忍者は多様な忍具を駆使しながら敵陣に侵入して任務を遂行してきました。誰にも気付かれることなく家屋や城内に忍び込むために考え抜かれ、様々な機能を持った忍具の数々。忍者の活動を支えた様々な知恵や工夫の詰まった忍具をご紹介します。
忍者が敵陣に忍び込む際に最も重視していたのは、誰にも気付かれないことです。
侵入時に姿が見られなかったとしても、侵入後に、忍び込んだ痕跡が見付かれば侵入したことが発覚して敵に強く警戒されます。そのため、忍者はできるだけ静かに目立たず、そして侵入の痕跡を残さない術や道具を使用する必要がありました。敵陣への侵入に対して用いられた代表的な忍具が「登器」(とうき)、「水器」(すいき)、「開器」(かいき)の3種です。
江戸時代の城や家屋は、城壁や塀などの高い障害物に囲まれていました。
そのため、侵入には高所に登ることが必須。城壁や塀を安全かつ確実に乗り越えるために用いられた忍具を「登器」と呼びました。登器の代表的な物には「梯子」(はしご)と「打鉤」(うちかぎ)があります。
梯子に関しては、現代でも使われている高所に登る道具として最も一般的な物です。しかし、梯子を抱えての移動は、周囲の人間にこれから高所に登ることが一目で知られてしまうデメリットがありました。そのため、忍者は梯子に工夫を凝らすことで忍具として使用します。
そのひとつが「結梯」(ゆいはしご)です。結梯は2本の長い竹と複数の短い木を持ち歩き、侵入時にその場で梯子を組み上げる忍具。長い竹は竹竿に、短い木は薪などにカモフラージュすることができ、梯子を持っていることを隠して侵入先まで持ち運ぶことができました。
結梯をさらに簡易的にして持ち運びを容易にしたのが「飛梯」(とびはしご)です。飛梯は1本の長い竹に横桟(足場となる木)を固定して使用しました。地面と壁に固定する箇所が1ヵ所となってしまいますが、簡易的な梯子としては十分使用することは可能だったと言われています。
結梯
飛梯
なお、長い竹を持ち運ぶことが難しい場合には「巻梯」(まきはしご)が用いられました。巻梯は縄に足場の木を固定した物です。
巻梯は先端の輪の部分を高所に引っ掛けて使用していましたが、より高所に固定をしやすくするために、先端を鉤(かぎ)にした「鉤梯」(かぎはしご)と呼ばれる巻梯も使用していました。
梯子以外に登器としてよく使われた打鉤は、鉤の付いた熊手のような忍具です。
巻梯
鉤梯
打鉤や鉤縄は、梯子に比べてコンパクトで懐に入れて持ち運ぶことが可能でした、また緊急時には鋭利な鉤部分を用いて武器として使用することもでき、幅広い用途に使える忍具として忍者にとても好まれたのです。
打鉤
鉤縄
苦無は忍者が用いた万能ナイフのような刃物。物や敵を切ったり、手裏剣のように投げたりするなど幅広い用途がありました。こちらも壁などに打ち込み足場や手がかりにする登器としても用いられていたと言われています。
苦無
鎹
戦国時代の大きな城には堀があり、城内に侵入するためには水の張られた堀を渡る必要がありました。また川や沼などを渡り死角から敵に接近をすることは、相手に気付かれず情報収集したり、敵の不意を突いて暗殺したりすることにも効果的です。
しかし水上を泳いで移動すれば水を掻く音と水しぶきが発生。水中に潜りながら移動すれば見つかりにくいですが、息を止めていられる時間には限りがあります。何より、体が水に濡れてしまうと体温が低下してしまい、大きく体力を消耗してします。
そこで、水に濡れずに静かに移動するために用いられた忍具が「水器」です。
水器の多くは身近にある物で、その場で組み立てます。例えば、甕(かめ:水などを貯めておく土器)や蒲(がま:水辺に生えている大型の植物)を用いた筏(いかだ)が水器としてよく使われました。
その場で組み上げるメリットは、人間を浮かせるだけの浮力を持つ大きな装置を持ち運ばなくて済み、使用後はバラバラにして川に流してしまえば容易に侵入の形跡を消すことができます。
水器として最も有名な物は「水蜘蛛」(みずぐも)。足に装着して水上を移動する姿が現代でも良く知られており、忍術書にも材料や寸法が細かく残されています。
しかし、現代の科学で忍術書に残された材料では人を浮かすだけの浮力を得ることは難しいと判明しました。そのため、実は存在しなかった幻の忍具ではないかという説も提唱されています。この文献をもとに、現実的には身体の周りに浮き輪のような木の板を付け、上半身だけを外に出して水場を移動していたのではないかといった考えもあるようです。
水蜘蛛①
水蜘蛛②
塀や城壁、堀を忍具により突破して、敷地内への侵入に成功しても建物の内部に入るためには扉を開ける必要がありました。
そのために使われていた忍具が「開器」です。開器は現代で言うピッキングの道具ですが、忍者が活躍した戦国時代には現代のような精巧な鍵はなく、つっかい棒や閂(かんぬき)で錠をする単純な構造の扉が大部分。そのため、錠を破る忍具もシンプルな物でした。
代表的な開器としては「錣」(しころ)、「坪錐」(つぼきり)、「のみ」、「釘抜き」(くぎぬき)などが挙げられます。
錣はノコギリのような忍具です。形状は刃が小さく現代のノコギリに比べてコンパクト。
特徴としては刃が曲線になった丸みを帯びた形状になっていることです。丸みを帯びていることで、通常の直線状のノコギリに比べて壁や戸などの平面部分でも切断しやすくなっています。
坪錐はY字状の忍具で、二股に分かれた上部がそれぞれ錐のように鋭利になっています。
扉に突き刺しコンパスのように回転させることで穴を開けました。空いた穴から手を差し込み内側から鍵を解くことができたと言われています。
錣
坪錐
のみ、釘抜きは現在でも大工道具としても使われている物で、釘を抜いて穴をあけ、扉を分解して侵入していました。折りたたみ、分解ができるように忍者仕様に改造して、持ち歩きやすくするための工夫を加えて使用していたと言われています。
忍者は侵入のために様々な忍具を使用していましたが、侵入に対して何よりも下調べをしっかりと行ない侵入のタイミングを慎重に決定していました。寝静まった深夜帯はもちろん、明け方や正午、夕方などの人々の生活リズムが変わる時間が虚をつきやすく侵入に適していると書物に残されています。
さらに、人々が眠っている時間帯でも「人は寝入ってから一定の時間ごとに目を覚ます。睡眠には浅い深いがあるので注意せよ」という記述も残されており、現代では常識とされている、睡眠周期の存在を忍者は戦国時代にすでに把握していました。様々な工夫をこらした忍具はもちろん、入念な準備や知識が一番の侵入のツールだったかもしれません。