立廻りが見どころのひとつになっている歌舞伎演目の中から、「ひらかな盛衰記」(ひらかなせいすいき)の題材となった出来事と物語の概要、さらに立廻りの見どころについてご紹介します。
作者 | 文耕堂(ぶんこうどう)、三好松洛(みよししょうらく)、浅田可啓(あさだかけい)、竹田小出雲(たけだこいずも)、千前軒(せんぜんけん=竹田出雲)らの合作 |
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初演 | 1739年(元文4年)5月 |
ひらかな盛衰記は、時代物の「義太夫狂言」(人形浄瑠璃をもとに歌舞伎化)です。これは、全48巻ある「軍記物源平盛衰記」(げんぺいせいすいき/げんぺいじょうすいき)を題材にしており、この演目名は「それを分かりやすくやさしい物にした」という意味で付けられています。
具体的には、平家討伐の立役者のひとりであった木曽義仲(きそよしなか)が、源氏内の権力争いにより31歳で悲運の最期を遂げたところから一ノ谷(いちのたに)の合戦までを全5段で描いています。
現在は、2段目にあたる「源太勘当」、3段目の「逆櫓」(さかろ)、そして4段目の「神崎揚屋」が主に上演されており、その中で立廻りが大きな見どころのひとつになっているのは逆櫓です。
この場面は人気が高く、そのまま通称逆櫓として、単独上演も度々行なわれています。
逆櫓
逆櫓の場をより楽しむために、その前のあらすじを簡単に紹介しましょう。
頼朝の命を受け、源義経(みなもとのよしつね)に攻められた木曽義仲は、自ら命を絶つ前に、妻の山吹御前(やまぶきごぜん)と息子の駒若丸(こまわかまる)を逃がします。2人は腰元のお筆(ふで)を伴って木曽に向かう途中、大津の宿に宿泊。
ここで思わぬ事件が起こります。たまたま駒若丸と同じ年齢の槌松(つちまつ)と祖父の摂津の国(大阪府)の船頭・権四郎も宿泊しており、同年齢の子どもがいることから仲良くなった二家族は同じ部屋で眠ることに。そこへやってきたのが義経軍の追っ手。暗闇のどさくさの中、山吹御前は殺害され、何と槌松が駒若丸と間違えられ殺されてしまいます。明朝、権四郎は事情が分からないまま取り違えられた子(駒若丸)を連れて帰り、大切に育てつつ槌松の帰りを待ちます。
今では考えられないことですが、当時はいったんはぐれてしまうと探す手段は皆無に近い状態だったのでしょう。「待つ」ことしかできなかったのかもしれませんね。一方、かろうじて生き残ったお筆は、亡くなったのが駒若丸でないことに気付き、本物の駒若丸を探す旅へ。
そして逆櫓の場へと物語は進むのですが、逆櫓と言う言葉に引っかかる人が多いかもしれませんね。物語の展開を理解する上で大事なことなので、先に逆櫓とは何かを紹介しましょう。
逆櫓とは、櫓(ろ)を漕いで舟を進めるとき、後ろに下がる特別な漕ぎ方のことです。舟は本来、前にだけ進む乗り物。しかし自由に前後に動ければ、戦のときに圧倒的に有利になります。この技に引き寄せられた人物の物語が、逆櫓では大々的に展開されます。
逆櫓は、全5段あるひらかな盛衰記3段目の後半部分にあたります。端的に言うと、木曽義仲の四天王のひとり・樋口次郎兼光が義仲亡き後も義仲への忠義を尽くすために奮闘する物語です。
この逆櫓の演目独特のユニークな立廻りの型が、後半に登場します。
大津の宿での騒動から1ヵ月後。場所は摂津にある船頭・権四郎の家です。権四郎の娘・およしの夫は3年前に亡くなっており、今は松右衛門(まつえもん)が婿として入っていました。歌舞伎の演目では、「これは仮の姿」ということが往々にしてありますが、この松右衛門もまた仮の姿。実際は、木曽義仲の四天王のひとり・樋口次郎兼光(ひぐちじろうかねみつ)です。
彼が権四郎家に入り込んだのは、権四郎の船頭としての秘伝の技逆櫓(舟を後ろに進ませる技術)を身に付け、義仲の仇・義経を討つためでした。
その松右衛門が一休みに奥へ入ったちょうどそのとき、お筆が「大津の宿で取り違えた子がいるのはこちらか?」と訪ねてきます。「槌松が返ってきた!」と喜ぶ権四郎とおよし。そんな2人に、お筆は槌松は身代わりで亡くなったと告げ、「嘆いても戻るでなし、きっぱりとあきらめて若君をお戻し下され」と詰め寄ります。これに、大津での出来事の真相を初めて知った権四郎は激怒。「亡くなった孫の敵として、駒若丸の首をはねて返そうぞ!」と言い放ちます。すると、奥の部屋の障子が開き、松右衛門こと樋口次郎兼光が「権四郎、頭が高い」と睨み付けつつ、自身の本当の姿を名乗ります。
それまで義理の息子として接していたのとは全く違う迫力ある形相と言葉の抑揚は、「頭が高い」の名ゼリフとともに大きな見どころのひとつです。
そこからまた一転、「槌松は自分にとっても可愛い息子。武将の子として身代わりで死んだ忠義に免じて若君を返してやってほしい」と権四郎に頼み、さらに逆櫓の技術を教えてもらったことで義経を討つチャンスが巡ってきたと感謝の言葉を述べる松右衛門こと樋口次郎兼光。その言葉を聞き、松右衛門を息子同然に思っていた権四郎は、孫を失った怒りを収めます。
船の形での立廻り
この舟の上での襲撃から何とか逃れたものの、陸に戻ると樋口を捕まえるべく大勢の軍勢が取り囲みます。
ここで行なわれる立廻りがまた見事で、最後には軍勢が舟の形で決めのポーズを。その美しさは必見です。