『源義経』を執筆した村上元三(むらかみげんぞう)。時代小説を禁止したGHQの占領政策後期、『佐々木小次郎』を描いた村上は、戦後の歴史小説・時代小説の扉を開きました。
佐々木小次郎
その後、村上は『佐々木小次郎』(1949~1950年『朝日新聞』連載)を執筆します。同年、新国劇の島田正吾主演で、村上が作・演出を担当した帝国劇場公演の戯曲をもとにしました。
『朝日新聞』の夕刊の復刊にあたり執筆され、戦後初の剣客を主人公とした新聞連載小説となり、連載終了時、映画初出演となった歌舞伎役者・大谷友右衞門(7代目)の主演で映画化もされました。
村上は資料のほとんどない佐々木小次郎を、江州観音寺の城主・佐々木右衛門督義弼の忘れ形見としました。江州で佐々木家から剣客・富田勢源に預けられた小次郎は、勢源の故郷・越前で暮らす中で名家の恋人を得たものの、剣客として名を上げてから妻に迎えようと剣の修業にでます。
そして、熊野坐神社の川岸で剣技・つばめ返しを編み出し、やがて岸流(巌流)を創始するに至ります。豊前国で剣術師範として名を成し、何度もすれ違いの起きた恋人をようやく妻に迎えます。けれども、その名声から宮本武蔵に闘いを挑まれ、船島で命を落としました。
小次郎は、かっと両眼を見開き、右肩へ木太刀をふりあげて、まだ立っている。武蔵から頭上に一撃を加えられたれたとき、小次郎は、一瞬に知覚を失った。失った知覚の中での、最後の、そして、空しいつばめ返しであった。
『佐々木小次郎』より
『源義経』は、尾上菊之助(のちの7代目・尾上菊五郎)の主演でNHK大河ドラマの第4作目となった年、連載が再開されます(1966年『週刊朝日』連載)。壇ノ浦の戦い以後、義経が兄・源頼朝に嫌われ、自刃するまでが描かれました。
村上は、戦後復興期に、佐々木小次郎、源義経という悲劇の剣士を好んで描きました。