日本刀の研磨における役割は、2種類あります。ひとつは、刀工が打った日本刀を磨き上げ、地鉄と刃文の美しさを際立たせることにより、日本刀に命を吹き込むこと。もうひとつが、古い日本刀を研磨して再び美しい眺めを蘇らせること。両方に共通しているのは、刀剣とじっくり対話をしながら、その中に潜んでいる美しさを探しあて、表に導き出すということ。このように、日本刀の「研師」(とぎし)は職人であると同時に「芸術家」であり、日本刀における目利きとしての才能が求められるのです。ここでは、そんな研師の仕事について解説します。
研師は、粗い砥石から細かい砥石に何度も持ち替えながら、すべて手作業で日本刀を研いでいきます。
最終のステップでは、砥石の目(粒子)は肉眼で見ることはできません。研磨とは、それほど繊細で緻密な作業なのです。
研ぎは「下地研ぎ」(したじとぎ)と「仕上げ研ぎ」(しあげとぎ)の2種類に分かれます。
はじめに行なうのは、目の粗い砥石から徐々に細い砥石へと変えながら表面を研ぎ、地刃のムラをなくして刀身を整える作業。
使用する砥石が徐々に細かくなっていくため、下地研ぎの工程は、使用する砥石の種類で表現します。
粒度120番、180番、220番相当する極めて目の粗い砥石です。錆びがひどいときや、刀工が荒砥までしかしていないときなどに使用します。
一般的な下地研ぎは、ここから始まります。
①棟、②鎬(しのぎ)、③地、④鋒/切先の順に研ぎ、錆を取り除いて日本刀全体の形を整えるのです。研ぎの方向は、部位によって決まりがあり、棟と鎬は「筋違」(すじかい:斜め方向)方向、地と鋒/切先は、「切り」(直角)方向に動かすことが基本。
備水砥がない場合、400番程度の人造砥でも代用可能です。
備水砥の砥石目(砥いだ跡)を消すために用います。こちらは、粒度は800番程度の砥石で、筋違い方向に研ぐのが基本です。
前工程の砥石目を消しながら「大筋違」に研いだあと、刀身と平行(縦方向)に研ぐ作業。
これを「タツに(を)突く」と言い、現在では、粒度1,000~1,500番程度の人造砥が使用されます。
名倉砥の中で最も細かい、粒度2,000番程度の砥石でタツに研ぎ、砥石目をすべて消し去る工程です。
人造砥で代用されることもありますが、天然砥を用いると肌が潰れず、次工程である「内曇刃砥」の効きが良くなります。
下地研ぎの最終段階となるこの工程では、刃の部分と地の部分を研いでいきます。
内曇砥で得られる作用は、京都付近で産出される砥石で、肌が細かくやわらかいため、地刃を白くすること。
なお、内曇砥を用いることは「内曇を引く」と言い、日本刀の研磨で使われる内曇砥には、「刃砥」(はど)と「地砥」(じど)の2種類があります。
下地研ぎで表した地鉄をより美しく際立たせ、地刃の色調を整えるなど、美しい装いを実現する工程です。
前段階の下地研ぎでは砥石の種類が工程を表していたのに対し、仕上げ研ぎでは工程が変わると道具も変わります。
この工程では、まず、内曇砥を水に浸け、やわらかくなった部位を、その層に沿って薄く割ります。
次に「大村砥」(おおむらと:和歌山県で産出される荒砥のひとつ)や「青砥」(あおと:刃艶などの厚さを整えるために用いる砥石)といった砥石で、より薄くなるように磨り上げ(すりあげ)、「吉野紙」(よしのがみ:奈良県吉野地方産の、非常に薄い和紙)と漆で裏打ちした物が「刃艶」です。
この刃艶を、親指の腹に乗せて刃をこすり、刃文の「沸」(にえ:星のようにキラキラとした輝き)や「匂」(におい:天の川のようなぼんやりとした輝き)を浮き上がらせる工程です。
沸と匂
微細な砥石である「鳴滝砥」(なるたきと)を磨きこみ、1mm以下にした10数個の粒子を刀身に乗せ、親指で砥石が逃げないように注意しながら、地鉄の見所を引き出します。
砥石の薄さやサイズ、水のpH値などで効果が変わるため、研師の熟練の技を必要とする作業です。
刃文の白さを際立たせる作業であり、研師の感性と創意が問われる工程です。
流派によって研ぎ方が異なり、例えば「本阿弥流」(ほんあみりゅう)では、棟側から刃を拾い、「藤代流」(ふじしろりゅう)は、刃側から刃を拾います。
磨き
「鎬地」(しのぎじ)と棟を、磨き棒やヘラを使って磨き潰す工程。
磨き棒は、長さ15cmくらいの超硬合金の棒で、先端は鉛筆のように尖っています。
この工程により、刀身は、「刃の白さ」、「地の青黒さ」、「鎬地の漆黒」という3種類の鏡面を持つことになるのです。
帽子の裏棟や「鎺」(はばき:刀身の手元部の金具)元などに研師のサインを入れ、日本刀の完成になります。
現在、プロの研師は全国に約50名と言われています。刀工の場合、文化庁主催の「美術刀剣刀匠技術保存研修会」を受講すれば刀工と名乗れますが、研師には決められた研修や資格制度などがありません。
そのため、研師になりたいと思ったら、師匠に付くか、研磨教室などに通って技術を磨きながら、チャンスを窺うしか方法がないのが現状です。
そんな現代の研師の中でも著名であるのが、室町時代から、代々日本刀の鑑定や研磨などを生業(なりわい)としてきた本阿弥家25代の「本阿弥光洲」(ほんあみこうしゅう)。本阿弥家は、足利将軍家のお抱えとして活躍したあとも、豊臣家や徳川家に召し抱えられています。
本阿弥光洲は、國學院大學(こくがくいんだいがく)文学部卒業後、人間国宝である父・「本阿弥日洲」(ほんあみにっしゅう)に師事。2008年(平成20年)に「東京都指定無形文化財」(工芸技術)、2014年(平成26年)には、「重要無形文化財保持者」(人間国宝)に認定されました。
人間国宝の本阿弥光洲は、お預かりした日本刀を研ぐ前に、10~20日間をかけて日本刀を見つめると言われています。
「鎌倉だとか室町の日本刀を研ぐ機会があると、研ぎながら魂を感じ、自ずと頭が下がって、精魂込めて研がねばならないという気持ちになります」と言う本阿弥光洲の言葉からは、数百年の歳月を超えて、刀工と研師が対話しながら日本刀に新しい命を吹き込み、次の数百年に繋がっていることが窺えるのです。