「名物」と評される本短刀は、別名「大坂長義」とも呼ばれ、長義を代表する1振です。「大坂長義」の名前の由来については諸説ありますが、「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)の愛刀であった本短刀を、秀吉の家臣であり古くからの親しい間柄にもあった大名「前田利家」(まえだとしいえ)が、大坂城内にて拝領したからという説があります。
それ以来、本短刀は加賀(かが:現在の石川県南部)前田家の家宝として、同家に長く伝来しました。
長義は、日本刀中興の祖と称され、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて活躍した名工「正宗」の10人の高弟、いわゆる「正宗十哲」(まさむねじってつ)のひとりに数えられています。
しかし、長義の現存作の中では、本短刀が作られた正平15年(1360年)、すなわち南北朝時代中期の刀が最も古いため、正宗との直接的な関係があったかどうかは、定かにはなっていません。
長義の作風は、覇気に満ちた豪壮な姿に、相州備前の名にふさわしい地刃の沸(にえ)の強さが最大の特徴。本短刀においても、鍛えは板目肌立ちごころに地沸(じにえ)が付き、刃文も大乱れで足・葉が入り、沸がよく付き、砂流し・金筋がかかるなど、長義らしい華やかさが溢れる1振です。