「徳善院貞宗」(とくぜんいんさだむね)は、南北朝時代に相模国(現在の神奈川県)の刀工「貞宗」(さだむね)の手による作で、「織田信長」の嫡男「織田信忠」(おだのぶただ)の側近として仕えた「前田玄以」(まえだげんい:前田徳善院[まえだとくぜんいん]とも)が、所有していたことに因んで名付けられた短刀です。
もとは、織田信忠が所有していましたが、1582年(天正10年)の「本能寺の変」において、前田玄以は二条御所で自刃した織田信忠より、本短刀と息子「三法師」(さんほうし:のちの織田秀信[おだひでのぶ])を託されます。三法師は父の形見として本短刀を受け継ぎますが、その後「豊臣秀吉」に贈られ、豊臣秀吉の死後、前田玄以の手元に戻りました。のちに「徳川家康」へ献上され、紀州徳川家に伝来。その後伊予西條松平家に伝わりますが、現在は三井家の三井記念美術館が所蔵しています。
本短刀の作者・貞宗は、相州伝を確立した「天下三作」のひとりに数えられる名工「正宗」に師事し、のちに正宗の養子となったと伝わる人物です。現存する刀剣はすべて無銘の極めで、作風は総体に落ち着いた品格があり、地刃共に沸の強さが見られ、相州伝の特色が現れています。本短刀は、貞宗の作と極められた短刀の中では、特に華やかであるとされており、板目肌の鍛えに、地景が交じり、地沸が付き、刃文は皆焼(ひたつら)風。刀身には不動明王と金剛夜叉明王を表す梵字と、三鈷剣と護摩箸が表裏にそれぞれ彫られています。