『日本剣豪列伝』が遺稿となった直木三十五(なおきさんじゅうご)。その名は現在直木賞として知られます。初恋は劇場で観た女剣舞師と記した直木は生涯に亘って剣を描きました。
南国太平記
作家としては、『由比根元大殺記』(ゆいこんげんだいさつき)(1929年『週刊朝日』連載)、『南国太平記』(1930~1931年『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』連載)が代表作となりました。江戸時代初期の徳川家光と忠長の兄弟対立(駿河大納言事件)、江戸時代末期の薩摩藩のお家騒動(お由羅騒動)を、それぞれ素材に描いています。
『由比根元大殺記』の主人公は、京流の剣客・牟禮郷之助です。郷之助は、肥後熊本藩の加藤忠広家の改易によって浪人となるも、徳川忠長に仕えることになり、忠長と敵対する兄・家光と春日局側と対立します。
直木は、郷之助と隠密活動を行なう興津直正とが最初に出会った斬り合いの一場面を、「灼熱弾」という表現で描写しました。ありふれた立ち回りとは趣を異にする斬り合いを目指したと述べています。
「たっ」
爆弾の圧力だ。それは声ではなく、力の放射だ。そして、同時に、心も、身体も、呼吸も、脚も手も、刀も、それは一塊の灼熱弾だ。いかなる力も、技も、それを受けるべきでない。よけるべきだ。
「とうっ」
軽く、冷やかに、だが、全力的に、よけて飛んだ。二人は、鼻口から、大きく震えて、息を吸った。
そして、お互いに、全身の神経で、警戒すると共に、敵を誉める気持ちが、ちらッとかすめた。
『由比根元大殺記』より
また、『南国太平記』の主人公・仙波小太郎は、薩摩藩島津家の藩士から浪人となり、鏡新明智流(きょうしんめいちりゅう)を身に付けています。直木は物語の舞台となった鹿児島を訪れ、薩摩藩のご流儀・示現流も取材しています。