本刀を制作したのは、無鑑査刀匠の遠藤光起(えんどうみつおき)刀匠。郷土・新潟県の英雄である連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将より命じられ、昭和天皇から賜った御下賜金で、幕僚や関係者に贈呈する短刀の制作を行なっていました。
当時すでに、名工としての名声が高く、師である「栗原彦三郎」(くりはらひこさぶろう)も「聖代刀匠位列」において、遠藤光起刀匠を最上大業物、検査役格と評価。刀剣界でも頭角を現わしていました。
本刀は、まさに終戦直前の1945年(昭和20年)初夏に、軍刀として作刀された本鍛錬の1振。刃長・反り共に尋常ながら、帽子の焼き深く、平肉もたっぷり付き、実戦で刃味(はあじ)を発揮できる体配です。
そこに美を追求されているところが、遠藤光起刀匠の非凡さであり、刃文は匂勝ち沸付く焼きの高い乱れ刃で、互の目(ぐのめ)と丁子が交じり、地鉄(じがね)は小板目詰んで地景が入り、地刃共に明るく冴えています。