『鍔鳴浪人』で当時の文壇でトップの原稿料を誇ったとも言われる角田喜久雄(つのだきくお)。探偵小説の素養を背景に持つ角田は、日本の伝奇小説を大きく発展させたひとりです。そこでは謎めいた日本刀の世界が描かれます。
髑髏銭
角田喜久雄は、第1回『サンデー毎日』大衆文芸賞の当選を受賞後、角田初の新聞連載となった『髑髏銭』(1937~1938年『読売新聞』連載)を発表します。連載終了時、嵐寛寿郎の主演で映画化されました。
主人公は、一刀流を学んだ浪人の神奈三四郎です。江戸時代中期、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の時代を生きる三四郎は、じつは3代将軍・徳川家光との対立から自刃した家光の弟・忠長の孫でした。綱吉に近付き、祖父の無念を超え、天下のために政権を朝廷に返上する想いを伝えたいと考えていました。
(自分は立場が違う。自分は徳川の血を引く者だ。その自分が、己れの血族の犯している罪悪を知りながら、どうして黙して時を過せるか。もとより、この素浪人の一言を入れて天下の大政が動く筈はないかも知れぬ。しかし、たとえ無駄であろうとも、その警鐘の第一鐘を自分が打つことは、やがて亡き祖父への手向けともなるだろう……)
三四郎は惟一人、その信念をもって、心を磨き、剣を研ぎ、時を待って遂に今宵の一時を得たのである。
『髑髏銭』より
三四郎は、綱吉に近付こうと幕府の側用人・柳沢吉保(保明)の仕官を目指す中で、謎の財宝の鍵を握る髑髏銭の騒動にも巻き込まれます。尾瀬・浮田城の浮田左近次が子孫に残した財宝にかかわる髑髏銭は、左近次の末裔で赤い覆面をした隻眼の鎖鎌の達人・銭酸漿と柳沢らが探し合っています。三四郎は、ある浪士の娘の身を守ったことで、銭酸漿と相対していきます。
若侍は、一刀流の正統と見える平正眼の構えのかげから、相手の異様な武器と構えとに、注意深い凝視を送っていた。
「若僧。少しは、やるな……」
朱い覆面のかげから、突然嗄声が陰気に漏れてくる。
「何故、邪魔アしゃアがる?」
「邪魔?」
若侍の片頬に、冷笑のようなものがかすかに動いた。
「人殺しの邪魔をして、何故、悪い?」
こうした切迫した空気の中にあって、その若さに似げない不敵な沈着さである。
「何ッ!」
明かに、ぐッと来たらしい。右手に振り上げている鎌の刃が、ぎらぎら光った。
『髑髏銭』より
鍔鳴浪人
作家として多忙となった角田は、それまで勤めていた海軍水路部を退社し、読売新聞社の客員となります。そして、『髑髏銭』に続いて『鍔鳴浪人』(1939年『読売新聞』連載)を執筆します。連載終了時、阪東妻三郎主演で映画化されました。
主人公は、居合抜き討ちの達人で、国を憂う加州の浪人・楓月太郎です。一音の鍔の鳴りで斬るその腕前から、鍔鳴楓のあだ名を持ちます。月太郎は、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜によって大政奉還がなされた頃、西郷吉之助(西郷隆盛)の密書を手に江戸の薩摩藩邸にいる益満休之助のもとを目指したことで、江戸警備役の庄内藩(新徴組)に命を狙われていきます。密書は、幕府の出入り人と異国人との密会を撮らえた玻璃板写真で、尊王攘夷派・佐幕派を超えて国を揺るがす証拠でした。
『鍔鳴浪人』では名のある日本刀も登場します。月太郎は、襲ってきた佐幕派を斬ったことでその身内の妹弟から命を狙われます。けれどもその後、敵対するその姉の命を救ったことで慕われていきます。名を告げなかった月太郎の証は、武蔵大掾忠広の脇差でした。
明らかに、
肥前国住武蔵大掾藤原忠広
と切った銘が、読みとられた。
もう疑う余地もなく、尋ねていたのはこの脇差であり、月太郎であったのだ。
『鍔鳴浪人』より
神奈三四郎に楓月太郎。角田は日本刀を通して、立場を超えて何よりも天下泰平を望む主人公を描きました。