本短刀を制作した「則重」(のりしげ)は、鎌倉時代末期に活躍した刀工です。
相模国(現在の神奈川県)の鎌倉で「新藤五国光」(しんとうごくにみつ)の弟子となり、相州伝を習得。「正宗十哲」のひとりにも選ばれ、1328年(嘉暦3年)に越中国(現在の富山県)婦負郡呉服郷に帰郷して作刀し、「呉服郷」とも呼ばれました。短刀の制作が得意で、鍛肌に特色があります。総体的に板目、柾目、杢目が混ざり、地沸が厚くついて渦巻く地肌は、松の木の皮に例えられ「松皮肌」と賞賛されました。
国宝「短刀 銘 則重」は、則重の傑作と言われる1振。
地鉄(じがね)は小板目肌で、松皮肌が交ざり、地沸がよくつき地景も入っています。刃文は互の目(ぐのめ)調の乱に小沸強く、足繁く入り、金筋、砂流頻りにかかる逸品。
肥後熊本藩主の細川家に伝来し、細川家伝来の美術品などを収蔵する永青文庫を設立し、公益財団法人・日本美術刀剣保存協会の初代会長に就任した第16代当主「細川護立」氏の愛刀であったことでも有名です。素晴らしい出来映えであることから、「日本一則重」の号が付きました。
1931年(昭和6年)に戦前の旧国宝制度のもとで国宝に指定され、1953年(昭和28年)に改めて国宝に指定されています。