忍者の使った道具

火器

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現代では、ワンタッチで着火できるコンロや、ポケットに収まるライターなど、便利に使える「火」。
しかし当然ながら、忍者の活躍した戦国時代・江戸時代には、現代のように便利ではありませんでした。そのため忍者は様々な工夫をこらして、当時外国から伝来したばかりの火薬や火縄銃など最新兵器の扱いを学んだり、煙を風に負けないよう垂直に立ち昇らせる技術を確立したりすることで、忍者自身の活躍の幅を広げていきました。武器から逃走補助の忍具、伝達用の合図まで、忍者の隠密活動に重宝された火を使った「忍具」についてご紹介します。

武器としての火器

武器としての火器で代表的な物は「火縄銃」です。

そして「鉄砲伝来」により火縄銃が伝わると同時に、その火縄銃を撃つための「黒色火薬」も普及していきました。

敵を攻撃するために必要な「破裂させる」「弾を飛ばす」といった作用を追求し、火薬の持つ爆発力を活かして多くの火器に応用されていきました。

火縄銃

江戸時代の火縄銃

江戸時代の火縄銃

前述の通り火器の代表格である火縄銃は、1575年(天正3年)に織田信長徳川家康連合軍と武田勝頼が戦った「長篠の戦い」において活躍したことで有名な、戦国時代の合戦に革命をもたらした武器です。

長篠の戦いでは、織田軍は大量の火縄銃を駆使して当時、最強とも称されていた武田軍の騎馬隊を打ち破りました。

火縄銃は、1543年(天文12年)に種子島(たねがしま:鹿児島県西之表市熊毛郡)に漂着したポルトガル人によってもたらされ、以後全国の戦国大名に普及していきました。

火縄銃のことを「種子島・種子島銃」と呼ぶことがあるのも、この漂着した島が由来となっているのです。また名前にある「火縄」は、銃身に詰めた火薬に点火するための「火の点いた縄」のことで、引き金を引くと火縄が火薬に押し付けられて爆発し鉛玉を打ち出す仕組みになっています。

火縄銃が日本国内で初めて武器として使用された戦は、伝来から6年後の1549年(天文18年)に起きた「加治木城攻め」。薩摩国(現在の鹿児島県西部)の島津家が、大隅国(おおすみのくに:現在の鹿児島県東部)の肝付家(きもつきけ)が治める加治木城(かじきじょう:鹿児島県姶良市加治木町)に侵攻する際に使用したとされています。

さらに、このとき使用された火縄銃は、ポルトガル人が献上した銃の現物でした。

また戦国時代に紀伊国(きいのくに:現在の和歌山県三重県南部)を中心に活躍した忍者集団「雑賀衆」(さいかしゅう)も、火縄銃を多数所持して強大な武力を誇っていたことで知られています。

火縄銃・大筒写真
生産地や流派によって様々な個性を持つ火縄銃・大筒をご覧頂けます。

焙烙火矢(ほうろくひや)

焙烙火矢

焙烙火矢

「焙烙火矢」とは、食材を炒るための丸い陶器「焙烙」(ほうろく)や、それに似た形状の陶器に火薬を詰め、導火線に火を点けて爆発させる、現代の「手榴弾」のような火器です。

爆発の衝撃・割れた焙烙の破片で敵兵に傷を負わせるだけでなく、木や布など可燃物の多かった当時は敵陣内での火災も誘発できました。

片手で持てる大きさのため手で掴んで投げることもできますが、焙烙火矢を紐でくくって陸上競技の「ハンマー投げ」のように遠心力を使って投げ込むことで、より遠距離への攻撃が可能でした。「焙烙火矢が使われた」と記録に残っている戦として、「石山合戦」と総称される2度にわたる織田家の配下・九鬼水軍と毛利水軍が争った戦があります。

1度目の「第1次木津川口の戦い」で毛利水軍は、織田家と敵対していた雑賀衆とともに九鬼水軍の軍船を焙烙火矢で攻撃。火を放って軍船を焼き払い、毛利水軍が大勝しました。

しかし2度目の「第2次木津川口の戦い」では、織田信長の命を受けて九鬼水軍が大型船の船体に鉄板を貼り付けた「鉄甲船」を建造。船の耐火性を高めることで火攻めに対抗し、小型船ばかりの毛利水軍を圧倒し九鬼水軍が勝利しました。

また忍者ではありませんが、「毛利元就」(もうりもとなり)と「陶晴賢」(すえはるかた)が戦った「厳島の戦い」でも、毛利元就に味方した村上水軍が焙烙火矢を用いて陶軍の軍船を掃討しました。

さらに鎌倉時代にモンゴル帝国が日本に侵攻してきた「元寇」の戦闘風景が描かれた絵巻でも、モンゴル軍が使用した「てつはう」と呼ばれる焙烙火矢と同様の原理と思われる武器が描かれています。

捕火方(とりびほう)

捕火方

捕火方

「捕火方」とは現代で言う「火炎放射器」にあたります。30cmほどの筒のなかに鉄砂と火薬を詰め、発射口から射程距離5~6mの火炎を放射していたとされます。

主に城を守る際に、攻めてくる敵に向けて火を放射し撹乱することに使われました。

埋め火(うずめび)

「埋め火」とは、火薬を詰めた木箱を地面に埋め、箱を踏むと爆発を起こす火器です。

現代における「地雷」と同様の装置になっています。爆発する原理は、箱に詰めた火薬の上に2つ割りにした竹を置き、仕切りとなった竹に点火した火縄を乗せておくことで、火薬と火縄を隔離します。そして人が箱を踏み抜くことで、竹が割れ火縄が火薬に引火して爆発を引き起こし、爆風で敵兵を負傷させました。

飛火炬(とびひこ)

「飛火炬」は、忍者の用いた「火矢」です。黒色火薬を詰めた筒を矢にくくりつけ、導火線である火縄に火を点けて発射します。

敵陣に着弾する前後で火薬に火が点き、敵陣に火を放つことができました。

また、大きな飛火炬は「大国火矢」(だいこくひや)と呼ばれ、目標を焼き打つための火薬の他にロケット花火のように「より遠くに飛ばす」ための火薬も搭載されており、飛距離が格段に伸びました。

火薬

火薬自体は武器ではありませんが、伊賀(現在の三重県伊賀市)や甲賀(現在の滋賀県甲賀市)といった忍者の里では火薬の配合研究が盛んだったため、「どの材料を増やせばどんな効果が期待できる」という配合術を確立していきました。

江戸時代に書かれた忍術の秘伝書「萬川集海」(まんせんしゅうかい)では、伊賀の「長井亦兵衛」(ながいまたべえ)の火薬調剤法としてのそれぞれの特徴を紹介しています。

  1. 硝石(しょうせき)を倍にすると火力が強くなる
  2. 馬糞を倍にすると火は消えず火持ちが良い
  3. 硫黄を倍にすると火は青く強く燃える
  4. 松脂(まつやに)・松挽粉(まつひきこ)は着火剤になる
  5. 樟脳(しょうのう:クスノキの香り成分の結晶)を倍にすると火が弱く燃える
  6. 麻布・牛糞・茱(ぐみ:グミの実)は火持ちを良くするが火力は弱くなる
  7. 灰を倍にすると火は小さく弱くなる
  8. 鼠糞を倍にすると火は弱くなるが敵陣にまんべんなく火が回るようになる

「火攻めのときには火力を強くする」、「松明[たいまつ]に使用するときは火持ちを良くする」など、用途によって最適な配合で使用していました。

武器以外の火器

百雷銃(ひゃくらいじゅう)

「百雷銃」とは火薬の入った小さな筒を火縄でまとめ、連続で爆発する現代の「爆竹」のような火器です。

百雷銃自体に殺傷能力はありませんが、火縄銃の射撃音と勘違いした敵がひるんだ隙に、逃走したり攻撃を加えたりしました。

鳥の子(とりのこ)

「鳥の子」とは、「鳥の子紙」と呼ばれる和紙を貼り固めた丸い容器に火薬を詰め、導火線として火縄を取り付けた「けむり玉」です。

火を点けて敵に投げることで、爆発音と煙で敵をひるませ、その煙にまぎれて逃走を図ります。

狼煙(のろし)

「狼煙」は、火薬を燃やして煙を上げ、その煙で情報を伝える伝達方法の一種。

現存する忍術書には「地面に穴を掘って藁にオオカミの糞と松葉を混ぜて埋め、火を点けたのち、節をくり抜いた大竹を中心に立てて煙を上げる」と要点が書かれています。これは風の影響を受けず煙をまっすぐ立ち昇らせて、より遠くへの伝達を可能にする工夫です。

例えば敵軍が出陣するなど動いたときに、敵を見張る忍者が狼煙を上げて敵の動きを知らせ、その煙を見た次の忍者も同じように狼煙を上げ、さらにその次の忍者が…と繰り返し味方に伝え、敵の挙動に合わせて味方が素早く対処できる体制を確立しました。

「煙で伝言する」ように、素早く変化を知らせる役割を担った伝達方法でした。忍者の火器が発達したのは、火縄銃の伝来が大きなきっかけとなっていたことは間違いありません。

それによって火薬の研究が盛んになり、効率の良い火薬の運用方法が生まれていきました。

「硫黄の配合で炎が青くなる」といった炎色反応を発見していたことを考えると、戦と切っても切れない存在の忍者と無関係そうな夏の風物詩の花火が生まれたのも、忍者が火薬を研究していた産物かもしれません。

火器

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