中原信夫(なかはらのぶお)氏は団体や組織に所属せず、独自に刀剣研究と鑑定に取り組んできた刀剣学者です。刀剣鑑定会・鑑賞会の講師として活発に活動するかたわら、メディア出演や著作を通して研究成果を発表しています。従来の日本刀研究の定説に忖度することなく、豊富な経験と情報に基づいて論理的に日本刀を精査し、その価値を厳しく判定。また、刀剣社会の健全化を願い、日本刀の鑑定や流通における旧弊を指摘することもあります。 中原信夫氏のこうした姿勢を支持する刀剣ファンは多く、講師を務める刀剣鑑定会・鑑賞会や日本刀研究セミナーは活況を呈しているのです。中原信夫氏の経歴や鑑定・研究の指針とともに、中原信夫氏の著書についてご紹介します。
中原信夫
「中原信夫」は1951年(昭和26年)に奈良県奈良市で生まれました。同志社大学文学部を卒業すると、刀剣研究家の「村上孝介」に入門します。
この村上孝介は、研師(とぎし)、刀剣鑑定家として知られた「本阿弥光遜」(ほんあみこうそん)の高弟のひとりです。一時期、日本美術刀剣保存協会の理事を務めましたが、1974年(昭和49年)にその役職を辞して「刀苑社」を設立。
刀剣業界の利権とは距離を置いて日本刀の研究や鑑定に専念した気骨の人でした。中原信夫は、師・村上孝介が1978年(昭和53年)に亡くなると、その遺志を受け継ぎ、研究機関誌「とうえん」を発刊して刀剣ファンの裾野を広げます。また、刀剣鑑定会・鑑賞会の講師として全国に赴き、日本刀文化の普及に努めてきました。
中原信夫の鑑定や研究の信条は、根拠が乏しいと思われる史料に頼り過ぎず、現物から読みとった科学的に立証できる情報を解明していくことで、それは刀剣社会の慣例や不文律と一線を画すものです。
また、師・村上孝介ゆずりの実直さで権威や利権を求めず、ときには日本刀をとりまく業界や団体、文化行政のあり方に苦言を呈するため、堅物と言われることもあります。一方で、そうした人間性も含めて、中原信夫の鑑識眼に信頼を寄せる研究者や刀匠、刀剣愛好家は数多く、大著「日本刀大百科事典」を遺した福永酔剣や、「無鑑査刀匠」に選任された現代刀匠「大野義光」(おおのよしみつ)らは良き理解者です。
現在も中原信夫は、「刀剣鑑定会・鑑賞会」を精力的に主催。そこでは、一般的な鑑定会のように名刀を観て作り手を当てる「銘当て」を楽しむのではなく、日本刀の出来や状態、真偽などを見きわめる視点と知識を養うことを主眼にしています。日本刀を理解し、より深く楽しむために、自分の目で確かめ、手で触れて、その価値を見定められる刀剣愛好家が増えることを願っているのです。
中原信夫の著書「刀の鑑賞規範」は、前著「詳説 刀の鑑賞[基本と実践]普及版」から十数年を経て、刀の鑑賞方法をより深く、幅広く解説した教則本です。写真や図解、刀身を写しとる「押形」(おしがた)をふんだんに掲載して、刀剣を鑑賞するために身に付けておきたい視点を分かりやすく養います。
序章では「日本刀 武器から発達 そして美術品へ」と題して、殺傷のツールから、来歴や姿を楽しむものへの移り変わりを解説。また、日本刀の姿の時代的変遷を「古刀」、「新刀」、「新々刀」に分類してたどります。「日本刀の部位の名称」、「鑑賞の方法と楽しみ」、「古刀と新刀の区別」などのテーマで、日本刀を鑑賞する際に着目するべきポイントを解説。また、章ごとにQ&Aを設け、「地肌について」、「研磨について」、「無銘刀について」などのよくある疑問に答える親切な構成です。
さらに前著では詳しく触れなかった「偽物」(ぎぶつ)について言及し、また刃を焼き直す「再刃」(さいば/さいは)や刀身を切り詰める「磨上げ」(すりあげ)の工程も詳細に説明。こうした知識を持つことで、刀が現在の状態に至るまでの過程を探り、現状の品質を見きわめられるようになることを目指します。
多くの刀剣関連書のように刀や刀工を讃える内容ではなく、刀の状態を論理的かつ物理的に検証。刀剣界に根づく思い込みや通念を排除する決意で鑑定にのぞみ、その姿勢は自身の師匠筋である本阿弥光遜の解説すら一部を否定するほど徹底しています。
著者自身が本書のなかで「既成概念に凝り固まった人達や団体・刀剣商らには決して歓迎されないだろう」と語るように、日本刀のあるべき評価基準、真偽にまで踏み込んだ、これまでにない率直な刀剣案内の書です。
中原信夫のねらいは、愛刀家達が本書の内容をノウハウとして蓄積し、根拠のない情報やイメージに惑わされず、出会った刀の真価を自分で判断できるようになること。それが正しい愛刀の道であり、その道が拡がることを願った、厳しくも情熱的な1冊です。
中原信夫は、本書「-室町期からの- 大分県の刀」で「豊後刀、その殆どが高田物と言われる刀の真の価値を世に問いたかった」と言います。豊後(ぶんご:現在の大分県)では、中世から近世にかけて多くの刀工が活躍し、彼らが生産した豊後刀は「品位に乏しく、凡作にて丈夫で折れず、曲らず、良く切れる」と言われました。
つまり、美術工芸品としては見劣りするものの、丈夫でよく切れる実戦向きの刀だったということです。豊後刀のなかでも高田地域で量産された「高田物」と呼ばれる日本刀は、品質の良い刀として全国に流通しました。高田物の量産を支えたのは、現在の大分県竹田市の傾山(かたむきやま)で採取された良質な砂鉄です。
混ざり物のない砂鉄が、刀身を作る「玉鋼」(たまはがね:日本古来の製鉄法で生産した鉄)の原材料になりました。このように豊後の豊かな自然を背景に作られた実用の刀、高田物の価値を、中原信夫が長年にわたり収集した豊富な押形をもとに検証します。豊後、豊前(現在の福岡県)それぞれの刀工銘の上の1字からも検索できる使いやすい1冊です。
書籍 | 出版社 |
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刀の鑑賞規範 | あさひ刀剣 |
-室町期からの- 大分県の刀 | あさひ刀剣 |
日本の刀剣 -室町期からの- 続 大分県の刀 銘鑑付 |
あさひ刀剣 |
本阿弥家の人々(著:福永酔剣 編集:中原信夫) | あさひ刀剣 |