明治時代、吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)は神社での奉納公演、武道場での大会、劇場などで披露されました。また、時の天皇陛下や政治家、軍の高官、外国の来賓、実業家などの主催する舞台などでも吟剣詩舞は披露され、日本武道を礎とする芸道として鑑賞されたのです。
明治時代より以前、吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)という芸道が確立されていなかった封建時代、剣舞(けんぶ)は武士層が宴席や婚礼の席などで披露する「嗜み」でした。宴席の主旨にふさわしい漢詩の吟詠(ぎんえい)に合わせて、剣舞の素養をもつ武士は刀剣を抜き、舞を出席者に披露。自らのアイデンティティの象徴である刀剣は、武士達にとって相棒以上に緊密な存在でした。
そして、武家社会が解体された明治時代、職務と地位、そして帯刀する権利を失った旧武士達は、従来とは異なった方法で日本刀との繋がりを保ったのです。
明治時代の新聞記事や小説には、しばしば「撃剣興行」(げきけんこうぎょう)という言葉が登場します。撃剣興行とは、木刀や竹刀を使用した剣士の対戦を、寄席や大道芸として木戸銭を得て興行したものです。東京・浅草や横浜にあった寄席などで当時盛んに催され、大人気となりました。
榊原健吉
撃剣興行とは、剣術家の榊原健吉(さかきばらけんきち)が職を失い困窮する旧武士の救済を目的として興したもので、興行の木戸銭を旧武士の収入としたのです。
榊原は、旧幕府講武所の師範役を務めた剣士でしたが、明治維新がもたらした旧武士達の窮状を解消するため、1873年(明治6年)に東京・浅草で「撃剣興行会」(げきけんこうぎょうえ)を始めます。撃剣興行は、時の東京府知事「大久保一翁」(おおくぼいちおう)が許可を下し、旧幕臣らと親しかった侠商(きょうしょう)「三河屋幸三郎」(みかわやこうざぶろう)、浅草専念寺の住職・田沢俊明らの後援を得て、興されました。
浅草と横浜で好評を得た撃剣興行は、瞬く間に流行し、東京府(現在の東京都)には30以上の興行小屋ができたという当時の記録が残されています。その後も流行は広がり、日本各地で興行が行なわれました。
しかし、短期間に広まった撃剣興行の人気は、すぐに終焉を迎えます。急激に拡大する人気に即し興行も増加しましたが、優れた出演者の数が限られていたため、舞台の質が低下。さらに、剣術の素養のない観客には勝敗の判定が不明瞭であったため、次第に客離れが起きたのです。
興行としての価値を失った撃剣ですが、その後は警察庁での警官の鍛錬に採用され、撃剣興行の剣士達の多くが警察官として登用されました。
一方、剣術、武士道精神の継承を目指した旧武士、剣術士達は吟剣詩舞を開眼します。1890年(明治23年)「日比野雷風」が開眼した神刀流の吟剣詩舞を始まりとして、その後派生した多くの流派では、吟剣詩舞を剣術の技と精神を芸道として昇華したものとして門下生に教えます。そのため、吟剣詩舞は寄席とは異なり、神社での奉納公演、武道場での大会、劇場などで披露されました。
また、時の天皇陛下や政治家、軍の高官、外国の来賓、実業家などの主催する舞台などでも吟剣詩舞は披露され、日本武道を礎とする芸道として鑑賞されたのです。
1908年(明治41年)には、日比野雷風が主演を務め、剣舞や吟詠を披露するサイレント映画が制作、公開されています。この映画にはストーリーは無く、雷風の剣舞を映像としてまとめた作品であり、映画館で上映されました。
一方、明治時代に発刊された会社員向けの書籍には、吟剣詩舞を宴席で披露することを勧める紹介記事が掲載されています。書籍では、会社の関係者や客との宴席で、余興として吟剣詩舞を披露できるよう、日頃から嗜むことを勧めているのです。吟剣詩舞として確立されたあとにも、剣舞は依然、宴席で披露されることが多い芸道でした。
明治から大正、昭和と時代が移るとともに、吟剣詩舞を嗜む人はさらに増えました。
明治、大正時代には青少年の教科、レクリエーションに採用されることもあった吟剣詩舞を課外活動、クラブ、サークル活動としている中学校、高等学校、大学が現在も日本各地に多くあります。
吟剣詩舞を学内の文化祭で披露した様子や、地域ごとの大会が開催された模様が、各地の新聞、雑誌の記事などで紹介されています。課外活動として吟剣詩舞に取り組む学生達が、手作りの衣装や小道具を使用し、群舞や剣詩舞の舞台を日本各地で披露しています。
吟剣詩舞
また、剣道や柔道と同様に、吟剣詩舞は作法や姿勢を重視する芸道であるため、幼児の習い事としてもしばしば選ばれています。吟剣詩舞の鍛錬を通じて、子どもに行儀作法を身に付けさせることができるのです。
他にも、詩吟とともに各地のカルチャースクールの講座となることも多く、各地で受講者を集めています。子どもから年配者まで、現在では吟剣詩舞は幅広い年齢層の愛好者に楽しまれているのです。
また、現代社会のコミュニケーション・ツールである、SNSや映像配信サイトなどでも、吟剣詩舞に関する画像や話題、舞台映像などを見ることができます。
吟剣詩舞の振興、推進を目指す様々な団体が日本には多く存在し、そうした団体主催の大会、コンクールなどが、年間を通じて多く開催。こうした大会などの模様は映像作品として編集され、愛好者に買い求められ、家庭でも鑑賞が楽しまれています。
さらに、各自治体が主催する文化祭などにも吟剣詩舞がプログラムされていることが多く、その人気の広さ、深さを感じることができるのです。
そして、吟剣詩舞は芸道であるため、流派ごとの発表会や舞台公演も行なわれています。能、狂言、歌舞伎などの日本の古典芸能と同様に、自身が吟剣詩舞を嗜んでいない聴衆が舞台を鑑賞するために会場に足を運んでいるのです。
アクティビティとしての吟剣詩舞
伝統芸道として、神社や武道場、劇場などで公演されていた吟剣詩舞は、現在では新たな表現とともに劇場、コンサート会場、シアターなどでも公演。
他にも、飲み物付きの小規模な公演がライブハウスやカフェ、文化サロンなどで開催され、古典芸能に興味をもつ若者を中心に楽しまれています。
また、吟剣詩舞は日本各地で催される懇親会やレセプション、式典などに招聘され、会場内に設けられた舞台で披露されることもあります。こうした公演では、詞章である吟詠や音楽は録音されたものを使用し、吟剣詩舞本来の和服、礼装をまとい、小道具も最小限に抑え、演者が迫力ある舞を披露。間近で披露される剣舞は、鑑賞する人々に大きな感動を与えます。
特に、外国人が出席するレセプションや式典などでは好評で、舞台終了後に体験会が開催されることもあります。
そして近年では、観光を目的として来日する外国人に吟剣詩舞を紹介する専用シアターも登場しました。このシアターで外国人に剣舞を披露する演者は、吟剣詩舞の様々な流派の門弟であり、披露される剣舞も各流派の本格的な舞です。
ここでは、スタッフが来場者に英語で対応し、本格的な舞台の鑑賞の他、体験レッスンの受講、装束を着用した撮影など、日本文化に興味、憧れを抱く外国人には魅力的なプログラムを多数用意。プロのレクチャーを受けながら、短時間で「侍文化」を体験できるとあって、多くの来場者を集めています。
さらに、シアターへの立ち寄りをツアーに組み込んだ日本旅行のパッケージ商品や、周辺ホテルでの滞在中のオプショナルプランとしても採用されるなど、剣舞体験は外国人旅行者向けアクティビティとして浸透しつつあるのです。
武士の精神と剣術の継承を目指して開眼された吟剣詩舞は、21世紀の今日、アクティビティとしての側面も得て、さらに発展を遂げようとしています。