(岐阜県)の特に関派、及びその流れを汲む刀工によく見られます。
化粧鑢
「化粧鑢」とは、江戸時代以降に施された、装飾性に優れた意匠の鑢目。新刀と新々刀に限られ、古刀には見られません。特に決まった形式はありませんが、様々に工夫されて、流派ごとに特徴ある個性的な化粧鑢が生まれました。
切鑢・横鑢
鑢目を「鎬筋」(しのぎすじ:刀身の一番厚みのある部分に通る稜線)に直角に、刀身に対して横向きに掛けており、「横鑢」とも呼ばれます。一番標準的な鑢目です。
勝手下り鑢・勝手上り鑢
「勝手」とは右側のことで、鑢目が右上がりに掛けられているのが「勝手上り鑢」です。右下がりの鑢目は「勝手下り鑢」と呼ばれ、左利きの刀工が作刀した日本刀に多く見られます。
一見して無疵のように見える日本刀にも、よく見れば無数の疵があります。しかし、問題は疵があることではなく、その疵が刀の実用上や鑑賞上において致命的な疵となるかどうかです。戦国時代や幕末など、刀が戦場で武器として活躍していた時代には、実用上の欠点は致命的でしたが、「美術的価値」を重視するようになった現在では、疵に対する考え方も変化してきました。
日本刀は「たたら製鉄」と言って、純粋な「鉄」ではなく、炭素等を含んだ「玉鋼」(たまはがね)を何度も「鍛錬」(たんれん:金属を叩いて鍛えること)して作られます。
その際に、本来取り除かれるべき「鉱滓」(こうさい:金属を鍛錬するときに分離する不要物質やカス)が完全に排除されないことや、鍛錬や「焼入れ」の際のほんのわずかなミスなどが疵となってしまうのです。
また、実際の合戦において刀で斬り合った際に、疵ができることもあります。
疵のほとんどは、日本刀の価値を下げてしまう欠陥です。どういった疵がどんな評価を受けるかは、見る人によって違いますし、同じような疵でも研ぎなどによって見え方が変わることがあり、判断は難しいのですが、基本的に重大な欠陥をご紹介します。
刃切れ・烏口
最も嫌われるのが「刃切れ」で、刀身に直角に入った亀裂のことです。斬ったときの衝撃で、疵の部分から折れてしまう可能性が高いため、実用面で致命的欠点とされています。
「烏口」とは、「鋒/切先」(きっさき:刀身の先端)に入った同じような亀裂のことで、刺突の際に、鋒/切先が欠けてしまう恐れがあるため、実用には適さないとされる疵です。
しかし、刃切れと烏口は、鑑賞するだけなら、致命的な欠点と言う訳ではありません。
撓え
鍛錬の最中に異物が入り込んでしまったために生じた、シワが寄ったような筋のことを言います。曲がりを直した際にできることもあり、それは研ぎによって取れることもありますが、鍛錬の途中でできた「撓え」を取ることは困難です。斬る際の衝撃で、曲がったり折れたりする可能性が高く、見た目にも美しくないため、実用面でも鑑賞面でも、価値が下がります。
「ふくれ」とは、折り返し鍛錬の際に、うまく接着させることができなかった部分に空気が入って、小さな穴や水ぶくれのようになった部分です。ふくれが研ぎによって破れると「ふくれ破れ」となります。
ふくれは、美観的には非常に劣りますが、刃先にある物以外は、小さな物であれば、実用面では問題ありませんので、様々な方法で修復が可能。別の鉄を埋め込む「埋金」による修復は、上手くいけば見落とすこともあるほどですが、「地鉄」(じがね)の色と違ってしまうと目立つこともあるので注意が必要となります。研ぎでふくれを取り去ることは非常に困難です。
ふくれ・埋金
日本刀は、ミルフィーユのように層を折り重ねて鍛錬しているため、研ぎを繰り返すと、「皮鉄」(かわがね:刀身の外側の鉄)が磨り減って、中の「心鉄」(しんがね:刀身の内側の鉄)が現れることがあります。また、最初から心鉄が出ている粗悪品もあるので注意が必要です。
「地荒れ」は、刀が研ぎ減って現れた皮鉄と心鉄の合わせ目が疵のようになっている部分です。美しくはありませんが、微々たる物であれば、使用上の不都合は生じません。また、皮鉄があまりに少ないと曲がりやすく、実用面でも欠点となります。
「疲れ映り」は、研ぎ減りで現れた心鉄が「白気映り」(しれけうつり:美濃伝などの特徴で、淡く白っぽく地に現れる映り)のようにぼんやりと見える疵のことです。本来の映りとは全く異なり、美術的には大きく価値を下げます。
心鉄・地荒れ・疲れ映り
「匂切れ」とは、一部分だけ「匂」(におい)が無く、刃文が途切れた状態のことを言います。部分的に匂が存在しないだけで、他には問題はありません。「刃染み」は、皮鉄の炭素量が焼き刃の一部だけ少ないか、焼入れが十分でなかった場合に、白くぼけたようになっている部分のことを言い、刃文が弱くなっています。
「焼崩れ」は焼入れの際の問題等で、刃文の一部に乱れが生じて、刃文が崩れてはっきりしていない状態のことです。これらは、小さい場合は実用面での問題はありませんが、鑑賞面においては欠点となります。
匂切れ・刃染み・焼崩れ
焼直し(水影)
「焼直し」とは、火災などで刀身が焼けた刀や、研ぎを繰り返して刃文がなくなった刀に再度焼入れを施すこと。別名、「再刀」、「出戻り」です。焼き直す際に茎を水に入れない場合、水に入れた部分との境目に影が現れますが、それを「水影」と呼びます。実用上は支障がない場合が多いのですが、美術的価値は大きく下がっていることが多いので、注意が必要です。
疵には様々な種類がありますが、評価は人それぞれ。同じような疵でも、時代や刀工の個性などによって評価が変わることがあります。
棟割れ・竪割れ
折り返しての鍛錬が足りなかった場合に、刀身が割れたように見えることがあります。これを「鍛割れ」と言いますが、竪割れ(たてわれ:刀身に縦筋が入った状態)であることが多いので、疵が特別大きくない限りは、実用面においての問題はありません。
古刀の大和伝系に多い「柾目鍛」(まさめきたえ)や「柾目肌」(まさめはだ:木材の柾目のようになっている刀身の鍛え肌[きたえはだ])の日本刀では、竪割れが出やすく、これを「柾割れ」と言います。柾割れは疵ではないとされ、刀工によっては、個性や特色だと認められているほどです。
刃搦み・月の輪
刃先に及んでいる鍛割れを「刃搦み」と呼びます。小さな刃搦みは、疵とは認められません。また、刃を引いてみると、消えることもあります。
刀身上部にある刃搦みは、刃こぼれする可能性があり、実用面で不安がありますが、下部にある場合には使用上の問題はありません。
なお、鋒/切先にある物は、通常三日月のような円弧状にあらわれるので、「月の輪」と呼びます。
打込み・石気・炭籠り
刀身にある錐の先で突いたような細かい穴のうち、刃中にある穴は「打込み」、石の床や鎚で打った際にできた穴は「石気」です。
打込みや石気は、作刀の過程で行なう「素延べ」(すのべ:刀の形と寸法を決めて形作ること)と「火造り」(ひづくり:刀の細かい部分を仕上げていくこと)の際に、何らかの粒等が皮鉄に混じったまま鍛造したことによる疵で、実用上の問題はありません。
「炭籠り」は、上記の際に木炭の破片が皮鉄に混じったことで生じた疵です。研磨すると現れますが、小さければ実用上の影響はないとされます。
帽子の刃が抜けた物
「帽子」とは、鋒/切先部分の刃文のことですが、鋒/切先が折れて修復した日本刀や、度重なる研磨で、鋒/切先に刃文が無くなってしまった刀は欠陥品とされます。
刺突できないため実用面には大きな影響がありますが、現在では、古い時代に制作された刀であるため、致し方なしとされることがほとんどです。修復方法として、鋒/切先部分だけにあとで焼入れをすることがあり、これにより、実用上の問題はなくなりますが、刃文がうまく繋がらないため、美観を損ねてしまいます。
また、「描き帽子」と言って、刃文の形に疵を付ける方法もありますが、よくよく見れば本物の刃文ではないことは識別できるので、あまり良い効果は期待できません。
後樋
樋は小さな疵を隠すためや、刀の軽量化のために刀身の制作から時を経たあとに彫ることがあり、これを「後樋」と呼びます。
また、「後彫」とは後世所有した人の好みや信仰などで、彫刻を彫り加えることです。どちらも彫り加えることによって、その日本刀の美術的価値を上げるのであれば、一概に悪いとは言えません。
日本刀の疵のうち、ほんの一部だけは付加価値をもたらすことがあります。
切り込み疵・矢疵
「切り込み疵」は、実戦の際に刀で斬り合ったためにできた疵で、「矢疵」は飛んで来た矢を、刀身で受け止めた際にできた疵です。どちらも、いわゆる「誉れ疵」(ほまれきず)と呼ばれる物で、刀が実用されていた時代において、その日本刀が歴戦を経て来た「強さの証」として珍重されてきました。
現代においても、日本刀の価格を決める上で、唯一プラスの評価をされる場合がある疵となっています。
刃こぼれ
「刃こぼれ」とは、実戦で刀を激しく交えた際に、刃先が欠けたりこぼれたりして生じた疵のこと。これもやはり欠点とはみなされず、「戦闘の記念」として評価される場合があります。
また、刃こぼれは研磨によって修理が可能。もともと日本刀は刃こぼれしやすく、合戦の場で刃こぼれした刀をすぐに修復できるよう、戦場には研ぎ師も従軍したと言う話が伝わるほどです。
日本刀は、世界のどの刀剣とも異なる、珍しい重層構造を持っています。内側のやわらかい心鉄を、外側の硬い皮鉄で覆っているのです。この構造のおかげで、折れにくく、曲がりにくく、そして良く切れるという日本刀の理想を実現しました。
ここでは特に、中心にある心鉄について詳しくご説明します。
心鉄・皮鉄
「折れず、曲がらず、良く切れる」とは、優れた日本刀の条件と言われますが、この言葉には矛盾があります。
折れないということは、ゴムのようにやわらかく弾力があるということであり、曲がらないということは、硬く強固だということだからです。
この矛盾を解決する工夫が、比較的やわらかく粘りがある心鉄を、硬い皮鉄で包むという方法でした。刀身の芯には柔軟性のある鉄が通っているので、斬り付けたときの衝撃を吸収して折れません。外側は、強固な鉄で包まれているので曲がらないという訳です。
また、硬い皮鉄は耐久性も高く、鋭い切れ味を維持することができます。
日本刀の素材は、玉鋼です。玉鋼はたたら製鉄で作られますが、それには砂鉄から直接「鋼」を得る「ケラ押し法」を用います。
原料には、不純物が少ない「真砂砂鉄」(まささてつ)を使用。真砂砂鉄の母岩は、花崗岩(かこうがん)です。チタンの含有量が少なめで融解温度が高く、比較的炭素を取り込みにくい素材であり、ケラ押し法では、炉にこの真砂砂鉄と木炭を入れ、「鞴」(ふいご)で空気を送りながら燃焼させます。
木炭が燃えて容量が減るたびに、「ノロ」と言われる不純物を取り出しながら砂鉄と木炭を追加。この作業を3日3晩繰り返すため、「3日押し法」とも呼ばれます。
やがて木炭は鞴から送られる空気だけでは足りなくなり、砂鉄からも酸素を取って燃焼することに。酸素を奪われた鉄分は底に溜まって塊となります。これが玉鋼の素とも言うべき「鉧」(けら)です。鉧から不純物が多く不均質な部分を取り除いて、残った鋼が玉鋼となります。
ちなみに、玉鋼にならない部分の鋼を「歩鉧」(ぶげら)と言い、大鍛冶場へ送られて精錬、脱炭作業を通して板状に固め、その形から「包丁鉄」(ほうちょうてつ)と呼ばれる「錬鉄」(れんてつ)へと仕上げるのです。
玉鋼には、硬い部分とやわらかい部分のムラがあります。これらを選別する作業が「水へし」と「小割」です。玉鋼を「火床」(ほど)に投入して熱し、5mmほどの厚さまで叩き延ばしたら水に入れて急激に冷やして、焼きを入れます。続いて、平たく延ばした玉鋼を小鎚で2cm程度の小片になるよう叩き割り、断面がキレイに割れている硬い鋼と、そうでないやわらかい鋼に選別。この硬軟の差は、鋼に含まれる炭素量の違いから生じると言うことです。
心鉄を作るには、主に包丁鉄を使います。しかし、包丁鉄は炭素量が0.08~0.26%くらいと非常に少なく、やわらか過ぎて強度がありません。そこで、小割の段階で選別しておいた、キレイな断面を持たない方の玉鋼を混ぜて鍛えるのです。包丁鉄と玉鋼の割合は、2:1程度。
まず、横に鏨(たがね)を入れて縦に折り返す「一文字鍛え」を6回ほど繰り返します。次に側面部分を上にして、再び横に鏨を入れて縦に折り返す作業を4回ほど行ない、10回の折り返しで1,024の層を成形。これを「四方柾鍛え」(しほうまさきたえ)と言います。四方柾鍛えによって、立方体の側面4つがすべて「柾目」(まさめ)となり、炭素量は0.30%ほどに。適度な強度を実現して、心鉄は完成です。
一方、皮鉄の折り返し鍛錬は心鉄よりも多い15回。炭素量は、0.60%くらいが最も適しています。この炭素量の判断に機械測定は用いません。炎の色や叩いたときの音、手に伝わる感触など、刀匠の経験によって培われた感性で判断しているのです。まさに職人技と言えます。
日本刀の重層構造を作るためには、心鉄と皮鉄を組み合わせなければなりません。この工程が「造込み」です。造込みの方法は数種類あり、そのうちのひとつ「甲伏せ」(こうぶせ)では、皮鉄をU字型に成形し、真ん中へ挟み込むように心鉄を入れます。両者が完全に接着するまで、何度も加熱と鍛錬を繰り返し一体化させるのです。
こうして刀身本体を構成する地鉄ができます。用意された10kgほどの原材料は、鍛錬を繰り返すことによって不純物が叩き出され、重量は10分の1にまで減少。西洋では、10kgの鉄があれば10振の剣を作りますが、日本刀では1kgほどになり1振しか作りません。刀身を形作る玉鋼がいかに純度の高い素材であるかが分かります。
疲れ
玉鋼のみを使って鍛えられる皮鉄は、特に高価になるそうです。そのため、心鉄に比べると薄めに作られる場合が多く、長い年月の間に繰り返し研がれると、わずかずつですが地肌が削られていき、心鉄が露出してしまうことがあります。
このように下地が出たり、朽ち込みなどで刀身が痛んでいたりする状態が疲れです。
右図の左側は、刀身と茎の側面。刃が欠けたなどの理由から、もとは点線部分まであった刃が、実線部分まで研いで下げられています。
右側は、峰側を上から見た図です。茎は研がないので重ねは作られたときから変わりません。研ぎによって点線部分まであった重ねが実線部分まで減っています。
このように見れば、皮鉄がどの程度減ってしまっているか、つまり、疲れているかが分かるのです。
疲れの出ている日本刀は、とりわけ古刀には多いと言われています。ただ、「関」で制作された「末古刀」(すえことう)や、地方刀工の手による作品の肌立った鍛え物の刀身などでは、部分的に心鉄が出ていても見過ごされるケースが多いとのこと。それは、地鉄に現れる文様である鍛え肌と、微細な疲れの見極めが難しいためです。
ちなみに、肌目がはっきりと表れた状態を「肌立つ」、細かく出ていれば「肌が詰む」と表現します。また、刀身の表面に息を吹きかけたように白く見える「白気映り」(しらけうつり)が出ていると、疲れを映りと見誤ってしまうことも。
研ぎによる疲れの場合、刀身の両側に出ることは少なく、片側だけに出ることが多いそうです。これは、刀匠が細心の注意を払って作刀しても、心鉄が皮鉄の中に均等に入らず、左右どちらかに片寄ってしまうことがあるため。
特に、皮鉄を薄く作る流派では、時間の経過と共に研ぎが重ねられ、より薄い方の面に疲れが出てしまう可能性が高くなる訳です。
心鉄が出ているのを特徴としている日本刀もあります。
例えば、山城伝の「来派」(らいは)。鍛えの弱い肌が刀身の片面、あるいは両面に現れている「来肌」(らいはだ)がそうです。または、備中・青江派の作品に現れる「鯰肌」(なまずはだ)、別名「澄鉄」(すみがね)。鯰肌は、鯰の皮に似ていて、地中に黒く澄んだ斑点が現れた状態を指します。
これらは、ただ単に心鉄の露出した疲れとは区別しなければなりません。刀の個性のひとつとして珍重(ちんちょう)されています。