世界の剣舞
アジアの剣舞:中国
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アジアの剣舞:中国

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中国の舞踊の歴史は約5,000年前に端を発するとされており、他の国々と同様に祭礼や宗教儀式における舞が起源となっています。また、56もの民族で構成される中国では各民族の舞踊も居住区域によって異なり、さらに少数民族の継承する舞踊なども含むと中国では膨大な数の民俗舞踊が受け継がれているのです。

多くの民族が構成する大国の伝統舞踊

中国の国旗

中国の国旗

ユーラシア大陸の東部に位置する、世界一人口が多い大国、中華人民共和国(以降、中国)は56の民族で構成され、民族ごとに多彩な伝統舞踊が生み出されました。

中国の舞踊の歴史は約5,000年前に端を発するとされており、他の国々と同様に祭礼や宗教儀式における舞が起源となっています。そのため、刀剣を使用する伝統舞踊が現在も残っているのです。

史書などには、紀元前2070年頃~1600年頃に中国を治めていた中国最古の夏王朝(かおうちょう)の時代に、宮廷舞踊がすでに存在していたことが記されています。

中国の舞踊は、宮廷で催される伝統宮廷舞踊と、民衆が楽しんだ中国民族民間舞踊の2種に大きく分けられ、宮廷舞踊は政権が安定した618~907年の唐(とう)の時代に隆盛しました。

唐の絶頂期を治めた第9代の皇帝「玄宗」(げんそう)は712~756年の間在位し、「楊貴妃」(ようきひ)を寵愛した皇帝としても知られています。玄宗は、皇帝となって間もなく梨園(りえん)と言う宮廷音楽の養成所を設立し、音楽家や舞を披露する妓女(ぎじょ)を養成しました。玄宗は歌舞を愛し、擁護したのです。

一方、中国民俗民間舞踊は民族ごとに発展。各民族のもつ自然観、宗教観、文化、生活や他民族との交流がもたらした変化等、様々な要素を取り込みながら継承されてきました。

広大な国土をもつ中国では、風土や気候も多様であり、言語や習慣も千差万別であったので、各民族の舞踊は大きく異なります。

中国民俗民間舞踊の代表的なものとして漢民族、モンゴル民族、チベット民族、ウイグル民族、タイ民族、中国雲南省の南西に暮らすハニ民族、湖南・四川・貴州の狭間に暮らすミオ民族などの舞踊が知られています。

各民族の舞踊もさらに居住区域によって異なり、さらに少数民族の継承する舞踊なども含むと中国では膨大な数の民俗舞踊が受け継がれているのです。

中国最古の剣舞

中国における剣とは、古代から権力と地位を象徴する物であり、高貴な物として位置づけられていました。また、同時に剣は地位を勝ち取り、守るための武具でもあったのです。

紀元前から王朝が存在した中国では、武術も早くから編み出され、紀元前206~220年頃の中国を治めた漢の時代に確立されたと言われています。

以降、武術と舞楽が融合した宮廷舞踊が生み出され、武術の訓練方法としても活用されました。その中に、剣や鉾(ほこ)を用いる「剣の舞」があります。

舞い手は当初男性のみでしたが、次第に女性の舞い手も登場し、剣や鉾を手に優雅に、勇壮に舞を披露しました。こうした舞は「武官の舞」または「武舞」(ぶまい)と呼ばれ、数々の演目が生み出されました。

剣の舞には、武術の立ち姿、姿勢、型が取りこまれ、武術と同様に柔軟性、敏捷性、集団で舞う際の協調性が要求されました。その後、剣の舞の芸術性は徐々に高められ、舞踊芸術として発展し継承されたのです。

また、中国の民間民俗舞踊にも剣を用いる舞が存在します。

チンポー族 剣の舞

チンポー族 剣の舞

中国の雲南省、ミャンマーとの国境近くに位置する、徳宏(とっこう)タイ族チンポー族自治州に暮らすチンポー族は、民族最大の祭のときに男性が伝統である剣の舞を披露。この祭は一同が広場に集まって歌い踊るもので、祭の起源は伝説として伝えられています。

その伝説とは昔、天空に9つの太陽が現われ、大地が干上がってしまいました。困り果てたチンポー族の人々はたくさんの鳥を天空へと放ちます。鳥達は、神の前でさざめき踊り、1日に出る太陽はひとつだけにして欲しい、という願いを訴えます。鳥達の歌舞に喜んだ神は願いを聞き入れ、太陽をひとつだけにしてくれたというものです。こうした所以をもつ祭で、人々は一日中多くの歌や踊りを楽しみます。

故事、演劇の中の剣舞

日本でもよく知られている故事「鴻門の会」(こうもんのかい)にも、印象的な場面で剣舞が登場。紀元前206年、中国で勃発した楚漢(そかん)戦争の契機となった鴻門の会とは、自ら「西楚の覇王」(せいそのはおう)と称した楚の武将「項羽」(こうう)と、のちに前漢の初代皇帝となる「劉邦」(りゅうほう)との会談を題材としています。

武将が乱立してせめぎ合う中国で、項羽は先に敵地を制圧した劉邦を謀反人として討とうとしており、軍を整えていました。しかし、劉邦は項羽の配下に入るつもりでした。そんな中、項羽と劉邦が対面することに。劉邦は項羽に対して謝罪するとともに敬意を払い、その様子に項羽の怒りが薄らぎます。すると、同席した劉邦をライバル視する武将・范増(はんぞう)は、項羽の態度に業を煮やし、余興の剣舞を披露しながら劉邦に斬りかかろうとします。

その企みに気づいた項羽の配下の武将で項羽の叔父である項伯(こうはく)は、相方として剣舞を舞い、范増の攻撃を阻止。遂に、劉邦の部下が范増の企みに気づき、宴席に乗り込むと剣舞は中断され、劉邦は騒ぎに紛れて自分の陣営に戻っていきました。

この宴席で劉邦を討たなかったため、のちに項羽は臣下の信頼を失い、敗北することとなります。そして、最大の危機を部下の機転で脱した劉邦は、臣下との信頼関係も強まり生き延びたのです。

中国には、この故事をもととする諺(ことわざ)「項荘舞剣、意在沛公(項荘が剣舞を舞った、その意味は沛公(のちの劉邦)にある)」があります。余興としての剣舞は名目であり、真の意味は他にある、という意味です。

そして、中国を代表する民俗芸能のひとつ・京劇(きょうげき・中国読:ジンジュ)の演目にも剣舞が組み込まれています。

京劇とは1616~1912年までの中国を治めた最後の王朝・清の時代に生み出された中国の古典劇のひとつであり、音楽と歌、台詞、舞踊を取り込んだ舞台芸術です。演目は史実や逸話に基づいており、かつては男性だけを演者としていましたが、現代では女性の演者も存在しています。

覇王別姫

覇王別姫

剣舞が印象的な場面で登場する演目のひとつに、「覇王別姫」(はおうべっき)があります。覇王別姫は20世紀初頭から半ばまで活躍し、世界的な名声を得た京劇の女形「梅蘭芳」(メイランファン・1894年生-1961年没)のために書かれた演目。

この演目の主人公も項羽で、鴻門の会のあと、追い詰められ破滅へと至る項羽と愛人「虞姫」(ぐき)または「虞美人」(ぐびじん)を描いたものです。

四面楚歌の状況に追い込まれ、最期を覚悟した項羽を慰めようと、虞姫は剣を手に舞い始めます。舞い終えた虞姫は、項羽の足手まといになることを恐れ、剣で自決してしまいます。世界三大美人のひとりとされる虞姫が、愛する人のために覚悟して舞う最後の剣舞。その儚く美しい舞は、演目の中でも最も印象的な場面となっています。

古代から脈々と受け継がれ、発展を遂げてきた中国舞踊。現代の中国では舞踊大学、舞踊学院、舞踊専門学校等、各種の教育機関が設けられており、宮廷舞踊、民俗民間舞踊それぞれについて教育、継承が行なわれ、職業舞踊人が多数輩出され続けています。

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サウジアラビア国民はそれぞれの部族の伝統も信仰と同様に重んじる上、地理的条件、気候も地域ごとに異なるため、多彩な文化、民俗芸能が育まれました。民俗舞踊も地域ごとに異なり、ヒジャーズ地方に伝わる、笛とタブルという太鼓の演奏に合わせて踊られる「笛の舞い」や、北部に伝わる手拍子とともに踊る「ダッハ」、「アルダ・ダンス」と呼ばれる剣の舞などがあります。

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イランの民俗舞踊は、地方ごと、民族ごとに少しずつ異なります。民俗舞踊の種類には、宮廷で舞われた洗練された舞と、生き生きとした民衆の舞踊があり多種多様。その中で、戦争・戦闘を表現する踊りは戦いの様子を舞で表現するものであり、かつては戦闘訓練として採用された舞踊です。

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コルチュラにはモレシュカ、クンバニエ、モシュトゥラなどの民俗舞踊が残されており、モレシュカは舞い手が剣を手に踊る戦いの舞踊で、謝肉祭の習慣に基づいた舞踊だとされています。幾多の戦いの歴史が、クロアチアでは今も伝統行事や舞踊に残り、脈々と受け継がれているのです。

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東欧の剣舞:ジョージア

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地方や民族ごとの伝統舞踊を愛し、結婚式や祭りの際には舞踊を楽しむジョージアの人々。その伝統舞踊にはカズベグリ、カルトゥリ、ホルミ、レズギンカをはじめ多彩な種類があります。

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ヨーロッパの剣舞:スペイン

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スペインの民俗舞踊の特徴は、リズムが活発かつ複雑であることです。そのため、舞い手は舞踊技術の鍛錬を要します。また、スペインの民俗舞踊のステップは、後世にバレエの中に取りこまれたものも多くあるのです。民俗舞踊の宝庫・スペインでは、現代も人々の暮らしに舞踊が深く根付いています。

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ヨーロッパの剣舞:イングランド・スコットランド・北アイルランド

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イギリス各地には剣を使用するソードダンス=剣の舞が伝えられています。一方、ナイトやデイムの授与式では、王室関係者が中世の騎士叙任において王が行なったのと同様に、跪く叙勲者の両肩を儀礼用の剣で触れる儀式が行なわれます。折節の祭事で楽しまれる民俗芸能に、栄誉称号の授与にと、イギリスでは今も剣が人々の暮らしに深く溶け込んでいるのです。

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