日本刀の刀匠・刀工

無鑑査刀匠

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「無鑑査」(むかんさ)とは一般的に、芸術などの分野において、作者の過去の実績に照らして特定の展覧会などにおいて「(主催者側の)審査・鑑査なしで出品が可能」であると認められることを意味しています。「日本刀」の世界における無監査は、「公益財団法人 日本美術刀剣保存協会」が主催する「現代刀職展」(旧新作名刀展)に出品した作品について、受賞審査を必要としない資格(公益財団法人日本美術刀保存協会無鑑査選任規程第2条)のこと。無鑑査となった刀匠の作品は、別格扱いとなるのです。

「無鑑査刀匠」とは

1年に1度開催される「現代刀職展」に作品を出品して、特賞をはじめとした高い評価を得ること(入賞)が、現代刀匠の大きな目標であることに間違いはありません。展覧会において、各賞の受賞審査の対象外となっている無鑑査刀匠は別格であり、現代刀匠の中で最高位に位置付けられていると言えます。

そのような無鑑査刀匠に選任されるための基準は、「協会が主催する現代刀職展において、入賞15回のうち、特賞を8回以上(太刀・刀・脇差・薙刀・槍の部)受賞し、そのうちに高松宮記念賞(平成17年まで高松宮賞)を2回以上受賞した者、もしくは特賞を10回以上(太刀・刀・脇差・薙刀・槍の部の特賞を6回以上)受賞した者で、人格が高潔であり、刀匠として抜群の技量が認められる者」(無鑑査選任基準1)。

この基準を満たした上で、日本美術刀剣保存協会の理事会による承認議決を経て、日本美術刀剣保存協会会長から無鑑査の資格が授与されることによって、はじめて無鑑査刀匠となるのです。

技を磨いて技量を向上する刀匠

技を磨いて技量を向上する刀匠

第一線で活動している現代刀匠が、年に1度の大イベントとしてしのぎを削っている現代刀職展において、長期間に亘って受賞を続けることは至難の業。これを複数回(入賞15回、特賞8ないし10回以上)受賞して実績上の基準をクリアするためには、絶えず技を磨いて技量を向上し続けていくことが必要不可欠であり、容易なことではありません。

その事実は数字にも表れており、1958年(昭和33年)に初の無鑑査の資格取得者が出てから、2017年(平成29年)までの間に無鑑査の資格を授与されている刀匠は、わずか39人という狭き門。

  • 刀剣奉納鍛錬

    折り返し鍛錬・焼き入れ

    折り返し鍛錬・焼き入れ

    刀匠による刀剣奉納鍛錬(折り返し鍛錬・焼き入れ)の様子を動画でご覧頂けます。

  • 刀剣奉納鍛錬

    多度大社「刀剣奉納」

    多度大社「刀剣奉納」

    多度大社で行なわれた刀剣奉納の様子を動画でご覧頂けます。

  • 刀剣奉納鍛錬

    • 刀匠魂
      • 刀匠魂

      • 無鑑査刀匠・尾川兼國による刀剣奉納鍛錬と多度大社での奉納式の様子を動画でご覧頂けます。

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        • 刀匠魂その1

          その1

        • 刀匠魂その2

          その2

        • 刀匠魂その3

          その3

晴れて無鑑査刀匠となったあとも、現代刀匠の模範的存在としての義務が発生するのです。すなわち、原則として毎年実施される現代刀職展に出品しなければならず、年齢(75歳以上)や、病気などの正当な理由なく3回続けて出品しなかった場合に加えて、無鑑査刀匠となったあとに技能が著しく低下したと認められる場合などには、協会長が無鑑査の取消処分を行なう可能性があるなど、無鑑査の資格制度を維持するため、厳格な運営がなされています。

刀剣界の最高峰「正宗賞」

現代を代表する刀匠であると認定された無鑑査刀匠が目指す究極の高みが、正宗賞(まさむねしょう)です。この賞は、現代刀職展に出品した無鑑査刀匠らの作品のうち、特筆すべき出来ばえの作品があった場合にのみ授与される物で、受賞にふさわしい作品がない年には選出されることはなく、「該当なし」が続くことも珍しくありません。

賞の名前として冠されている「正宗」は、「相州伝」の作風を確立した、日本で最も知名度の高い刀匠で「天下三作」(てんがさんさく)のひとりに位置付けられている、日本屈指の名工でした。

無銘 伝正宗

無銘 伝正宗

この正宗賞については、平成の30年間において、受賞した刀匠はわずかに3人。計算上は、10年に1人の割合でしか受賞者が現れなかったことになるのです。日本刀の代名詞とも言える正宗の名を冠するのにふさわしく、現代の名工であると認められた無鑑査刀匠の中でも、ごく一握りの技を極めた名人中の名人のみが受賞できる、現代刀剣界における最高峰に位置付けられている賞だと言えます。

それは数字にも表れており、平成において無鑑査資格を得た刀匠が17人であるのに対し、正宗賞の受賞者は3人。計算上は無鑑査刀匠のうち、5人に1人も受賞することができないということとなり、この賞を受けることは、無鑑査刀匠となる以上に険しい道なのです。

また、1961年(昭和36年)に初の正宗賞受賞者が出たのを皮切りに、2018年(平成30年)までの間における受賞者は延べ15人(実人数8人)で、2回以上受賞した刀匠は4人。そのいずれもが「文化財保護法」第71条第2項に基づく「重要無形文化財」の各個認定の保持者、いわゆる「人間国宝」に認定されました。

人間国宝に認定される対象となるのは、工芸技術部門においては「重要無形文化財に指定される工芸技術を高度に体得している者」、すなわち、形のない高度な「技」そのものが文化財であり、それらの技を通して形のない物を体現することができる人(個人)。その認定基準に絶対的なものはありませんが、現代刀匠にとって、正宗賞を2回以上受賞することは、人間国宝に認定されるためのひとつの目安であると言えます。

帝室技芸員・人間国宝・無鑑査刀匠 一覧

帝室技芸員 一覧(2名)

名前 認定年
宮本包則 1906年
名前 認定年
月山貞一 1906年

人間国宝 一覧(6名)

名前 認定年
高橋貞次 1955年
宮入昭平(行平) 1963年
月山貞一(二代) 1971年
名前 認定年
隅谷正峯 1981年
天田昭次 1997年
大隅俊平 1997年

無鑑査刀匠 一覧(39名)

名前 認定年
高橋貞次 1958年
宮入昭平(行平) 1960年
月山貞一(二代) 1967年
隅谷正峯 1967年
今泉俊光 1970年
川島忠善(二代) 1972年
天田昭次 1973年
大隅俊平 1973年
遠藤光起 1981年
酒井一貫斎繁正(繁政) 1981年
八鍬靖武 1981年
法華三郎信房(八代) 1981年
二唐國俊 1981年
吉原義人 1982年
吉原國家(三代) 1982年
月山貞利 1982年
谷川盛吉 1985年
上林恒平 1985年
山口清房 1986年
河内國平 1987年
名前 認定年
大野義光 1987年
高橋次平 1989年
宗勉 1990年
三上貞直 1995年
宮入法廣 1995年
榎本貞吉 1996年
瀬戸吉廣 1996年
広木弘邦 1996年
宮入小左衛門行平 2000年
大久保和平 2000年
吉原義一 2003年
尾川兼圀 2006年
宗昌親 2006年
古川清行 2010年
尾川兼國 2010年
松田次泰 2010年
松葉國正 2014年
久保善博 2017年
高見國一 2019年

無鑑査刀匠

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天下三作とは

天下三作とは
日本には、古くから「鍛冶屋の魂」と「匠の技」を持ち、名刀を作り上げた刀工達が各地にいました。その中でも、山城国(現在の京都府)の「粟田口吉光」(あわたぐちよしみつ)、相模国(現在の神奈川県)の「正宗」(まさむね)、越中国(現在の富山県)の「郷義弘」(ごうのよしひろ)の3刀工は、特に名刀工として挙げられる人物です。江戸時代、8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)が「本阿弥光忠」(ほんあみこうちゅう)に命じて編纂させた「享保名物帳」(きょうほうめいぶつちょう:世に名高い名刀を収録した台帳)に、この「吉光」・「正宗」・「義弘」の3刀工とその作刀を「名物三作」として記載。吉光・正宗・義弘の3刀工と、その作刀は、名刀の熱心な収集家としても知られる天下人「豊臣秀吉」が愛したことでも知られ、「天下三作」(てんがさんさく)と呼ばれるようになったと言われています。

天下三作とは

正宗十哲

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日本刀の歴史の中でも、とりわけ名刀が多く作られたのが、鎌倉時代です。そして、その鎌倉時代後期に登場したのが、かの有名な「正宗」(まさむね)。正確な生没年も不明であり、銘入りの作品が極めて少ないことなどから、その存在自体を否定する学説が唱えられるほど、ミステリアスな存在です。 正宗の下で学び、名匠へと育った代表的な人物は10人いるとされ「正宗十哲」(まさむねじってつ)と称します。正宗に習い、全国にその技を広めていった彼らを知るためにも、まずは、正宗について追っていきましょう。

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日本刀は、古墳時代以降に生まれ、時代が進むごとに姿を変えながら洗練されていきました。日本刀の特徴と言えば、大きな反りがある点。この形を確立していったのが「古刀」期と呼ばれる日本刀の歴史です。901年(延喜元年)の平安時代中期から、安土桃山時代末期の1596年(慶長元年)まで、古刀期に活躍した代表的な刀工達をご紹介します。

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「新刀」とは、1596年(慶長元年)から1764年(宝暦14年/明和元年)に作られた日本刀のことを言います。1721年(享保6年)に刀剣書「新刀銘尽」(あらみめいづくし)が出版されて、「新刀」(あらみ)という言葉が流行語となり定着しました。その新刀を代表する刀匠が、「長曽弥虎徹」(ながそねこてつ)、「野田繁慶」(のだはんけい)、「大和守安定」(やまとのかみやすさだ)の3人です。それぞれの人物と作風、代表作をご紹介します。

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新刀の刀工

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刀剣は、一見するとどれも同じに見えますが、実は、「古刀」、「新刀」、「新々刀」、「現代刀」という4つの時代区分があります。現在でも特に価値が高い古刀と新刀では、刀身の造りや鍛錬法など、様々な点において違いが見られるのです。その中でも新刀は、それまでの伝統にとらわれず、自由で優美な作風を示す刀工が多いのが特徴。時代の流れと共に進化を遂げ、素晴らしい名刀を生み出した新刀の代表的な刀工について解説すると共に、各刀工が制作した「刀剣ワールド財団(東建コーポレーション)」所蔵の刀剣をご紹介します。

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新々刀の刀匠

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「新々刀」とは、1781年(天明元年)の江戸後期から1876年(明治9年)の「廃刀令」までに作られた日本刀のことを言います。「水心子正秀」(すいしんしまさひで)が、簡素化された鍛刀法ではなく、砂鉄から玉鋼(たまはがね)を制作する復古刀を目指したことから新刀と区別されて呼ばれました。新々刀を代表する刀匠は、「源清麿」(みなもときよまろ)、「左行秀」(さのゆきひで)、「固山宗次」(こやまむねつぐ)の3人です。新々刀を作る刀匠達について、作風や代表作をご紹介します。

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「尊王/尊皇攘夷運動」(そんのうじょういうんどう)が盛んとなった幕末の時代。日本が目まぐるしい変化を迎えていた情勢の中で、刀剣の世界でもまた、新しい動きが始まっていました。それが、江戸時代末期から明治時代初期に発布された「廃刀令」までの間に作られた「新々刀」(しんしんとう)です。新々刀が台頭してきた時代背景と新々刀の特徴、また代表的な刀工15名について解説します。

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「帝室技芸員」(ていしつぎげいいん)とは、明治時代に日本美術・工芸の保護を奨励する目的で定められた美術家であり、明治時代に日本が欧米化していく中で、日本の文化を現代に継承するために大きな役割を果たしました。ここでは帝室技芸員とは何か、そして刀工の帝室技芸員にどんな人物がいたのかについて解説します。

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1945年(昭和20年)、日本は連合国に無条件降伏し、太平洋戦争が終結しました。戦後日本に進駐したアメリカ軍は、それまでの国家最高元首としての天皇のあり方を否定し、国と国民統合の象徴という民主主義下での新しい概念を導入しました。 それに伴い、それまで天皇の勅任という形を採り、皇室・皇族の御用を中心として制作を行なっていた「帝室技芸員制度」は廃止されます。そして、あらためて創り出されたのが、一般に「人間国宝」と呼ばれている、「重要無形文化財制度」です。ここでは、この「人間国宝」について解説します。

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