明治時代

明治維新とは

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1853年(嘉永6年)、アメリカの「ペリー」率いる艦隊が、日本に開国を求めて浦賀に来航したことを発端に、徳川家による江戸幕府の統治体制が崩壊。1867年(慶応3年)、江戸幕府15代将軍「徳川慶喜」(とくがわよしのぶ)は、政権を天皇に返上する「大政奉還」を行い、1868年(慶応4年/明治元年)に、天皇を中心とする中央集権国家を目指した明治政府が誕生しました。この幕末の動乱から明治政府が成立するまでの政治的革命が「明治維新」(めいじいしん)です。ペリー来航から明治政府樹立までの15年間について、詳しい内容をご紹介します。

ペリー来航をきっかけに高まる倒幕運動

ペリー来航

ペリー来航

江戸時代の日本は、海外との交流を極端に制限する鎖国政策を採っていました。1825年(文政8年)には、他国からの干渉を避けるため「異国船打払令」を敷いて、日本に近付く外国船を武力で追い払う方針をも採っていたほどです。

しかし、1853年(嘉永6年)、江戸幕府に開国を要求するため、アメリカの東インド艦隊提督「ペリー」は、4隻の艦隊で突如浦賀に来航。ペリーは、近代的で圧倒的な西洋の武力を見せ付けることで、江戸幕府に開国を迫ったのです。

江戸幕府はアメリカの要求をはねのけることができず、1854年(嘉永7年)、遂に開国要求を認め、アメリカとの間で「日米和親条約」を締結しました。

大政奉還により、天皇に政権を返上

大政奉還

大政奉還

ペリーの来航をきっかけに、日本国内では外国を撃退し、排除しようとする「攘夷派」(じょういは)と開国推進派とで対立。

やがて外国に弱腰の江戸幕府を倒幕し、天皇に忠義を尽くす「尊王攘夷」(そんのうじょうい)の機運が高まっていきます。

また、国内の各藩も、会津藩(現在の福島県)や桑名藩(現在の三重県)、紀州藩(現在の和歌山県)を中心とした徳川幕府を支持する佐幕派(さばくは)と、薩摩藩(現在の鹿児島県)や長州藩(現在の山口県)が中心となった倒幕派が対立を深め、不安定な情勢となっていきました。

江戸幕府の権威が失墜するなか、1866年(慶応2年)、開国と倒幕で志を同じくした薩摩藩と長州藩は「薩長同盟」(さっちょうどうめい)を締結。江戸幕府も武力で長州藩を征伐しようと試みますが、戦況は幕府側に不利な状況に陥ってしまいます。

1866年(慶応2年)に江戸幕府15代将軍に就いた「徳川慶喜」は、高まる倒幕運動を鑑みて、朝廷と幕府が協力して政治を行う公武合体により平和的な解決を目指します。そして1867年(慶応3年)、将軍自ら政権を天皇に返上する「大政奉還」を行い、260年以上続いた江戸幕府に終止符を打ったのです。

しかし、大政奉還では、形式的に政権を返上しただけで、実質的には徳川家が政治の実権を握っていたため、倒幕派の怒りは高まり、徳川家を排除する勢いはますます強くなっていきました。

新政府の樹立と戊辰戦争

西郷隆盛と勝海舟

西郷隆盛と勝海舟

国内の対立は、やがて武力衝突へと加速していきます。1867年(慶応3年)、江戸幕府に代わり、発言力を強めていた薩摩藩や長州藩が中心となり、「王政復古の大号令」(おうせいふっこのだいごうれい)を宣言。

これは、徳川慶喜から政治的権力や所領を奪い、徳川家を排除した新政府の樹立を宣言したもので、旧幕府側は激怒します。そして、1868年(慶応4年)1月、京都における「鳥羽・伏見の戦い」を皮切りに「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)へと突入。

薩摩藩や長州藩、土佐藩(現在の高知県)、佐賀藩(現在の佐賀県)が主体となった新政府軍と、旧幕府軍が対立し、1年4ヵ月にも及ぶ激しい戦いが繰り広げられたのです。

徳川慶喜は、新政府に恭順な姿勢を見せ、1868年(慶応4年)4月、江戸城東京都千代田区)は戦火を浴びることなく無血開城となりました。旧幕臣の「勝海舟」(かつかいしゅう)と、新政府軍の「西郷隆盛」(さいごうたかもり)を中心に交渉し、実現した江戸城無血開城は、平和的解決として世界的にも評価されています。

しかし、旧幕臣達はあくまで抵抗を続け、徐々に北へと後退していきました。同年5月には、彰義隊(しょうぎたい)と新政府による「上野戦争」、8~9月は会津藩が籠城を続けた「会津の戦い」、最後まで新政府に抵抗を続けた「榎本武揚」(えのもとたけあき)や「土方歳三」(ひじかたとしぞう)などの旧幕臣は、蝦夷地(現在の北海道)の五稜郭(ごりょうかく:北海道函館市)に籠城しましたが、1869年(明治2年)5月に降伏。新政府が全国を掌握し、新時代の幕開けとなったのです。

明治政府の成立

天皇を中心とした新体制で政権を運営

明治天皇

明治天皇

1868年(慶応4年)1月、朝廷と新政府は、各国公使に向けても「王政復古」を通告し、対外的にも明治政府の成立を示しました。

同年3月には、明治政府の基本方針として「五箇条の御誓文」を発布。「明治天皇」(めいじてんのう)を中心とした新体制の国政が始まりました。

同年9月に明治元年に改元。江戸は東京に名前を変え、明治天皇も京都から東京に移り住みました。また、倒幕に貢献した薩摩藩や長州藩出身者で固められた明治政府は、幕藩体制を解体し、中央集権を確立。日本は、近代国家への道を歩み始めることとなったのです。

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