「北野江」は、刀剣鑑定家として知られる「本阿弥光悦」(ほんあみこうえつ)の養子「本阿弥光嵯」(ほんあみこうさ)が、大坂(現在の大阪府)の堺で買い求めたとされる打刀。2尺3寸2分(約70㎝)の刃長とされているものの、本阿弥一族の「本阿弥光徳」(ほんあみこうとく)が短く磨上げたと言われることから、もともとはより長かったと推測されます。
本阿弥光嵯が買い求めてきた打刀でありながら、本阿弥光徳の手によって磨上げられたため、「江磨上 光徳(花押)」(ごうすりあげ こうとく)の金象嵌銘が入っているのが特徴です。
1614年(慶長19年)、加賀藩(現在の石川県、富山県)の藩主「前田利長」(まえだとしなが)の死去を受けて、弟の「前田利常」(まえだとしつね)が家督相続を報告するために江戸へ赴きますが、その途中に本阿弥光嵯から北野江を買い求めたと伝わっています。
前田利常は、のちに京で「北野天満宮」を参詣した際、ここで試し斬りをしたことから北野江と呼ばれるようになりました。
江戸時代は常に加賀藩・前田家のもとにあり、重宝として代々藩主へと伝えられてきた北野江ですが、明治維新後は前田家から明治天皇へ献上されます。 そのため国が保有するところとなり、現在も「東京国立博物館」に所蔵されている貴重な日本刀(刀剣)です。