地方や民族ごとの伝統舞踊を愛し、結婚式や祭りの際には舞踊を楽しむジョージアの人々。その伝統舞踊にはカズベグリ、カルトゥリ、ホルミ、レズギンカをはじめ多彩な種類があります。
ジョージアの国旗
黒海東部、ヨーロッパとアジアの境に位置する共和制国家・ジョージアは、日本の5分の1ほどの国土を有する東欧の国です。
ジョージアは約180万~160万年前の原人の化石人骨が発見されるなど、古代から人類が暮らした地であり、以降今日まで歴史が重ねられてきました。
紀元前6世紀には、現在のジョージア西部にコルキスと言う王国が建国。以降も東西の大国から侵略を受けつつ、様々な王朝が成立。そして、1008年頃にグルジア王国が成立すると、現代まで受け継がれているグルジア文化が育まれ、繁栄しました。
アジアとの境界線に位置する国ですが、ジョージアはキリスト教を国教として認めた最古の国のひとつであり、337年にジョージア東部のイベリア王国においてキリスト教が国教に採択されます。
また、ジョージアはワイン発祥の地として知られており、現在も伝統的な手法で上質なワインが醸造され、ジョージアのワイン醸造はユネスコの無形文化遺産に登録。黒海とカスピ海に挟まれ、温暖ながら寒暖差のあるジョージアの気候は、ワインの原材料であるブドウの栽培に適し、8000年以上前からワインが製造されてきたと言われています。
コーカサス山脈の南側に位置するジョージアには、100を超える湯治場と2,400以上のミネラルウォーターの水源地です。古代から温泉が人々の暮らしに溶け込んでいます。首都のトビリシには「アバノトゥバニ」という浴場が幾つもあり、観光客も地元の人々も温泉を楽しんでいます。外国では珍しく、入浴時に水着は着用不要です。
1991年にソビエト連邦より独立したあとはジョージアを国名としていますが、これは外名であり、自国民は内名である「サカルトヴェロ」を使用しています。
国民は大多数がジョージア人であり、アゼルバイジャン人、アルメニア人、ロシア人などで構成されており、約9割がキリスト教徒です。
コーカサス山脈の南側に位置するジョージアには、美しい自然が多く、また市街地にはキリスト教とイスラム教の影響を受けた古くて美しい建築物が連なります。
東西文化の境界に位置するジョージアの文化には、ヨーロッパ、アジア、コーカサスなど様々な文化が反映。また、様々な国の人々が交流する地であったため、客人をもてなす心が国民に受け継がれています。
母の像
その一方で、東西の大国から侵略された歴史もジョージアにはあり、首都・トビリシに建つ「ジョージア母の像」という巨大な女性の像は右手には剣(けん・つるぎ)を、左手にはワインの杯を持っています。トビリシのシンボルであるジョージア母の像のこのポーズは、敵に対しては剣で戦い、友にはワインの杯で迎えるという、ジョージアの人々の精神を表しているのです。
ジョージアの文化は、中世のグルジア王国によって生み出され、現代へと受け継がれています。ヨーロッパとアジア、コーカサスの影響を受けたジョージアの人々は、民俗舞踊を中心とした舞踊を好み、レストランにもダンスフロアを併設した店が多くあるのが特徴です。また、地方や民族ごとの伝統舞踊を愛し、結婚式や祭りの際には舞踊を楽しみます。
レズギンカ
近年「グルジアダンス」として人気を博しているジョージアの伝統舞踊にはカズベグリ、カルトゥリ、ホルミ、レズギンカをはじめ多彩な種類があります。
何れの舞踊も、男性は高く飛び、空中で回転したりして、勇敢さと高い身体能力を表現しながら踊り、女性は姿勢よく、そして優雅に踊るのです。
この男女の対比と、男性の激しく美しい舞踊姿が各国で称賛され、人気となっています。
こうした民俗舞踊や伝統行事の際に、ジョージアの人々が身に付けるのが伝統の民族衣装。男性の民族衣装は「チョハ」という、ウールでくるぶしまでの長さのコートに、細身のブーツを履きます。この装束は本来、戦闘服であったため、胸にはしばしば弾帯や弾倉用のポケットが付けられ、腰にはハンジャールという短剣を帯刀。頭には「パパヒ」という毛皮の帽子を被ります。
女性の民族衣装は、アークリグという細身でウエストを絞った袖の長いジャケットに、長いスカートを着用するのです。
人気のグルジアダンスには多くの舞踊団があり、男性ダンサーはチョハではなく丈の短いジャケットにブーツ、パパヒ姿で軽快に踊ります。
女性ダンサーは、長い袖とスカートを優雅にひらめかせ、回転の際にはスカートが華やかに広がるのが特徴です。
こうした民族衣装はコーカサスに暮らす民族の衣装に基づいており、毛皮の帽子や短剣帯刀などは近隣諸国の民俗衣装と似ています。
「剣の舞」と言うと、「アラム・ハチャトリアン」が1942年に作曲したバレエ音楽「ガイーヌ」の中の曲が有名。ロシア帝国の支配下にあったグルジアに生まれたハチャトリアンはアルメニア人で、彼が作曲した剣の舞は、クルド民族が剣を持って舞う民俗舞踊をイメージしたものです。
この民俗舞踊はレズギンカという舞踊で、本来は女性への求愛を意味する舞踊の一種でした。レズギンカには穏やかな曲調のものもありますが、現在ではハチャトリアンの楽曲の影響で速いテンポ、激しいリズムのものが知られています。
レズギンカの剣の舞は戦いの様子を舞踊としたもので、男性の群舞から始まり、やがて剣と盾を手にした舞い手同士が、くるくると回転し、跳躍したりしながら打ち合い踊ります。最後は再び剣を掲げての群舞に戻り、舞踊が終わりです。
バレエ剣の舞の衣装は、ジョージアの民族衣装を模した物が多く、ジョージア国内の観光施設やレストランで披露される民俗舞踊の剣の舞も、同様に民族衣装をまとった舞い手が踊ります。
レズギンカで使用される刀剣は、カーマ、キンジャール、ジョージア・ダガーなどと呼ばれる40~50cmの短剣で、コーカサス地方の人々が伝統的に使用していた物です。カーマは鍔(つば)のない両刃の短剣で、鞘や柄の形状、装飾などは使用される地域により異なります。
カーマの刃幅は細く、刀身の両面は菱型の断面を持っており、切先に向かって緩やかに細くなっているのが特徴。鞘(さや)や柄(つか)に宝石などをあしらったカーマは美術的価値が高く、美術工芸品としても高く評価されています。
歴史上、多くの戦争を経験したジョージアの民俗舞踊には、勇猛な戦士達の面影が色濃く残されているのです。